十五話 お兄様が好きすぎる(ブラコン・性的言動注意!)
今夜、お兄様はお友だちの家へ泊まるらしい。
だから私はお兄様の部屋に侵入し、タオルケットの中に潜り込んで一人ですごい盛り上がった。
ひと息ついたところで扉の向こうから音が。
マズい! あれはお兄様が階段を上る音だ!
「
「いえ、ちょっと」
ベッドの上で三つ指をついてお兄様を迎える私。
大丈夫、お兄様はチョロいから簡単に誤魔化せるはず!
「お前なぁ、俺の部屋に勝手に入ってくるなって言ってるだろ?」
そう言いながら机の前にあるイスに腰を下ろす。
私の隣に座ってくれてもいいようなものなのに。
「だって、寂しかったんですもの」
少しうなだれてみせる。
「寂しかった? 今朝も顔合わせたろ?」
「でも、夕食はご一緒していませんわ。それだけで、私は寂しいのですよ」
「お前もいい加減、兄離れしろよな。何歳だよ?」
「十六歳です。結婚もオッケーな十六です」
身も心もすっかり大人なのですよ。
「結婚はともかくもう高校生だ。いつまでも兄貴に付きまとってないで、外でいい男を見つけてこいよな」
「ええっ! ヒドいですわ、お兄様! よくそんなヒドいことが言えますわ!」
思わず涙がにじんでしまう。
この人はこうやって私の心を踏みにじる。
「いや、別にヒドくはないだろ? お前だってもう恋のひとつやふたつ、しててもおかしくはないんだ」
「私はもうとっくの昔に恋をしております。そのお相手とは……」
「俺って言うのはなしな」
「なんでですのぉっ!」
私は両拳をタオルケットに叩き付けて伏せってしまう。
「ワンパターンなんだよ、そのギャグ」
「ギャグ? いやいやいや、ギャグじゃありませんわ。極めて本気ですのよ?」
ベッドの端までにじり寄って訴えかける。
だけどこんなに言ってもお兄様にはいつも届かない。
「はいはい、分かった分かった。それよりどけよ、もう寝たいんだ」
「そもそも、斉藤先輩の家でお泊まりする話はどうなったんですの?」
今日は一晩中盛り上がるつもりだったのに。
「あいつの別れたはずの彼女が顔出してきやがったんだよ。それでメチャクチャ邪魔者扱いしてくるから帰ってきた」
「まぁ、それはそれは」
「あーあ、俺も彼女が欲しいなぁ~」
可哀想なお兄様が虚空を見ながら言う。
「お兄様には私がいるじゃないですか」
にっこりと微笑みを向ける私。
「確かにお前は流れるような黒髪の美人だよ」
「ふふ……」
「かわいそうなくらい貧乳だけど」
「ぐぐ……」
「気立てはいいよな。家事もしっかりする」
「ふふ……」
「失敗ばっかりだけど」
「ぐぐ……」
「何より、俺もお前のことは大好きだ」
「だ、だったらっ!」
「でも、それはあくまで妹としての話。残念ながら俺たちは兄妹なのでした。さ、どいたどいた」
立ち上がったお兄様がタオルケットを引っ張り、上に座る私を退かせようとする。
その手を私はそっと握った。
「兄妹だなんて、二人の愛の前では大した問題ではありませんわ。さ、取りあえず愛し合いましょう。メンドくさいことは後で考えようではありませんか」
私はひとつひとつ、自分のパジャマのボタンを外していく。
「訳の分からんことをするな」
「いたい!」
いきなり脳天にチョップを食らった。
「ヒ、ヒドいですわ、お兄様」
「ヒドいのはお前の脳みそだ。ヘンなことしてないで、さっさと自分の部屋へ行け」
私のパジャマのボタンをはめ直しながらお兄様が言う。
もうそこで、ぶちーっとやっちゃっていいのに……。
「お兄様はとことんヘタレですわね。仕方ないですから、おやすみの、キ・ス、で勘弁してさしあげますわ」
目を閉じて唇を差し出す。
「お前、舌を入れてこようとするからイヤだ」
顔面を手のひらで押されてしまう。
前に先走りすぎた失敗が惜しい。
もう諦めて私はベッドから下りた。
「じゃあ、おやすみなさいませ、お兄様。今日も明日も愛してますわ」
せめて投げキッス。
「はいよ、俺も愛してるよ」
私には適当に応えるだけで、さっさとタオルケットを引っ被ってしまう。
タオルケットを広げた拍子に少し鼻をひくつかせたが、その匂いが一人で盛り上がった私の残り香だとは分からなかった様子。
やっぱりお兄様は童貞のままのようだ。
次の日の学校。
ようやく昼休みのチャイムが鳴る。
お兄様に早く逢いたい……。
「憂鬱げだな、お姫様」
私の前のイスを後ろに向けて、いつも一緒にお弁当を食べているケイちゃんが腰を落とす。
「そうね。お兄様といない時の私は常に憂鬱だわ」
「その物憂げな立ち居振る舞いが、綾奈様の人気の秘密なんだよね。ただのブラコンのヘンタイだとは知りもしないで」
「ヘンタイはヒドいわ!」
拳を振り上げて抗議する。
「実の兄貴にハァハァしてるヘンタイだろうが。せっかくの美人が台無しだよ」
ケイちゃんの言うことに不服はあるものの、ともかくお弁当箱を広げた。これはお母さんが作ったものだ。
まず摘まんだソーセージを眺めるだけで、私はため息をついてしまう。
「はぁ、お兄様の肉棒が欲しい……」
「慎め!」
「いたい!」
頭にチョップを食らった。
「食事中くらい控えろ、アヤ。まったく……」
「お兄様へのほとばしる愛が口からこぼれてしまったようね」
「ようね、じゃないよ。ただ好き好き言うだけならともかく、あんたの場合は肉欲だもんな。とんでもないヘンタイだよ」
「ヘンタイはヒドいわ。愛する人とセッ●スしたいと思うのは当然のことなのよ?」
言い終わってからソーセージにかじり付く。
前からずっと知りたいと思っているのだけど、お兄様のマキシマム時のサイズってどれくらいなのだろう?
「当然なわけあるか。遺伝学的にも倫理的にも大問題だ」
「大丈夫。全てを解決するいい方法があるのよ」
「へぇ、言ってみなよ」
「ゴムを付けてさえいれば遺伝学的には問題ないでしょ? さらに直に接するわけじゃないから倫理的にもオッケーなのよ、実は!」
「んなわけあるか!」
「いたい!」
またチョップだ。
おかしい、カンペキな理論武装のはずなのに。
「あのさ。私、ホントにアヤのことが心配なんだけど。もっと普通の恋しなよ」
「そうは言っても、お兄様よりステキな男性なんていないわ。世界の摂理よ」
「世界の摂理は言いすぎだ。まぁ、格好いいのは格好いいと思うよ? でもさぁ……」
「でしょ! 格好いいでしょ! それだけじゃなくて、かわいいところもあるのよ! まずもって猫舌なの。あちち、なんて言うところがとってもかわいらしくって!」
「分かった分かった。聞き飽きてる、聞き飽きてるから……」
そんなふうにして、私はお兄様に逢えない間の暇を潰していった。
お兄様は男子高に通っていて、私は同じ駅にある女子高に通っている。
共学に行けばいいようなものなのに、お兄様は入りたい部活があるからだなんて理由で男子高に入ってしまった。
私より部活を選んだのがまず気に入らない。
ともあれ私はいつもそうしているように、放課後になるとすぐに男子高まで行った。
高校脇の堤防の上からなら、トラックを走っているお兄様の姿をばっちり拝むことができる。
「アヤって、ホントに毎日これやってるの? とんでもなく暇なんだけど、私」
「だったら先に帰ってしまっていいのよ、ケイちゃん?」
「ま、せっかくだし。お、サッカー部にもイイオトコ揃ってるじゃん」
「節操なしめ」
双眼鏡を構えて男子高を覗き見する女子高生二人。
ちなみに私はお兄様のいる陸上部のマネージャーに志願したことがあるのだけど、あえなく顧問の先生に却下されている。
他校の生徒だからどうのこうの。
頭の固い連中が、私とお兄様の愛をどこまでも妨げようとする。
「あ、やっと終わった」
「ああ……もう終わりか。早くお兄様に逢いたい一方、汗にまみれたお兄様をいつまでも眺めていたい。毎度ジレンマで切なくなるわ」
「うーん、ブラコン以外の部分でもヘンタイ入ってるよね、アヤって」
失礼な。
そして校門まで回り込んでお兄様の出待ちをした。
女子に飢えた男子高の生徒どもがジロジロ見ていくが、そんな汚らわしい視線にもとっくに慣れている。
そしてついに!
