第3話 桜田凛
「浮かない顔でどうなさいましたか、先輩」
大きな丸眼鏡を、くいとあげながら、固い口調で僕に話しかけたのは、副会長の桜田凛だった。長めの髪を、頭の後ろでバレットで留めている知的クールな見た目の鉄面皮女だ。
「なんでもないよ」
新入りの椿野のことを考えてた、なんて、こいつには口が裂けても言えない。
「ふむ。なるほど。明らかに浮かない顔をされていたのに、その理由を私におっしゃらない。つまり、それは人に話したくない、あるいは、一言では話せないような複雑な事情があると察しました」
ああ、これめんどくさいモードに入っている。
こうなった凛はもう止まらない。
「先輩はふだん私と会話をする際には、きちんと私の目を見てお話をしてくださる方です。ところが、今、先輩の目は先輩自身の方から見て、右斜めの上の方に僅かですが泳いでいらっしゃいました。これは、人が嘘をつくときの特徴となります。そこから、類推できることは、先輩の『なんでもないよ』というお言葉は嘘ということになります」
このモードに入った凛はまともに取り合ってはいけない。
僕は生徒会の数少ない特権と言ってもいい、生徒会室にしつらえられたポットを使ってお茶を入れることにした。
「ただ結論を急いではいけません。先輩があえて目を泳がせたということも考えられるからです。つまり、私が『先輩が嘘をついている』と勘違いすることを狙って、そのような行動をとった可能性です」
ああ、ポットの中身がない。水を汲みに行かないと。ここ校舎の外れだから、水道まで遠いんだよな。
「しかしながら、先輩にとって『私が【先輩が嘘をついている】と勘違いすること』に何かメリットがあるかと言えば、それには大いに疑問符がつきます。よって、蓋然性を零とすることは叶いませんが、一旦保留にしておいても構わない案件であると私は判断します」
だいたい、仮にも会長がポットの水を汲みに行くというのはどうなのだろう。それこそ、椿野の権力の話じゃないが、それくらいは誰かがしてくれても罰は当たらないのではないかと思う。
たとえば、目の前に居る後輩、とか。
「おや、先輩が再び視線を私に向けました。これはいったいどういうことなのでしょうか。先程の『なんでもないよ』という言葉の発言の真意に関する考察も終わっていないのに、新たな謎が発生してしまいました。この場合、優先事項はどちらになるのでしょうか」
やめとこう。こいつに頼むとまたその理由分析が始まる。自分で行った方が十倍早い。
僕はポットを持って生徒会室を出る。
「おや、先輩。なぜ生徒会室をご退出に? いや、これは簡単だ。ポットを持っていらっしゃることから明確。ずばり、先輩は水を汲みにいこうとされていますね。いや、待てよ。ポットはブラフという可能性も――」
「あのな、凛」
僕は流石にうんざりして、凛を仰ぎ見て言う。
「もうちょい、柔軟に判断できないのか?」
彼女はいつもこの調子だ。彼女とは一年来の付き合いだが、いつも僕を見てはこんなことばかり言っている。
「はっきり言ってやるとな」
出会って一年。ずっとタイミングを逃してきたが、流石にもうはっきりと言ってやるべきだろう。それが彼女のためでもある。僕は自分にそう言い聞かせて言い放つ。
「おまえ、まわりくどすぎる。今時魔法使いの呪文だってもっと簡素だぜ」
「………………」
「そんなまわりくどい話し方ばっかりしてると、周りの奴から変な奴だと思われるぞ」
少しきつい言い方かもしれない。だが、誰かが注意してやらないといけないのだとしたら、それはきっと先輩である自分の役目だ。
「いえ、それは心配には及びません」
「なんでだよ」
僕は尋ねる。
「私がこんな回りくどい話し方をするのは、先輩に対してだけですから」
「はあ?」
「普段、クラスでは普通にしゃべってます」
「初耳なんですけど」
「『マジでー? センコー、マジうっぜえ』とか言ってます」
「ええー!」
「さらに『チョベリバー』とかも、言ってます」
「センスが古い!」
「『いとをかし』とかも言います」
「古いなんてもんじゃねえぞ!」
一周回って雅です。
僕は思わず凛に詰め寄りながら叫ぶ。
「じゃあ、なんでおまえは僕の前でそんなめんどくさい喋り方をする?!」
「それはですね」
彼女は、癖なのだろう、また眼鏡をくいとあげながら言った。
「内緒です」
鉄面皮のまま、彼女はちろりと舌を出して言ったのだった。
「あと先輩、水は後輩たる私が汲んできましょう。どこの水道を使用し、どれだけの水をポットの中に投入すればいいのかをご指示ください。また、その際にかかる時間の算出が――」
「あ、自分で行くんでいいっす」
彼女は本当にめんどくさいです。
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