第57話 鈴鬼左文字

 ぼくはまだ大人ではない。十七歳の高校生だ。だが、男子家を出れば七人の敵がいるといわれ、油断も隙もないのである。家では勉強に追われ、学校では同級生が襲ってくる。のんびりしている暇はない。まったく心に余裕がない。それが男子高校生の生活だ。

 ぼくの名は、鈴木秋浩。もうすぐ受験を控えているというのに、成績はかんばしくなく、毎日、もんもんとしていた。受験というやつが、これが曲者であり、子供が大人になるために用意されたはずの課題であるはずなのに、なぜか子供を受験という子供の世界にずっとつなぎ止めるように作用し、子供が一生、受験をするようになり、受験以外はしたくないといって家に閉じこもり、子供が大人になるのを拒絶するようになる一種の洗脳装置だった。

 教室で自分の机でぼうっとしていた。子供はみんな精神感応力をもっている。子供はみんな精神感応力でつながっていて、<無傷の世界>につながっている。ぼくも<無傷の世界>の住人の一人だ。子供は歳をとると、いつの間にか精神感応力を失ってしまい、<無傷の世界>から切り離される。それが大人になるということだ。子供は、精神感応力で敏感に世界の真実とつながっているけど、大人にはそれができない。大人はこの世界の真実から目を背け、自分たちが無力であることを無意識のうちに受け入れることで自我の平静を保つのである。そんな大人に対して、ぼくたち子供は精神感応力で常に周囲の情報を手に入れ、他人の心に直に触れることで刺激を受け、とても敏感になっているものなのだ。

 ぼくたち子供は、大人たちが忘れてしまったこの世界の奇跡を守って生きている。この世界の奇跡<無傷の世界>。

「ぼくの家には日本刀があるんだ。おじいちゃんがとても大事にしている」

「へえ、どんな刀なんだ」

 ぼくは同級生と話していた。

「『鈴鬼左文字』っていうんだ。室町の頃に作られたものらしい」

「すげえなあ。見てみたいなあ」

「おじいちゃんが大事にしていて、決してよその家の者には見せられないよ。我が家の家宝なんだ。おじいちゃんが親戚の家の人に見せびらかして自慢するだけの役にしかたたないものだよ」

「でも、強いんだろうなあ、それ」

「うん。鉄でも切り裂くらしいよ」

 それはやはり鍛冶職人の魂を込めて作りあげられた一品なのだろうかということや、鍛冶職人が人生をかけて作り上げた一振りの一刀なのだろうかということでぼくたちは真剣に話し合った。その結果、やはり、その名刀は鍛冶職人の人生をかけて作り上げられた鍛錬の結晶であるという結論に至った。やはり、ぼくも生きるのなら、そういう人生の鍛錬の結晶のようなものを残して死にたいものだ。

(で、聞いたか。時坂水無が初体験をすましたらしいぞ)

 突然、同級生から精神感応力が飛んできた。ぼくは激しく戸惑った。

(水無ちゃんが。相手は誰だよ。高校生だろ、おれたちまだ)

(そんなこといっているのは秋浩だけだぞ。みんな、どんどん大人になっていくんだ)

(そんな話、そんな話聞きたくないよ。なんで水無ちゃんがどっかの汚らわしい大人と交尾しなくちゃいけないんだよ)

(だったら、直接聞いて確かめてみればいいだろ)

 時坂水無は、同じ学級にいる。ぼくとはあまり話したことがないが、一回話した時は笑って相手をしてくれたのを覚えている。

 ぼくが時坂水無の方を見ると、時坂水無が精神感応力を飛ばしてきた。

(ちょっと。わたしのことで勝手に変な想像しないで)

(おっと、まだ感応力があるのか。それなら大人にはなってないんだ)

(どういう意味?)

