第50話 ぼくたちは希望を信じない
1
松戸菜園テストという科学者がいた。通称「松戸さん」である。松戸さんは日々、孤独な研究に明け暮れ、ついに神にも匹敵する科学力を手に入れた。天才狂気科学者だった。松戸さんには不可能はない。だが、もう老齢な松戸さんは自分の研究成果を世の中にいかにして残すかに苦心し始めた。松戸さんは研究一筋。ただ、真理を知りたい。それだけのために生きてきた。だが、科学は人の想いが執着したものが歪な姿を現すのが面白いのであり、芸術であり、人間らしい表象を表しているのだ。
松戸さんの人生は空っぽだ。ただ、人を遠ざけ研究だけをしてきた。そんな松戸さんには執着というものが存在しないというか思いつかないので、人間らしい表象が表現できない。松戸さんは悩んだ末、誰か通行人の願いごとをふらっと叶えてあげようという気になった。松戸さんはミスタサンタクロースだ。神にも等しい科学力で、現代の若者の願いを叶えてあげよう。
それで、松戸さんは人間界に降りていった。というのは具体的には、人里離れた田舎に住んでいたところを、ちょっとひとけの多い町中まで出てきたということだ。
松戸さんは願いを叶えるならどうせなら子供がいいと思った。子供の純真無垢な願いごとを叶えてあげて目の色を変えてあげよう。最初に選んだ子供の願いを絶対に何がなんでも叶えてあげるのだと松戸さんは固く決意をして、町中の子供を探していた。そしたら、とぼとぼと落ち込んだ顔をして歩いている小学生の女の子がいた。松戸さんはこの女の子だと思った。この落ち込んでいる女の子の願いごとを何がなんでも叶えてあげよう。そう松戸さんは心に固く誓い、女の子に話かけた。
「やあ、ぼくは天才科学者だよ。きみは世界中のすべての子供の中から選ばれた運命の子供だ。きみの願いを何でもひとつ叶えてあげよう」
女の子はびっくりして口をつぐんだ。
しばらく、女の子は黙っていた。
「本当に何でも願いを叶えてくれるの?」
「そうだよ。なんでも叶えてあげるよ。大富豪にだってしてあげるし、不老不死にだってしてあげるよ。世界の支配者にしてあげることだってできるよ。さあ、きみの欲望の思い向くままに願いごとを口にしてごらん。おじさんはその願いを絶対に叶えてあげるよ」
女の子は少し考えたあとで答えた。
「それなら、この世界を滅ぼして」
松戸さんはびっくりした。
これが人間らしさというものなのだろうか。これが一般人の思い描いている理想の世界なのだろうか。これが、現代の子供の純真無垢な願い事なのだろうか。
松戸さんは、最初に聞いた願い事を絶対に叶えてあげると心に決めていた。だから、この願いを叶えてあげなければならない。
「よし。わかった。きみの願いを叶えてあげよう。この世界を滅ぼそう」
松戸さんは答えた。
女の子の目が輝いた。
「本当に。おじさん、すごいんだね。明日になったら、この世界は消えてなくなるのかな。ありがとう、おじさん」
松戸さんは、困ったことになったと思ったのだった。
2
松戸さんは女の子について調べた。女の子の名前は真冬。真冬は普通の小学生だった。だけど、少し他の子供とちがったことをしていたのだ。真冬は一冊のノートにメモを書きつづけていた。そのノートが友だちに見つかって、書いてある内容がバレたことによって、真冬に悲劇が訪れることになってしまった。真冬は「孤独」について小学生の頃から研究してメモをとっていたのだった。
真冬の「孤独」のノートにはこう書いてあった。
『人はみな孤独である。人と人は心を通わせることができない。例え、どんな親しい友だちであっても、本当に理解し合うことはできない。人類はみな孤独なのだ。人類は繁殖して、地球を孤独で埋め尽くしているのだ』
と。他にもこんなことが書いてあった。
『男の子を格好いいと思うことは決して知られてはいけない秘密である。おそらく、ほとんどの女子がこの感情を秘密にしている。これを知られた女子は自由を奪われる』
と。他にもこんなことが書いてあった。
『わたしはまだ恋をしたことがない。一生、恋をしない人も大勢いるのだという。そういう人は生きている価値がどんなに年齢を重ねても感じることができずにみずから命を絶つのだという。神は、恋をしない男女を救うために存在しているのだという』
と。他にもこんなことが書いてあった。