「お疲れ様です、お兄様」
「また待ってたのか? 先に帰れって言ってるだろ」
「つれないですわね。ツンデレですか、お兄様?」
「ちわっす、
兄妹の仲睦まじい会話に割って入るケイちゃん。
「や、やぁ。
「ええ、暇だったんで」
お兄様とケイちゃんはもう何度も会っているに、相変わらずお兄様の態度はぎこちない。
これが童貞というものなのだ。
そのまま三人で連れ立って駅に向かう。
「そんなに私を待たせるのがイヤなら、私をマネージャーに雇うよう、お兄様からも働きかけるべきですわ」
「マネージャーになるのは俺も反対だ。お前は甲斐甲斐しく見えてやたら鈍くさいからな。だよね、桂さん」
「ええ、そうですよね。今日も家庭科の実習で指切りましたし」
「ほらほら、これですわ。見てください。慰めてください。キスなんてしてくれたらきっとすぐによくなりますわ」
と、絆創膏の巻かれた指を見せる。
「はいはい、痛いの痛いの、飛んでけー。あ、桂さんは料理とか得意なの?」
「私? いや、できるように見えます?」
見るからにがさつそうなケイちゃんが自分の頭の後ろをかく。
「実は、とか?」
「いやいや、全然ですね、全然。お皿並べるところがハイライトですよ」
「まぁ今時、女子だから料理できないとってわけじゃないからねぇ」
「えっ! お兄様、お嫁さんにするなら料理のできるヒトがいいって言ってませんでしたっけ? だから私、頑張ってるんですけどっ!」
小学生の頃からそう言っている。
私はそれを今までずっと真に受けてきたんだけど。
「そんなのケースバイケースだ。ケースバイケース」
「そうそう、ケースバイケースだよ、アヤ」
「え? 今はどんなケースなんですの? いつもはどういうケースなんですの?」
「いや~。桂さんもいつも悪いね。こんなメンドくさい奴の相手してもらって」
「大丈夫ですよ。基本、愛すべき愉快な奴ですから。一部容認できない性癖を抱えてますけど」
うー、なんだかさっきから疎外感を感じるぞ?
お兄様は私の方なんて少しも見ないでケイちゃんばかり見ている。見すぎている!
イヤな予感が……イヤな予感がする……。
家の最寄り駅で邪魔者たるケイちゃんと別れ、ようやくお兄様と二人きりに。
「……なぁ、綾奈。聞いてもいいか?」
「なんですの? 今日の下着の色から安全日まで、何でもお答えしますわ」
「桂さんって、彼氏とかいるの?」
「……それは個人のプライバシーに属する情報ですわ、お兄様」
やっぱりか!
この童貞、やっぱり妹の親友に懸想していやがる。
「……そうか。そうだよなぁ……はぁ……」
目に見えて気落ちするお兄様。
愛しい人のそんな姿は見ているだけで胸が締め付けられるようだ。
どうしよう……いいや、悩む必要はない。
私は何よりもまず、お兄様の幸せを考える出来た妹なのだ。
「仕方ないですわね、教えてさしあげますわ。ケイちゃんにはお付き合いしてる人も、好きな人もいません。あの人は自分のことをがさつなキャラだと決め付けていて、恋とかそういうのには無縁だと思い込んでるんですのよ」
「そうなんだ?」
「ですからお兄様にもチャンスはありますわ。突如降って沸いた色っぽい話。ケイちゃんは舞い上がってお兄様を受け入れるはずです」
「い、いや、チャンスとかそういうんじゃ……」
などとヘタレが身悶えする。
こういうところもまた愛おしいけど、身悶えの原因が自分でないのが悲しくもあった。
「お兄様、この私に隠しごとなんて無理ですわよ。どうなんです? お兄様が望むなら、お二人の仲を取り持ってさしあげてもいいですわよ?」
ここでいつものようにヘタれてくれ。