(いや、エッチなことしたのなら、大人になって精神感応力を失うんじゃないかと思って)

 時坂水無が「はあっ」とため息をついた。

(あなたたちの妄想にわたしを巻き込まないで。それに、性経験があるかどうかでは大人になるかどうかの境界線は引けないはずよ)

 時坂水無はそういって机に倒れ伏す。

(確かにそうだよな。思春期ってもんがあるもんな)

(思春期って中学生でしょ。わたしたち、高校生よ。もうすぐ受験して大学生になるのよ)

(まあ、就職するやつもいるけどな)

(でしょお。わたしたち、もうすぐに子供じゃなくなっちゃうんだよ。遊ぶなら今のうちだよ)

 そんな時坂水無にちょっと圧倒されてしまうぼくだった。やはり、時坂水無が初体験をしたというのは本当なんだろうか。

(<無傷の世界>に性経験のあるやつはどのくらいいるんだ)

(鈴木くん。わたしたち女子は、全員平等乙女主義を主張します)

 全員平等乙女主義。なんじゃ、そりゃ。

(全員平等乙女主義では、性経験のあるなしは問題にはされません。全員乙女なのです)

 はあ。

 時坂水無がぼくの方へ歩いてきた。ぼくは感応力を使って、時坂水無の裸を透視する。桃色の乳首、ふくらんだ乳房、くびれた腰、薄い陰毛、はっきりと裸が見える。

「鈴木くん、わたしの妹があなたに会いたいっていっているんだけど」

「時坂の妹? 何年生なんだ?」

「同学年よ。わたしたち双子なの」

「双子の妹がいたのか。知らなった」

「神無っていうの。今日の放課後、会えないかな。鈴木くんの家に行ってもいい?」

「それはいいけど」

「なら、決まりね。鈴木くんの家の日本刀『鈴鬼左文字』を見に行くわ」

「ところで、神無って妹は、彼氏とかいるのか」

 時坂水無から精神感応力があった。

(鈴木くん、わたしたち女子は全員平等乙女主義を主張します)

 はいはい。


 その日の放課後、ぼくは時坂神無と出会った。姉よりちょっと美人だ。双子なのにぼくの好みの顔をしている。精神感応力で裸を透視する。姉よりちょっと大きめの乳房、恥じらった照れた頬がかわいらしい。

 三人で歩きながら、いろんなことを話した。もうすぐ受験なこと。全然勉強していないこと。最近見た映画。今とりかかっているゲームの話。どの野球球団が好きかとか。

 そうこうしているうちに、家についた。時坂姉妹は家にあがってきて、名刀『鈴鬼左文字』を見学するつもりらしかった。

「ああ、上がってよ。母さん、友だちが来たから」

 そして、ぼくたちはおじいさんの書斎へと向かった。そこに名刀『鈴鬼左文字』がある。

 透明な箱の中に刀は飾ってある。

「へえ、これが名刀『鈴鬼左文字』かあ」

 姉の水無は興味深そうにのぞきこんだ。

(鈴木くん、おじいさんの書斎でってのは気が引けるけど、今はいい機会だわ。神無はあなたに体を捧げるつもりがあるの)

(なんでこんな時に精神感応力なんか)

(ご家族に気付かれたらやっかいでしょ。幸い、精神感応力の使える子供はわたしたち三人しかこの家にはいないわ)

(いったい神無ちゃんはどうしてぼくなんかと)

(それは神無、あなたから説明して)

(うん)

(神無です。鈴木さん、とっても素敵です。男らしいと思います。好きです。ひと時の思い出をください)

(そんな。いいのかい、本当に)

 ぼくは神無ちゃんをぐっと抱き寄せた。神無ちゃんはちょっと体を離して逃げようとする。

(どうしたんだい。神無ちゃん、ぼくに気があるんじゃなかったの)

「いえ、ごめんなさい。今日のことは全部、名刀『鈴鬼左文字』をいただくための演技だったんです」

 そういって、神無ちゃんは『鈴鬼左文字』の入った透明の箱を叩き割ろうとした。ばきっと箱が割れる。

「何をするんだ。『鈴鬼左文字』は我が家の家宝だよ。渡すわけにはいかないよ」

 ぼくは神無より早く名刀『鈴鬼左文字』を奪いとった。

(鈴木くん、名刀『鈴鬼左文字』を渡しなさい。そして、あなたは神無と大人になるのよ)

