山羊(1)

 町のはずれ。なだらかな山のふもとでは、山羊が放牧されていた。柵に囲まれて、のどかに草を食んでいる。

 白き衣を纏った少女が、柵にもたれかかってそれをぼんやりと見つめていた。だが、目ざとい者はその裾からちらりと黒衣がのぞいていることに気づくだろう。右足にしっかりとついたままの戒めも。

 それはクロウ氏族の少女であった。


 あの日の夜、クウは眠れずにいた。毛布を被りうずくまってみるけれども、うとうとした瞬間にそれは現れるのだ。それは亡霊のように暗闇に浮かび上がり、そして火の粉を散らして消えていった。この世のものとも思えない断末魔の悲鳴を響かせながら。

 空が白んできた頃、クウは心底ほっとした。そして、そうっと寝床から抜け出した。火あぶりにかけられたドール氏族の捕虜、刑を執行したゴート氏族の看守、それをお祭り騒ぎで見るゴート氏族の人たち。そして、それを命令したゴート氏族の<瞳>。そのどれもが恐ろしく感じられた。

 屋根裏の窓からそっと這い出て、ふらふらと夜明けの空を飛んだ。そして行くあてもなく彷徨い、町のはずれの牧場までたどり着いた。そしてクウはその場にへたり込む。力を使い果たしたのだ。

「……おなかがすいたなあ」

 その言葉によっていよいよ耐え切れなくなったのか、おなかがぐー、と鳴った。

 幸いなことに誰にも見つからずにここまで来れたようだ。だが、この先のことを考えると頭が働かない。動くほどの体力もなく、食べ物もなく。希望的な未来が全く思い描けなかった。

 太陽は、恨めしいほどに高く上がっている。屋敷では今頃クウがいなくなったことに気づくだろう。もしかしたら騒ぎになっているかもしれない。元捕虜とはいえ、完全な自由の身ではないことぐらいクウにもわかっている。

 主の姿が脳裏にちらつく。

 勝手に抜け出して、怒っているだろうか。それとも、なんの感情も表に出さずまたあの手紙をしたためているのだろうか。




 クウは先ほどから視線を感じていた。

 牧場の近くに建てられた管理小屋の中から、誰かがこちらを見ている気がする。

 だが、クウはぼんやりしていた。昨日の今日だから警戒はすべきであったが、寝不足と空腹ということも手伝って気が緩んでいたのだろう。白いフードを被っているという油断もあったのかもしれない。

 だからざわざわとした草の音も、風が草原を揺らしているのだと思っていたのだ。

「あんた」

「わあっ!」

 後ろから声をかけられて、クウは飛び上がった。勢い余って柵を飛び越え、どさりと牧草の上に尻餅をつき、はらりとフードが落ちる。しまった、と思うがもう遅い。振り向くと、そこには三つ編みのゴート氏族の娘が、鍬を片手に立っていた。

 娘は柵を開けて放牧地に入り、クウに一歩一歩近づいてくる。日の光を浴びて、鍬がぎらぎらと輝いている。まるで殺意を向けているかのように。逆光も手伝って、女の表情は窺えない。

 昨日の光景がフラッシュバックする。渦巻く殺意を思い出し、クウは吐き気を覚える。

 クウは必死で後ずさりした。だが、すぐに牧草の山にぶつかって思うように動けない。女は鍬をぎらつかせ、クウの目の前まで立ちはだかった。

「こ、殺さないで」

 ぎゅっと目をつぶる。体の震えが止まらない。

「くっ……ふふっ、あっはっはっは!」

 その少女は笑い出した。

「何も、命なんて取りゃしないわよ。あたしがそんなことする風に見える?」

 クウはぽかんと口を開けた。なんだかよくわからないけれど、少なくとも向けられているものは敵意ではない。全身の力が抜けていくのを感じる。

「あなた、クウさんでしょ」

「……そうだけど」

 年は同じぐらいか、とクウは思った。プラチナブロンドの三つ編みを二つぶら下げて、顔はそばかすだらけ。好奇心旺盛な青い瞳が、こちらを見ている。

「ねえ。あなた本当にアルバイン様の愛人なの?」

「はぁ?」

 予想外の問いに、気の抜けた声が出てしまう。

 彼女から向けられているのは好奇心、もっと言うと野次馬根性であった。

 町の人たちが愛人と噂しているのは知っていたが、もちろん事実無根である。かといって従者としてきちんと役目を果たしているとも言い切れず、我ながら中途半端な立場であると思う。従者として働くことを条件に牢からは出してもらえたのだが、戒めを見ると未だに捕虜なのではないかという気持ちにさせられる。