私は強くそう望んだが、お兄様には私の願いが届かない。
「じ、じゃあ、お願いしようかな? 俺だっていい加減、彼女が欲しいからな」
「ん? 彼女が欲しいからケイちゃんなんですの? ホントはケイちゃんなんて特に好きではない?」
「違う。好きだ!」
面と向かって言われてドキリとしてしまう。
真剣な顔で、私に向かって。
「桂さんのことが、俺は好きなんだ」
「そうですか。だったらいいんですよ、だったら」
涙がにじんできたから顔を背けた。
なんて残酷なんだろう、この人は。
いいや仕方がない。
私たちは兄妹なのだ。私が本気で好きだなんて、お兄様が気付くわけがなかった。
「で、どうするんだ? まずは交換日記とか?」
「中学生ですか。まずはテーマパークでデートですわ。三人で遊ぶ約束を取り付けておいて、私だけドタキャンするんですの。残された二人でたっぷりとお楽しみくださいませ」
「デ、デートか。いきなりかよ……」
そわそわと自信なさげなヘタレの童貞。
「大丈夫。私が事前にレクチャーしてさしあげます。がさつとはいえケイちゃんも女。むしろ普段がさつぶってるだけに、不意打ちでお姫様扱いされたらメロメロですわ」
「そうか、そうなんだ。綾奈。お前、頼りになるなぁ」
お兄様が私の手を取ってしきりにうなずいてみせる。
せめてここで手の甲にキスでもしてくれたらいいのに。
そして私はお兄様の恋路を叶えるために奮闘した。
何も考えていない頭の悪いケイちゃんはあっさりと三人で遊ぶことを了承。
後は決戦日までにヘタレの童貞を教育していくのだ。
「さぁ、お兄様! 強く! もっと強く抱いて!」
「こ、こうか?」
「ええい、腰が引けてますわ。そんなんではケイちゃんの大きなお尻に弾かれてしまいますよ!」
妹の肩を抱いてみろというだけでこの有様。
「はぁ、ちょっと休憩、ちょっと休憩」
ああ……お兄様が離れてしまう……。
「情けないにも程がありますわ、お兄様。普段の私はもっと激しいスキンシップを取ってますわよね?」
「いや、なんか意識してしまってなぁ……」
「ほほう、私をオンナとして意識してしまったと?」
これは思わぬ副産物。
私の魅力がようやくお兄様に通じたか?
「綾奈は全然関係ないけどな。桂さんとこんなことをするのかと思ったら……。ほら見ろ、手が震えちまってる」
見せてきた両手のひらは確かに震えている。
単なる練習でここまで臆病になれるものなのだろうか?
「ただ肩を抱くだけじゃないですか。隙を見て抱いてしまえばこっちのもの。逞しいお兄様の肉体を感じたケイちゃんはトロトロになること間違いなしです。さっきから何度もそう言ってますよね?」
「でもなぁ、その隙を見つけられる自信がない。なぁ、綾奈。やっぱりお前も来てくれよ。それでさりげなくフォローしてくれ」
「ダメです。それじゃあ、デートになりませんわ」
私はきっぱりと断る。
当たり前じゃないか。仲睦まじくしているお兄様とケイちゃんを間近に見るなんて、私のピュアピュアなハートはとても耐えられそうもない。
「そうか、そうだよな……どうしよう……」
情けなくうなだれる兄。
ここでうまく誘導すれば、ケイちゃんとお付き合いしたいだなんていうお兄様の世迷い言は粉砕できるかもしれない。
本当はそうしたい。お兄様は私だけのものなのだから。
でも私はそうしなかった。
「お兄様、もっとイメージしてください。愛しいケイちゃんとのきゃっきゃうふふな恋人生活。手を取り合って公園の広場を駆け回るんです。ひとつのケーキを二人で分け合いっこするんです。疲れて寝ちゃったらおんぶしたげるんです。イメ~ジ! イメ~ジ!」
「お、おう、なんかイメージ沸いてきたぞ!」
