8 会えぬ者 消えたモノ
こういった手合いの性格上、ある程度はごねるかとも思ったのだが、彼らは意外にもあっさりと金を差し出してきた。
渡す直前、宣伝をしていた方の男が「〈遺産〉を使っていることだけはバラさないでください」と耳打ちしてきたところをみると、下手に逆らってイカサマを明るみに出された方が厄介だと判断したらしい。
「なんのことだか、さっぱりわからないな。俺としちゃ、賞金がもらえればそれで良い」
「ありがとうございます。……それでは、わたしどもはこれで」
金の入った小袋と担保のライトをこちらの手に押しつけると、彼らはそそくさとその場を後にした。
あちらも卑怯な手を使っていたとはいえ、それは自分も同様だ。脅しつけた相手から感謝されるというのはどうも妙な気分だな、などと思いながらも袋の中身を確認する。
中には見慣れない図柄の銀貨が七枚入っていた。約束より少し多いが、それは口止め料込みということか。
主催者であった人間がいなくなったこともあって、観客たちはまばらに散っていった。視界が確保されると、それまで人混みに遮られていた奥から一人の少女が現れる。
「あ、いた。……なにしてたの?」
「スライアか、早かったな。……ちょっと金を稼いでたんだよ」
「お金を……?」
「見世物試合を開いてる奴らがいてな、それに挑戦した」
「あぁ、そういう意味ね。……なかなか、無茶なことするのね」
「さすがに専門じゃないが、格闘にも少し自信はあるからな。……まあ、それは良い」
受け取った小袋の中身を見せる。想像していたよりもだいぶ金額が多かったのか、彼女は少し驚いたように眉を上げた。
「この金で旅用の装備を買っておきたいんだが……それを手伝ってくれないか?」
そこから先はいくつかの店を巡り歩くことになった。
大きめの
外見で人目を引くのは避けたかったので、スライアの物と似た
そうして買い物をするうちに時間も過ぎ――夕刻になり、西日が柔らかな陽光を注いでいる中。
二人は街頭の屋台前に据えられた椅子へと腰を落ち着けていた。この時間帯になると、人の往来が昼間に比べてかなり落ち着いている。
席代がわりにと買った味の薄い
「少し、食糧を買いすぎたかもしれないな」
「いくらか余裕はあった方がいいわ。道に迷ったりしたら大変だもの」
「そういうもんかね。……で、これからどうする」
「どうする、っていうと?」
「もうかなり日も暮れかけてるが、今日のうちにここから出るのか?」
「ああ……それはちょっと難しいでしょうね。日が落ちる頃には門が閉じられてしまうから、いまからだと間に合わないわ」
「なら、どこかの宿屋に泊まって行くことになるな。……代金は俺が持とう」
屋台などを覗いているうちに、ある程度の物価感覚は身についていた。銀貨が二枚と銅貨がいくらか残っていたから、安めの宿なら十分に払えるはずだった。
「え? いや、確かに宿を取るつもりではあったけれど、私だって多少のお金は手に入ったし、そこまでしてもらうのは……」
「いいんだ。おかげで必要な道具もだいぶ安く揃えられたみたいだし、それでなくても、これまで頼りっぱなしだったからな。礼くらいさせてくれ」
「いえ、でも……」
「気にするな。色々、迷惑もかけただろうしな」
知識にしても食糧にしても、スライアの協力が無ければここまでの道程はもっと過酷な物になっていたはずだ。恩返しというほど大げさなものではないが、純粋に彼女へは謝意を示しておきたかった。
「……それに、俺だってちゃんとした寝床が恋しいんだ。ひと晩だけとはいえ、あの寒いなか野ざらしで寝るのは結構キツいものがあったからな」
それを正直に口にするのがどことなく気恥ずかしいように思えて、レイジは言い訳のようにそんな言葉を付け足したのだった。
●
これまたスライアの経験に基づいて宿屋街を巡り歩き、ちょうど良さそうな場所を見つけた。
一見したところ簡素な食堂といった風情で、自分達と同じような格好の旅人が幾人か食事を摂っている。こういった食堂ではおおよそ二階で宿屋を兼ねており、サービス自体は専門の店に劣るものの、値段が安いのが特徴だとスライアは教えてくれた。
「――おや、いらっしゃいませ。なんにしますか?」
奥のカウンターから声をかけてきたのは恰幅の良い男だった、気のよさそうな顔つきをした彼はおそらくこの店の主人であろう。
