最終話 思うほど他人は私に構ってくれない

思うほど他人は、私に構ってくれない。


21時。今日は彼の帰りが遅くなる日だ。

彼女は机に並べた料理を眺めては、ため息をついた。

今日も彼は疲れて帰ってくる。

自身の一日の出来事と、愚痴と、楽しかったことと、ストレスとを、

やはり吐き出せないだろうと、またため息をつく。


21時。今日は彼の帰りが遅くなる日だ。

帰ってくるのは、まだ先のこと。

ふと思い立って、彼女は玄関の鍵をかけて外に飛び出した。


外の空気は冷たくて、呼吸の度に鼻がつんとする。

しばらく歩いて、いつものお店に立寄り、お気に入りの肉まんを買った。

肉まんを手にしたまま、また歩く。

たまたま通りかかった公園が目に入り、

そこのベンチに腰掛けて肉まんを食べようと考える。

ベンチに腰掛けたとたん、いろいろ思い出して、喉の奥を熱くする。

歩いたり、何かを買ったりしている間は何も考えずに済んだ。

何もしない、空白のような感覚を抱くこの時間は、

彼女にとってひたすらに苦痛に感じるものだった。


寒くなって来たので、温かい肉まんを、大好きな肉まんを、口に頬張る。

美味しい。けど、美味しくない。

大好きなはずなのに、こんなに美味しくなかったっけ。

自然と涙がぽろぽろ溢れ出していた。


そうしたら、不思議といろんな感情や思いが、芋づる式にやってくる。


私の人生ってこんなだっけ。

私が生きたかったのはこんなんだっけ。

私ってここにいる必要あるのかな。

なんで私は独りなんだろう。

自分を閉じ込めて、人の話を聞いて、でも他人は私の話聞いてくれなくて。

何のために生きているんだろう。

何のためにがんばるんだろう。

なんで、なんで、なんで。


嗚咽を鳴らしながら、肉まんをやっとの思いで食べ終えた。

ふと公園の時計を見てみると22時を指していた。

思いのほかここに長居してしまったようだ。

帰ろうと思いつつ、帰る気が起きない。

彼女はただ、ベンチに座ったまま、虚空を見つめた。


しばらくぼうっとしていると、遠くの方から誰かが走ってくる音が聞こえてきた。

随分と走って来たようで、息切れの音がこちらまではっきりと聞こえる。

その影が公園の中にやってくると、彼女の目の前に立ちはだかった。


「やっと……っ、見つけた! 探したんだぞ!」


目の前にいたのは彼だった。

彼女は驚き、軽く目を見開いて彼を見つめる。

彼は息を切らしながら、声を荒げて彼女に向かって叫んだ。


「……おかえり」

「全く……! 心配したよ! 勝手にどっかに行くなよ!」

「……ごめんなさい」

「……ほんっと、疲れてんのにやめてくれよ……」

「……疲れてるのなら、家で寝てたらよかったのに」

「……はぁ?!」

「疲れてるなら、ゆっくり休んでくれたらよかったのに」

「お前何言って…」

「疲れてるなら、私に構わず寝てくれたらよかったのに」

「……」


私に構うな。

私は独りだ。

私はもう何者でもない。

そう言いたげな彼女の姿を、ただ彼は見つめていた。


私は自分がいなくなった世界のことを考えていた。

私がいなくなっても世界はいつも通りに朝を迎えるし、夜も迎える。

自身に閉じ込めた私は、結局何者でもなくなってしまった。

目の前にいる君でさえ、もう私を見ていないのだから。

私は家にいないでここにいても、何ら変わりないことを、今ここで実感していた。


彼女の声はだんだんか細くなり、涙声になっていくのが彼にも感じ取れた。

彼は初め、彼女を責め立てていたが、だんだんと哀れむように黙った。


「今日も疲れたよね、早く寝るといいよ」


彼女はそういうとベンチに座ったまま動かなかった。

そんな彼女を見つめたまま、彼もまたそこを動かなかった。


「どうしたの? 帰らないの?」

「……お前こそ、帰らないのか」

「……」


沈黙が続く。彼は彼女の隣にベンチに腰掛けた。


「寒いのにこんな薄着で……何やってんだ」


呆れたように、彼は自分を上着を脱いで彼女に着せる。

彼女は何の反応も示さなかったが、彼は気にしなかった。


「……今日さ、楽しいこと、あったよ」


彼は静かに、途切れ途切れに、今日有った出来事を話し始めた。

彼女は黙って聞いていた。

相づちも小さく、ちゃんと聞いているのかどうか分からなかった。

それでも彼は話し続けた。


「……私も、今日……」


何か言おうとして、彼女は口ごもった。

彼は黙って聞いていた。

しばらくすると、彼女はぽつぽつと言葉を漏らしていく。

そこで語られる物語は、何の特徴も無いような、ただの日常だった。

彼女が過ごした一日。彼女がいた時間。彼女がいた世界の話。


一つ一つ言葉を放っていく度、彼女は何故か、自分を認めてもらっている気がした。

話を聞いてもらえるだけで、自分の存在が確かになるような、

自分の存在価値が現れるような感覚を抱いていた。


無意識のうちに、いつのまにか彼女は泣いていた。

むせび泣き、みっともないくらい涙を流して、変哲もない日常を話す。

彼はやはり黙って聞いていた。

一通り話しおえると、彼女は泣き続けた。

彼は彼女の背中をさすり、抱きしめる。


「家に、帰ろうか」


彼女はしゃくりあげながら、頷いた。




思うほど他人は、私に構ってくれない。


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思うほど他人は私に構ってくれない さとよだ @satoyoda

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