十四話 旋盤工女子と昔気質

 やべっ!

 私はすぐさま旋盤の動力を切り、セットしてある切削工具を見た。

 うわ~、思いっ切り欠けちゃってる。

 今使っている切削工具は超硬バイト。

 こいつはやたら固くて鋼でもガンガン削れるんだけど、その分脆いという欠点があった。


「おい! 大丈夫か、草壁くさかべ!」


 さすが我が師匠、異音だけで事態を把握したようだ。

 私が振り返ったらもう真後ろに立っていた。


「大丈夫っす、河本こうもとさん。部材に傷はありません」


 切削工具はすぐに鋼材から離したので、このまま工具を入れ替えて加工を続けたら製品に使えるはずだ。


「アホ! 大丈夫かゆうんはワレのこっちゃ!」

「いて」


 頭にゲンコツを落とされた。

 繊細すぎる若者に気を遣いまくるこのご時世に、この人は昔ながらの手の早さ。

 親にも殴られたことのない私なので、最初は天地がひっくり返ったようなショックを受けた。

 もう慣れたけど。


「私も大丈夫っす。破片はどっか行っちゃいました」

「どっか行っちゃった、やあるかい! 超硬、いくらする思てんねん!」


 またゲンコツ。

 相手が女だろうと容赦なし。


「はぁ、いくらするんすか?」


 給料天引き? そんなの勘弁なんだけど。


「ワシも知らん。けど、高いんや」


 そう言いながら、河本さんは私が加工していた部材を確かめていく。


「ちょ~っと、送りが速かったかも? ギリいけると思ったんすけどねぇ」


 言い訳を試みる私。

 旋盤は高速で回転させた材料に切削工具を当てて削っていくという工作機械だ。

 今私が使っている旋盤は昔ながらの手動旋盤なので、削る時は手でハンドルを回して切削工具を動かしていく。

 その動かし方は材料の材質や加工の形状に応じて決めていかなくていけない。

 今回私は工具の送り速度をミスったので、超硬バイトの刃に無理な力がかかって割れてしまったのだ。


「それだけやあらへん。切り込みも深すぎや。荒削りやからって、手ぇ抜きやがって、こんガキャ」


 ぎろりと睨まれてしまう。

 仁王みたいな顔なので怖さがハンパじゃない。

 旋盤で削る時は工具を何度も往復させて少しずつ削っていくのだが、その一回当たりの切り込み量を少し大きめに取ってしまったのはその通り。

 だって、いけるって思ったんだもん。


「すんません、注意が足りませんでした」


 素直に謝る私。でないとまた殴られる。


「草壁。ワレ、最近調子に乗っとんのぉ?」

「え? いや、そんなことないですよ?」


 いきなりの言いがかりに焦ってしまう。


「嘘こけ。ワレ、大分腕上がってきたし、自分の考えでどこまで出来でけるか試したかってんやろ?」


 ぎくり。

 そういう意識は確かにあった。

 今までは師匠の教え通りに削っていたけど、それは初級者向けの安全を見すぎたセッティングに違いないと思ったのだ。

 だから教えより少しだけ難しい側を狙ってみた。

 挙げ句この様なんだけど。


「すんません、生意気っすよね?」

「いやええ。そんでええんや」


 河本さんがニヤッと笑った。

 孫がいてもおかしくない年なのに、十代の少年みたいに見える。


「いいって言っても、失敗しちゃいましたしねぇ」

「そんでも、自分で試していかんことにはなんも分からんままや。ちょっとの失敗くらいでヘコんでたら、ええ職人にはなれへんで?」

「そう言ってもらえると助かるっす」


 こうやって厳しいながらも時に優しい言葉をかけてくれるのが河本さんだ。


「せやけどな、失敗の仕方には気ぃ付けなあかんで」

「ですね。製品無駄にしたら会社が損っすもんね」

「ちゃうちゃう。怪我すんな言うてんねや。なんせ草壁は……」


 と、言葉を途切れさせて視線を宙にさまよわす。


「ん? 私は何すか?」


 河本さんの目の動きが止まる。私の方は見ていない。


「女なんやからな」

「お、おっす」


 河本さんはそのまま背を向けて自分の作業に戻っていった。

