二十三話 三十才になったら・後編

 塚元と二人並んで商店街を歩く。


「ここも大分変わったよな。下がブロック敷きになってたり」

「ああ、そうか、あんたが出てった後なのかな?」


 古い商店街なりに頑張ってリニューアルしているのだ。


「変わってない店も多かったけど。顔馴染みの店員さんとかさ」

「わざわざ響先輩とこ顔出したんだって?」


 にやにやと言ってやる。


「そりゃあ、気になるだろ? こっち来て初めて好きになった人なんだし」

「まぁそうか」

「すげぇな、あの人。二十代前半って言われても信じるぜ」

「それは言いすぎでしょ? 私は何才くらいに見えるかしら?」


 軽く髪を整えつつ聞く私。


「ええ? 三十五くらい? お前さぁ、女子としてもうちょい頑張れよ」

「うるさいなぁ、今日はオフだからちょっと手抜きしてるだけだよ」


 それでも五才上は言いすぎだと思う。


「その辺の積もる話は何か食いながらにしようぜ」


 と、塚元が指で示したのはラーメン屋。

 確かにあそこは二人でよく行ったけどさ、大人の男女が十二年振りに再会した直後に行くところじゃないでしょ?

 なのに塚元の奴は店に入りやがった。

 格好よくなったのは見た目だけかよ。




   *     *




 寒い季節はラーメンがおいしい。

 しかし、いつも私の身体を暖めてくれる豚骨ラーメンも、今の私の心は暖めてくれなかった。


「うう……うう……うう……」

「まだ泣くのかよ」

「だって……だって……」


 塚元が渡してくれたティッシュで涙を拭く私。


「あんなけ浮かれて付き合い始めたのに、一ヶ月で二股だもんなぁ」

「しかも私の方が浮気相手なんだってさ。うう……」


 高校三年になってようやく彼氏ができたと思ったのにヒドい目に遭った。

 純真な年下ぶりやがって私はただの遊び。

 本妻とその仲間たちに絡まれたりでこの一週間は人生最悪の一週間だった。


「初めての恋愛にしてはヘビーすぎたよな」

「まったくだよ。私好みのイケメンが告ってきたって浮かれたらこの様。やっぱり私に恋なんて無理だったんだ」

「そう言うなよ。大学行ったらいい出会いがあるって」

「そうかな?」

「ラーメン食えよ。冷めるぞ」

「うん……」


 涙を流しながらラーメンをすする私。

 ちょっとずつ落ち着いてきたかも。


「駄目だ、腹立って仕方ねぇ」


 塚元がらしくない低い声を出す。


「ゴメンね。いつまでもめそめそしちゃって」

「お前じゃないって。あいつ、殴っちゃっていい?」

「え? ダメダメダメ! 何言ってんの?」


 腰を浮かせかけた塚元の肩を抑え付ける。


「お前だけ泣くなんておかしいって。あいつご自慢の顔面を歪ませてやろうぜ」

「いいよ。ホントにやめて。暴力沙汰なんてしたら大学入れなくなっちゃうよ? 東京の大学に行くんでしょ?」

「大切な奴が泣いてるのに何もできないなんてな……」

「そんなことないよ。今みたいに隣にいてくれるだけですごく助かってる。塚元がいなかったら何も食べれないまま餓死しちゃってるよ」


 ずずっとスープをすする私。

 ちょっとずつ味が分かるようになってきた。


「俺やっぱり……」

「ダメダメダメ!」


 立ち上がりかけた塚元の手を引っ張る。


「でもなぁ……」

「じゃあさ、私の手を握っててよ。それで私は元気になれるから」


 私が左手を出すと、塚元はぎゅっと握り締めてくれた。

 温かくて大きな手のひら。


「ぐすん……ぐすん……」

「やっぱり泣くのかよ」


 私はまた人目をはばからず泣いてしまう。

 いつも側にいてくれる友だちの思いやりがうれしくて。


「ありがとう塚元……ありがとう……」

「いいからラーメン食え」

