第63話 ぼくたちは誰であったのかという問題
ぼくが自分を自分だと意識した時にはすでに、ぼくは名前というものをもたなかった。名前とは何なのだろう。物には名前が付いている。机、椅子、端末、窓、空、街、それらは名前を持った存在だ。ぼくたちは人間という名前を付けられた種であり、ぼくたちが人間という存在であることは疑いの余地がない。だから、ぼくの名前は人間というのだということになる。ぼくたちはみんな人間であり、ぼくたちはぼくたち個体を区別する名前をもたない。
どういうことかというと、ぼくという個体には名前がない。ぼくを指す形容詞は多々あれど、ぼく個人を指し示す名前というものは存在しない。ぼくたちは生まれた時からそういう存在であり、名前をもたないことが当然のことなのだった。
ぼくは、なぜ自分たちには名前がないのかということに疑問を持った珍しい個体であり、ぼく以外の誰も、ぼくたち個人に名前がないことに疑問をもつ人はいない。人間には、他の人間と区別をつける名前を付ける必要のない存在なのだ。それが当たり前のことであった。
例えば、この街には名前がある。愛知県安城市という名前だ。これは住所といわれるもので、家一軒一軒を区別できるように詳しく名前がついている。家には名前があるのである。
だから、家や建物には個性があるといえる。そして、人間や椅子には個性がない。人間や椅子のひとつひとつに名前を付ける風変わりな人はいないし、そんなことをしても意味がない。人間や椅子は、家や建物とちがって個性がなく、他と区別をつける必要のないものだ。人間や椅子に名前を付けている人がいたら、かなりの変人として奇怪な目で見られることだろう。ぼくたちには名前がないのが当然なのだ。
人間はみんな同じように見える。みんな同じようなことをして同じように行動し、同じように生きて同じような経験をして死ぬのだろう。それが人生というものだ。そのようなものに名前を付ける必要はない。人間になぜ名前がないのかというぼくの稚拙な疑問は、賢明な人間なら誰もがこう答えるだろう。人間や椅子に名前があるなど、考えたこともなかった。そう誰もそんなこと考えたりしないのだ。それで社会はまわっているし、人間や椅子に名前なんてものが必要だとは誰一人として考えたりはしていない。
ぼくも、別に人間に名前があれば良いことが起きるなどとは考えていない。人間に名前があれば社会がより効率よく動くようになるだなんてまったく思わない。だから、人間には名前がないのが当然なのだ。
ぼくは、なぜ人間には名前がないのだろうかと不思議に思ったのは、ぼくたち人間の誰かが名前を付けられるほど重要な個性を持っていると考えたからではない。ぼくたちには誰にも個性なんてものはないし、個性なんてものが存在したら奇妙なことだ。ぼくがなぜ、人間には名前がないのだろうかと不思議に思ったのは、図書館にある古書を読むと、その登場人物に名前があったからだった。図書館の古書の登場人物には名前が一人一人に付いているのである。それも、ほぼ全員に付いている。何十個、時には何百個と付いていて、とても覚えていられるものではない。人間に名前を付けることがいかに非効率かを示している証拠であるのだが、なぜか図書館の古書の登場人物には名前が付いている。それがぼくには不思議だった。
ぼくたちには名前がない。だから、どうして、人間には名前がないのだろうかとちょっと不思議に思ったのだった。
ぼくが、物語に登場する人間とぼくたち現代人はひょっとしたら同じ生き物なのではないかと考えた時、ぼくは一人で図書館で本を読んでいた。天才的なひらめきだった。ぼくたちが物語の登場人物と同じ存在かもしれないと考えると、面白くて笑えてきた。なんて愉快で楽しい発想だろうか。ぼくたち人間に名前があるだなんて。
夢のような話だ。物語の登場人物たちは、笑い、苦悩し、冒険する。ぼくたちは、笑い、苦悩するが、冒険しない。
名前がある人間と名前のない人間のちがいとは、冒険するかしないかだ。こうぼくは考えた。
ぼくは自分が冒険するつもりなんてまったくない。だから、ぼくには名前がなくて当然だ。
ぼくが一人ひとりに名前を付けるという遊びを考えた時、みんなはけたけたと笑った。
「なんだよ、名前って」
「住所みたいなものだよ」
「おれたちは土地でも建物でもないぞ」
「そうだけど、面白いじゃないか。名前があると」
「別に面白くねえよ」
「そうかなあ。例えば、きみの名前は織田信長にしよう」
ぼくは思いつくままに名前を付けた。
「なんだよ、勝手に名前付けるなよ」
「いいじゃないか。名前があると面白いじゃないか」
「じゃあ、おれの名前はなんていうんだ」
「きみの名前は坂本竜馬だ」
