第53話 キモブサについて
また、ぼくは考えていた。哲学的命題というやつだ。
「幸せが絶対評価だった場合、我々はみんな縄文人より遥かに幸せに暮らしている。だが、幸せが相対評価だった場合、ぼくは縄文人より惨めな生き物だ。幸せが相対評価として存在するのなら、文明とは何だ? 何のために文明は存在するんだ」
それに対して、千秋が答えた。
「ええ、幸せは絶対評価なんじゃないのかな。絶対にわたしたち、縄文人よりは幸せだよ」
ぼくは千秋に激しくくってかかる。
「だが、恋愛は相対評価だ。恋愛は平等には人を幸せにはしない。恋愛によって人が進化するかぎり、ぼくらキモブサは常に縄文人より不幸せに生きざるをえないんだ。それも、きみのようなキモブサを恋愛対象として見ない不誠実な女性たちがいるからなんだ。キモブサはなぜいつの時代も幸せになれないんだ」
「だって、文明って相対評価によって競争するから発展していくんでしょ。絶対評価で幸せを測ったら、どこかの時点で文明は進歩するのをやめて満足してしまうと思うんだけど。つまり、文明が競争原理をもつためには相対評価でなければいけないのよ」
「なるほど。恋愛が相対評価であるのは、生物が進化してきた根源の原理に基づくものだというわけか。有性生殖が始まって以来、ぼくたちキモブサは常に競争原理を憎んできた。ぼくたちキモブサは、いつの時代にも生まれてきて、そして幸せになれずに死んでいく。ならばいっそ、世界を滅ぼしてしまってもかまわないんじゃないかと思えてくるくらいの絶望がぼくたちキモブサの心には棲みついている」
「そんな。世界を滅ぼすなんて」
「いいや、命が存在するのは奇跡だ。それは、幸せを相対評価によって測る現代文明が、恋愛によって運営されているからなんだ。文明が恋愛によって運営されるかぎり、いつかぼくたちキモブサの恨みによって、人類の文明は滅びてしまうだろう。それくらいにキモブサの力は強く、キモブサは何度でも報われない人生を生きるために生まれてくる。ぼくたちキモブサは、この世界など滅んだ方がよいのではないかと真剣に考える。それは、幸せが絶対評価ではなく、相対評価だからなんだ。忘れてくれるな、ぼくというキモブサがいたことを」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます