マシュマロ・キス

第3話


「収と双葉って、結局どーなってんの?」

 昼休み、俺に単刀直入な質問をぶつけてきやがったのは森口杏奈だ。同じ部活で、親友の彼女で、俺の、か、彼女……の、親友。ややこしいな。

 森口は俺の机の前の椅子を寄せて座ると、ずいっと顔を寄せてきた。俺はちょうど、購買での熾烈な争いの末にゲットしたコロッケパンをかじっていたところで、森口の勢いに押されて喉に詰まらせてしまった。

「つき合ってんだよね?」

 さらに森口はたたみかける。むせていた俺は慌ててコーヒー牛乳でコロッケを流し込む。

「そ、そのつもり、だけど」

 小学生の時からずっと手のかかるトモダチポジションにいた今井双葉と、成り行きでクリスマスにデートに出かけたのをきっかけに、俺の感情にも変化が生じた。今井もまんざらでもないようすだし、正月には一緒に初もうでに行ったし、三学期がはじまってからはいつもふたりで帰っている。つき合ってるつもり、だったが。今井は俺の、か、彼女だが?

「双葉はつき合ってないっつってんだけどー?」

 森口は片肘をついて舐め上げるように俺を見た。まじか。

「ま。まままさか。俺よりあの人体模型のほうがいいとか……?」

 今井は変わった趣味の持ち主で、理科室の人体模型に名前をつけてこっそり愛でているのだ。そのことは俺しか知らない。

 森口は、はあー? と片眉を上げ、俺の頭をぽこんとはたいた。

「なんっにも言われてないしって言ってたよー。好きとかー。つき合おうとかー。そういうコト」

 きょとんと目をしばたいてしまう。そういえば。言ってない。

 ちゃんとけじめつけなよー。女の子はちゃんと「約束」がほしいの。「言葉」がほしいんだよ。そんなことを森口は言って、自分の教室に帰っていった。

 甘ったるいコーヒー牛乳をひと口、飲む。

 そうだ。告白というやつを、だ。しなければならない。従姉妹に借りて読んでる少女マンガではたいてい、両片思いの男女が、紆余曲折を経た末、最終的に告って抱きしめてそれからチューする。男子からのパターンも女子からのパターンもある。

 今井に好きだって言うのか? んで、チュー、は……。やりすぎかな。いずれにせよハードルは高い。

 目を閉じてくちびるをとんがらせて突き出している今井の顔が目に浮かぶ。うーむ。

 やばいぞ。ドキドキするし顔が熱い。

「ユノキン、なに、ぼーっとしてんの」

 そう言って俺をこづいたのは芹沢始だ。一学期に席が前後になって以来、なんとなくからまれるようになった。

「その、ユノキン、っていうのやめて。果てしなくアホっぽい」

「だってアホじゃん」

「おまえにだけは言われたくないわ」

 芹沢はまさしくアホという称号がぴったりはまるお調子者で、いつも女子に小学生みたいなちょっかいを出しては面白がっている。こういう男も、いざ本命とふたりきりになったら、固まってしゃべれなくなったりするんだろうか。想像できない。

「ユノキン、顔赤いよ。なんか熱でもあるのって感じ」

 芹沢が俺のおでこに手をあてる。

「柚木くん、好きな人でもできたんじゃない?」

 芹沢といつもじゃれあっている、小池麻衣という女子が茶々をいれてきた。

「あーもう、すぐ女子は恋バナにもっていこうとするしー」

 芹沢の高い声が耳の奥でぐるんぐるん回った。頬が火照ってまぶたが重い。口をとんがらせた今井のまぼろしが頭から離れない。

「ユノキンは風邪だよー、さっき、めっちゃおでこ熱かった」

「バカ芹沢、だったらはやく保健室に……、ちょ、柚木くん、大丈夫?」

 俺は椅子から転げ落ちて、芹沢におぶわれて保健室に運ばれた、らしい。あとで聞いた話だ。

 早退し、病院に連れて行かれた。さいわいインフルエンザではなく単なる風邪だったが、あれよあれよと熱があがり、ひどく苦しかった。

 高熱のさなか、俺は、グロテスクなイメージの洪水に襲われてうなされた。具体的には、今井の愛する人体模型・太一君が内臓をぶちまけながら俺を追いかけてくるというもので、後から考えると、マンガっぽくて笑える。でも、太一君の心臓はびくびく動いているし、腸は触手のように俺に迫ってくるしで、とても生きた心地はしなかった。


 熱が下がったのちも、大事をとってもう一日部屋で寝ていた。コンコンと部屋をノックする音でまどろみから引き戻される。おふくろだ。

「双葉ちゃんがお見舞いにきてくれたわよー」

 にっこり笑うおふくろの背中に隠れるようにして、長い黒髪のちっこい女子が、もじもじと立っている。

 ごゆっくり、と意味深な笑みをうかべておふくろは戻って行った。やばい。あとでさんざんつつかれるぞ。昔から息子の恋愛ネタをさぐるのが大好きな趣味の悪い母なのだ。

 取り残された今井が所在なさげに立ちすくんでつま先をもぞもぞさせているので、とりあえず、座れば、と言った。真っ赤な顔してうなずくと、今井はぺたんと座りこんだ。

「風邪、もういいの?」

「あ。うん」

 ベッドから降りようとすると、いいよそのままで、と制される。

「あのね。さっき、柚木のおかあさんに、いつから、その、つき合ってるの、って。聞かれちゃったんです……」

 うつむいてカーペットに「の」の字を書いている今井。俺は思わず、ごくり、とつばを飲んだ。

「あの。お見舞いなんて来ちゃって迷惑だったかな? 杏奈ちゃんにも誤解されてるみたいだし……。あたし、自分でもへんなコだって自覚あるし。みんなにあたしが彼女だなんて思われたら柚木が困るよね……」

「え、あ、あの。いや、その……」

「手だってつないだけど、あれは、その、妹とか、ちいさい従姉妹とかの手をひく感覚だよね……。あたし、ぼーっとしてるからすぐはぐれちゃうし」

 そうだ、小学校の修学旅行でも中学校の修学旅行でも必ず集合時間に遅れて来てたぞ、こいつ。時間にはきっちりしてるのに、不慣れな場所に行くと迷ってしまうせいだ。いっつも、「今井さんがいません!」って騒がれて、森口が「双葉がいつの間にかいなくなってた」って泣きそうになって……って。ちがう!

 今井は俺を試しているのか。これはパスなのか。ならば、受けてシュートを放つ場面だぞ、ここは。好きだから! 好きだから手をつないだんだよ! そう言うんだ、今言うんだよ、俺!

 ベッドから降り、今井の目の前に座る。彼女の細い両肩に手を置く。目をそらすな、見つめろ。決めるんだ。

「い。いいいい、今井。お、俺、は……」

 猛烈にドキドキする! 耐えろ! 言うんだ!

 と。がちゃりとドアが開いた。お。おふく、ろ……。

「ケーキを召し上がれー。って。あら、ま」

 あらま、じゃねえよ。俺はがっくりと肩を落とした。


 結局その日、俺はシュートを決めることはできなかった。


 でも、まあいい。よく考えたら俺は病み上がりで髪はぼさぼさ、ひげも剃ってなかったし、おまけに上下スウェットという体たらくだった。これはいけない。一世一代の告白は、もっとこう、ロマンティックなシチュエーションで成されなければいけないのだ。

 よし。次こそ俺は決めてやる。最高の舞台でな!

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