婚礼の夜に

 村の中央にある神殿は旧神殿よりずっと広いが、村人全員が集まると、さすがに礼拝堂もいっぱいになった。傷一つない壁は雪のように白く、磨き上げられた床はぴかぴかと輝いていた。

 狭い控室で、エメラは鏡に向かっていた。ランプの黄色い明かりの中で身をひるがえすと、なだらかにすぼまった裾がふわりと揺れる。まるで白い花のように可憐な衣装だった。化粧のせいか、緑の瞳もいつもよりくっきりと見える。

 なんだか自分じゃないみたいでそわそわしていると、部屋の扉を叩く音がした。

「準備はできたかい? ――ああ」

 扉の隙間から顔をのぞかせたウィリスは、エメラを見てやわらかく微笑む。

「綺麗だ。よく似合ってる」

「……ありがとう」

 真っすぐな褒め言葉は何度聞いても慣れない。赤く染まる頬を、エメラはうつむいて隠した。

 そういうウィリスも、もちろん花婿姿だ。落ち着いた象牙色の上着に、この地方特有の、羽飾りのついた帽子を合わせている。帽子からこぼれた髪が衣装の肩先できらめくさまに、エメラは見とれた。王族だと噂されるのも、わからなくはない。

「行こうか」

 礼拝堂に続く大扉の向こうからは、期待に満ちたざわめきが聞こえてきていた。

 差し出された手に、エメラは自分の右手を重ねる。――異変が起きたのはそのときだった。

「なに? 今の音」

 エメラは首をかしげる。入口のほうから、頑丈な板を叩きつけるような音が聞こえた。誰かの叫び声に、大扉の向こうがにわかに騒がしくなる。さっきまでとは違い、なんとなく不安を感じる騒がしさだった。

