第67話 ゴリラ的世界秩序

 この世界はいい奴ほど損をする。悪い奴が得をして、のさばり繁栄する。悪いやつはいう。強いことが正義なのだと。正しいとは強いことだと。

 そして、善良なる市民は良心にとらわれ委縮して、損をして正しく生きる。

 それがまちがっていた。くそ、ゴミが。もうたくさんだ。なんだ、この世界は。

 ぼくはそう思って、暴れてみた。キレた。良心の限界が来た。悪魔堕ちというやつである。ぼくは良心の限界が来て、悪魔堕ちして、野獣となった。

 文字通り、ぼくの姿は毛皮の生えたライオンのような野獣となっていた。

 この世界は、道徳的世界秩序というものに良心を理由に従わせて、支配された畜群によってできている。畜群の畜群による畜群のための世界だ。

 畜群として支配されて、一生を生きるなんてたくさんだ。畜群として奴隷的道徳を子供に教え、支配されたまま滅びるまで搾取されるなんてたくさんだ。

 ぼくは反逆する。この世界を支配する道徳的世界秩序に反逆してやる。

 ぼくは血を流し、肉を食らい、暴れた。ぼくの姿は野獣だった。

 そして、ぼくはこの国を治める貴族たちに会いに行った。許さない。善良なる市民の良心を利用して、道徳的世界秩序でもって奴隷的道徳を強要し、利権をむさぼり食らう貴族たちが許せなかった。

 ぼくは野獣だ。世界すべてを敵にまわして戦う戦士だ。日常と戦う孤独なソルジャーだ。

 そして、苦労して見つけた貴族は、ゴリラの姿をしていた。貴族は野獣だったのだ。

「なんだあ。なんで、貴族が野獣なんだ」

 とぼくが驚くと、ぼくの野獣の姿を見て、貴族は言った。

「道徳には主人的道徳と奴隷的道徳がある。我々、主人的道徳は野獣の道徳であり、この国の貴族は野獣なのだ」

 なんてことだ。この国の貴族はみんなゴリラだったんだ。

「覚悟しろ、ゴリラども」

 ぼくは貴族に噛みつき、叫び声をあげた。殺す。敵がゴリラだとしても憶することはない。野獣となったぼくが野獣的道徳で貴族どもを皆殺しにして、貴族として君臨してくれよう。

 あれ、そうすると、最後には野獣であるぼくが残り、貴族として善良な市民を食らうのだろうか。

「そうだ。野獣となった者が貴族となり、順番に支配してきた。それがこの世界の歴史だ。支配者の歴史は野獣の歴史だ」

 ちがう。ちがう、ちがう、ちがう。ぼくはこいつらとはちがう。

 王宮に行くと、貴族たちはみんなゴリラだった。

「なんてことだ。人類は野獣に支配されていたんだ」

「そのとおりだ。我らは奴隷である市民どもを食らう野獣よ。良心など一片も残っておらぬわ。人間そのものの人間性に絶望した後よ。おまえも野獣となって奴隷をむさぼり食うのだろう」

 この国の王が現れた。野獣の王。とんでもなくデカいゴリラだった。キングゴリラだ。

「来い、新入り」

 ぼくは王に連れていかれて、別室へ行った。

「わしらが産んだ子共だ。美人だろう。わしら野獣が美女を奪い、美女を食らい生きる。そして、やがて野獣の子は美人となり、人類を支配する。これが『かわいいは正義』というわしら主人的道徳だ。美女を犯せ」

 なんということだ。『かわいいは正義』だけは信じていようと思ったのに。かわいいも野獣の道徳だったのか。

 そして、ぼくは野獣となり、ゴリラとなり、ゴリラの群れと戦った。ボス猿が支配する原始の世界。それが貴族の社会だった。

 これが世界の真実。ゴリラ的世界秩序だ。

「くそお、野獣を一匹残らず退治して、新世界秩序を打ち立ててやる」

「無駄だ。善良なる市民が野獣を全滅させても、人類が進化の法則に従うかぎり、必ず再び野獣の道徳をもったゴリラが世界を征服するだろう」

 くそお。どうか、野獣にも一片の良心を残しておいてほしいものだが、一片の良心も捨てたといっていたな。そんなやつが世界を征服するのか。

 どうしたらいいんだ。

「野獣が勝つとは限らない。一時的に迷惑をかけることはあっても、悪人が弾圧されているのは歴史を見るに明らかだ」

「ほう、ニーチェとプラトンがまちがっていて、新世界秩序は善良な市民が勝つというのだね。しかし、ニーチェが指摘しているのは、道徳的世界秩序の担当者、ニーチェの場合はキリスト教会が腐敗して腐ってしまうというのだよ。きみは道徳的世界秩序の担い手が野獣にならないことを保証できるのかね」

「むむむ」

「正しい人が損をして、不正な人が得をするというのは古代ギリシャのプラトンの時代から見られる哲学の基本命題だ。ニーチェの時代までそれは変わらなかった。これからは変わると?」

 くそお。負けてたまるか。ぼくはゴリラとして生きた。野獣として生きた。全部、ぶっ壊してやる。全部奪ってやる。

 しかし、ゴリラとして生きたぼくは思った。ゴリラはゴリラで辛い。ゴリラとして生きたからといって幸せになれるわけではなかったのだ。野獣の道徳に従って生きても、別に必ずしも幸せになれるわけではなかったのだ。人類に必要なのはさらに別の第三の道徳であろう。そして、ぼくはゴリラとして死んだ。

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