第56話 愛のない恋人
──もし愛というものが存在しなかったら、ぼくたちの関係は何と呼ばれるものなのだろう。
ぼくと彼女は一緒に住んでいる。ぼくの働いた給料で彼女は暮らしている。
ぼくと彼女の出会いは難しいものだった。二十代の時、友だちがサーフィンで死んだのだ。水難事故だった。彼女は、サーフィンで死んだ友だちをもつぼくが格好いいといって、ぼくと付き合い始めた。ぼくは彼女ができて喜んでいたけど、やはり、死んだ友だちに後ろめたさを感じていた。
「恋人としてではなく、同居人として一緒に住まないか」
そうぼくは彼女に申し入れた。だから、ぼくと彼女は恋人ではない。同居人だ。ぼくと彼女は一緒にご飯を食べ、談笑し、交尾する。それでも、ぼくと彼女は恋人ではないことになっている。
ぼくと彼女は結婚している。式は挙げずに入籍だけした。
ぼくがいる。彼女がいる。二人して座っている。愛というものはぼくと彼女の間には存在しないことになっている。ぼくは浮気をしたことがないし、彼女もおそらく浮気をしたことは一回もない。それでも、ぼくたちは恋人じゃない。ただの友だちだ。
もし、愛というものが存在しないのなら、ぼくたちの関係は何と呼ばれるものなのだろう。
友だちが死んだから付き合い始めたつがい。友だちが死ぬと、ぼくに恋人ができるのか。そんなこと、ぼくは認めなかった。そして、彼女もそれを理解して、ぼくたちは恋人ではなく、結婚して、一緒に暮らしている。幸せだ。ぼくたちの間に愛はない。だが、どこまでもお互いを愛おしく思っている。感謝している。尊敬している。必要としている。ぼくたちは、お互いの心の隙間を埋める大切なひと欠片だ。だけど、ぼくたちは恋人じゃない。ぼくたちの間には愛はないことになっている。こんなぼくらの関係は何と呼ばれるものなのだろうか。
ぼくは彼女の唇にキスをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます