第2話 菊川七海

「どうしたのー、浮かない顔して」

 僕に気の抜ける声で話しかけてきたのは、僕の幼馴染にして、生徒会会計の菊川七海だった。ガーリーな雰囲気のゆるふわ癖っ毛茶髪女子だ。

 二人きりの生徒会室で彼女は言う。

「ななみに相談してみなさいな」

 七海は自分のことを「ななみ」と呼ぶ。もう僕たちも高校三年生だ。少し前から喋り方を改めるように言っているのだが、なおる気配は無い。

「なんでもねえよ」

 まさか、新入りの椿野の笑顔が思いの外可愛かったからどきりとしてしまったなどと言うわけにはいかない。

「ええ! 新入りの椿野さんの笑顔が思いの外可愛かったからどきりとしてしまったの?!」

「僕の心を読んだ?!」

 なんだ、こいつ。怖い。

「いやあ、幼馴染ですからねっ」

 七海は、てへっ、と惚けた顔で舌を出す。

「いやあ、以心伝心とかそういうレベルじゃなかったよ」

「じゃあ、やっぱり。本当なんだ」

「いや、その……」

 確かに僕が新入りの椿野の笑顔に少しばかり心を奪われていた事は事実なので否定し難いが――

「こうちゃんは、椿野さんとちょめちょめしたいんだね……」

「違うわ! 色々突っ込みたい!」

 そんなやらしい話じゃないし、言い回し古いし。

「男性器以外の物も突っ込みたいと?」

「その突っ込みじゃないです!」

 さっきの以心伝心っぷりはどこに行った。

「こうちゃんは――」

 ちなみに『こうちゃん』というのは、七海の僕に対する呼び名だ。

「椿野さんのことが好きなの?」

「いや……」

 僕は言葉を濁す。

 改めて考えてみると、なぜ僕が彼女の笑顔に心を奪われているのかよくわからない。知りあってまだ数日しか経っていない仲だ。僕は彼女のことを何も知らない。

(エキセントリックな奴だということは理解したが)

 彼女のツインテール大回転が頭から離れない。

 もしも、僕が彼女に惚れたのだというなら、それは一目惚れという事になるだろうか。自分はそれほど惚れっぽい性格だとは思っていなかったのだが。

(まず、ツインテール大回転女を好きというなら、自分の感性も信じられなくなるんだが)

 あれはインパクトがあり過ぎた。あれを見てなお彼女のことが気になっているのだから、自分も大概である。

「こうちゃん、ななみよりも椿野さんの方が好き?」

「何言ってるんだよ……」

「ななみは、こうちゃんのことが好きなんだよ」

 昔からそうだ。この女はこういうことをさらりと言ってのける女だった。

 僕は大きな溜め息を一つ吐いて言い放ってやる。

「でも、おまえ彼氏いるじゃないか」

 そう。七海には彼氏が居る。僕はそれを知っていた。

「むしろ、だからだよ!」

「……何がだよ」

 この後、彼女が何を言うのかは解っていたが、一応聞いてやる。

「ななみは寝とられが趣味なの、こうちゃん知ってるでしょ!」

「そんな把握してない僕が悪いみたいな言い方をしないでくれ」

 こいつはゆるふわな見た目のド変態です。

「いや、本当に。ななみはこうちゃんに寝とってもらうためだけに、彼氏を作ったんだからね」

「彼氏を大切にしてあげて」

「その証拠に本当に大切な乙女の純血は守ってるんだから」

「はいはい」

「ストレートに言うと処女だよ」

「せっかく遠回しに言えてたのに」

 この女は基本的にあけすけである。

「だから、いつでも性欲に任せて、ななみを襲っていいんだよ、こうちゃん」

「しねえよ」

 僕は七海を軽くあしらって、窓から外を眺める。

 夕焼けが世界を燃やしている。

 不意にだ。

 本当に、不意に湧いた感情だった。

 僕はいったい何をしているんだろう。

 ふと、そんな風に思うことがある。最近は特に多い。自分の存在がふわふわと頼りなく思える。まるで子供が握る風船のようだ。その小さな手が緩んだ瞬間に、僕という存在は、どこかに飛んで行ってしまうのではないだろうか。そんな風に思ってしまうことがあるのだ。

 餓鬼特有の感傷と言われれば、それまでだ。だが、紛れもない餓鬼である僕にとっては、このぽっかりと胸に空いた空洞はそんな一言で切って捨てられるようなものではない。

 僕はいったい何のために生きているんだろう。

「こうちゃんはこうちゃんのために生きているんだよ」

 窓の外を眺めていた僕の隣に立った七海が言った。

「また、僕の心を読んだのか?」

「ななみ、エスパーだからねえ」

 間の抜けた声でこんなことを言う。だから、僕はこいつを突き放す気にはなれないのだった。

 そして、七海は言った。

「椿野さんが好きなら付き合ってもいいよ」

「何言って――」

「ななみは寝とりも趣味ですから!」

 ななみは満面の笑みで言った。

 僕は、ただ溜め息をつくことしか出来なかった。

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