口元を隠し、先ほど試合を申し込んだときと同じ方法で会話を進める。
「いや、食事はいいんです。二人、宿を借りたいんですが……空いてますかね」
「ああ、そちらでしたか。ちょっとお待ちを、いま確認しますから」
棚から台帳のようなものを取り出した彼は、それをめくりながら問うてきた。
「――ところで、お二人はご夫婦ですかな?」
「……え?」
「うん?」
「…………え、えぇ、そうです。妻は東方の村から
温和な笑みを少しもこわばらせることなく、適当な言葉を平然と並べたてる。相手が勘違いしてくれるなら、その話に乗らない手はない。
「ふうっ、ふ――!?」
レイジの返答を聞いたスライアが
「……どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
「いっ、いえ。なんでもな、……あ、ありません」
そう答えたスライアは言葉に反して非常に物言いたげだったが、一応は話を合わせてくれるつもりであるらしかった。
「そうか。体調がすぐれないのなら、すぐに言ってくれよ?」
「はっは。仲のよろしいことで。……もし薬が必要なら言ってください、すぐにご用意しますから、奥様?」
鷹揚に笑いながら、店主はフードを目深に被ってうつむいたままのスライアに、覗き込むように視線を投げる。
それをレイジは手で制して、穏やかながらもしっかりとした口調で店主を
「ああ、あまりじろじろと見ないでいただけませんか。わたくしどもは、花嫁の肌をみだりにさらすことを良しとしないのです。それでなくても妻は恥ずかしがり屋なものですから、そう見られては萎縮してしまいます」
「おっと、これは失礼。それでは、名前をここに書いておいてくださいな。二階の方に部屋がちょうど空いてますから、そこをご用意します」
「……名前、ですか」
差し出された宿帳を前に、レイジは動きを止める。
文字、というのは考えから外れていた。翻訳機能のおかげで会話こそ不自由なくできているものの、読み書きについては一切の知識がない。
試しに直近の宿泊者であろう人物の名前を読もうとしてみるのだが、やはり視界に映る文字に変化はない。
これが英語などの既存言語ならば自動翻訳が適応できたのだが――これを見る限りでは、スライアの持つ
《メル、
《
どうしたものか。
帳簿を前に少しの間思案していると、スライアがこちらの身体を半ば押しのけるようにして、羽根ペンを手に取った。
「あっ、あなた……! ここは私が書いておきます。昼間の観光でお疲れでしょうし、先にお部屋で休んでいてください……!」
そう促す彼女の声が心なしか低くなっているような気がしたが――唐突な展開に面食らっているのだろうと判断し、レイジは店主に代金を払うことにする。二人合わせて銀貨で一枚半だった。
「そうか、じゃあ頼むよ。先に荷物を運んでおくから」
差し出された鍵を受け取ると、なに食わぬ顔で荷物を手に持ち、階段を上っていった。
●
割り当てられたのは、値段の割には随分と上等な部屋だった。
八畳ほどの広さで、背は低いながらもしっかりとした作りの広いベッドと、二人がけのソファーが一つずつ置かれている。
奥には採光用の大きな窓があった。ガラスこそ張られていないものの、板戸を跳ね上げることで外の様子を見ることができる。この部屋は大通りとは逆の、いわば路地裏に面しているらしかった。
ひと通り部屋の観察を済ませたレイジは荷物を適当な場所に置き、ソファーに腰掛ける。さすがに感触は硬いが、土やコンクリに比べればかなりマシだ。
「文字を書かなきゃいけないってのは考えてなかったな。宿泊施設なんて全部ID認証だったから、うっかりしてた。……道すがら、スライアに教えてもらうべきかもな」
言いつつ外套を脱ぎ去ると、懐からメルが飛び出てきた。ふわふわと空中に留まりながら、こちらを向く。
『文字よりも発話の教えを請うのが先決かと。会話の方が優先度は上だと提言しますが』
「いつまでも俺の子守りはごめんだってことか?」
『黙秘権を行使します』
妙なところで機械らしからぬ球体だ。
こんな風につかみ所のない会話を、以前にもどこかでしたことがある。そんな風に感じてしばらく記憶を探っていると、やがて父へと思い至った。
なんであれ、多くの物には制作者の癖や性格が滲み出る。そう考えれば、父がメルを作ったというのも頷ける部分が無くはない。
