十三話 失恋したのが家族にバレた

 結果は分かっていた。

 でも、こんなにもつらい気持ちになるだなんて分かっていなかった。

 今すぐその場で泣き喚きたかったけど、私はそうせず彼に笑顔を向ける。


「ありがとう、聞いてくれて」


 背を向けて走り去った。




 校門前で待ってくれていた友だちと合流。

 私は自分の傷付いた心をひた隠しにし、みんなと一緒に笑い合った。

 家に帰って一人になってから、存分に泣くのだ。

 高校から私の家までは電車を使って四十分ほど。

 同じ駅の子とも改札前で別れるともう私は一人。

 ここまでずっと『元気な赤井愛あかいめぐむ』を演じ続け、私はもうすっかり疲れ果てていた。

 だけど私の家へ帰るには賑やかな商店街を通り抜けないと。

 八百屋さんや魚屋さんの威勢のいい声を聞いていると、私の気分はどんどん沈み込んでいった。

 でも、ここでは泣けない。

 どうにか商店街を抜け、静かな住宅街の中にある一戸建ての我が家にたどり着く。

 玄関扉を開くと奥のキッチンから「おかえり」と声をかけられた。

 スーパーでパートをしているお母さんはもう帰っていたようだ。


「ただいま……」


 早く自分の部屋に引き篭もって泣いてすごそう……。

 ダイニングキッチンに通じる扉の前を素通りしようとしたら、お母さんが不意に顔を出してきた。


「なんか元気ないね?」


 至近距離で向かい合ってしまう。

 大丈夫、今の私はまだ泣いていない。


「部活で疲れたんだよ。もう今日は寝るし、夕飯はいらないよ」


 そして一人メソメソと一晩泣いて過ごすのだ。


「今日、酢豚だよ? 好きでしょ、酢豚?」

「え? うん、まぁ……でも……酢豚?」

「酢豚。中華スープもあるよ?」

「インスタントじゃない奴?」

「インスタントじゃない奴」

「へぇ……」


 私が所属する女子バスケットボール部の練習は激しい。

 実のところ、さっきからずっとお腹が空いていた。

 ……泣くのはご飯を食べてからにしようか。

 お腹を鳴らしながら泣いてすごすのはなんだか妙だし。




 そしてシャワーをしてから食卓につく。

 うん、酢豚だ。


「なんだ、元気ないと思ったのに、酢豚見てニヤニヤしてるんでやんの」


 お母さんがバカにしたような言い方をしてくる。

 今の私がどれほど傷付いた心を抱えているか知りもしないで。


「うるさいなぁ、食べ盛りなんだから仕方ないでしょ? いただきます」


 両手を合せてからお皿にお箸を伸ばす。

 いきなり豚肉から手を付けるのが私という女だ。


「どう?」

「うん、やっぱりお母さんが作る酢豚は並みの中華料理屋のよりおいしいよ」

「それはどうもありがとう。でもさ、普通失恋したら食事の味なんてしなくなるもんだけどねぇ。色気より食い気か、我が娘は」

「え?」


 しれっととんでもないことを言ってきた。


「いや、失恋したんでしょ、メグ?」

「な、な、なんでそう思うの?」


 私、何も言ってないよ?


「見てたら分かるよ」

「え? 見てたら分かるもんなの?」


 友だちにすらバレてないのに?


「分かるよ。今朝家出る時にはすごい気合い入った顔してたのにさ、帰ってきたらすごいしょげてるんだもん」

「それはその……小テストの出来が?」

「運動バカのあんたが小テストなんて気にするわけないでしょ? 先週、レギュラーに決まったとこだから部活関係でもない」

「な、なかなかの名推理だね。外れてさえいなければ?」


 私の焦りは声にも表情にも出ていると分かってはいるが、精一杯シラを切ってみる。


「メグも頑張ったのにねぇ。スマホに告白のセリフをメモ書きしたりさ。現国で赤点取ってるくせに」

「ちょっと待って!」


 今、当たり前のように聞き捨てならないことを言った!

 なのにお母さんはキョトンとした顔なんてしていやがる。


「何さ?」

「何さじゃなくて! 私のスマホ、勝手に見たの?」

「見たよ。男子バスケ部の溝口みぞぐち君? 結構格好いいけど、盗み撮りはどうかな?」

「盗み見もどうかな!」


 私が猛然と抗議しても、お母さんは平然と中華スープを口に運ぶ。


「だってあんた、いっつもスマホ置きっパにしてお風呂に入るじゃない? 見てくれって言ってるようなもんだよ」

「だとしても、ホントに見ちゃいけないの! あのね、お母さん。ワタクシ、微妙なお年頃の女の子なの。プライバシーとか侵害されたらすごい腹立つの。分かって?」

「まぁいいじゃん別に。で? あんたやっぱり失恋したんでしょ?」

「軽く流すな! し、失恋にしても、お母さんには関係ないよ!」

「酢豚冷めるよ?」


 なんて図太い女なんだろうか?