お兄様の表情がぱぁっと明るくなる。
見ているだけで心が蕩けてくる笑顔だ。
「その調子です! さぁ、最初のあいさつのところからやり直しですわよ!」
私はちょっと無理をして笑顔を作り、お兄様を励ました。
そして当日。
正直、お兄様の仕上がりは芳しくなかったけど、もうここまで来たら腹を括るしかない。
「じ、じゃあ、行ってくるな」
「ご武運を!」
びしっと敬礼する私。
ちなみに今日のお兄様の服装は私がコーディネートした。
お兄様のことを誰よりも知り、なおかつケイちゃんの好みも知っている。
ファッションに関してだけ言えば、今日のお兄様はカンペキだ。
お兄様が待ち合わせ場所に到着する五分くらい前を見計らい、ケイちゃんにドタキャンの連絡をする。
『えっ! どうするの? 私、もう現地に着いちゃったよ』
「そのままお兄様と遊んで頂戴。今から解散なんて面倒でしょ?」
実のところケイちゃんと私たちは最寄り駅が同じなのだけど、待ち合わせ場所はわざわざテーマパークの前に設定しておいた。
そうしておけば、今さら解散とは言いづらくなるという計算。
『いけしゃあしゃあと言うな。まぁ家の用事なら仕方ないけど、北条先輩と二人っきりなぁ……。なんか、デートみたいじゃない?』
「普通に遊ぶだけよ。妹の友だちと、友だちの兄が遊ぶ。別によくある話だわ」
『そうなのかな? あ、先輩来ちゃった。おい、今日のドタキャンは貸しだからな?』
「重ね重ね、申し訳ないですわ」
でも二人の仲がうまくいけば、私は二人に大きな貸しを作ることになる。
どんなに大きな貸しができたところで、私は少しもうれしくないけど。
できることを全て終えた私は、お兄様の部屋に入ってベッドの上にごろりと寝転んだ。
愛おしいお兄様の匂いに包まれているのに、一人で盛り上がる気力は沸いてこない。
どうして私たちは兄妹なのだろうか?
でも、兄妹だからこそ私たちは出逢えたのだし、私はあの人を好きになれた。
神様って奴はどこまで底意地が悪いんだろう。天国に行ったら絶対に殴ってやる。
お兄様の隣は今までずっと私の指定席だった。
でもこれからは違ってくるのだろうか?
お兄様の隣にはケイちゃんがいて、私は向かいの席から二人の会話を聞いているだけになるのだ。
口元に微笑みなんて浮かべながら、心の中でわぁわぁ泣きながら。
どのみちいつかはこうなると分かっていたはず。
お兄様の結婚式に親族として出席する悪夢を見たことは一度や二度のことではない。
お兄様そっくりの赤ちゃんを見せられた、なんて夢も。
いつかはこうなると分かっていたはず。分かっていたはず。
でも……でも……。
「おい、綾奈。起きろ、綾奈」
ぼんやりと霧がかった意識が晴れていく。
目の前にいるのは、お兄様?
「あれ? お兄様、デートは?」
夢? 今が夢? デートが夢?
「今帰ってきたところ」
「随分早いですのね?」
もしかしてデートは成立せずにそのまま引き返してきた?
お兄様が離れるだなんて、そんな心配は無用だったの?
よかった……本当によかった……。
「お前まだ寝ぼけてるだろ。もう夕方だぞ?」
「え?」
確かに窓の方を見るともう暗くなっている。
丸一日寝てしまっていたのか。
「ありがとうな、綾奈」
お兄様を見ると、すっきりとした笑顔を私に向けてくれていた。
ああ、うまくいったんだ……。
「どういたしまして。お兄様もようやく彼女ができたんですのね」
笑顔を。精一杯、笑顔を見せるんだ。
「いや~、そうはならなかった」
照れたみたいに頭をかく。
「どういうことですの?」
「振られたよ。告白したけど、振られてしまった」
そうなの?