工学系の研究者である父は真面目で律儀で――それ故か、やけに不器用なところがあった。
自分へ話しかけるタイミング一つにも悩むような人間だったし、ようやく話しかけてきたかと思えば、迂遠な話し方で核心を突かない。
友人ができないことを苦にしている幼い我が子に対して「人工知能の作り方を教えてやろうか」などと問いかける親が他にいるだろうか。
いま思えば、彼は自分を笑顔にしようと行動してくれていたのだろう。同様に、彼が自分を眠らせたのにも彼なりの思惑がありそうではあるが――
そこまで考えてふと気付き、腰のポーチから一枚のガラス片を取り出した。
衣服や装備と一緒に残されていた物。あそこに入っていたことを考えるとおそらく一種の記録媒体だが、結局データの取り出し方はわからないままだ。
手近なところにかけられたランプに明かりを灯し、それを透かし見る。ぼんやりと白く曇った中身からはなにも読み取ることができない。
「父さんはなにを考えてたんだか……こんなことになっちまったら、わからないじゃないか」
誰に対するでもない言葉が、無意識のうちに漏れる。
面を変え、角度を変え、しばらくの間それを眺めていると――不意に出入り口が開いた。諸々の手続きを終えたらしいスライアが入ってくる。
「さっきは助かった。字を書かなきゃいけないとは思わなかったからな」
彼女は呼びかけにも応えることなくベッドに腰掛けると、信じられないといった面持ちでこちらに視線を投げかけてきた。
「まさか、読み書きができないだなんて……」
「前にも言ったけどな、こっちの文化には明るくないんだ。……先に打ち合わせをしておくべきだったか」
「文化に疎いって言うなら、なおさら相談くらいはすべきでしょうに。……あんなの、いくらなんでも不審過ぎるわ」
「不審って、なにが」
「だから、二人だけで……その、こんなことを」
「こんなこと?」
「…………わざと言ってる?」
「いや、まったく。繰り返すが――」
「この辺りの文化は詳しく知らないんでしょう? もうわかったわよ、それは」
「差し支えなければ、教えてくれないか」
「…………はあー……」
疲れ切ったように大きなため息をつくと、スライアは辟易した様子で話し出した。
「私たちが……つまり、こうして二人でいるからって……」
「いるからって?」
「……ああもう! だから! 私たちが、ふ、夫婦だっていうのは不自然だってことよ!」
彼女は吹っ切れた様子でそう言った。どうやら夫婦という単語を口にするのに抵抗があったらしい。自分の身も顧みずに見ず知らずの男を助けようとするなど、彼女の心情がよくわからないことが時々あるが、これもその一つだった。
「良い? 新婚旅行っていうのは、普通もっと華やかなものなのよ? 私たちの格好が、新婚の夫婦に見えると思う?」
「……見えないのか?」
「荷物だって少ないし、どう好意的に解釈しても駆け落ち中の二人が良いところよ」
「だが、少なくとも店主からはそう見えたらしいぞ?」
「っ、それは……」
「まあ、あの様子じゃ問題は無いだろう。どうせ明日にはここを発つんだし」
「でも……いえ、やめましょう。ここで体力を使ってもしょうがないわ」
とりあえずは納得してくれたのか、彼女はここで話を切り替えた。
「ひとまず、宿帳には偽名を書いておいたわ。私はセルネリィア、あなたはルスラムよ。文句は言わないでね。……咄嗟に出てきたのが、その二つきりだったから」
その言い方が、なぜだかやけに引っかかった。
「知り合いかなにかの名前か?」
「……両親の名前よ」
短く答えた彼女の表情に影がさしたのは、はたして気のせいだっただろうか。
自分から尋ねておきながらどう応じるべきか困ってしまい、結局出てきたのは「そうか」という素っ気ない言葉だけだった。
●
それなりに広いとはいえ、さすがに一つしかないベッドを共有するのはレイジとしては
ベッドをスライアに譲ることにしたレイジは、ランプが発するぼんやりとした明かりの中でソファーに横たわっていた。
視界の隅では、ベッドの上で少女が寝息を立てている。この宿に着いてから既に一時間は経っているが、レイジは未だに眠りに就けていなかった。
「……あの店主め」
小さく漏らす。
だが、夫婦だということを肯定したのは自分である以上、恨むのもお門違いである。彼は気を利かせただけなのだから。