 こうやってたまに女の子扱いしてくるのはホントに勘弁してほしい。




 そして昼休み。

 いつものように女子三人で会議室を占拠してお弁当を食べる。

 女子と言っても二十代は製造課の草壁伊織くさかべいおり、つまり私だけ。

 設計課で事務をしている頼子よりこさんは中学生の息子さんがいるし、総務課の沙希さきさんは少なくとも二十年前からずっと二十四才らしい。

 我等が下葛金属工業株式会社は町工場の常として女子が極端に少ないので、こうして他部署の女子同士で寄合うのだ。

 ちなみに女子は後二人いるのだが、沙希さんと仲が悪いので別行動を取っている。

 五人もいれば余裕で派閥ができるのが、人間という生き物だった。


「へぇ、河本さんも随分丸くなったものねぇ」


 午前中に私がしたヘマの話を聞いて、頼子さんはいつものようにのんびりした口調で感想を述べる。


「そうだよね、病院送りの喜八きはちとはとても思えない」


 いつも芝居がかっている沙希さんも大げさに首を振った。


「その病院送りの逸話はホントなんですか? 昭和じゃなくて、平成の話なんですよね?」


 言うことを聞かなかった若手の職人を殴り付けて病院送りにしたらしい。

 その若手はそのまま辞めてしまったのだそうだ。


「まぁ、大げさといえば大げさな話なんだけどねぇ。歯と鼻は折れちゃったけど、昭和だったら唾付けとけで終わる話よ」


 昭和、ハンパねぇ。


「でも何度も殴っちゃったもんね。例によってお酒入ってたし」

「それも今いち信じられないんですよねぇ。仕事中にお酒飲んじゃダメでしょ? ましてや危ない工作機械触ってるのに」

「高度成長時代を生きてきた人はそんなもんよ。私のお父さんもお酒こそ飲まなかったけど、下っ端をぶん殴ってばかりいたらしいわぁ」


 頼子さんは二代続けて我が社に勤めているとの話。


「そんな悪しき伝統が今は途絶えていてホントによかったですよ。頭にゲンコツならともかく、顔面を殴られるとか勘弁ですもん」

「病院送り事件が最後よねぇ。河本さんも勤務中にお酒飲まなくなったし」

「すっかり真面目になったよね。あの人なりにあの事件は堪えたらしいから」

「社長に怒られちゃったんですか?」


 社長は温和で私にも優しい人なんだけど。


「まさか。三代目に怒られたくらいでヘコむわけないよ。殴っちゃった若手のこと、ホントは期待して育ててたんだよ、あの人」


 十五年前の事件をその目で見ていたように語る自称二十四才。


「期待してたのに、ちっとも態度が改まらなかったのよねぇ。全然覚えようとしなかったの。で、河本さん、ある日キレちゃった」

「そして病院送り」


 年長者二人がうなずき合う。

 そうかぁ、期待してたのに応えてもらえなかったら寂しくなるよね。

 私も高校の時はバレー部のキャプテンをしてたからよく分かる。


「河本さんも苦労してきたんですねぇ」

「いやいや、今も苦労してるんだよ?」

「そうなんですか?」


 今は伸び伸びやっているように見えるけど。


「そうなんですか? じゃないわよぉ。伊織ちゃんを育てようって、老体にムチ打って頑張ってるんじゃない」

「あ、そうか」


 途中から丸っきり他人事のように聞いていたけど、今の私につながってくる話なんだ。


「女の子が相手だから大変だと思うわよぉ」

「たまに見てみると結構面白いよね。すごい気を遣ってるんだよ」

「う、うーん。やっぱそうなんですかねぇ」


 確かに気を遣われている気配は時々感じる。

 柄にもなく、ヘンに女の子扱いしてくるのだ。


「ずっと女っ気のない人生だったのに、最後の最後でこんな若い女の子の相手をすることになろうとは思わなかったろうね」


 意地悪い笑みを浮かべる沙希さんだが、この意地悪の何割かは私にも向けられているに違いなかった。

 ずっと女っ気のない人生……。

 その話は同じ職場の先輩からもちょろっと聞いている。

 河本さんはずっと独身で今日まで来たらしい。

 本当なのだろうか?