でも、その割にはさっぱりした顔をしている。
「お前のおかげで告白までこぎつけた。ありがとう、綾奈」
私の手を取って、ぎゅっと握りしめてくれる。
「え? お兄様が振られたってことは、ケイちゃんがお兄様を振ったっていうことですの?」
「まぁ、そうだな……。俺のこと、男としての魅力を感じないって言われた。そうやってはっきり言われたから、俺もすんなり諦められたんだ。桂さんにも感謝だな」
「しん~っじ、らんないですわっ!」
私はベッドの上で立ち上がる。
わなわなと身体が震えるのを抑えられない。
「ど、どうしたんだ?」
「私のお兄様を捕まえて、男としての魅力がない? そんなのあり得ませんわっ! ちょっとクレーム付けてきます!」
「お、おい、もう終わった話なんだって!」
お兄様は何やらわめいているが、私は気にせず家を飛び出した。
私の家からケイちゃんが住むマンションまでは歩いても十分はかからない。
電話で呼び出しておいた親友はマンションの外で待っていた。
「はいよ」
ケイちゃんが缶コーヒーを投げて寄こす。
受け損なった私は地面を転がる缶を慌てて追いかけた。
どうにか缶コーヒーを掴み取り、道路にしゃがみ込んだままケイちゃんを睨め上げる。
「ちゃんとした説明が聞きたいわ」
ちょっと締まらない。
「説明っていうか、告られたから振っただけだよ」
ケイちゃんが駐車場の方へ歩いていき、レンガの花壇の縁に腰を下ろす。私も続いて。
「男として魅力がないだなんて言ったそうね?」
「言ったよ。実際そうだもん、私から見たら」
「いやいやいや。ちゃんとお兄様を見た? あんなに格好いいヒトはいないでしょ? 魅力がないだなんて暴言もいいところだわ」
「あのさ、じゃあどう言って欲しかったわけ?」
ケイちゃんはいかにもうんざりというような態度をしてくる。
気に入らない。実に気に入らない。
「お兄様に魅力がない発言は許しがたいわ」
「じゃあ、『魅力的なあなた様に告白されて光栄ですわ。是非ともお付き合いさせてくださいまし』とか言えばよかったの?」
「え? う、うーん……」
二人がお付き合いしなくて済んで、私としては大いに喜ぶべきところなの?
「でしょ? アヤから大事な大事なお兄様を横取りするわけにはいかないって」
「じゃあ何? 私に遠慮して、お兄様を振ったって言うの?」
「だとしたらどうする?」
ケイちゃんの視線は挑戦的だった。
本当はケイちゃんも、お兄様が好きだった……?
「私は……お兄様の幸せを誰よりも望んでいるの。お兄様がケイちゃんを好きだって言うから、その恋を実らせてあげたかった……。だから、ケイちゃんが私に遠慮したのなら、そんなの許せない。うん、そう。許せないわ」
私はきつくケイちゃんを睨み付ける。
この子はしなくてもいい遠慮をしてお兄様を傷付けた。
「ふーん、自分を犠牲にして愛しいヒトの幸せを祈るんだ?」
「そうよ。どうせ私の想いはお兄様に届かないんだから」
「ホントにそう思ってるの?」
「え?」
ケイちゃんが私の頭を撫でてくる。
その視線は優しげで。
「いっつもあんだけ大騒ぎしてるくせに、『想いは届かない』なんて悲劇のヒロインぶるんじゃないよ」
「悲劇のヒロインぶってるわけじゃないわ。私が……お兄様と結ばれないのは……そう、決まってるん、だから……う、うう……どうしようも、ない……のよ……くぅ……」
いつの間にか涙が溢れて止まらなくなっていた。
しゃくり上げる私の肩を、そっと親友が抱いてくれる。
「こんなにかわいい女の子を泣かせるなんて、アヤのお兄様はホント悪い奴だ。私が魅力を感じないのも無理はないよ」
「お兄様を悪く言わないでよ、ケイちゃん……」
「いいや、言うね。私、今回のことではかなり腹立ててるから。身近な女の子に好かれてるのに気付かないでいる北条先輩にも、自分を騙して好きな人の恋の後押しなんてするアヤにも。あんたら兄妹、揃って腹立つ」
「でも……」
ケイちゃんがハンカチで私の涙を拭いてくれる。
優しい親友。
「柄にもないことするな、アヤ。思いっ切り当たっていけ。当たっても砕けずに、さらに当たっていけ。それでこそ、あんたらしいんだ」
心強い励ましを受け、私の中にむくむくと勇気が沸いてきた。
「そうね、その通りだわ。私、ヤルわ」
「よし、その意気だ。あの鈍感男に目にもの見せてやれ!」
肩を揺すってさらに元気を注いでくれる親友。
私はすっくと立ち上がる。
「そうよ! ゴムさえ付けていれば、遺伝学的にも倫理的オッケーだものね! 絶対にお兄様とヤルわっ!」
「ちょっと待って? ヤルの意味が違わない?」
「ありがとう、ケイちゃん! 詳細報告はきっとするわね!」
何かわめいている親友を放っておいて、私は自分の家へと駆け出した。
家に帰った私はすぐさま準備に取りかかる。
まずはシャワーを浴びて身体をきれいにきれいに洗う。
そして着るのはフリルもかわいらしいピンク色のベビードール。
お化粧もしたいところだけど、お兄様はすっぴんを好むのでこれはパス。
最後に秘蔵の〇・〇一ミリをポッケにねじ込んだ。正確に言うと、これの素材はゴムではないらしい。
よしっ!