 我が母ながら中年って奴はホント、ロクでもない人種だ。

 それはそれとして、酢豚が冷めてはいけないのでお箸を動かすことにする。

 これを食べ終わったら自分の部屋で泣いてすごすのだ。

 お母さんにキツく心をえぐられたので、いっそう深く悲しみの海の底へと沈み込むことになるだろう。


「これで二連敗だね。前は中二の時の鈴木すずき君だったか」


 母の奴が余計なことを口走りやがる。

 思い返せばあの時もお母さんに失恋を見抜かれた。

 そして嫌がる私から根掘り葉掘り話を引き出すと、聞きたくもない恋愛講座なんて聞かされたものだ。


「お母さんの恋愛講座? あれは全然役に立たないね。バージョンが古すぎるよ」

「そうなのかな? ちゃんと相手に探りは入れたの? うまく二人っきりになるチャンス作ったりしてさ」

「ぐっ……」


 できませんでした。

 二人っきりになるチャンスは一度だけあったけど、ロクに話もできないうちにタイムオーバー。

 そんなこんなのうちに、彼に好きな人がいるらしいと知ってしまった。私とはまるで正反対のかわいらしい子。

 だから私は……。


「当たって砕けろなんてやっちゃダメだって言ったでしょ? 溝口君が斉藤さいとうさんを好きでもさぁ、まだまだチャンスは残ってたんだよ。斉藤さんには他に好きな人がいるらしいって、くぅちゃんも言ってたじゃない」

「へぇ~、友だちとしてるチャットまで見たんすか?」


 確かに友人のくぅちゃんはそんなふうなことを言っていた。

 でも溝口君に好きな人がいると知ってしまった私は、全てを諦めるつもりで当たって砕けろを実行したのだ。


「娘をよく知りたいと思うのは親として当然の欲求なんだよ」

「だからって欲求のまま娘のプライバシーを侵害するな!」


 恋愛以外にも親には知られたくないイロイロなやり取りがあるのに。


「まぁ、全部予想の範囲内だったよ。今クールのドラマに面白いのがないのは私も同感」


 うるせぇよ。

 そんなふうなやり取りを続けながら酢豚を味わっていると、玄関からお父さんの声が聞こえてきた。

 しばらくしてダイニングに入ってくる。


「おかえりなさい、お父さん」

「お、おう。元気か、愛?」


 なんか、妙にぎこちないお父さん。

 いつもは声が大きすぎるくらい快活な人なので、違和感がハンパじゃない。

 じわりとイヤな予感がしてくる。

 と、お母さんがお父さんの方へ身を乗り出した。


「フルーツケーキ残ってた?」

「ああ、愛が好きな奴な」


 そのやり取りで気付いたが、お父さんは商店街にあるケーキ屋さんの箱を手に提げている。

 イヤな予感がいっそう強くなった。


「じゃあ、後で食べようか。メグもケーキを食べて失恋なんて忘れちゃえ」


 お母さんがウインクなんてしてきやがる。


「ああ、お父さんにも言ったんですか、私のこと?」

「まぁね。メグが失恋したっぽいからケーキ買ってこいってメールしといた」

「へぇ、それはそれは、お気遣いどうも」

「いやいや、母親として当然のことをしたまでですよ」


 照れたみたいに頭の後ろをかくお母さん。

 別に私は褒めてなんていないんですが。




 どうにか私は夕飯を終えたけど、今日はケーキがあるらしい。

 いつもならちょっと贅沢なデザートはお父さんの食事が終わった後になる。

 それまでどうしていよう?