 私は知りたかったけど、聞いて回っていいような話ではないとは分かっている。


「ん~? なんだか難しい顔をしてるわねぇ。伊織ちゃんの方は何も気を遣わなくていいのよぉ? 今まで通り、ふてぶてしい弟子をやっていれば大丈夫」

「えっ! 私ってふてぶてしいですか?」


 先輩二人が私を見ながらうなずいた。

 そうなんだ? 私ってふてぶてしい弟子なんだ?


「でもそこが気に入ってるらしいよ、河本さん」

「あ~、沙希さんそれは内緒よぉ。河本さんから口止めされてたじゃない」

「あ、そうだった。ふてぶてしい弟子が調子に乗っちゃうんだよね。じゃあ伊織ちゃん、今言っちゃったのは河本さんには内緒ってことで」

「は~い」


 そうか、私ってば気に入られてるんだ。

 なんだかうれしくって、そわそわしちゃう。




 昼休みが終わる前に私は自分の職場に戻った。

 私が使っている手動旋盤の隣には横に長い大きな直方体が置かれてある。

 NC旋盤という奴だ。

 こいつにはコンピュータが搭載してあって、事前に入力したプログラム通りに自動で加工をしていく。

 他にも同じようなのが二台あって、製品の加工に旋盤を使う時は大抵これらNC旋盤を使っている。


「なんや、物欲しそうに見よってからに。古くさい旋盤ばっかり使わされて不満かいな?」


 後ろから河本さんに言われてしまう。


「いやいや、まずは旋盤加工の基本を覚えるのが大切なんすよね? 河本さんがそう言ってたじゃないっすか」

「まぁ、そうや。今でもこいつにしか出来でけへん加工もあるしな」

「そうっすよね」


 と、不意に河本さんの表情が暗くなる。


「そやけどなぁ……。草壁みたいな若いもんはすぐにでも新しい機械覚えさせた方がええんちゃうか、ゆう気もするんや。ワシみたい古い人間のノスタルジーに付き合わせてるんやないかってな」


