19 聖教の徒は正義を振りかざし

 混乱するように、呆然と巨人を見上げるフィニス。


 対する巨人達は、悠々と会話を交わしていた。

 どうやら黒色の巨人が頭目であるらしく、後ろに立つ四体の巨人――こちらはみな群青色で、一つ目だ――が愉快そうに話しかけている。


『リアードフェルス公、どうされた。座興のおつもりか?』

『なに、的が小さすぎただけのこと。次は外さぬとも』


《――聞こえるか、フェム。里に向けて全力で逃げなさい。警備の者を向かわせている》


 そこで、ヤドリギ様の声が届く。普段と変わらない平坦な口調ではあるが、そこからは不思議と焦りが感じ取れた。


《君にはかろうじて私の声が聞こえるだろうが、他の子供達には聞こえないだろう。フェム、君が指示を出すんだ》


 やや言いよどむような一瞬の間があってから、彼は重ねて言った。


《――フェム、君が彼らを救え》


「ッ、リギィ! フィニスをこちらに! ルゥは二人を先導するのです! 里に向かって、なるべく木の多い方を選んで!」


 すぐさま指示を出す。

 こうした緊急時に必要なのは厳然と下される命令だ。里を束ねる人間として生きるならそこを理解するべきだとヤドリギ様は言っていた。

 リギィは〈耳〉の扱いが最も不得手だが、ああ見えて同年代の中ではいちばん体力と度胸がある。ここでフィニスを助けに行けるのは彼だけだ。

 ルゥは大人達の狩りに何度か随伴した経験があり、地形を読むのに長けている。ならば、これが最善手だろう。


「……え? あ、そうか。そうだね、わかった」

「さ、里……? ここまでの道――こ、こっち」


 呼びかけで我に返った二人が、指示に従い行動を開始する。


「あ、わ……わたし……きゃッ!?」


 腰の抜けたフィニスに向かってリギィが走り、かすめ取るように抱え込んだ。

 いつ動くか知れない巨剣に近寄っても、わずかに顔をしかめるだけだ。度胸があるのか単に鈍いのか、友人ながらつかめない少年だった。


『向かってくるとは、愚かなり』


 しかし、巨人がそれを黙って見逃すはずはない。


『いや、獣に知恵を期待することこそ、最も愚かであろうな』


 剣の刃が返され、二人に横薙ぎの一閃が迫る。


『死ね』

「きゃぁぁぁぁぁッ!?」


 地を蹴るリギィ。悲鳴を上げるフィニス。

 大剣はまさに二人の矮躯を両断せんとしていた。


 だが――


(――させないのですッ!)


『……む?』


 刃が二人に届く寸前で、腕が動きを止めた。


『はは、公はよほど獣の悲鳴に飢えていると見える。戦乱の世に礎を築いたリアードフェルスの名は伊達ではありませぬな』

『いや、これは……ん?』


 リギィが数歩駆け、剣の範囲から脱した瞬間、右腕が振り抜かれる。


 その直後、こめかみにバチリという衝撃が走った。


「――ッ!?」


 思わず目を閉じる。


『なんだ? 加護が薄れておるのか? ……いや、まさかな』


 不思議そうな声で自身の腕を見つめる黒色の巨人。

 再度その腕へ糸を繋ぐ。しかし、すぐに断たれてしまった。

 はじかれた、というのが最も正しい表現だろう。巨人の自由はそうそう簡単に奪えるものでもないらしい。

 だが、これで十分だ。

 フィニスを救出する時間が稼げた。たった数秒ではあるが、何にも代えがたい数秒だ。


「にげ、逃げるなら、ここ、こっち」


 恐怖が抜けきらない様子のルゥが先導し、里への逃走を始める。


「フ、フェムもはやくっ!」


 フィニスの叫びにせきたてられるように、少女は三人の後を追った。


『やはり逃げるか。そうでなくてはな。獣は追う過程にこそ楽しみがあるというもの』

『公よ、狩りを楽しむのもよいが、我らが仕留めてしまいますぞ』

『なに、すぐに殺してはつまらぬ。それに、巣を潰さねばまた増える。根から断たねばな』


 言って、巨人はゆっくりと歩き出した。

 ルゥの案内に従って木々の間を縫うように走る。

 喘ぐように息を荒げながらも、足は止めない。

 振り返るまでもなく、大きな足音が自分たちを追っているのがわかった。


「大人たちが、きているのです! それまで……っは、逃げるのです!」


 必死になって仲間を励ます。だが、思考は既に濁りきっていた。

 何故か、風邪をひいた時のように、頭が熱を帯びているのだ。


 いや――それだけではない。


 先ほど巨人の腕を逸らした時から、視界に奇妙な線や光がちらつくようになっていた。

 淡い光が細く連なり、その線は自分と友人達、そして五体の巨人へと伸びている。巨人からの光はとりわけ多く、一体につき数百の線が生えているように見えた。


(もしかして、これが……?)