「そ、そんなわけないだろ」

 プライドをへし折りながらクウは言った。だからといって自分で否定するのも何か悲しい。

「そうよね。だと思った! アルバイン様があんたみたいな子を選ぶわけがないもの」

 あけすけな物言いに図らずも傷ついた。実際アルバインにも女扱いされていないのは事実なのだが、初対面の人にすら言われなければならないのか。

「あたしなら、いつでもアルバイン様のお側にいてあげられるのに」

 彼女の口は止まらない。あたしかアルバイン様に見初められたなら――と、妄言が飛び出すのを聞いて、クウは顔をゆがめた。

 にわかには信じられなかった。あの無愛想な男のどこがいいのだろう。無愛想で、仕事人間で、仕事のためなら何でもしてみせるような冷酷な男。そのくせ、くだらないことでからかわれ、クウは振り回されている。

「あんたは、アルバイン――様のことをどれくらい知っているというんだ」

「少なくともあんたよりは知ってると思うけど?」

 反論を試みようと口を開きかけたまま、言葉が出てこない。考えれば考えるほど、昨日のアルバインの姿が脳裏にちらつく。けれどクウが複雑な胸中でいるとは知らず、目の前の娘はのんきに話し出す。

「知ってる? アルバイン様はね、空が好きなのよ。だから時々、窓から空を眺めていらっしゃるでしょ?」

 その答えにクウはなぜだか打ちのめされた。

 クウはふと彼の涼しい瞳を思い出していた。無愛想だけれど、端正な顔立ち。よくよく考えてみれば、齢十八で<瞳>の地位についている男なのだ。そして彼は適齢期にして独身だった。だから彼女のようなゴート氏族の娘が色めき立つのも理解は出来なくもない。

 それに対して自分は、彼のことについて何も答えられない。近くにいたのに、ただそれだけだ。

「あなた、アルバイン様のこと何にも知らないの」

 少女の勝ち誇った顔が妙に悔しかった。

 こうしている間に、ゆるゆると山羊が近づいてきた。クウの尻の下あたりに敷かれていた牧草を貪り始め、慌ててクウは立ち退く。その横長の瞳孔は、やはり不気味だ。だが全身の柔らかそうな毛や、気の抜けるような鳴き声、そして二束の髭。全体的に見るとどことなくユーモラス、と言えなくもない。そのうちに山羊はクウの上衣を食み、クウは悲鳴をあげる。