 なんだか寂しそうな声。

 こんな弱気な彼は見たくなかった。


「そんなこと言わないでくださいよ。私はちゃんとした技術を持った職人になりたいんす。そうなれるよう、河本さんから教えてもらうことはいっぱいあるんすからね」

「ほう、そうか」


 ぱっと河本さんが笑顔になる。

 やっぱり笑うと少年みたい。

 私は彼のこういう表情が好きだった。


「そうっす。じゃあ、これからもよろしくお願いしますね、師匠」


 そう言って、河本さんの腕をぱしっと叩く。




 昼からも私は加工の作業を進めていった。

 ちょっと失敗したからって臆病になってしまってはいけない。

 相変わらず私は河本さんの教えより少し難しい条件で加工を進めた。

 河本さんは金属が削れる音をよく聞きながら加工しろと言う。

 確かに無理に削っていくと音は違ってくる。

 耳をそばだたせながら私は作業を進めた。

 金属の切削音が私は好きだ。

 職人じゃない人はただ耳障りな甲高い音だと言うのだろうが、私には鈴が鳴っているような心地良い音に聞こえる。

 テレビで町工場の特集をしていたのを見て職人に憧れた私は、同級生のお父さんが働いているこの工場を見学させてもらった。

 鉄粉混じりの空気、油が焼ける臭い、そして方々から聞こえる機械の駆動音、金属の切削音。

 すぐに私はここで働きたいと思った。

 そして今、ここにいる。

 師匠の教えを受けてめきめきと腕が上がっていって、少しずつ難しい加工を任せてもらえるようになっていく。

 充実。

 私は毎日充実した時間を過ごしていた。




 定時を少し過ぎたくらいで私は仕事を終える。

 急ぎの仕事がある時以外は早く帰るよう、課長からきつく言われていた。

 私だけでなく、職場の人はみんなそうしている。


「お疲れ~っす」

「おう、お疲れ」


 職場を出ると私だけ女子更衣室へ。

 先輩たちは飲みに行く相談をし合っているけど、私は滅多に誘われない。

 現代っ子で女の私にはみんなかなり気を遣っているようだ。

 ちょっと寂しいけど、毎日飲みに行くのはやっぱり勘弁かな。

 私は職場から歩いて十分くらいのところにあるワンルームマンションに住んでいた。

 実家もそう遠くはなく、電車を使って一時間くらいのところにある。

 そこから通うことも余裕でできるのだが、一人暮らしがしたかった私は両親を説得して家を出ることに成功した。

 別に親子仲が悪いとかじゃないんだけど。

 部屋に帰った私はひと休憩してから夕飯の準備に取りかかった。

 料理なんて実家では少しもしなかったけど、やってみるとなかなか楽しい。

 ネットでレシピを調べ、近所のスーパーで買い物をし、あれやこれやと調理していく。

 今日は白身魚のムニエル。


「よしよしおいしいぞ。料理上手だな、伊織」


 一人暮らしを始めてから独り言が増えた。

 食後はのんびりと過ごす。

 アメリカのテレビドラマを観ているとスマホから呼び出し音。

 出てみると高校の友だちで、日曜日に遊ぼうというお誘いだった。

 会うのは随分久し振りだ。

 うん、楽しみ。




 都会へは一時間もあれば出ていける。

 デニムパンツにちょっとよそ行きの半袖シャツを着ていった私だが、三人の友だちは会うなり顔をしかめた。

 その理由はすぐに判明する。

 連れていかれたダイニングには、女子と同じ人数の男子が待っていたのだ。


「こういうのは先に言って欲しいんだけど」


 男子と別れた後の反省会で私は抗議する。