(ははあ、そういうわけか。きみたちはぼくを<無傷の世界>から追放し、諦観に目覚めた大人にするつもりだな。そうはいかないぞ。ぼくは水無のことも神無のことも好きだったけど、それは大人の恋愛とはやっぱり別なものな気がする)

(大人が恋愛に詳しいなんて嘘よ。どんな大人も恋愛の正解は知らない。わたしたちを大人にして、鈴木くん)

「そうは行くか」

 ぼくは『鈴鬼左文字』をもって駆け出した。時坂姉妹はぼくの家から逃げ出し、外で待ちかまえていた。

「失敗か、水無」

「ええ、残念だけど」

 家の外には武装した男たちが待ちかまえていた。斧や槍やハンマーを持っている。

「鈴木、わしら大人はおまえを殺すことを決意した」

「どういうことだ、これは。時坂」

「わたしたち、もう十七歳だよ。もうすぐ大人になるの。大人になるか死ぬかしかないのよ」

「ぼくは、まだ大人というものがよくわからない」

「ええ、大人にもそれはよくわかってないの。でも、もう<無傷の世界>は終わりだよ。大人になれない鈴木くんは今日ここで死ぬの。ごめんなさいね」

 これが水無の本音なのか。自分たちだけ助かればいいという傲慢。大人が大人を理解して、大人だけの世界を築くという傲慢。子供の理解不可能な心が存在することを許さない傲慢。未熟であることは存在を許さないという傲慢。それが水無の本音だったのか。

「かかって来いや、大人ども」

 もう、ぼくの、ぼくの中の鈴鬼が抑えきれない。名刀『鈴鬼左文字』を抜いて、みずから鈴鬼となる。

 斧を振り下ろしてきた大人。それをかわして胴を薙ぐ。すっぱりと胴体が切れた。

 槍を突き刺してきた大人。それをかわして頭部を切りつける。頭から血を噴き出す大人。

 刀を振りまわしてくる大人。ぼくのが早く相手の腕を切る。腕が切り落とされ、泣き崩れる大人。

 大剣を振り下ろしてくる大人。ぼくは大剣の刀剣ごと切り落とし、首をはねる。

 棍棒で殴ってくる大人。ぼくはそれより早く相手の胴体を切りつける。崩れ落ちる大人。

 小太刀を突き刺してくる水無。ぼくはそれをかわし、水無を峰打ちにする。気絶する水無。

 弓矢をかまえた神無。ぼくは弓の弦を切る。命拾いする神無。

 男子家を出れば七人の敵がいる。

「とても強いのですね、その名刀『鈴鬼左文字』」

「ああ、これは室町の頃より我が家に伝えられてきた子供の悩みを具現化したもの。とても繊細で、壊れやすいが傷つけやすいんだ」

「すると、それはきっと鈴木くんの精神感応力の具現化したものなのですね」

 そして、神無は倒れた。ぼくはそれを抱き留めた。複雑な気持ちで。

 <無傷の世界>はまだぼくたちを待っていた。

(どうした。ここは無傷の世界だ。誰か戦っているのか)

(ああ、ちょっとぼくの中の鈴鬼がね、大人を殺したよ)

(水無と神無もいるのか。あいつらはまだ子供だぞ)

(水無と神無は大人に魂を売ってしまったらしい。汚れた子供だよ)

(神無です。わたしたちはもうすぐ大人になります。そうしたら、ここにはもう帰ってこれないんですよね。わがままで繊細で何も知らないわたしたちの憩いの場所)

(若さとは、無責任な生命力だよ。子供とは、無責任な思いを実現することだ。それができる場所、それがここ、無傷の世界。鈴木も神無も無責任な自分の思いをここで実現するといい。そして、満たされれば大人になる)

(げらげらげらげら。満たされれば大人になるだあ。笑っちまうぜ。誰一人満たされず永遠の子供が子供を産む世界が大人の世界だろうが。げらげらげらげら)

 誰かの精神感応力が介入してきた。そして、ぼくも疲れて眠ってしまった。ぼくは大人になるまでずっと鈴鬼左文字を持って戦いつづけるだろう。それが正しいことなのかわからなくても。それが、ぼくが大人になるまでにかかる時間なのだ。

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