18 かくして童女は魔術を修め

 それを見つけたのは、偶然だった。


 サンキルレシアの小関所を踏み散らし、そこから二日ほど西進を続けた地点。

 人気の無い、深い森の中に、いくつかの人影を認めたのだ。

 彼らはいずれも、年端のいかぬ子供のように見えた。


『主、様……?』


 視界の先。少年少女は、呆然とした面持ちでこちらを見ている。


『でも、見た目が違う。……同じく動いてはいるようだけど』

『主様だけじゃない、ってことなのぉ? 向こうにもいるみたいだねぇ?』

『……これは、まずいのです』


 ――なぜ、こんなところに人が。


 神聖教省より下賜された神像〈デルガダート〉の胴部、操縦席にありながら、壮年の騎士――グラム・ヴィエ・リアードフェルスはしばし硬直する。


(近場に村邑そんゆうなどは、無かったはずだが)


 あまりに場違いな出会いを受けて困惑しながらも、彼は気付く。


 奇異な点は、場所だけに留まりはしなかった。

 少女達の容姿――頭の両側から生えた、長い耳だ。

 耳長、という単語が頭をかすめる。

 しかし、あれは古い幻想話に登場するような存在だ。実在するはずはない。

 形からするに、兎か、あるいは馬か。

 いずれにせよ、が獣の血を引く者であることは疑いようが無かった。

 真なる人から外れた異形。

 すなわち、は忌むべきけがれだ。


 ならば――征伐せいばつの手始めには、この上なくふさわしい。


「――貴公ら、剣を取れ。の時間だ」


 グラムはその口元に暗い笑みを浮かべ、後続の〈騎士〉と従者達に呼びかける。


「子がいるならば、親もおろう。全ては殺すな。逃げた先に巣があるはずだ」


 いまだに動きを見せないたちを見据えながら、彼は背の大剣を手に取った。



   ●



歩行戦車ヒトガタがいる、だって? まさか帝国の連中か? ああくそ、愚問だったな。偶然か? それにしちゃでき過ぎてるが……」

『……待て、まるで追われているような口ぶりじゃないか。何かやったのか?』

「国教組織のトップを殺した」

『……なんとも豪胆なことだ』

「だが、俺達の所在が割れるような真似は――いや、弁明は後だな。フェム達は補足されてるのか?」

『残念ながらね。逃げるよう指示は出したが、歩行戦車が相手では……』

「おいおい、そうそう悠長に構えちゃいられないぞ」

『既に周辺警備の者は向かわせた。〈リトルドギー〉を足にしている。十分ほどで着くはずだ』

「それじゃ間に合わない! ……すぐにでも行く。一機貸してくれ」

『……やむを得まい』


 左端に鎮座していた〈白炎ハクエン〉の胸部装甲がズレ込み、操縦席コクピットが開放される。メルと共に乗り込み、装甲を閉鎖ロック


 内壁を兼ねる画面スクリーンが外の風景を映し出す。副画面サイドスクリーンに表示されたのは周囲の地形データだ。通信から割り出した子供達の居場所が示されている。


『認証は全て解除してある。一部の特殊兵装アクセサリーは使えるはずだが、火器は無理だ』

「相手の戦力は?」

『報告では五機。型番モデルは不明』

「配備地方から考えるに、おそらくは〈蒼雷ソウライ〉か〈御劔ミツルギ〉、悪くても〈黒蓮コクレン〉あたりだろう。向こうの練度にもよるが、同数なら圧倒できるはずだ」

『待ってくれ、状況が悪いと言ったはずだ。残りの機体を向かわせようにも、距離が開きすぎれば遠隔リモート操作に難が出る』

「何言ってるんだ? お前も一緒に来れば良いだけ――」



『いいや、私はここを動けない』



 レイジの言葉を遮るように、〈宿木ヤドリギ〉はそう言い切った。


『厳密に言えば、歩行程度ならば問題は無いだろう。しかし、戦闘行動は不可能だ』

「まさか、それもお前の信念だなんて言うつもりじゃないだろうな?」

『……不本意ながら、その通りだ』

「馬鹿げたこと言ってる場合じゃないだろう! 子供達が死ぬかもしれないんだぞ!?」

『しかし、事実だ。事実として私は動くわけにはいかない。さもなくば、私を私たらしめる、言わば最後の〈核〉が崩れてしまう』

「明らかな状況誤認だ! 自分でもわかってるんだろう!?」

 思わず大声が出る。〈宿木〉の状況判断は明らかに間違っていた。

『承知はしている。しかし、戦闘には参加できない』

「……らちがあかないな」


 こうしている間にも子供達に危険が迫っている。これ以上、時間の浪費は避けたかった。