「うん……」


 塚元に手を握られながら食べたラーメンは、伸びてたけどとてもおいしかった。




   *     *




 塚元がにやにやしなから私の失恋事件をほじくり返す。


「そんな話もありました! ありました!」


 半ギレになる私。

 近況報告を始める間もなく傷をえぐってきやがるとは。


「まぁ、結局あれも笑い話ですむようになったわけだしな。大学入って二ヶ月と経たないうちに新しい彼氏を作った時はびっくりしたぜ」

「別に大学デビューとかそんなんじゃないんだけどね」


 出会いがある時はあるものなのだ。


「なぁ、知ってるか?」

「何が?」


 塚元が私の顔をのぞき込んでくる。

 怪訝な顔になってしまう私。


「俺たち、六年の付き合いなのに、手を握り合ったのってあの時だけなんだぜ?」

「そうだっけ?」


 面倒くさそうに応えた私だけど、ホントはちゃんと知っている。

 だからあの時の手の温もりは今でもすぐに思い出せた。


「後になって気付いたんだよ。あんなに仲よかったのに意外だよなぁ。友だちってそんなもんなのかな?」


 塚元は自分のあごをかいて不思議がる。


「塚元、その話の続きって覚えてる?」

「続き? ひたすら寺坂を慰めてた記憶しかないけどなぁ」

「あそ、だったらいいよ」


 しまった、ちょっと不機嫌ぽい言い方になったか。


「どうした? なんかあったっけ?」

「たいした話じゃないよ。塚元がいきなり音信不通になった件に比べたら?」


 ぎろりと睨んでやると、居心地悪そうに塚元は首の後ろをかく。


「はいよ、ラーメンお待ち!」


 ラーメン屋の大将が声を出し、二人の前にラーメンを置いた。


「いっただきま~す!」

「いただきま~す!」


 まずは一口食べる。

 うん! 真っ昼間から食べるラーメンもいいもんだ。


「やっぱ懐かしいな、この味。帰ってきた~って、気がするわ」


 感想を述べる塚元だが、これはただの誤魔化しにすぎない。


「で? 音信不通の件は?」

「怒ってる?」

「今は怒ってるよ。でも当時は心配したんだから。ああなるちょっと前、新しくできた彼女があれこれ束縛するとか愚痴ってたじゃん。マジで殺されでもしたんじゃないかって思ったんだから」


 こいつの親御さんにそれとなく聞いて無事だとは把握したけど、一時は上京して確かめようかとも思ったのだ。


「そうなんだよなぁ……。すげぇ束縛する子でさ、女友だちと連絡取るのを許さなかったんだよ。お前だけじゃなく、大学の友だちも。携帯の番号変えさせられて、メールもチェックされてた」

「ふーん、その子はどれくらい続いたの?」

「三年くらい?」

「長いな!」


 私が一時期付き合ってた彼氏も束縛するタイプだったけど、すぐにウザくなって別れてしまった。

 三年ねぇ……。


「なにしろこっちは男女の付き合いなんて初めてだったからな。簡単に支配されたんだよ。俺もお前も、恋愛に奥手なのがたたったよな」

「私は一ヶ月だけですみましたけどね。にしたって、別れた後に連絡寄こしてもよくない?」

「うーん、だよなぁ。ヘンに遠慮したのかもなぁ。向こうだって今さらだって思ってるんじゃないか? とかさ」

「余計な遠慮だよね」

「でもお前の方からも何も言ってこないしな」


 そう言われて思い出したけど、私は私で遠慮をしてしまっていた。

 何か事情があって音信不通になったんだから、こっちから連絡取るのはマズいんじゃないか、なんて。

 らしくない。


「そっちから連絡途絶えさせたんだから、そっちから連絡すべきなんだよ」

「だから年賀状送ったろ? 束縛する彼女と別れた後にさ。でもあれもお前は返事を寄こさなかったんだよ」


 私は記憶を遡る。うーん、そういえば?