 あの男が言っていた、糸という奴だろうか。

 ――で、あるならば。


(もう一度、やってやるのです)


 走りながら、背後を一瞥。


『おい、レフィアス。グラム様を差し置いて先走るな!』

『ははっ、一人くらいは、潰してもよいでしょう?』


 群を抜けて、群青色の巨人が一体、先行していた。黒色の巨人は黙ってそれを見ている。

 朦朧もうろうとする思考を奮い立たせて、その巨人へ侵入を試みる。


(……これなのです!)


 先頭の巨人から伸びる光糸こうしの一本を、不可視の手で一息にたぐり寄せた。


 瞬間、自分の身体が一気に膨らんだ。


 前方に見えるのは、こちらを見据える自分自身の姿。

 理屈よりも先に、感覚として理解した。

 自分は今、巨人の中に入り込んでいる。


「うん? ……なんだ?」


 理解するなり、彼女は思い切り後ろへ跳んだ。


「うおぉッ……!?」


 その直後、感覚が自分の身体に引き戻される。視界に移る巨人が仰向けに倒れ込んだ。

 平衡バランスを崩しかけて一瞬だけ転びそうになるが、そのまま逃走を続ける。


『な、何が……?』

『馬鹿め。何をしている、グラム様に無様なところを見せるな』

『……ふむ。やはり妙だな』

「な、なにあれ? 勝手に転んだ……?」


 リギィに抱えられたまま、フィニスが驚きの声を上げる。


「構ってる余裕、ない。とにかく逃げる」

「ルゥの言うとおり、なのです……!」


 言いつつ、もう一度。今度は別な――黒色の巨人から伸びる糸を引く。

 しかし、先ほどのような同化は発生しなかった。


「――ぎッ!? ぁ……!」

「ふぇ、フェム!? 大丈夫!?」


 それどころか、こめかみに衝撃と激痛が走る。どうやら弾かれたらしい。

 何度か試してみてわかった。あれらの巨人は、不可視の被膜に覆われている。相手と自分を糸で繋いでも、すぐに断ち切られてしまうのだ。

 必然、相手の自由を奪えるのは数瞬だけになる。

 問題はそこだけではない。数百ある光糸のうち〈正解〉はおそらく十本に満たないのだ。多数の〈はずれ〉を引けば、手痛い仕返しを喰らう。


 ――それでも、やらなければ死ぬ。


 自分だけではなく、自分を受け入れてくれた仲間たちが死ぬ。

 巨人の身体を狂わそうとするたび、頭に痛みが走る。歯を食いしばり、手当たり次第に糸を引く。正解を引いた瞬間、他の巨人を巻き込むように転倒する。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 二十ほど糸を引いたところで、限界が来たのだ。

 頭の中が異様に熱い。視界は赤く明滅している。口元が濡れていることに気付いて手をやると、大量の鼻血が出ていた。


 まずい、と思った瞬間には、膝から力が抜けていた。


「フェムッ!」


 フィニスの声が遠い。

 気付いたルゥがこちらに駆け寄るが――既に、黒色の巨人が目前に迫っていた。


『獣だけあってよく走った。だが――遊びはしまいだ』


 巨人は、大人の背丈ほどもある巨剣を振りかぶる。


「ま、だ……!」


 最後の力を振り絞って、不可視の手で糸を引く。


 一本目、衝撃。


 二本目、電流。


 三本目――頭部を割られたような激痛。


「――ッ!?」


 声にならない悲鳴を上げる。

 それでも、まだ終わりではない。


 しかし――四本目を引こうとした瞬間、光の糸が完全に消失した。


「そん、な……」

『やはり貴様が原因か。帝国にあだなす魔術師ウィザードとあらば、なおさら潰しておかねばな』


 冷徹な声音と共に、巨人は剣を振り落とす。

 しかし、その剣がこちらに到達することはなかった。


『……なんだ?』


 怪訝そうな声が上がり、そこで気付く。


 ――なにかが、

 それは、鈍色にびいろに光る鋼鉄の大蛇アィガナ


『むぅッ!?』


 大蛇が暴れるようにしなり、巨人の手から得物えものが離れる。

 大蛇は剣に食らいついたまま、素早く宙を這った。


 その先に居たのは、見慣れた姿の巨人だ。


 群青の巨人達が、にわかに色めき立つ。


『神像? あれはどこの貴族だ?』

『我ら以外に小国連合エルニエストへ踏み入っているなど、聞いておらんぞ!』

『――貴様、何者だ!?』


 眼前の巨人が鋭く問う。

 それに答えず、灰白色の巨人はいましがた奪った剣を手に持った。


「う、ぁ……、あるじ……さま……?」

『……いいや。残念ながら人違いだ』

「その、声……!」


 ルゥが絶句する。きっと、誰もが同じ思いだっただろう。


『お前達、よく持ちこたえたな。――もう大丈夫だ』


 大木をなぎ倒し、大岩を踏み砕き、その巨人はやってくる。


『悪いが、大事な生徒なんでな。返してもらうぞ』

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