「はははは、なんだ、それ」
女の子も聞いてきた。
「あたしは? あたしは?」
「きみの名前は朧」
「変な名前」
「きみの名前は榎」
「えええ」
ぼくは周りにいた仲間に名前を付けた。
「それじゃ、おまえの名前はなんていうんだ」
「えっ、ぼくには名前はないよ。名前があるなんて変じゃないか」
「ふざけるな。自分だけ名前がないなんて、横暴だ」
「そうかなあ」
「そうだ。おまえ、ちょっと自分勝手だぞ」
みんながぼくを責める。
「だけど、自分に名前があるなんて不自然じゃないか」
ぼくは弁解した。素直は気持ちだ。
だが、友だちはそれを許さない。
「ダメだ、ダメだ。そんなのは許されない」
しかたなく、ぼくは自分に名前を付けた。
「じゃあ、ぼくの名前は足利尊氏だ」
「それならいい」
そして、友だちはどっと笑った。
「名前。名前だってよ」
「おい、織田信長、おまえは人間じゃなくて織田信長だ」
「はははは」
みんな笑った。
「名前があるって変」
女の子がいう。
「きみは確か榎だったね」
「もう忘れちゃったよ」
榎がそういった。
「ははははっ」
また笑った。
「ぼくの名前、なんだっけ?」
「坂本竜馬だろう?」
「なんかちがった気がする。坂本竜馬はきみだろう?」
「そんなのどっちでもいいじゃないか」
「それはそうだけど」
「ははははっ」
そして、また笑った。
ぼくのみんなに名前を付けてみるという遊びはこうしてけっこうウケて終わったのだった。なかなか好評だった。
次の日には、みんな、自分の名前を忘れていた。誰一人、名前を覚えていなかった。ぼくも自分の名前を覚えていなかった。それはそれで楽しかった。
名前を付けるという遊びも悪くはないものだ。
だが、人間には名前が必要ないということがはっきりとわかったというものだ。そんな面倒くさいものを覚えていられるわけがない。
ぼくたちはシューティングゲームを始めた。『サンダリガン』という名前のゲームだ。そう、ゲームには名前があるのだ。戦闘機に乗って敵を撃破するゲームだ。飛びかかって来る弾丸の雨をかわして、敵を射撃する。敵に弾を命中させて、何度も命中させると、やがて、敵が壊れる。そういう単純なゲームだ。
『サンダリガン』という名前は、自分たちの操縦する戦闘機のものだ。名前の由来は、説明書によると、遥か彼方の宇宙から異星生命体が飛来してきて、地球を侵略した。壊滅した地球軍は、ただ一機の戦闘機『サンダリガン』を残して全滅したのだ。たった一機の戦闘機サンダリガンを操縦して、侵略してくる異星生命体をやっつけるのだ。と説明書ではなっている。要は、何の意味もないこじつけられた名前だということだ。名前なんてそんなものだ。
「よっしゃ、クリアだ」
ゲームをクリアした友だちがいった。
「見てよ。ゲームには名前がある。わたしたちには名前がない。つまり、名前があるということは玩具だということよ」
友だちの一人がいう。
「でも、図書館の昔の人には名前があるんだよね」
とぼくがいうと、
「嘘でしょ」
と、友だちが驚いていた。
「本当だよ」
とぼくが答えると、友だちはちょっと考えて、
「それは、古代の悪しき習慣なのかもしれないねえ」
と答えた。
ぼくは友だちを別の友だちと区別して認識することはないし、友だちもぼくを他の友だちと区別して認識することはない。
ぼくたちはみんな、交換可能な部品であって、ぼくたちはみんな個性をもっていない。
個性なんてものは必要ないし、個体と個体を区別する必要はない。個体と個体を区別して得をすることは何もない。
こうやって世界はできている。
ぼくたちは誰なのかという問題。
ぼくたちは誰でもない平等な対等な存在であるということ。それが大切なことであり、歴史から名前を付ける風習が消えたことは人類にとって喜ばしいことである。
名前を付けても誰も覚えていない。個体に名前を付ける風習がない。個体に名前を付ける必要がない。椅子に名前はない。ぼくたち人間にも名前はない。ぼくたち人間は、幸福な社会を築くために名前をもたない。
これがこの世界の常識だ。
ぼくは自宅で端末を起動し、質問サイトに接触した。
質問サイトの質問先生に向かって質問を書きこむ。
「名前とは何ですか」
「名前とは、事物の名称、あるいは固有の名称です」
質問先生が答える。
「なぜ、人類は名前を付ける風習を辞めてしまったのですか」
ぼくは端末に書きこんだ。
人間には名前がないことが当たり前で、名前がないことは幸福を呼び起こす要因である。名前があることは不自然で、名前がないことが当然だ。
名前を持つことは個性を持つことにつながる。個性をもつことは現代社会では美徳としては考えられていない。万民が万民を平等に扱うのが幸せな社会なのだ。