「ああ、年賀状の余りがなかったんだよ。で、後から買いに行こうと思って忘れてた」

「そんなくだらない理由かよ? 俺、結構ショックだったんだぜ?」

「それで深読みしすぎたの? そんなので縁て切れちゃうんだ」


 ため息をついてしまう。

 あんなに深い友情で結ばれていたはずなのに、お互いヘンな遠慮をしてしまった。


「まぁ、悪かったのは俺の方だよな。これから精一杯お詫びをさせて頂くよ。秋からこっちの方へ転勤になることだし」


 こうやって唐突に重大情報を持ち出してくるのが塚元らしい。


「そういうのはもっと早くに言おうぜ。一流企業の正社員だよね? 左遷?」


 私が言ってやるとちょっと顔を歪めた。

 ここはあまり突かない方がいいのかもしれない。


「違う……と思う。多分。ともかくこっちに戻ってくるんだ。これからよろしくお願いいたします」

「うむ。あ、でも私は私で忙しいから、そんなほいほいは遊べないね」

「何やってるの?」

「事務用品の営業。城山高校もお得意様ですから」

「へぇ、俺も一回顔出してみたいな」

「今日びは厳しいからおっさんなんて入れてくれないっての」

「世知辛い世の中だ」


 ずずっとスープをすする塚元。


「高校時代は高校時代の間だけのものなんだよね。今でもよく夢に出てきたりするけど」


 多少美化はされてるんだろうけど、楽しい夢を見たらその日一日機嫌がよかったりした。


「あ、俺も寺坂の夢はよく見る。しかも夢だからホントにメチャクチャなんだよ。二人結婚してもう子供がいるんだ。しかも双子。子連れで他の同級生たちと会ったら、みんなも『ああ、そうなると思ってた~』とか言うんだ。徹頭徹尾ムチャクチャ」

「ロクでもない夢だね、それは。あ、私が見たことあるのだと、私に告白してきた男子と塚元が決闘するってのがあった。『私のために殺し合わないで!』とか悲劇のヒロインぶるの、この私が」