『先生に理解されようとするのは無駄な努力である。本音をテストに書くわけにはいかない。先生が教えていることがくだらない、とるにたらない古い時代の知識だということを指摘すると先生は怒りにふるえ、ひどく悪い点数をつけてくる。先生は信用できない』
と。そして、決定的なのがこのひとことであった。
『友だちは誰一人信用できない。孤独こそ、この世の真実だ』
この「孤独」のノートのメモを学校で友だちに盗み見られてから、真冬は学校でいじめられるようになったのだった。
そして、真冬は、自分は孤独なのだという思いをますます強くして、そして、突然現れた現代の妖精に「この世界を滅ぼして」と願ったのだった。
3
松戸さんは、悩んだ。この世界を滅ぼしてと願われたのだから、この世界を滅ぼしてしまうしかない。だが、何か救いがあるのではないか。そこで一人の少年を選び出した。
松戸さんは少年の前に立ちふさがり、宣言した。
「少年よ、名前を聞こう」
「ぼくの名前はグズ」
「グズか、いい名だな。少年よ、わたしは世界を滅ぼそうとしている悪魔だ。できるものなら、少年よ、おまえの力で世界を救って見せろ」
そして、松戸さんは家に帰った。いつ、世界を滅ぼすか。どうやって世界を滅ぼすか、考えなければならなかった。「これがわたしの研究成果か」と思うと、松戸さんは何だか寂しい気持ちになった。グズという少年が松戸さんを止めてくれるのを期待して、松戸さんは眠りについた。
グズは走りまわった。どこに松戸がいる。やつを探し出して、倒さなければ世界が滅んでしまう。警察? そんなもの役に立つものか。ひと目でわかる。松戸は警察や政府なんかでは太刀打ちできないだけの技術力をもっていると。松戸を倒し、世界を救わなければならない。
グズは、翌日、松戸さんの家を探し出した。グズはバットで松戸さんに殴りかかった。松戸さんは全自動迎撃装置でバットを弾き返す。
「よくきてくれた、グズよ。ついてくるがいい。今日、わたしは世界を滅ぼす。わたしは松戸。世界を滅ぼす天才狂人科学者だ」
グズのバットの殴りを全自動迎撃装置で何百回を弾き返しながら、松戸さんは下校中の真冬のところにまで来た。
「やあ、真冬。きみのことは調べさせてもらったよ。約束通り、願いを叶えよう。この世界を滅ぼしてやる。だが、この世界が滅んだ後に新しく次の世界を作ることにしないか。真冬の好きな世界を作ってあげよう」
真冬は松戸さんを見た。
「本当にこの世界を滅ぼしてくれるの。なら、新しい世界には、イルカとペンギンだけいる世界にしてほしい。あと、アホウドリ。この三つしか世界にいらない」
「イルカとペンギンとアホウドリは何を食べて生きていくんだい」
「魚」
「魚がいる世界でいいんだね」
「ううむ。魚はいないけど食べられるの。幻の魚を食べて生きるの」
「なるほど。そういう世界にしよう」
「お願い」
松戸さんは一息大きく吸い込んだ。
「確認するけど、新しい世界に人間はいなくていいんだね。きみは最初の人類、アダムに恋するイヴにもなれるんだよ」
「いや、そんなものはいらない。人間は孤独を理解できないもの。人間がいてはまた不幸を呼ぶわ」
「わかった」
そして、そこにグズが割り込んできた。
「おい、松戸。この女が世界を滅ぼすように願ったから世界が滅びるのか」
「そうだよ」
「そうみたい」
「なら、この女を殺せば世界は助かるんだな」
松戸さんは首を振って答えた。
「それはダメだ。わたしはこの女の子の願いごとを叶えると決めてしまった。彼女がどうなろうと、わたしは世界を滅ぼす」
グズはバットを振りまわして、松戸に襲いかかった。全自動迎撃装置に撃退される。
松戸さんは世界を滅ぼした。世界が爆発した。宇宙が爆発した。そこに神さまが現れて松戸さんを殺した。
そして、海にイルカとペンギンとアホウドリのいる世界ができた。その世界の生き物は幻の魚を食べた。真冬は生きていた。新しい世界に真冬は生きていた。小さな島に一人立っていた。気付くとグズがやってきた。
「ああ、世界は滅んだのか」
グズはいった。
真冬は自分が手に持っている瓶を持ち上げた。
「この瓶の中に前の世界が残ってる」
グズは瓶の中をのぞきこんだ。銀河みたいなのがいくつもあるのが見えた。
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