「うひゃあ」

 上衣を引っ張ると、山羊は諦めたのか大人しく離した。山羊はそのままどこかへ歩いていく。

「それよりあんた、こんなところでのんびりしてていいの? アルバイン様の御付きならなおさらよ」

 クウは改めて彼女をまじまじと見つめた。彼女はふふふっと笑っている。

「あんた、何者?」

「あらあら、興味持ってくれて嬉しいわ! メイリアよ。ただの羊飼い」

 クウは顔を引きつらせながらも耐えた。

 嘘だ、と思った。さっきから妙であった。ただの羊飼いが<瞳>の愛人に近づくはずがない。

「そんな顔しなくたっていいじゃない。まったく、あんたを見ていると心配になるわ。お父さんの言ってた通りね」

「お父さん?」

 頭の中がちりちりする。誰かに似ているような気がするが、思い出せない。

「お父さんはお父さんよ。ねっ、お父さん!」

 メイリアの視線がクウの背後に移る。その瞬間後ろから「まったくだ」と声をかけられ、クウは飛び上がった。

 いつの間に後ろまで来ていたのだろう? 気づかずに背後を取られたことが、とても恥ずかしかった。

 山羊がのどかにめえー、と鳴いた。

 振り向くと髭面の男が笑っている。山羊がその男の足元でじゃれついていた。

 クウの後ろから声をかけた人物は、ゴートの<瞳>アルバインの片腕とも呼べる人物。ナトリーであった。




 数時間後、クウの身柄はゴート氏族の娘メイリアから父ナトリーへと引き渡された。というよりも、二人が話しをしているところにたまたま帰ってきた、というのが正しい。

「本当のことを言うとだな、アルバイン様にクウさんの捜索を命じられたところなんだけど、すぐには見つからないだろうと帰ってきたところなんだ。アルバイン様には秘密だぞ」

 茶目っ気たっぷりに、にかっと笑う。

 ナトリーはアルバインの部下の一人、もっと言うと片腕とも呼べる人物である。クウはあまりナトリーと話をしたことがなかったが、彼は廊下ですれ違うたびに挨拶したり手を振ってくれる数少ない人物であった。

 おなかがすいているだろう、とナトリーの家で食べ物が振舞われた。皿に盛られた乳白色のスープからは湯気が立ち上り、乳の匂いがする。そして豪快に焼かれた肉、不器用な形のパン。テーブルの上には所狭しと料理が並べられている。

「どうぞ」

 メイリアは慣れた手つきでお皿に取り分けている。クウはごくりと喉を鳴らすが、手をつけるのは憚られた。

「どうした? 口に合うかどうかはわからないが、おじさんもいつも食べてるから大丈夫だぞ」

「お父さん! 余計なこと言わないでよ」

 娘に厳しく突っ込まれ、ナトリーはにかっと笑う。がっしりした体格に豊かな髭面、だがその瞳に宿した輝きは優しい。つられて笑いそうになったが、ぐっと我慢する。

 クウはおもむろに立ち上がった。

「私はご馳走になるわけには」

「そんな気を遣わなくてもいいぞ」

 さえぎられ、半ば無理やり椅子に座らされる。気を遣っているつもりはない。クウは他人の好意に素直に預かるのが苦手だった。借りを作ったら一体何を返さなければいけないのだろうかと考えてしまう。あるいは過度の要求が待っているのかもしれないと考えると、素直にのむわけにはいかない。事実アルバインに借りを作ってしまった結果、従者の真似事をさせられているからだ。

 だが、おなかは素直にぐうと音を立て主張する。クウの顔がみるみる赤く染まっていく。

「ほーら。いいから食べなさいよ」

 なんだか調子が狂う。この人たちはアルバインと全然違う。ひょっとしたら、彼に毒されているのは自分の方かもしれない。

 空腹には抗えず、おそるおそる手をつけた。

 熱々のスープをすする。塩辛さの中にほんのり甘みを感じる。パンといい、ゴート氏族は甘いものが好きなのだろうか。だが嫌な感じはしない。不器用な形のパンは素朴な味がした。悪くはないが、やっぱりパン屋のパンはおいしいのだと思う。

「いやーどこに行ったのか心配してたんだけど、まさかうちの牧場にいたとはね」

 ナトリーは豪快に笑い、クウの背中を叩く。少し痛かった。

「昨日は警備に当たっていたんだが、ちょっと悪酔いした連中がいたようでね。そいつらならこってり絞っておいたからもう大丈夫だ」

 何が大丈夫なものか、とクウは思う。そんな言葉を鵜呑みに出来るほど、楽観的ではなかった。悲観的にすぎると言えるかもしれないが、そうさせるほどの仕打ちを受けていたからだ。

 現実は何も変わってやいない。陰口を叩かれるのは目に見えているし、寺子屋の子供たちから石を投げられるのも同じだろう。下手したら昨日のように命の危険にさらされることだってあるかもしれない。

 そんな表情が顔に出ていたらしい。

「大丈夫よ。あんたはアルバイン様の『愛人』なんでしょ」

「だから、違う」

「知ってるわよ。でもね、世間はそう思ってるってことよ」

 話が読めない。クウが黙っていると、メイリアは得意そうに言う。

「だーかーらー。昨日お父さんが騒ぎを起こした人を捕まえたでしょ。お父さんは<瞳>様の部下だから、みんなこう思うわ。<瞳>様の『愛人』に手を出したらしょっ引かれる、って」

「おじさんは警備に当たっていたから、町の治安を守るための仕事をしただけなんだけどねえ」

「お父さんはそう思ってるだけかもしれないけど、昨日からその話でもちきりだったもんね。なっちゃんもミアちゃんもうるさいったらありゃしない。私なんにも知らないのに」

 ナトリーは参ったね、などとつぶやきながら言う。

「まさかとは思うけど、変な噂を立てるのは止めてくれよ」

 メイリアはぺろっと舌を出す。

「さあね~」

 ナトリーがため息をつく。

「<角>様にも睨まれちゃって、お父さんは大変なんだよ。今はアルバイン様がかばってくれているけど下手したら失職だよ」

 あんまり悲壮でもない様子で、ナトリーは語ってくれた。あの処刑は戦に向けて士気を高揚させるため、ゴートの<角>イシューが威信をかけて行ったものだということ。ナトリーは町の混乱を収めるために暴れた者を取り押さえたが、結果として<角>の思惑を静止した形になってしまい、<角>からはいたく不興をかってしまったということ。

「お父さんがクビになっても山羊たちがいるから、うちは大丈夫よ」

「そういう問題じゃないだろう?」

 父娘のやりとりをぼんやりと眺めながら、クウは歯ごたえのあるパンを口にする。もそもそした素朴なパンに水分を奪われていく気がする。

 自分の家族とは全然違うことに、クウは少なからず動揺していた。クウの家族には厳然たる上下関係があり、父や兄には全く口答えが許されないのだ。生意気な口をきいて、殴られることなどしょっちゅうであった。それに比べて、ナトリーのなんて優しいことだろう。

「アルバイン様はクウさんのこともかばってくれているんだぞ」

「私?」

 いきなり水を向けられて、パンをのどに詰まらせる。

 そんなはずない、と言いかけて口をつぐむ。ドール氏族に死刑を言い渡した男、その一方でクウを私刑から救出した男。一体どれが本当のアルバインなのだろう。自分と死んでいったドール氏族との違いは一体なんなのだろうか?

 確かに今、死刑にされることもなくリンチにさらされることもなく、自分は生きている。けれど、彼を本当に信じていいのだろうか。

 何の感情も覚えずあのような命令を下す主を思うと、背筋が寒くなる。だが、祭りに行くことを止めたのは、意地悪などではなく心配してくれていたのではないか? 買いかぶりすぎだろうか。ぐるぐると複雑な感情が渦巻いている。

「そう、なのか」

「あんたねえ。アルバイン様を信じないなんてどういうつもりよ」

「そんなんじゃないよ。信じない、わけじゃない。ただ……」

 怖いのだ。

 昨日あんなことがあって、無条件に信じることができるわけじゃない。そのようなことを、クウは不器用に話した。メイリアは次第に顔をしかめ、黙り込む。

 ナトリーはクウの頭を撫でた。

「大丈夫だぞ」

「うん……」

 ナトリーの手は温かくて、大きくて分厚い。ごつごつした大人の手だ。もう子供じゃない、と思い込んでいたけれど、自分が小さな子供に戻ったような感覚に陥る。

「クウさんも家に帰してやれるといいんだけどね」

「本当!?」

 ナトリーが何気なく口にした話題に、クウは勢い余って身を乗り出した。皿をひっくり返しそうになり、メイリアが少し慌てて皿を下げる。帰れるものなら帰りたい。それは図らずも引きずり出された本音だった。

 だが、ナトリーの優しい瞳とぶつかる。

「ただ、アルバイン様の許可がないとね」

 やはり現実はそんなものなのだ。

「そう……。いや……いいんだ」

 クウはしゅんとしてなるべく静かに返事をした。どうせ期待できたことではなかったが、それより本音が出てしまったことが恥ずかしかった。それはつまり、自分の弱みを見せてしまったともいえるのだ。

 しばらく静かな食事が続いた。クウは涙をこらえるのに必死だったし、メイリアは父ナトリーをにらみつけていた。ナトリーは年端もいかぬ少女をぬか喜びさせた負い目と、娘からの無言の圧力を受けて板挟みになっていた。

 口火を切ったのはナトリーだった。

「屋敷に戻ろうか。クウさんが帰る事ができるよう、おじさんからもアルバイン様に話してみるから」

 あえて朗らかな口調でナトリーは言った。

「アルバイン様だって心配してるさ」

「……そんなはずはない」

 なぜか涙が出そうだった。

 ナトリーと話していると、自分がどんどん小さな子供になってくるように思える。思わぬ本音を引き出されてしまう。

 すっかり黙り込んでしまったクウを見て、ナトリーは場を和ませるように、にかっと笑う。

「そう思うかい? じゃあ、確かめてみるといい」

 クウはこっくりとうなずいた。



 ちゃんと食べなさい、という半ば脅迫のようなメイリアの言葉に従ってクウはおなかを満たした。おかげで気持ちもずいぶん落ち着きを取り戻した。

「じゃあ行こうか」

 ナトリーに連れられてアルバインの屋敷に向かう。体にかすかに震えが走る。率直なところ、彼がどのような反応をするのか予想がつかなかった。怒りを表すのだろうか。それとも淡々と処遇を言い渡すのみか。

 通りを歩いていると、すれ違う人々からの無遠慮な視線を浴びせられ、クウはフードを目深にかぶる。

 ナトリーは顔の広い人物らしく、時々町の人につかまってはにこやかに二言三言と交わしている。そのたびにクウはひやひやする。隠れるようにナトリーの後ろに立つクウに時々町の人から水を向けられるが、その時も屈託なく「うちのクウさん。じゃあ、<瞳>様のところに戻らないといけないから」とかわしていく。町の人があっけにとられる中、ナトリーはさっさと歩みをすすめ、クウも慌ててついていく。

 ふと、通りの向こうに見慣れた姿の人たちが歩いているのが見え、クウはどきりとした。ゴートの<瞳>アルバインと、彼のもう一人の片腕とも呼べる男デール。数人の従者を引き連れてやけに目立っていた。彼らはナトリーたちに気づくこともなく、通りの向こうへ歩いていく。

 クウの心はざわついた。まだ心の準備もできていないというのに、思いもよらぬ場所で主と出くわしたからである。

 彼は険しい顔をしていた。いつもは見せないような厳しい顔に、クウは立ちすくむ。

「ナトリーさん、あれ」と指し示すと、ナトリーはようやく気付いたようで、困ったように頭をかいた。

「ありゃ、合議の時間か」

「ゴーギ?」

「今から偉い人たちの話し合いがあるんだよ」とナトリーが噛み砕く。

 悠長に説明している間にも、彼らとの距離はどんどん開いていく。

「ナトリーさん、追いかけないの」

「うーん。行ったところで、今から合議が始まってしまうし、君は入れないからねえ。我々は大人しく屋敷で待っていよう」

「そうか……」

 ナトリーは構わず<瞳>の邸宅に向かって歩みを進める。クウもそれに従い、のろのろとついていく。しかし、クウは遠目に見たアルバインの横顔が気になっていた。しわが刻みこまれた眉根には不機嫌さと少々の懊悩がうかがえた。彼をあんな顔にさせているものは、いったいなんなのだろう? 合議なのだろうか、それとも――クウ自身か。

 クウはしばらくナトリーについていくふりをしながら、そっと歩く方向を変えた。そしてアルバインたちを追いかけていく。

 ひょっとしたら、アルバインが怖い顔をしている理由がわかるかもしれないと思ったのだ。そして、彼が本当に大人物かどうか見極めてやる。などと言い訳をしながら。

「……あれ? クウさん?」

 ナトリーがそれに気づいたのは、しばらく経ってからのことである。 

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