どこであろうと眠れる自信はあったが、こうも近くで年頃の少女が寝ているとなると気が気でない。
昨夜は色々なことが一気に起こりすぎて気にしている余裕などなかったが、雨風をしのげる寝床を手に入れて余裕ができると、途端に気になり出してしまうのだった。
「……駄目だな。寝入れない」
起き上がり、視線をベッドの上へと向ける。
猫のように丸まって眠る少女の頭からは、それこそ猫のような耳が生えていた。腰から伸びる尻尾はベッドの端から垂れている。
どちらも従来の人間――
「……ったく。誰かが間違えて入ってきたら、どうするつもりなんだか」
夜は冷え込むとはいえ、屋内で、しかも夏場である。外套を着込んだままだと暑いのだろうが、それにしたって不用心が過ぎる。
それに――上気した頬や、はだけた服の隙間などには嫌でも目がいってしまう。彼女が
薄手の毛布を身体にかけてやると、彼女はわずかに身じろぎをした。
「んん……。
吐息の間にもれた寝言を耳にして、急に毒気を抜かれてしまう。
胸の内に生じたよこしまな気持ちも、いつの間にかどこかへ立ち消えていた。
ベッドの上に丸まっている彼女は、自分と同じほどの年齢でありながら旅をしている。しかもそれは人種差別を苦にした一種の亡命だという。
そういったことが一般的な時代なのか、目覚めて日も浅く現在の文化に疎いレイジには判断がつきかねるが、おそらく彼女の境遇は特殊なのだろう。
過去になにがあったのか。それを無理に話して欲しいとも思わないし、聞いたところでなにかをしてやれるわけでもない。もし彼女が身の上を語る機会が訪れたとしても、決して明るい回想にはならないはずだ。
「厄介だよ。ほんと……」
自分の身になにが起きたのか。
そして、世界にどんな災厄が降り注いだのか――。
自分のことでさえ精一杯なのに、他者を気にかけていられる余裕などありはしない。しかし同時に、彼女がいなければ自分はどうなっていたかわからないのも事実である。右も左もわからないまま、のたれ死んでいた可能性だってあるのだから。
そこまで考えて、スライアと出会った直後を思い出す。
他者に構っていられない状況なのは彼女だって同じはずだ。
であるにもかかわらず、彼女は見ず知らずの男を助けるためにみずからの身を危険にさらすことさえ厭わなかった。
「…………ん、ぅ」
彼女の目尻から頬へ、一筋の涙がこぼれる。どんなに辛い夢を見ているのかと思いつつも、レイジは彼女の傍らへと静かに腰を下ろした。
すやすやと寝息をたてる少女の頬につたった涙を指の背でそっとぬぐいながら、彼は小さく
「……まったく。どこまでお人好しなんだ、お前は」
呆れと自戒を含んだ、対象の定まらないつぶやきが口からこぼれた。
眠っていた期間は十年程度では済まないかもしれない、というメルの言葉を聞いたときも、まだ心のどこかに希望を残していたのだ。「これからどうしたら良いのだろう」ということを本気で意識したのは、滅んだ後の生まれ故郷を見たときである。
そこに彼女がいて助かった、といまさらながらに思う。あるいは、救われたといっても過言ではないかもしれない。
もしあのとき、自分が一人だったならどうなっていただろう。
過ぎた仮定に意味は無いが、考えずにはいられなかった。
なにをするという目的もなく、ただ絶望の淵にたたき落とされていたかもしれない。それを思えばたとえ犯罪者として逃げ回るだけだとしても、目的があるぶんまだマシというものだ。
「目的、か……」
西方の〈小国連合〉領内で新たに見つかったという遺跡。そこにたどり着くことが現時点での目的だ。さらに言えば、そこで『世界になにが起きたのか』を掴むことが終着点である。
――では、もしそれが判明したら?
その後の自分は、一体なにを目的として生きるのだろう。そう胸中で自問する。
国を守り、自分の生きる世界を守ること。狭き門と言われる士官学校に入学して日夜教練に励んでいたのは、そんな目的があったからだ。
だが、それは既に失われてしまった。
守りたいと思っていた国は既に無く、自分の生きていた世界は決して手の届かない過去へと置き去りにされてしまっている。
「まさか、いまさらになってまで、こんなことを考える羽目になるとはな……」
自嘲じみた言葉に反応を示す者は、ここにはいなかった。
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