「だってイオリンって、男嫌いじゃん。こうしないと合コンなんて参加しないでしょ?」


 私に電話してきたエッちゃんが言う。


「別に男嫌いってわけじゃないけどね」


 それでも合コンなんかに出たくないのはその通り。

 男子とどんな話をすればいいのかなんて、私にはさっぱり分からなかった。


「だから私は言っておくべきだって言ったんだよ。挙げ句こんなやる気のない格好で来ちゃうし」

「やる気がなくて悪かったね、ハル。みんなと会うだけだって思ったから、この格好で来たんじゃない」


 都会に出るんだからって一応ちゃんと選んだつもりなんだけど、こんなにも批難されるとは思わなかった。


「はぁ~あぁ~、男子もドン引きしちゃったし。イオリンに合わせて理工学部の子、連れてきたのに」


 やっぱりエッちゃんの仕込みか。

 高校の時からイベント事が大好きだった。


「でも連中、金属加工のイロハも分かっちゃいなかったよ? ただの頭でっかちだ」

「いやいや、チタン? の加工がいかに難しいかなんて合コンで主張する女子が、どこの世界にいるの?」

「ここにいるんだよねぇ。高校三年の時に急におかしくなっちゃったけど、あの頃でもここまでヒドくはなかった」


 ハルは相変わらず口が悪い。

 職人に目覚めてから、周囲をひたすらドン引きさせてきたのは認めるけど。


「イオリン、爪を見せなさい?」

「ん?」


 アイラに言われて、前に座っている彼女の方へ広げた手を向ける。


「爪先真っ黒!」


 大げさに驚いてみせるアイラ。

 女子力が高いこの子には許しがたい事態らしい。


「仕方ないって。毎日加工してたらこうなるんだよ」


 爪と指の隙間に鉄粉やら切削油やらが入り込んで取れなくなるのだ。

 そして手のひらもほんのり黒くなっている。

 河本さんなんかは本当に手が真っ黒なのだが、それがいかにも職人らしくて私は憧れていた。


「ねぇ、イオリン。私たちはまだハタチなんだよ? 女を捨てるには早過ぎるって」


 駄目な子を諭すようにしてくるアイラ。


「別に捨ててないって。単なる優先順位の問題。私の場合はオシャレより上に職人の修行があるんだよ」

「職人ねぇ……。高校じゃ進学科だったのに高卒で就職とか。どうしてこんなふうになっちゃったんだ?」


 ハルが頬杖をつく。


「こんなふうにって言い方はおかしいよ。私は自分のやりたいことを見つけたんだから。もういいでしょ、私のことは。みんなはどうなの? 大学生活は充実してる?」

「充実してるよ。毎日うぇーいってかんじ」


 エッちゃんが両手を上げて言う。


「うぇーい? 時たま聞くけど、それって何なの?」

「ん? 何って改めて聞かれるとよく分かんないな?」


 首を傾げるエッちゃん。

 単なるノリで言ってるだけのようだ。


「ともかく、勉強だったり遊びだったりバイトだったり楽しくやってるから。友だちもいっぱいできたし」

「そうそう、充実してるのは自分だけだと思ったら大間違いなんだよ、イオリン?」


 エッちゃんがちょっと意地悪げな顔をして言う。


「いや、別にそんなふうには思ってないけどね」


 思ってました。

 大学生なんて遊んでるだけでしょ? なんて。

 それでも彼女らなりに充実しているらしい。

 そうか、私たちはもう、別々の道を歩いているんだ。


「充実っていろいろあるけど、私は恋愛だと思うの。好きな人を想ったり、好きな人と一緒に過ごしたり。そういうのが充実した人生なんだよ。だから私から見たら、仕事以外のところでもイオリンは大丈夫かな、って思ってしまうの」


