第61話 真面目について

 「男はちょっと悪なくらいがモテるんだ」。ということばがどうにも苦手なのである。悪ワルってなんだろう? 世間には真面目と悪の境界線があり、悪の秘密結社が存在し、真面目を奴隷のように使い、悪が男も女もかっさらっていくという被害妄想のようなものを思い浮かべていた。ぼくは真面目なのである。悪ではない。悪という連中は、つまり、その場あたり的であって、やけに怒声と陽気が混ざっている。真面目なぼくは穏和で陰気だ。

 悪に世間を任したらどうなるかというと、意外にやつらはいざという時、頼りにならず、世間の雰囲気でおだてられて助けられ成功するのが悪であって、自分で本当に決められたとおりにがんばってしまうのが真面目である。悪なやつらというのは、公正な審査のもとで勝負させると別に対して勝っていたりはしない。悪は、実力が周囲の幻想によって過大評価してもらえるところが、気にくわないところなのである。

 そして、悪を過大評価することを、どちらかといえば男より努力しない女たちの大勢が好意的にとらえ、悪が過大評価されることを望んでいる。努力しなければならないのは男であって、努力しないのは女である。その努力しない女にとって共感できるのが努力しない悪な男たちなのである。女たちは悪な男たちの反則を認め、黙認し、悪な男に物語のような幻想を見ることがある。真面目な男にとっては本当に面白くない。

 悪はみんなでズルしようぜともちかけ、自分がいちばんたくさんズルをして、運よくうまくいけば「世の中チョロいもんだ」と思っている。悪は、真面目を権力者の犬のようにいう。真面目は真面目だから人類は平等であるという幻想を信じ込み、悪と真面目は平等であると思っている。だから、悪に対して厳しい評価をくだしたりはしない。時にはその長所を褒めたりもする。しかし、悪にとっては、人類は不平等であり、真面目は規則や道徳に逆らえなかった行動力のないダメなやつらであり、悪にとっては、悪の方が真面目より優れているのである。自己申告を大切にする権力者は、これを参考にすることで、悪を真面目より優秀であるかのように錯覚する。真面目にとっては面白くない。

 真面目にとっての一番の敵は、真面目であるところの勉学する知恵の中枢がいまだ世界の誰にも解明したことのない未知の存在であることであり、真面目は世界の未知と真剣に格闘しつづける。とても勝てる戦いではない。それでも、真面目は少しずつ世間の常識、知恵の結晶を育てていくのであり、真面目にとって生きることは過酷である。未知が敵なのであるから、どんな賢人や権力者であっても、信用するわけにはいかない。だから、真面目は己を平等よりたいして上には評価せず、悪は平気で自信過剰な高揚感にとらわれている。

 悪が真の無政府主義を目指すほどの過激派だというのならまだ話はわかる。人類は、狩猟採集生活で暮らせば、一日二時間の労働で生きていける。毎日、過酷に残業しているのは、現代文明を支えるために他ならない。悪が真の無政府主義を目指す過激派であって、現代文明に身をまとった真面目に対して、狩猟採集民族のごとく素手で立ち向かうというのならまだ話はわかる。しかし、悪にそんな過激派などおらず、みんな。その場しのぎの短視眼的な視野しかもたない無為無策の愚かものたちである。このような悪に、未知という強敵と真剣勝負をする真面目が軽んじられるのはまったく納得がいかない。

 真面目こそ女にモテるべきであり、努力したくない女も、理解できない存在だとしても、真面目を彼氏旦那として選ぶのが人類繁栄の道である。

              2014年6月1日


  あとがき


ネットで多少話合いましたが、どうも、真面目系女子についての考察が抜けているようです。あと、ワルはファッションとして成立するそうです。完全に真面目な人など存在しませんので、ワルを小道具として使いこなすことは必要なようです。ただし、あくまでも中核は真面目です。

ネットに「真面目すぎると死ぬ」という文章がありましたが、それによると規範意識の強い人が真面目なのだそうです。ちがいます。ぼくがいってるのは、未知と戦ってるのが真面目であって、規範意識とか受験勉強とかしているのは別に真面目とはいわないんですよ。そんな真面目は子供の真面目であって、未知と戦わない真面目は真面目ではありません。そもそも、三十歳まで受験勉強して東大入った人を真面目とはいわないでしょう。真面目な人は現役で就職しますよ。先生のいうことが正しいのかわからない。だから、何をしたらいいのかわからない。必死にもがく。その結果、別にたいしたものは得られなかった。そういうのが真面目であって、先生のいうことをただ従順に従うのは真面目とはいいません。



追加・

「不真面目について」

 宇宙というのは死の土地だ。地球に生物が存在するのはとても不自然な異常現象であり、それゆえ、人は放っておくと死にたくなってしまう。

 また、学問というものは宇宙全体について解析したものであるため、総合的に考えれば、必ず生きることとはかけ離れた答えにたどりついてしまう。つまり、真面目にやると、死ぬべき世界について研究することになり、ワルがモテるというのは、不真面目に都合のよい異常現象についてだけ取り出して考えるからではないだろうか?

 物理現象を計算機で総当たりに調べて出てくる物理方程式は、死の世界について記述した答えではないだろうか?

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