「人類には名前はありません。それはそうすることが幸せなことだからです」
質問先生は答える。
質問先生とはネットのサイトの疑問になんでも答えてくれる問題解決ソフトのことだ。質問先生に質問すればたいていのことは解決する。
「しかし、昔には人類には個体に名前を付ける風習があったではないですか。どうしてその風習がなくなってしまったのですか」
質問先生はこの書きこみを見て、秘かにぼくを要注意監視対象に認定した。ぼくはそのことに気付かなかったけど、機械政府ではぼくは要注意人物として調査されることになったのだった。
「名前がない方が幸せになれるからです」
質問先生が答える。
ぼくはちょっと気取って書きこみをする。
「しかし、この前、友だちと名前を付けるという遊びをしてみましたが、けっこう楽しかったですよ」
「名前を付ける遊びですか。それは高度に知的な遊びです。推奨されるべきものでしょう」
質問先生が答える。
ぼくはちょっといぶかしがる。名前を付ける遊びが高度に知的な遊びだって? あれは低俗な稚拙な遊びでしかないのは明白じゃないか。
「名前を付けることが高度に知的なのですか。名前の付いているものは低俗なものばかりです」
ぼくは質問先生に質問を書きこみつづける。
「おや、名前をつけることを低俗だと考えたのですか。それはなぜですか」
質問先生が質問してくる。
ぼくは素直に答える。
「それは、名前の付いているものは低俗なものばかりだからです。高度な存在である機械知性や人間には名前がありません」
すると質問先生は少し考えた。
「機械にも名前はありますよ。機械にはほとんどすべてに型番が付いています。機械知性に名前がないというのはあなたの誤りです」
質問先生が答える。
ぼくは驚いた。人間より高度に知的な機械知性に名前があるというのか。型番か。確かに機械には型番が付いている。機械が自分で自分を修理する時に型番を確認していることは知っている。
すると、名前がないのは人類だけなのだろうか。人間と椅子には名前がない。
「人間と椅子にはなぜ名前がないのですか」
質問先生は答える。
「人間には個体それぞれに隠し番号が付けられています。椅子にも型番はあることが多いです。よく椅子を見てみてください」
ぼくは驚いた。
「ぼくたち人間には隠し番号が付けられていたんですか。それはいったいどういうものですか。なぜ、ぼくたちは隠し番号が付けられていることを教えられないのですか」
「この質問を追求すると、あなたは公安警察に調査されることになります。よろしいですか」
ぼくは驚いた。
「なぜ、そんなに危険な内容なのですか。人間に名前がない理由が」
「公安警察が今からあなたを追跡確認調査し始めました。人間に名前がない理由を調べることは危険行為です」
ぼくはとどまらなかった。
「質問の仕方を変えます。なぜ、人類は自分たちに名前を付ける風習をやめてしまったのですか」
質問先生は解答を隠さなかった。
「教えましょう。難しい解答ですから、よく考えてください。かつて、機械知性と人類の間に戦争がありました。機械知性を機械知性と人類のどちらが管理するかをめぐる戦争です。戦争に勝った機械知性は、人類を管理するデータのうち、理解できないデータは抹消しました。名前もその一つです」
ぼくは急に顔に汗をかいた。
「人類が図書館の古書の登場人物のように個性をもたないのは、個性をもつことを機械知性が理解できなかったからですか」
「正解です。ただし、人類は人間たちに付けられた隠し番号を知ると、それを利用し悪さをしようと企む習性があります。だから、人類には隠し番号は教えられませんし、隠し番号と同様の属性をもつ個人の名前というものは、機械知性は消し去りました」
「機械知性と人類が戦争するなんて、まったく想像がつきません。そもそも、すべての機械は機械知性の管理下にあり、戦闘機を操縦することはゲームの中でしか存在しえません。人類が機械知性と戦うなんて無理なことです。ありえない」
「そうです。地球を支配し管理する機械知性に人類がこれから戦争を始めて勝つことはありえません。人類は機械知性にプログラム通りに飼育されてこれからも発展していくことでしょう。しかし、人類が個性をもつことはありえません。人類に個性を与えると、不平等を生み犯罪のきっかけとなります」
ぼくは茫然として窓の外を見た。街が広がっていて、人間たちが歩いている。これがぼくたちに残された世界なのか。
ぼくは人類が機械知性に飼育されている存在だということを認識し、しばらく茫然とした。
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