「なにかあったのかしら」

「さあ、どうだろう」

 手を取り合ったまま、二人は顔を見合わせる。

 そこに突然、巨体が転がり込んできた。丸々とした身体は、見間違えようもない。ポージィだ。

「大変だ!」

 彼はそう叫んだかと思うと、椅子の足につまずいて転がった。

「大丈夫ですか?」

 手を貸そうとしたウィリスに、ポージィは首を振る。立ち上がる時間も惜しいというように、尻餅をついたまま言葉を続けた。

「大変なんだ。村が――村が」

 ポージィはうわずった声で繰り返す。丸い顔は強張り、額には汗の玉が浮かんでいた。

「しっかりして。村がどうしたっていうの」

 尋ねるエメラも、跳ね上がる鼓動を抑えられない。きっと、なにか大きな事件が起きたのだ。

「盗賊が来たんだ」

 ポージィは自分を落ち着かせるように深呼吸する。

「今、村を襲ってる」

「……そんな」

 エメラは血の気が引くのを感じた。すかさずウィリスが、後ろから両肩を支えてくれる。

「嘘でしょ?」

 よりによって、こんなときに。

「嘘だって言えればよかったんだけどな。とにかく、一緒に来てくれ。今、みんなで話し合ってるとこだから」

 重い扉の向こうはどよめきにあふれていた。集まった村人たちは、不安げな顔で言葉を交わしている。ただならぬ雰囲気を察して、泣きだす子どももいた。

「エメラ!」

 遠くで手を振っているのは、エメラの父だ。

「父さま、これはどういうことなの」

「いや、それが――」

「すまんのう、二人とも。すべてはわしの責任じゃ」

 しわがれ声がしたかと思うと、横から村長が現れた。神官服に似た祭祀用の衣装を身につけている。

「どうやら、防犯用の柵に脆いところがあったようでの。ちゃんと確認すべきじゃったな」

 つまり、そこから盗賊が入り込んだというのか。

「二人にとって大事な日じゃのに、本当にすまん」

 村長は照り輝く頭をぺこりと下げた。

「そんな、謝らないでください。悪いのは盗賊でしょう」

 ウィリスは穏やかに答える。

「それで、被害のほうは?」

「何軒か火の手が上がっとるようじゃが、村の者は無事じゃ。全員、ここに集まっとるからのう」

 村長の言葉に、エメラは胸をなで下ろす。家が燃やされるのはとても悔しいことだけど、人の命と違って、家はまた建て直すことができる。

「幸い、この建物は頑丈にできておる。賊が去るまで、このままじっとしておるのが賢明じゃろう」

 神殿の入口では、男たちが数人がかりで扉を押さえていた。盗賊を入れてたまるかと、みんな必死の形相だ。

「ポージィは行かなくていいの?」

 彼の体格なら、盗賊が集団で体当たりしてきても持ちこたえられそうな気がする。

 しかし、ポージィは辺りをきょろきょろと見回すばかりで、こちらの言うことなど聞いていなかった。

「ねえ、ポージィってば」

「三十二、三十三――ん? なんか言ったか」

 ようやく振り向いたものの、丸い瞳はそわそわと揺らいでいる。

「さっきから、なに数えてるの?」

「いやあ、その――」

 なんでも、集まっている村人の数を確かめていたのだという。

「誰かいない人でも?」

「いやいや」

 硬い表情をするウィリスに、ポージィはあわてて両手を振ってみせた。

「全員いるよ。何度も数えたから間違いない。だからきっと、俺の見間違いだ」

「……どういうこと?」

 エメラは胸騒ぎをおぼえた。問い詰めると、ポージィは観念したように肩をすくめる。

「ここに来る前に、泉に寄ってきたんだ。式が無事に済むように、って思ってさ」

 ポージィの声は沈んでいた。その願いが叶わなかったことは、誰の目にも明らかだ。

「帰ろうとしたら、奥のほうから物音が聞こえてさ……どうも、建物の中に誰かいたみたいなんだ」

 背の高い影が階段の上に現れたかと思うと、すぐにまた旧神殿の中へと引っ込んでしまったそうだ。顔までは見なかったものの、服も髪も闇のように黒かったという。

「まるで影が歩いてるみたいだったよ」

 気味悪そうにつけ加えるポージィの横で、エメラは両手をきつく握りしめた。

「でも、村にはそんな奴いないしさ。もしかして、盗賊の仲間だったのかな。あの泉は柵が破られた場所にも近いし――」

 流れるような声音が、薄い膜を隔てたように遠く聞こえる。

「おい、ポージィ! しゃべってないで、手伝ってくれよ!」

 扉を塞ぐ男性陣に呼ばれて、ポージィは言葉を切った。

「悪い、行かないと。――今の話は忘れてくれていいからな」

 ポージィは口元をゆるめると、お腹で人波をかき分けながら去っていく。

「――メラ。エメラ!」

 肩を揺すられて、エメラは我に返った。灰色の瞳が心配そうにこちらを見つめている。

「大丈夫かい? 少し顔色が悪いみたいだけど」

「……どうしよう」

 エメラは自分の身体を抱くように両腕を押さえる。そうしないと、今にも震えだしてしまいそうだった。

「今の話、ウィルも聞いていたでしょ? きっとヨウのことだわ。ヨウはまだあの泉にいるのよ」

「だとしたら、どうだっていうんだい? ポージィの言う通り、彼は盗賊かもしれないよ。内側から柵を壊して、仲間を招き入れたのかもしれない」

 ウィリスは落ち着いて分析してみせる。冷静なのは彼の取り柄だが、今はそれが憎らしく思えた。

「でも、もしそうじゃなかったら!?」

 エメラの声は悲鳴じみていた。

 ウィリスの考えは筋が通っている。二人が逆の立場なら、きっとエメラも同じように考えただろう。

 それでも、やっぱりヨウを信じたかった。たしかにエメラは、ヨウの素性を知らない。だから、盗賊じゃないかと疑って傷つけたりもした。

 けれど、知っていることもたくさんあるのだ。エメラを抱え上げた、たくましい両腕。珍しい話を生き生きと語る、かすれぎみの甘い声音。遠い国を懐かしむような、青い双眸。別れ際に見せた、感情を押し殺したまなざし。

 忘れようとしても、次から次へとあふれ出てくる。どうして彼を疑ったりできたのだろう。青い瞳は、いつだって真っすぐにエメラを見ていたのに。

 彼が盗賊じゃないなら、村が本物の盗賊に襲われる中、泉の建物に一人で取り残されていることになる。

「ねえ」

 エメラは瞳に力を込めて婚約者を見上げた。「……どうしても行くっていうんだね」

 ウィリスの口から長い息がもれる。とうとう愛想をつかされたのかと思えば、

「じゃあ、僕もついていく」

 そうきっぱりとつけ加えた。

「ウィル!」

「でも、誤解しないでほしい」

 顔いっぱいに笑みを広げたエメラを、ウィリスはやんわりと牽制する。

「僕は彼を助けたいわけじゃない。きみを守りたいから行くだけだ」

「ありがとう」

 充分だ、とエメラは思った。ウィリスにとっては、これが譲歩できるぎりぎりのところだろうから。

 そうと決まれば、急いだほうがいい。二人は村長をつかまえて事情を話すことにした。

 しかし、話を聞くなり、村長は眉間に皺を寄せる。

「『友人』といってものう……わしはこの村の長として、村民を危険にさらすわけにはいかんのじゃ」

「お願いです。あたしにとっては、村のみんなと同じくらい大切な人なんです」

 エメラは懸命に頭を下げた。

「僕からも頼みます。エメラのことなら、命に代えてでも必ず守ってみせますから」

 ウィリスの言葉に、村長は弱ったように頭を掻く。しばらく手の中で杖をもてあそんでいたが、やがてぽつりと言った。

「……若い者には勝てんの」

「それじゃあ――」

「ただし」

 二人が身を起こしたところで、村長はつけ加える。

「命に代える、なんてのはなしじゃ。必ず、二人とも無事に戻ってくること」

 その声には、年長者らしい威厳があった。

「泉までは林の中を行くといいじゃろう。その友人とやらに会えたら、盗賊が引き上げるまで茂みにでも隠れておれ」

 そう言うと、村長はどこからともなく長い棒状のものを取り出した。いや、棒ではなく、一振りの長剣だ。鞘と柄には、さまざまな色の宝石が散りばめてある。

「村に伝わる宝剣じゃ。持っていくがよい」

「でも、そんな貴重なもの――」

 ためらうウィリスをよそに、エメラは宝剣を手に取る。軽く柄を引くと、不思議な虹色に輝く刀身が現れた。

「きれいな色……」

 驚くエメラに、村長はゆっくりとうなずく。

「遠い昔に、竜神の鱗を使って作られたといわれておる。おまえたち二人を、きっと守ってくれるはずじゃ」

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