第59話 ある半身の物語
彼女は生まれた時から左半身しかなかった。悲しかった。自分がどのように生まれたのか知らなかった。ただ、自分が左半身しかもたない不具の者であることだけはわかった。ここは完全な世界ではないのか。ここは不完全な世界なのか。
彼女がまわりを見渡すと、完全な世界だけが見え、自分の体だけが不完全であった。何ゆえに彼女だけが不完全なのか。哀しいではないか。彼女は生まれた時から、体の半身をもっていなかった。泣きたい。ただ、泣きたい。不完全な自分の体のためではない。失われた右半身のために泣きたい。彼女の失われた右半身がどんな酷い目にあっているか、わからないではないか。悔しかった。失われた自分の右半身に手が届かないのが悔しかった。自分の無力さに怒りすら覚える。どうしたらいい。どうしたらいいんだ。彼女は悩んだ。
彼女は、自分の失われた右半身に恋をしていた。失われた半身に恋焦がれていた。失われた右半身こそ、自分の足りないものを充実させてくれるもの。これ以上ない彼女の伴侶だった。
自分の半身に恋するなど、自慰であろうか。などと、彼女は思い悩んだりしていたが、彼女の素直な感性が、右半身に恋するということを感じとっていた。
杖をつきながら、彼女は旅をした。半身のない悲劇。誰かに盗まれた右半身。いったい、彼女の右半身はどこにあるのだろうか。彼女は失われた自分の体を求めて、さまよった。
初めに会った人々は、彼女を恐れ、蔑んだ。左半身しかもたない醜い女。人々は彼女を追い出した。
「出て行け。ここはおまえの来るところではない」
「では、どこに行けばよいのだ」
「おまえを生んだ者がおまえの半身を奪ったのだ。母を探せ」
彼女は母親に半身を奪われたのかと思うと、ますます悲しくてやるせなかった。憎む。彼女をこんな体で生んだ母を憎む。彼女をつくった神を憎む。
「痛い。やめてくれ。わたしにかまうな。わたしは生まれてこなければよかったのだ。半身だけの失敗作など、誰が一緒に付き合うものか」
涙がぼろぼろ流れた。なぜ、これほど苦しまなければならないのか。彼女の失われた半身は今頃、何をしているだろうか。彼女を探しているのではないか。
いや、彼女の失われた半身も、今頃、苦しんでいるのではないか。わたしがいないために、わたしのせいで、左半身を失った悲しみにくれて。
彼女は、失われた半身を求めて世界に戦いを挑んだ。目的は、失われた半身を探すこと。世界中を漁って、半身を探した。戦い、傷つき、倒れかけた。
すると、一人の男に出会った。血で染まったドス黒い服を着ていた。彼はみずからを神殺しと呼んだ。
「ついに世界中から探し出した。おまえは神ではないのか」
「ちがう。わたしはこの世界唯一の失敗作だ。失われた半身を探しているのだ。あなたは、わたしの半身になってくれないか。一緒にわたしの体を支えてほしいのだ」
なぜ、彼女が神殺しなどに狙われなければならない。神殺しなどという極上の男に。彼女は神殺しに魅せられた。
「いいだろう。だが、もし、おまえが神だとわかった時、おれはおまえを殺す」
神殺しは、想像もつかないような強者だった。彼一人で、世界を敵にまわしても互角に戦えた。だが、神殺しはいう。
「神と戦うには、まだ足らぬ」
と。
神殺しは修練を怠らなかった。
次に会った人は、とても賢い人だった。完全な知恵というものをもっていたのだ。薄黒の服に身を包んだ歳若く見える老人だった。
「わたしは失われた半身を探しているのだ」
賢い人はいった。
「ああ、そんなことではダメだよ。自分のことより、世界を見なければ。世界を心配しなさい。あなたは神の知識に接触するといい。ならば、なぜ、あなたが不完全な体で生まれたのかわかるだろう。神の知識なら、世界に満ちている。どこでも誰にでも簡単に接触できる」
そして、彼女は神の知識に接触した。
世界が、世界が存在する。それだけでも嬉しくて涙が出てきて。
我がいなければ、この世界は存在しない無だったのだから。
この世界が存在するのは我が頑張った証拠だから。
だから、存在するだけで涙が出てきて、すべてを許してしまう。
例え、どんな罪を犯しても、許してあげる。
だから、我の罪を問うな。
そして、彼女は目覚めた。自分が何者かわかったのだった。彼女は神によってつくられた神の不完全な姿。神の失敗作。偽神。
「神殺しか。くれてやる。わたしの失われた半身を。わたし自身も。それで、神を助けてやってくれ」
「まさか、おまえ、神の半身か」
彼女は涙を流した。神が自分以外の何者に不完全な体で生きるという苦痛を与えるだろうか。この世界で唯一不完全な体をもつわたしの半身は、神ではないのか。
「殺せ。わたしを。約束どおり。わたしは神の半身だったのだ。わたしの失われた半身は、神そのものだ。神はみずからの姿を隠すため、体を二つに割ったのだ。二つが合わさる時、神が現れ、再び世界の創造が行われるだろう。なんと、残酷な神だ。自分の半身を地獄に落として、一人だけ神様気どりか」
「神の半身はどこにあるのか、これで見当がつく。神は、自分を二つに割った。すなわち、おまえの体を鍵にして、それは開くはずだ」
そして、神殺しは彼女の陰部に触れた。感じる性感。そして、彼女の右半身が現れた。奇跡の時は来たれり。
彼女の前には、彼女の右半身、神が見える。
神と神の半身と神殺しが出会った。
神はいった。
「あまい。我も半身で生きてきたのだぞ。返してもらおうか、我の左半身を」
「ああ、手に入れたい。わたしの半身を。わたしは奪われるのか。最初から、わたしはもうひとつの半身に負けていたのか」
失われる自分の体。彼女は透明な感情のままでいた。何も感じない。何も悪くない。わたしの体が神のもとに帰るのだ。何が悪かろう。だが、待て。ひとこと伝えたいことがる。
「神よ。あなたは男なのか? もし、あなたが男なら、わたしはあなたに恋を告げるために生きてきたのだ。あなたを愛している」
完全な体をとり戻した神がいった。
「我は男だ。我はその気になれば、自分の半身を作り出すこともできるのだ。それ、おまえは半身で生きよ」
そして、彼女は再び左半身となった。わたしは神の半身だ。そして、完全体の神もいる。
神殺しが神の腹に剣を突き刺した。神殺しが、神を殺した。
「ありがとう、我が被造物よ。我を超える力を手に入れた被造物よ」
神はいった。
「ようやく準備が整った。我は最高の技術を持ちながら、まだ不満足な世界しか創造することのできない力の弱いものだった。我ら、三人が力を合わせて、さらなる高みへ」
そして、三神による創造があった。
これは神による謀略であった。最初の創造が平凡な世界をつくって終わった結果、神は、自分一人ではそれ以上の世界をつくれないことを悟った。今度こそ、平凡な創造神で終わらない世界をつくるために。神と、神の半身と、神殺しとによって、さらなる高みの創造をつくることにしたのだった。これが神の企んだ限界の超え方。だから、神の半身がいた。
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