第20話

「うぐう……会長、強すぎます……」

 エアホッケーの結果は、椿野の惨敗だった。

「いや、悪いけど、僕もあんまりこれ得意じゃないんだ……」

「え?」

「つまり、おまえが……その……」

「ああ、あたしが欠片ほどの運動神経も無い、さっさと自然淘汰されるべきカスだということですね……」

「そこまでは言わないが」

 やはり、こいつ卑屈すぎる。

 そんなやり取りをしていた時だった。

「いや、ちょっと勘弁してくれよ……」

 僕たちが遊んでいたエアホッケー台から死角になっているところに、立っていたのは先程ハンバーガー屋で遭遇した芝原だった。

 僕は芝原の声をかけようとして気がつく。

 彼女の周りを取り囲んでいたのは、別の学校の制服――

(あれは星校のやつらか……?)

 星校というのは、僕らが通う楽月学園からほど近い場所にある楽星高校の略称だ。この辺りで学ランを採用しているのは、星校くらいなので、すぐに解る。

「いやあ、あなた芝原さんでしょ? 去年の文化祭のライブ聞きましたよ」

 どうやら、芝原は星校の奴らにからまれているようだった。先程、ハンバーガーショップにいた取り巻きの後輩の姿は無い。彼女一人でゲームセンターに居たようだった。

「いや、別に……」

「ライブ本当に良かったですよ。あの――」

 芝原は明らかに表情を曇らせているが、星校の奴らはそんな様子に気がつかないのか、無視しているのか。意に介した様子も無く、彼女に一方的に話し続ける。

「そうだ。よかったら、俺ら今からカラオケ行くんすけど、芝原さんもいっちょどうっすか?」

「いや、あたしは……」

「遠慮しなくていいんすよ」

 芝原はどうやら強引な誘いを断り切れず、困っているように思われた。

 助けに入るべきなのだろうか。

 僕は逡巡した。

 客観的に見れば、彼女は今、確実に困っている。今、それを見過ごすのは、人間としてどうかと思う。

 だが――

(でも、僕なんかが割って入れるのかよ……)

 星校の奴らはやや強引だが、見た感じ悪人という風には見えない。話せばきっと解ってくれるだろうと思う。

(だが、僕にそんなことを話せる力があるのか……?)

 何も難しくないじゃないか。そう思える人間は勇気ある人間だ。それこそ、物語の主人公のような。

(だけど、僕はそんな大それた人物じゃない……)

 不良でもない。自分と同年代の人間相手に注意するだけでも、僕は足がすくんでしまっている。

(動かないといけないのに……)

 僕は確かに『非日常』を望んでいた。

 だが、他校の生徒に注意するというだけで、がたがたと震えている。

 目の前に『非日常』を掴むチャンスがやってきたとき、僕はそれに手を伸ばすということが本当にできるのだろうか。

(きっと出来ない……)

 よくマンガの第一話で、ヒロインと契約して化物と戦う主人公なんかが出てくる。直前まで平和な日常を過ごしていたごく普通の人間が、「君には特別な力がある。だから、一緒に戦ってくれ」、そんな風に言われて、すぐに首を縦に振る。そんな展開に僕はずっと違和感を持っていた。

(あんな真似ができるやつなんて、普通いないんだ……)

 それこそ、そんなことができるのは、マンガだから。そんなありきたりな考えで、僕は思考に封をしていた。

 そして、今もまた袋小路に捕まって一歩も動けずにいる。

 いや、動けなかったという言葉に縋って、僕の手に届かないところまで事態が流れてくれることを願ってさえいるかもしれない。

 早く、芝原をこの場から連れ出してしまってくれないだろうか、と。

 そうすれば、諦めがつくのに、と。

 僕が思考に雁字搦めになっていた時だった。

「あの……その人、嫌がっているような気がするんですけど……」

 自信なさげに、だが確実に星校の奴らと芝原の間に割って入ったのは、椿野だった。

「え? 何、君?」

 星校の奴らはひるむことなく、むしろ想像していたよりも強い態度で椿野に当たる。

「僕ら、芝原さんとお話してんだけどなあ」

「お、むしろ、君も俺らと一緒に行く?」

「いいねえ、ナイスアイデアじゃーん」

「女の子は多い方がいいっしょ」

 奴らは椿野まで巻き込んで、連れていこうとしている。

 瞬間、

 ドクリ、と。

 心臓が、僕を叱咤するかのように、大きな音を立てる。

 ――僕はいったい何をやっているんだ。

 僕は臆病者だ。

 そんなもの、とっくの昔から知っていたじゃないか。

 そして、卑怯者でもある。

 だが、それは良いんだ。

 僕は自分が臆病者であることは嫌っていても、自分が卑怯者であることは構わない。

 僕が卑怯であることで、救える何かがあるのなら、僕はいくらでも卑怯者になるべきなのだ。

 そんなことも僕は解っていなかった。

 僕は二人を置いて、ゲームセンターの入口へと走った。

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