 テレビを見るような気分じゃないし、自分の部屋に引き上げると途端に泣き出しそうだ。

 するとお父さんを待たずにケーキを載せたお皿が私の席の前に置かれた。


「いいの?」

「あ、ああ、食べろ」


 酢豚を食べてるお父さん、相変わらずぎこちない。

 お母さんみたいにずかずか踏み込まれるのは腹が立つが、お父さんみたいにヘンな遠慮をされるのもキツいものがある。

 ……早くケーキを食べて部屋に行こう。


「まぁ……その……なんだ」


 お父さんが余計な気を遣って何か言おうとしている。

 頼むから黙ってて。


「若いうちは失恋なんていくらでもしたらいいんだ。いい経験になるぞ?」

「まぁ失恋ばっかじゃメグもキツいけどね」


 夫婦それぞれ違う方向にメンドくさい。


「はぁ、まぁ、お二人にはご心配をおかけしまして」


 適当に応えてケーキを味わう。

 私お気に入りのフルーツケーキはおいしいけど、それがかえって腹立たしい。


「お父さんも高校の頃は何度も振られたもんだ。面食いだったからかわいい子にばっかり声をかけてな」

「そうそう、そのくせ学校一の美人には声をかけなかったんだよ」

「それがお母さんなんだよね? もう何度も聞いてるから、その辺の話は」


 うんざり気分を思いっ切り表に出して私は言う。

 今は立派に課長をしているお父さんだけど、高校の頃はお調子者で有名だったらしい。

 一方のお母さんは勝ち気な美人として校内に名を轟かせ……。

 なんか、今は心底どうでもいい。


「あの頃はお母さんのことなんてどうとも思ってなかったのに、何年もしてから同窓会で再会して付き合い始めたんだ。世の中、何があるか分からないもんだぞ、愛?」

「そうそう、高校の頃はイケてなかったくせに大人になったらイイオトコになってたんだよ。メグもさ、大人になったらきっとイイオンナになれるよ。そん時、溝口君を見返してやんな」

「それって、今はイケてないって言ってるも同然だよね?」


 ぎろりと元高校一の美人を睨み付けてやる。


「あれ? そうなるかな?」


 あっけらかんと笑顔を見せやがった。


「おい、お母さん。それじゃあ慰めになってないだろ? 俺がせっかく愛を励ましてるのに」

「お父さんも今いちズレてるよ」


 お父さんも睨んでやる。


「そ、そうか……すまん……」


 首をすくめて文字通り小さくなってしまう。

 これでもう黙るかと思えば、小さくなったままお父さんが深いため息をついた。


「え、何?」


 思わず聞く。


「い、いや、何でもない……」


 しかしうつむいて目に見えて元気がない。

 睨んだのはマズかった?


「あの、分かってるから。ちょっとズレてるけど、お父さんは私の心配をしてくれてるんだよね? それはちゃんと分かってるから」

「い、いや、そうじゃなくて……」

「え、何?」


 相変わらず表情を曇らせているお父さん。

 さっぱり訳が分からない。

 ふとお母さんを見ると、お父さんを見ながらニヤニヤしている。


「ああ、父親としては娘の恋愛に複雑な思いがあったりするんだ?」

「ま、まぁ……な……。あんな小さかった愛が、なぁ……」


 いやいや、私もう高校生ですから。

 恋とか普通にしますから。

 でも今、下手に刺激するのはマズそうだ。


「まぁそのぉ、娘の成長を喜んで頂けたりすると、娘としては大変ありがたいのでありますが……」

「そ、そうだな。そうだよな。は、ははは」

「ははは」


 ぎこちなさすぎる笑顔を向け合う父と娘。

 なんで心に傷を負っている私がここまで気を遣わないといけないの?




 ようやくケーキを食べ終え、私は自分の部屋に引き上げる。

 さて、泣くか……。

 ベッドの上にごろりと寝転んだけど、なぜだか涙は湧いてこなかった。

 それもそうか。あんなバカみたいに騒がれて今さら泣ける訳がない。


「ふふふ」


 気付いたら笑い声を漏らしていた。

 胸は相変わらず痛むけど、どうにか乗り越えられそうな予感がする。

 見てくれはともかく私を愛してくれているらしいご両親には感謝だな。

 よし、もう寝てしまおう。


「おい、愛!」


 いきなり扉を開けたのはお兄ちゃん。

 いつもならまだ会社から帰ってくる時間じゃないのに。


「何さ? 勝手に入ってこないでって、前から言ってるよね?」

「そんなことよりお前、失恋したんだって?」


 まだスーツから着替えてもいないお兄ちゃんが、深刻そうな顔で詰め寄ってくる。


「もしかして、お母さんからメールとか?」

「そうだ。遅くなって悪かったな。妹がつらい時にいてやれない兄貴なんて……」


 お兄ちゃんの方こそ今にも泣き出しそうなくらいツラそうだ。


「あの、私はもう大丈夫だから」

「そんなわけあるか。失恋のツラさは俺もよく知っている。高校の時もなぁ……」

「だからそういうの、もういいから!」


 家族の愛が重すぎる。




(「失恋したのが家族にバレた」 おしまい)

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