第4話 アンネリーゼ・ローズ
「Oh、会長さん、どうしたネ?」
外国人特有の片言で、僕に声をかけたのは、生徒会書記のアンネリーゼ・ローズだった。ダークブラウンの髪をポニーテールにした釣り目の女だ。
二人きりの生徒会室で彼女は言う。
「なんでもないよ」
我ながらしつこいが、僕はまた椿野のことを考えていた。いったい僕は彼女のことをどう思っているのだろうか。
「その顔は何か悩んでる顔ネ。ミーが聞くネ」
彼女の少しばかり覚束ない日本語もこれでもだいぶましになったほうだ。一年前はほとんど喋れなかった。そんな女を書記に任命していたのだから、この生徒会も色々な意味でいい加減なものである。
「だから、なんでもないって」
おとといは七海、昨日は凛。そして、今日はアンネだ。会議のある日以外は生徒会室に集まる必要などないのだが、僕はなぜかずっとこの部屋にいる。その理由は自分でも判然としなかった。
同様に彼女たちがここに来る理由もないのだが、きっと彼女たちがここにやってるくることには何の理由もないのだと思う。全員、タイプは違うが、気まぐれなのは間違いないから。
突然のことだった。
「その言い方は……」
ああ、ヤバい。
ニコニコと陽気だったアンネの表情が唐突に曇る。まるで、快晴だった空が、突然、雲に覆われたようだ。
「ミーが余計なお節介をしてしまったネ。ミーが悪いネ……」
「いや、別にアンネは悪くな――」
取り繕おうとしたが時すでに遅し。
アンネは大粒の涙を、ポロポロと流していた。
「ミーは……会長さんの気持ちも推し量れないクズ、ネ……ミーみたいなのは、生きてちゃいけないネ……」
「気にしすぎだから!」
アンネリーゼ・ローズ、通称アンネはいつもこんな調子だ。ほんの少しでも彼女を責めるようなことを言えば、すぐに決壊したダムのような涙を流して泣き始める。
(こいつ、ネガティブすぎる……)
凛とは違った意味でめんどくさい女である。
「ミーなんかが会長さんの側にいるわけにはいかないネ……今日限りでバイバイネ……」
「いや、いてくれ!」
とはいえ、この一年間でこいつを御する方法もおおよそ解ってきている。僕は彼女の目を見ながら言う。
「僕たち生徒会にはアンネが必要だ」
「……ミーが居てもいいのネ……?」
「ああ!」
「ミーが居ないと困るネ……?」
「もちろん!」
「ミーが居ないと寂しいネ?」
「そうだ!」
「ミーが居ないと生きていけないネ?」
「うん、まあそうかな」
「返事が曖昧ネ! これは本心じゃないネ! やっぱりミーはここにいちゃいけないーー」
「アンネが居ないともう一瞬だって生きていけないなあ!」
このネガティブモードに入ったアンネは全力で肯定してやらないと泣き止まない。少しでも半端な態度を見せるとまた泣き始める。
「つまり……会長さんはミーが大好きネ?」
「ああ、そうだね。超好きだわ」
「すべての人間の中で一番好きネ?」
「ああ。人間のみならず全生命体の中で一番好きだわー」
「やったネ!」
そう言うと、アンネは勢いよく僕に飛び付いてくる。外国人特有のフランクさで僕に抱きついてきたのだ。
「ちょっ!」
アンネは間違いなくスタイルがよい。さすがは外国人といったところだろうか。胸の膨らみがこれでもかいうくらいに存在を主張している。それが今紛れもなく僕の胸板に押し当てられているわけでーー
「アンネ! ちょっと離れてくれ!」
「離れろ? それはつまり会長さんはミーが――」
「ああー、もう、好きなだけ抱き付いててください!」
「やったネ!」
泣かれるよりはましかと思い、言いはなってしまった言葉を盾に、アンネは調子に乗り始める。
「会長さん、くんかくんか」
アンネは僕の胸元に顔を埋め、僕の匂いを嗅ぎ始める。同年代の女子に抱き付かれ、匂いを嗅がれる。こんな行動をされて、平静でいられるはずがない。僕の体内の血流が早くなる。
(冷静になれ!)
「会長さん、はすはす」
僕が動けないでいると、彼女の鼻先は僕の首もとまでやってくる。彼女の女の子特有のくらくらする香りが僕の鼻腔をかすめ、僕の理性は崩壊寸前になる。
(もう無理!)
「会長さん、ぺろ――」
大胆にも彼女は舌先を僕の首もとに伸ばそうとしたところで――
「アンネちゃん……」
「ひいっ!」
自分の肩を掴んだ人物を見て、アンネは短い悲鳴をあげる。
「いつも言ってるでしょ……やっていいこととダメなことの違いくらい解るよね……」
七海だった。いったいいつの間に生徒会室に来たのだろう。今の七海はまさに『修羅』。普段の間の抜けたような空気は全くない。全身が研ぎ澄まされた刀のように鋭く、触れるもの全てを切り裂こうとする狂暴性に満ちている。
アンネはさながら蛇に睨まれた蛙。跳び跳ねるようにして、僕から離れる。
(なんとか解放されたか)
あのままだと流石にヤバかった。
(しかし、少し惜しいような気も――)
「こうちゃん?」
「まったく惜しくない! 七海ナイス! 超ナイス!」
「そうでしょうー」
『修羅』の怒気が一瞬こちらに向きかかっていました。
「さて、アンネちゃん……」
「ひいっ!」
既にアンネは先程の比ではないレベルの涙で、顔をぐしゃぐしゃにしている。まあ、こうなった七海は怖いからな。
僕は無駄と知りつつ一応助け船を出してやる。
「七海、おまえ、寝とりが趣味なんじゃなかったのか」
寝とりが趣味なら僕が他の女の子と何をしてようが関係ないと思うのだが。
「ななみが奪いたいのは心! こうちゃんの心は寝とりたいけど、こうちゃんの体は清いままでいてほしいの!」
なに言ってんだ、こいつ。
「ななみは童貞厨なの!」
「どどど童貞ちゃうわ!」
しかし、七海は僕の言葉を無視する。
ちくしょう、嘘ってバレてる。
そして、七海はアンネに向き直って言う。
「じゃあ、アンネちゃん、屋上行こっか」
「ひいいいっ!」
僕は首根っこを掴まれ、屋上に連行されるアンネを黙って見ているしかありませんでした。
数分後。
「先程は申し訳ありませんでした」
感情を失った、ロボットのような表情で、アンネは呟く。
「生徒に範をしめすべき生徒会役員が、生徒会室で淫らな行為に及ぼうとした事実は決して許されることではないと思いますが、与えられた職責を果たしていくことが、今の私にできる唯一の責任の取り方であると考えております」
「片言はどうした!」
めちゃくちゃ流暢な日本語でした。
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