 アイラは本気で心配しているような視線を向けてくる。

 今まさに彼女が恋をしているという話は、おしゃべりなエッちゃんから電話で聞いていた。


「恋愛かぁ。私のはどうなんだろうなぁ」


 アイラの言葉に首を傾げて考え込んでしまう。

 私は、「これは恋だ!」とはっきり言えるような恋愛はしたことがない。

 だから、今の自分が抱いている感情が何なのかよく分からなかった。


「えっ! 心当たりがあるの? イオリン!」


 ハルが身を乗り出してくる。

 やべ、余計なことを口走った。


「いやいや、違う違う。アイラが言うようなのじゃないから」


 そのはずだ。


「会社の人? 近所の人? コンビニのお兄さんとか?」


 目をきらきらさせて、浮かれた話が大好きなエッちゃんが迫ってくる。


「だから違うんだってば。頼むからそっとしておいて?」

「分かったよ。でも、何か相談したいことがあったらいつでも言ってね?」


 いつも優しいアイラが、そう言ってくれた。




 ヘンな話が出てきたせいで、みんなと別れてからも私の胸の中にはよく分からないもやもやが居座り続けた。

 恋? 恋かなぁ……。恋? でもなぁ……。

 いやいや余計なことは考えまい。私は仕事に生きる職人なのだ。

 明けて月曜日も変わらず仕事に励む。


「おい、草壁!」


 やべ、河本さんに怒鳴られた。

 どうしても拭い去れない雑念を察知されたか。


「す、すんません。ちゃんと集中してやります」

「なんやと? 集中してへんかったんか、ワレ?」

「え? いや~」


 バカみたいに自爆したようだ。


「まぁええわ。ちょっと休憩や。コーヒーでも飲もか」

「はいはい」


 そして建屋の外にある自販機まで二人して行く。

 今日は梅雨の晴れ間。

 私がぼんやりと青い空を見上げていると、河本さんが缶コーヒーを渡してくれた。


「ゴチです」


 ここのカフェオレは甘過ぎてちょっと苦手なんだけど黙っておく。


「ワレもここ来て二年か」

「そうすっね。河本さんにはお世話になりっぱなしで」

「ホンマや。女が来るて聞いてへんかったから、えらいびっくりしたわ」

「あー、でもヘンに女扱いするのもどうなんすかね? 男女変わりなくビシバシやっちゃってくださいよ」


 それでなくても現代っ子ということで気を遣われてしまうのだし。


「ビシバシなぁ……。男でも女でも関係なしにそおゆう時代やあらへんわ。ワシが前に若いもん殴ってもうた話は知ってるやろ?」

「まぁ、その……はい」


 私がうなずくと、彼は笑おうとしてかえって泣きそうな顔になってしまう。


「ワシの流儀でやると、ああゆうことになってまうんや。あいつには申し訳ないことしたて今は思うとる。そやから今回は、ちゃんとワレを育てたいんや」

「ありがとうございます。私、食らい付いていきますんで」


 師匠に向かって、にっと笑顔を向ける。


「おう、草壁は女のくせに気合いはいっちょ前やのう!」


 私の頭を作業帽の上から鷲掴みにして揺さぶってきた。

 別に悪い気はしない。


「河本さんは女に偏見を持ちすぎっすよ。時たまヘンな気の遣い方もしてきますし」


 そう言うと、私の頭を揺する動きが止まった。


「そんなん当たり前や。草壁のかいらし顔に傷でも付けたら大変やろ」

「かわいらしい!」


 思ってもみないことを言われて素っ頓狂な声が出る。


「ちゃうちゃう! 今のなしや!」


 両手を振って打ち消してくる彼は丸っきりそこら辺の中学生。

 私はちょっと意地悪をしてみたくなった。


「いや~、河本さんでもそんなお世辞が言えるんすねぇ~。ただの頑固オヤジじゃないんすねぇ~」

「やかましい!」

「いてっ!」


 頭にゲンコツを落とされる。


「こ、河本さん、言ってることとやってることが違うじゃないっすか」


 今のはいつも以上にキツい一撃だったぞ?


「ワレがヘンな言い方するからや。他のオバハン連中に似てきたで、草壁」

「へへ、ちょっとうれしかったんで」

「ワシみたい年寄りにかいらし言われたくらいで喜ぶなや」


 すねたみたいな口調で言ってくる。


「そんな老け込まなくてもいいじゃないっすか。まだまだ現役なんだし」

「何うてんねん。ワシはもう七十や。ホンマやったら孫がおってもおかしないねんで?」


 そうか、私とは五十才も違うんだ。年の差なんてもんじゃない。


「でもお孫さんをかわいがってる河本さんって想像付かないっすねぇ。やっぱ、河本さんは金属削っててナンボでしょ?」

「そらそうや。嫁さんももらわんと旋盤回してたんが、ワシなんや」


 ちょっと胸を張って言い切った。


「やっぱかっこいいっす、河本さん」

「またからかうんか!」

「いてっ!」


 再びゲンコツ。

 私は今までちゃんとした恋をしたことがなかった。

 だから彼に抱いている気持ちが尊敬だけなのか、それ以外のものも含むのか、よく分からないでいる。

 でも、彼にかわいらしいなんて言われたら胸が高鳴った。

 本人の口から独身だと知らされたら心が弾んだ。

 とても心地いい音が身体の内側から聞こえてくる。

 私は少し前へ進んでみる気になった。


「河本さんって、仕事が終わったらいっつも一人で飲みに行ってるんすよね?」

「まぁな。何回失敗しても、酒だけは辞められへんねや」

「私もお供していいっすか? 一緒に飲みましょうよ」

「ワシみたい年寄りと酒飲んで何が楽しいねん。若いもんは若いもん同士で楽しめや」


 顔をしかめてみせるけど、もうちょっと押せば何とかなりそうだ。


「たまにはいいじゃないっすか。昔の話とか聞かせてくださいよ」

「草壁もヘンな奴っちゃなぁ。ま、来たかったら来たらええわ。小汚い居酒屋やで?」

「いいっすね。そういうお店って行ってみたかったんすよ」


 私が自然にこぼれた笑顔を向けると、彼は戸惑ったみたいに視線を外してしまう。

 こういうところが少年みたいで本当にかわいい。


「ま、仕事が早よ終わればの話や」

「だったら早く戻りましょう。ガシガシ削っていくっすよ!」


 私は一足先に職場へと駆けていく。

 そして後から来た河本さんに、工場の中で走るなとゲンコツを落とされた。




(「旋盤工女子と昔気質」 おしまい)

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