「ぶははは!」

「笑いすぎだっての」


 腹を抱えて笑った塚元の背中に手刀を叩き込む。


「束縛する彼女はともかくさ。大人になってから付き合った相手に学生時代の写真とか見せるだろ? 大抵寺坂が出てくるんだよ」

「まぁ、そうなるよね。私が持ってる写真とかでもそうなってる」

「そしたら、『ホントは好き同士だったんじゃないの~?』とか言われるんだ。どんなけ否定しても通じない」

「あるあるだわ。すんごい下世話なこと聞いてきたりね。そりゃあ、一緒の部屋で寝たりとかしょっちゅうだったけど、それでアヤマチとかあり得ませんからっての」


 ケッとツバを吐くマネをする私。

 私たちの友情をなんだと思っていやがるって話だ。


「まったくだ。俺は巨乳しか興味ないんだよ」

「ああ、そこはブレないんだ? でもなかなかお付き合いまではこぎつけられないんでしょ?」

「う、うーん、そんなことないぞ? 束縛する彼女の後にも彼女はいたし?」

「全部向こうからアプローチしてきたんじゃないの? それかなし崩しか」

「よく分かるな」


 目を見開いて驚かれた。


「長い付き合いだもの分かるよ」

「そして寺坂は寺坂で恋愛なんて縁遠いと思い込んでるんだ。大学の時だって向こうから告られたんだしな」

「まぁ、そのとおりですよ。告られたら浮かれて即オッケーするところも変わらず。それで痛い目にあったりもねぇ~」


 わざと軽く言いながらラーメンをすする。


「懲りないよな。いや、懲りたから何年も彼氏なしなのか?」

「なんで知ってるのって、お母さんか。あの女……」


 私はギリギリと歯ぎしり。

 そんなふうにグダグダ話をしているうちに、私の中にあったわだかまりは消え失せてしまった。

 やっぱりこいつはあの塚元だ。




 二人揃ってラーメン屋を出る。

 もう日が暮れ始めていた。


「うーん! 久し振りのラーメン、おいしかった!」


 大きく伸びをする私。


「そうなんだ? 寺坂なら一人でも余裕でラーメンすすりに行きそうだけど」

「いや、その気になれば余裕だけど、案外チャンスがないもんなんだよ。営業職ですし」


 今、女子に向かって言うにはヒドい言葉を吐かれたけど、仰る通りなので怒ることはできなかった。


「そんなもんか。どうする? どっか飲みにいく?」

「普通、順番逆でしょ? ちょっと行きたいとこあるんだけど。商店街の外に」

「じゃあ、そこ行こうか」


 二人並んでてくてくと歩く。


「やっぱ、塚元って背、伸びてるよね?」

「うん、ハタチくらいまで伸びてたかな? 一方の寺坂は……それ盛ってるだろ?」

「ノーコメントで」


 部活をやめて体重が落ちたと同時にちょっぴり小さくなったけど、あえてこいつに言う必要は感じぬ。


「なんか、こうやって寺坂と並んで歩くと昔に戻ったみたいだなぁ」

「まぁね。昔を懐かしんじゃうくらい年を取ったのかねぇという気もするけど」

「一回お前、嘘告白してきたことあるだろ? 間宮さんがらみで」

「ああ、あったね。巨乳好きのくせにBカップの私で妥協しようとしたんだよ、あんた」


 私もさっきそのことを思い出していた。

 よくよく考えたら友だちの恋路を叩き潰すとかヒドいことをしたもんだよね。


「妥協ってのは違うんだよなぁ。寺坂だったら付き合ってもいいって思ったんだよ、当時の俺は」

「友だちなのに?」

「そう。それでしばらく悩んでたんだよな。寺坂は女子なのか? 友だちなのか? って」

「あれからしばらく暗かったのはそうやって悩んでたからなの? 私の罠にかかって間宮さんを諦めさせられたからではなく?」

「間宮さんのことはすっかり頭から消え失せてたんだよな。お前の顔ばっかりちらつくの。なんか笑顔がかわいく見えたり」


 確かにその頃の私はご機嫌だったのでいつも以上に魅力的な笑顔だったろう。うん。


「それで結論としてはどうなったの? 塚元的に、私は女子か? 友だちか?」

「ただの友だちという結論だね。なにせお前の方はあくまで俺のことを友だちとしてしか見てないんだから」

「じゃあ、私の方でも塚元を男子としてイシキしてたらお付き合いに発展してたかもしれないんだ?」

「あり得るね。意外とそういうチャンスは何度もあったんじゃないの? いや、チャンスっていうか危機か。友情の危機だ」

「まぁ、そうだよね。アヤマチがなくてめでたしめでたしだ。着いた。ここに来たかったの」

「児童公園に?」


 場違いな三十男女が児童公園に入っていく。




   *     *




 ラーメン屋を出た私と塚元は家へ帰る前に公園に立ち寄った。

 二人並んでベンチに腰を下ろす。

 泣いて火照った私の顔を寒気が冷ましてくれた。


「私、もう恋なんてしない……」


 ありがちな台詞をつぶやいてしまう私。


「そう言うなよ。これから先、いい出会いなんていくらでもあるって」

「優しいよね、塚元」


 塚元はずっと手を握ってくれている。

 こいつってこんなにいい奴だったんだ。


「大事な奴に優しくするのは当たり前だっての」

「はぁ……せめて塚元が二重ならなぁ……」

「せめて寺坂がDカップならなぁ……」

「ままならないね」

「それが人生だ」


 二人してため息をつく。


「ねぇ、やっぱり塚元的にBカップはあり得ない?」

「Bカップ関係なしに寺坂はなぁ……そういうのじゃないだろ、俺たちは」

「……そうなんだ」

