第49話 音楽が僕たちの孤独を奏でる
どこからともなく声が聞こえ始めたのは一か月前のことだった。それ以前にも、そんな声を聞いたことがあるような気もするし、聞かなかった気もする。
「バーカ、バーカ、バーカ」
と声が二十四時間、聞こえた。死ぬほど苦しかった。考えがまとまらない。誰がいっているのかわからない。拡声器が隠してあるのか疑ったし、声がぼくの声に反応してちゃんと対応してくるので、ぼくの心の中を盗み見しているのではないかと思った。精神分析では、潜在的にもっている悪口をいわれるのだと説明されるようだが、確かに「バーカ、バーカ、バーカ」ともいってくるのだが、それ以上に何の因果関係があるのかもわからないことをいってくることが多いので、精神分析というのはあまり頼りになる学問ではないとぼくは考えた。何より、それをもとに、ぼくが声を聞くのは精神病ではなく、何か別のもっと現実的な具体的な科学的な現象に遭遇しているのだと考えた。だが、それもむなしかった。幻聴といってしまうと自分でこの声を精神病だと認めることになるので嫌なのだが、仮にだが便宜的に幻聴と呼ぶことにする。その幻聴が聞こえてくるので、一生、聞こえてくるのかもしれない、幻聴が聞こえてくるので意識は休まることがなく、二十四時間考えつづけている。当然、眠れない。幻聴は、ぼくが連想したものを連想作用でどんどん想起しつづけてきて、ずっと二十四時間聞こえる。途切れることがない。静寂を求めた。この声が止められるのなら、死んでもいいと思った。
そして、ある日、彼女にあった。駅のベンチに座っていた。ぼくは彼女がぼくを監視する秘密結社の一員だと思って、警戒していたが、彼女は目も見えないような長い前髪に隠れた顔のまま、顔をあげて、こういった。
「脳は現代科学でも未解明だ。だから、わたしがおまえに奇跡が存在することを証明してやろう。天使が存在することを証明してやろう。おまえはわたしに会った。ここまでたどりついた、それが例え、運であったとしても、おまえに褒美をやろう。おまえは、奇跡を信じるか。神の国を信じるか」
「なんでもいい。この声を消してくれ」
「わたしは命令は聞かない。祈りを叶えるだけだ」
そして、女は去っていった。幻聴が「あの女を信じるな、信じるな、おまえを監視している組織の一人だ」といっていた。
彼女の姿が見えなくなると、声が歌を歌い始めた。そして、音楽が始まった。
幻聴は音楽に変わった。時に寂しく、時に陽気に、ぼくの生活を彩る音楽となった。もはや、幻聴は病と呼ぶ類いのものではなかった。音楽がぼくの人生を躍動させた。ぼくは歌に合わせて生きた。歌に歌って答え、変人と思われたが、幸せだった。音楽が僕たちの孤独を奏でる。聞こえてくる音楽がとても気配りの効いたものなら、それは幻聴であっても、とても幸せな幸運なのではないだろうか。ぼくは幸せな男だ。誰かが僕のために歌を歌っている。音楽が僕たちの孤独を奏でる。
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