「メル。今のうちに繋いでおいてくれ」

『了解』


 返答と共に完全接続フルリンクが行われ、感覚が鋭敏化。


「一つだけ、言っておく」


 こちらを見つめる〈宿木ヤドリギ〉に、を合わせる。


「囚われているのなら、それは信念じゃない。ただの頑迷がんめいだ」

『……すまない。子供達を頼む』


 搬入用のシャッターを蹴破って、現場へと走り出した。



   ●



 速く、速く、速く。

 心臓が跳ねる。胃の腑が締め付けられる。そのたび、皮質回路デカールが脳を沈静化させる。

 だが――胸中の強いざわめきは、どうあっても消えはしなかった。

 子供達に危険が及んでいるから、というだけではない。

 こうして歩行戦車の操縦席コクピットに座っていると、嫌でも頭に浮かんでくる光景があった。


 思い出すのは、先日の戦闘。とりわけ、人を殺した瞬間だ。


 敵機に馬乗りになり、胸部装甲にナイフを沈めた記憶。

 それが脳裏に焼き付いて離れなかった。


 二人目を殺した場面はより鮮烈だ。


 あの瞬間、スライアを助けることに気を向けるあまり、歩行戦車ヒトガタとの結びつきを最大限に強めてしまった。その際に生じた高精度の疑似体感覚イミテーション――仮想力覚フィードバックによる感触再現を、どうしても忘れることができずにいたのだ。


 言うなれば、実際に相手の胸を刺し貫いたかのような錯覚。


 ナイフの切っ先が装甲を割り開き、敵搭乗者パイロットの肉を裂き、骨を砕き潰す細かな感触をマニピュレーターは正確に捉え、正しくレイジの脳へと伝達した。

 軍用の調整チューンがなされた皮質回路デカールは、戦闘状況において使用者を強制的に沈静化させる。

 使用者が極度の興奮状態に陥ったとき、脳内物質の分泌を適宜てきぎ調節し、冷静な判断が下せるよう状態を整えるのだ。


 だが、あの時はそれが裏目に出た。


 興奮で感覚が麻痺することもなく、淡々と人殺しを行った後。脳機能が平常に戻ってから、その異常さに気付く。

 戦争神経症バトル・ファティギューの一種として、同様の事例は多数ある。

 何かにつけ、歩行戦車ヒトガタ乗りは特に留意するように言われていたが――まさか自分がその状態に陥るとは思わなかった。


 仮想戦闘シミュレーシヨンでならば、一機や二機と言わず、数千の敵機を屠ってきた。

 だが、そこに実際の相手は居ない。

 どれほど精緻に現実を模倣しようと、仮想は仮想だった。

 疑似体感覚イミテーションの生成に伴うフィードバックにも訓練を通して慣れていた。――少なくとも、慣れているつもりだった。


 しかし――他でもない現実で、他でもない自分自身が人を殺したという事実。

 あのとき胸に落ちてきた、底冷えするような感情は未だにぬぐい去れなかった。


 自分はまた、人を殺せるだろうか。


 あれを経験してなお、さらに人を手にかけることができるだろうか。

 そう、自問する。

 軍属に身を置いてから、いまさら問うようなことではない。承知はしている。

 生かすために殺す。軍人が決めるべき唯一にして最大の覚悟だ。



 ――お前にまた、それができるか? 本当に?



 自問も、それに対する決意も、とうの昔に済ませたはずだ。

 士官養成校に身を置くと決めた時点で、覚悟は決まっていたはずだ。

 だが――実感を伴った問いは、より重さを増していた。



   ●



 かつて、主様から聞いたことがある。


 曰く、この身体は言うなれば操り人形のようなもので、本来の自分には『肉体』と呼べるモノは存在しないのだ、と。


『本来なら、人が乗るための代物なのだがね。私はそれを間借りしているに過ぎない』


 その話をするとき、主様はそばに控える四体の像を動かして見せた。


「では、主様が宿っている、身体、というのは、どうして生まれた、です?」

『生まれたというよりは、作られた、というのが正しいがね』

「それは、何故なのです? 主様はわたしたち、を、助けてくれている、と、聞いたのです。なら、その理由は、良いこと、なのです?」


 そう問うたときの主様は、どこか悲しげに見えた。


『戦争だよ。これは人殺しの道具だ。他国では神像と呼ぶ者もいるようだが……決して、神の似姿などではない。無論、私も神では無いのだがね。里の者たちは一向に〈信仰〉とやらを無くそうとしない。困ったものだ』