「今は弱ってるからヘンなこと考えちまってるんだよ、お前」


 塚元が空いている方の手で私の頭を撫でてくれた。


「まぁ、そうか。じゃあ、私たちはこれからもずっとお友だち?」

「そうそう、お友だち。無二の親友って奴だ」

「うーん、その言い方はクサいな」

「お気に召さない?」

「ううん、割と気に入った」


 塚元に向かって微笑んでみせる。


「やっと笑った」

「うん、ありがと。今度また塚元が失恋した時は私が慰めたげるね。Bカップの胸を貸したげるから泣くといいよ」

「そうだなぁ……」


 塚元が遠くに視線をやった。


「私たち、もう全く会えなくなるわけじゃないんでしょ?」

「うん、たまにはこっちに戻ってくるようにする」

「今いち信用できないなぁ。塚元、ずぼらだし。東京に行ったきりになりそうだ」


 そんな未来は考えただけで胸が苦しくなるけど。


「寺坂も東京に出てこいよ。大学はこっちでもさ。就職は東京にするんだ」

「イヤだね。地元が好きなの、私は」

「そうか……。ずっと一緒だと思ってたのに、案外簡単に別れちまうんだな……」


 空に向ける塚元の眼差しはどこか切なげ。


「でもさ、ずっとべったりなのも違うと思うんだよね。自分のやりたいようにやってさ、相手のやりたいようにさせるんだよ」

「その方が俺たちらしいか」

「そうそう。あ、でも結婚式には絶対呼んでね。あいさつで恥ずかしい過去を洗いざらいぶちまけたい」

「じゃあ、お前の時も呼んでくれよ。今日のことぶちまけてやる」

「私はもう恋愛しないもん。結婚も」


 口を尖らせてブーたれてみる。

 塚元は相変わらず私を見てくれない。

 でも二人は手で繋がっている。


「今はそう言ってるだけでさ、寺坂もすぐに彼氏作るようになるって」

「そうかなぁ」

「でも俺たちって結局恋愛運がないんだよなぁ。うまく結婚までこぎつけられるかな?」

「無理っぽいや」

「じゃあこういうのはどうだ?」

「ん?」


 塚元の横顔を見ると、寒さのせいだろうかほのかに頬が赤い。


「三十になってもお互い相手がいなかったらさ。結婚しようぜ、俺たち」


 遠くを見つめながら塚元がつぶやく。

 思いがけないことを言われた私はすぐに言葉を返せない。


「塚元……」


 ようやく相手に声をかける。


「ん?」

「お前、今のはいくらなんでも恥ずかしすぎる」


 私は冷たーい声をぶつけてやった。




   *     *




 ベンチに二人並んで腰かける。

 公園にはもう誰もいなかった。


「ふぅ、助かったぜ。同年代のパパとかママがいたら精神的にキツかった」


 塚元の言葉は紛れもない本心だろう。

 もう私たちは三十才なのだ。


「塚元の今の彼女ってどんな人?」

「ん? ん~、いや、今は誰とも付き合ってない」


 ウソつけ。


「まぁ、そう言うならそれでいいけどさ」


 意識せず顔を逸らしてしまう私。


「いや、やっぱり正直に言うわ」


 塚元がため息を吐く。


「うん、言ってみたまえ」

「一ヶ月前に別れた……と、向こうは思ってる」

「でも、塚元は未練ありと」

「うーん……」


 首を傾げてうなる塚元。


「はっきりしないね、三十にもなって」

「年は関係ないっての。ただの喧嘩だと思ったんだけどな……。でも、やっぱりもう終わりか……」


 遠い目をする。未練はありありだ。


「取りあえず、それをどうにかするところから始めなよ」


 私は塚元の胸ポケットにあるスマホケースを指差す。

 安っぽいストーンを貼りまくってあるプラスティックのケース。

 どう考えても塚元の趣味じゃない。


「これか……。よく見てるよな、お前」


 塚元がスマホを取り出し、ケースにはめ込んである本体を外す。

 そしてケースを私に差し出してきた。


「いる?」

「いるわけないじゃん。でも、捨てるのもイヤ、持っとくのもイヤ、っていうなら預かってやる」

「じゃあ、預かってくれ」

「うむ」


 塚元の未練の欠片を受け取る。


「失恋は何才になってもツラいよ」

「泣きたい? Bカップ・プラス・パットの胸を貸そうか?」

「いやいい。ちょっとだけ話し相手になってくれよ」

「うん分かった。高三の冬と逆だね。あの時は私が失恋して、塚元が慰めてくれた」

「だな。純真な寺坂を騙くらかすとかロクでもない奴だった」


 今でも私の失恋相手に腹を立ててくれるんだ?

 ちょっとうれしかった。


「あの時、塚元が言ってくれた台詞で忘れられないものがある」

「やめろ! それを言うのは勘弁してくれ!」


 両手を上げて私を制してくる塚元。


「ああ、覚えてたんだ?」

「まぁ……その……」


 遠くに視線をやる塚元は耳まで赤くしている。

 高校生かよ。


「もしかして今回戻ってきたのはあの誓いを果たすためだった、とか?」


 にやにや笑いかけてやる私。


「まさか。あいつと喧嘩したのは今回の予定を決めた後なんだ」

「あ、そうなんだ」


 しまった、がっかりしたみたいな声が出た。


「ん? 寺坂こそ期待してたのか? だから俺を探しにきたんだ?」

「なーに、言ってんだか。ちょっと顔を見たかっただけだよ」


 私は慌てて顔を背ける。

 自分ですら気付いていない本心を悟られるわけにはいかなかった。

 なんで私はこの暑い中うろうろと塚元を探し歩いたのだろうか。

 ただ懐かしいから?


「まぁ、そりゃそうだよな。あんな台詞、寺坂を慰めるために言っただけなんだし」

「む、随分軽く言うんだね? 乙女に結婚の話をするからには相応の覚悟ってもんを持ってもらわないと」


 そっぽを向きながら抗議する。

 塚元の言葉に地味に傷付いている自分に戸惑いながら。


「そうは言ってもまだ再会して三時間だ。いきなり結婚はなぁ」

「あ、もしかしてそんな調子で前カノとの結婚を先延ばしにしてたとか?」


 私が顔を向けると塚元は表情を強ばらせてしまった。

 図星のようだ。


「いやでも、やっぱ結婚は慎重にさぁ……」

「あーあ、響先輩に告れなかった中学の頃から全然変わってないなぁ」


 改めてそう確認できて私は大いに安心した。

 こいつとならこれからもうまくやっていけそうだ。


「いや、さすがに中学の頃よりはさ……」


 醜く抗議の姿勢を見せる塚元。


「嘘告白の話があったじゃん? 私ってば、あれからしばらくすごい機嫌がよかったんだよね」


 私は今気付いたことを話してみる気になった。


「ん? そうなのか? ああ、確かにいつも以上に明るかったよな。俺は悩んでるのにお前は脳天気なんだ。なんかイラついたわ」

「あの時はなんでそんなに機嫌がいいのか分からなかったけど、今なら分かるわ。塚元が間宮さんより私を選んだのがうれしかったんだよ。女子としてちゃんと見てくれた気がしてさ」

「へぇ、あの頃の寺坂は俺が好きだったのか? でもそんなわけないよな」

「そんなわけない。あの頃の私は塚元なんて恋愛対象として見てなかった。でもさ」


 私は塚元の顔を下から覗き込む。

 笑顔を向けてやると塚元はちょっとうろたえた。


「今もあの頃と同じ気持ちだったら、じゃあこいつと付き合ってみるのも悪くないかも、って思うはずなんだよね。好きの基準がちょっぴり変わってるんだ」

「ああ、なんか分かる」

「でさ、こうやって話してて気付いたんだけど、今も私の気持ちってそんなに変わってないっぽいんだよ」

「そうなの? いやいや俺たちの間にあるのはあくまで友情のはずだ。むぅ……」


 塚元が宙を見て視線をさまよわせる。考える時のこいつの癖だ。


「塚元もそうなんじゃないの?」

「うーん……」

「相変わらずはっきりしない奴だよね。ホント、昔と変わんないよ」


 私はそれがうれしくって仕方がない。

 二人とも大人になっていろんな経験を積んできた。

 何回も誰かと付き合ったりして。

 でも、根っこはそれほど変わってないようだ。

 そしてその変わらない部分に昔と同じような親しみを感じている。

 私はひょいと立ち上がり、くるりと身体を塚元に向けた。


「塚元。私が今まで知ってる男の中で、あんたが一番気楽にやってけるみたいだ。だから付き合って。この際Bカップなのは妥協してよ」


 私がケツを蹴っ飛ばしてやらないと塚元の奴はまともに恋愛なんてできやしない。

 私といなかった間のことは知らないけど、私といる間は常にそうだと決まっているのだ。

 向こうは視線を宙にさまよわせ続けている。


「塚元、考えるまでもないと思うけど?」


 そう言ってやってようやく塚元は私と目を合わす。


「そうだな。その通りだ」


 塚元もベンチから立ち上がった。


「俺もお前といる時が一番素でいられるみたいだ。こっちこそよろしくな。二重じゃなくて悪いけど」


 見慣れた笑顔を向けてくる。

 私は面食いでこいつの顔は全然好みじゃない。

 向こうは巨乳好きで私はそれほど大きくはない。

 だからって何の問題もなかった。

 長い付き合いだからそれくらい簡単に分かる。

 私は右手を伸ばして塚元の左手を掴んだ。

 そしてぐいと引っ張る。


「よし、そうと決まれば悠長にはしてらんないよ。お互いいい年なんだから、結婚目指してまっしぐらだ」

「え? うーん、やっぱり結婚は慎重に考えていこうぜ?」

「目標は今年中な。十二年前の誓いを実現しようぜ!」


 私は握り合った手を振り上げた。

 あの時は真冬で今は真夏。

 でも、塚元の手の温もりはそんなに変わりはしなかった。




(「三十才になったら」 おしまい)

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