 ため息をつくように軽く肩を落とす主様。しばらくそのまま止まっていたが、やがて気を取り直すかのように、こちらへと視線を戻した。


『ともあれ、この身体は単なる道具で、単なる兵器だ。――だから、フェム』

「……はい?」

『もし万が一、私以外に私のような異形を認めたときは、決して近づいてはいけない』


 主様はこちらへ顔を近づけ、脅すようにこう言ったのだった。


『何もかもをかなぐり捨てて、すぐに逃げるんだ』



 ――その記憶に、照らし合わせて考えるなら。



 あれは――前方から迫り来る、あの巨人達は。

 大きな力を持った主様でさえ恐れるほどの相手、ということになる。


《――主様! 巨人なのです! ご神体が、里の近くにいるのです! 五体!》


 できる限り強く、声を飛ばす。届いているかはわからないが、聞こえているよう祈るより他にない。


「……逃げるのです」

「ふぇ、フェム?」

「いいからさっさと逃げるのです! 今すぐに!」


 他の三人は恐怖に身がすくんでいる。しかし、動かねば待っているのは死だ。


『くはっ、異な事を。斯様かよう矮躯わいくで、神像から逃げられるとでも?』


 巨人達は、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 逃げねば殺される。


 そんなことはわかりきっているのに――誰一人として、動き出すことができずにいた。

 一歩を踏みしめるごとに地面が震え、木々が枯れ葉のように蹴散らされる。


 その様は、まさに神の遣いだ。


『慈悲をくれてやろう』


 言いつつ、黒色の巨人は手に持った剣を振りかぶる。

 相手から見て、最も近い場所に立っているのはフィニスだった。


「ひ――きゃああああああぁぁぁぁッ!?」


 大木さえも易々と切り落とすような剣が、彼女の頭上に迫る。


「やめるの、です――ッ!」


 喉が枯れんばかりに、叫ぶ。




 ――その瞬間、周囲の時間が鈍った。




 振り下ろされる剣も、悲鳴を上げるフィニスも、自身の拍動はくどうさえも。

 何もかもがゆっくりと動いていた。

 唯一自由になるのは、自らの思考だけだ。


(嗚呼、また、この感覚なのです)


 同様の事象は、これまでも何度かあった。感情がたかぶった際に生じる、奇妙な時間の鈍化。

 だが、それで何ができるというわけでもない。

 飛び出そうにも間に合う距離ではないし、第一、この細腕では剣を受け止められようはずもない。それほどまでに、状況は絶望的だった。


 それでも。


(何か――何か、手は無いのでしょうか?)


 だからといって、友人を見捨てて良い理由にはならない。


 考え続ける。使えそうなモノを探し続ける。しかし、時間の流れがいつ元に戻ってしまうかわからない。

 焦りが思考を乱す。乱れた思考がさらなる焦りを呼ぶ。


(これでは、先ほどの『教室』と変わらな――)



 ――対象から、伸びる糸を引くようなイメージだ。



 そこで不意に思い起こされたのは、先刻の『教室』で教えられた〈耳〉を扱うコツだ。


(……もしかしたら)


 可能性は、あるかもしれない。


(――糸、強く張った一本の糸、自分と相手を、直線で繋ぐ感覚)


 集中する。失敗は許されない。

 狙うのは巨人の身体。剣を振り下ろす右腕だ。


 まばたきさえできずに、剣が落ちる瞬間を見据えながら、必死になって通信の経路を繋ぐ。


(間に、合え――ッ!)



 心の中で叫んだ直後。思考速度が元に戻り、時間が一気に加速する。

 風を切る音と共に剣が落とされ、地鳴りのごとき轟音が周囲に響く。


「そん、な……」


 もうもうと立ちこめる土煙を前に、フェムは呆然と巨人を見上げていた。


 息が詰まる。考えが鈍る。鉛を流し込まれたように身体は重く、頭が眼前の光景を否定する。



『……何?』



 そんな中、聞こえてきたのは、巨人の怪訝そうな声だった。


 ――視界が晴れる。


 見えたのは、尻餅をつくフィニスの姿だ。


「……え、ぁ? ……わ、わた、し。生き、て」


 巨人の剣筋が、わずかに逸れていた。

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