お兄様の部屋の前に立つ。さすがにちょっと緊張。
「お兄様。お兄様? 入りますよ? ほら、もう入った」
お兄様はベッドの上で大の字になっていた。
顔だけ上げて私を見る。
「何だよ。悪いけど、一人にしてくれ」
随分と浮かない顔をしていた。
私はベッドの側まで寄って膝立ちになる。
お兄様の手をそっと両手で包んで。
「どうしたんですの? 振られたショックが地味にボディブローのように?」
「まぁ、そんなとこ」
さっきはあんなにさっぱりした顔をしてたのに。
「あんな見る目のないがさつ女のことは忘れてしまいましょうよ」
お兄様の頭をそっと撫でる。短い髪の感触が心地よい。
愛おしい。本当にこのヒトのことを愛おしく思う。
「好きです、お兄様。生まれた時からお兄様だけを愛してまいりました」
自然と言葉がこぼれ落ちる。
「知ってる」
お兄様がぽつりとこぼす。
いつもの軽くいなすような言い方ではない。
「じゃあ、私の愛を受け止めてくださいまし」
「それはできない」
お兄様が起き上がって私と向かい合う。
「なんでですの? 兄妹だからだなんて言い訳は、もう聞きたくありませんわ」
身を乗り出してベッドの上に膝を乗せる。
お兄様の両肩に手を置き、顔を近付けていき……。
「でも、兄妹以前にお前って俺の好みじゃないしなぁ」
「えっ!」
思わず動きが止まってしまう。
「確かにお前は目元も涼しげな美人だよ?」
「ふふ……」
「でも貧乳なんだよなぁ。せめてCは欲しい」
「ぐぐ……」
「確かにお前は甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれるよ」
「ふふ……」
「でも失敗ばっかりだ。いっそ何もしない方が清々しい」
「ぐぐ……」
「確かに俺たちはお互いのことを誰よりも知ってるよ」
「だったら……」
「でも知りすぎてる。なんて言うんだろう、お前といても全然ドキドキしないんだよ」
「ぐ、ぐう……」
「お前はお前であけすけすぎるし。いちいち安全日だとかアピールしてくるなよ」
「ぐ、ぐう……」
「お前は肉欲が前面に出すぎてる。こっちはドン引きだ」
「ぐ、ぐう……」
「そのくせ色気がないんだよ。貧乳だし」
「貧乳はさっきも言いましたわ。ち、ちょっと待ってください。さすがの私も心がべキッと折れてしまいそうですわ」
居たたまれなくなってお兄様から離れる私。
「分かってくれた? 言いたくないけど、兄妹以前にお前は論外なんだよ」
「ろ、論外!」
弾き飛ばされたみたいにばったりと床に伏せってしまう。
「だ、大丈夫か、綾奈!」
「大丈夫なわけないですわ。さすが童貞、女の振り方さえロクに分かっていませんのね」
「やっぱりホントのことを言うのはマズかった? でも嘘偽りない本心だしなぁ……」
「これ以上の追撃は勘弁してくださいませ。もう帰りますわ」
ゆらゆらとどうにか立ち上がる。
「おい、忘れ物だぞ」
「ん? げっ!」
うっかりポッケからゴムを落としていた。
慌てて回収する私。
「そういうところがなぁ……」
お兄様がダメな奴を見る目で私を見つめる。
「す、好きなんだから仕方ないじゃないですかっ!」
一声わめいて私はお兄様の部屋を飛び出した。
翌朝。
食卓で私と顔を合わせたお兄様は極端に挙動不審だ。
さすが童貞、女を振った後の振る舞いもよくご存じでない様子。
早々に朝食を食べ終わったお兄様が一人で家を出ようとしたので後ろから声をかけた。
「ちょっと待ってくださいませ、お兄様。一緒に登校しましょう」
「え? いや、でも……」
「いいからっ! お待ちください」
そして兄妹二人で家を出る。
外に出るとすぐに私はお兄様の腕に絡み付いた。
「お、おいやめろって」
「いいじゃありませんか。他の人には仲のいい兄妹にしか見えませんわ」
しばらく歩いていると後ろから声をかけられる。ケイちゃんだ。
「おはよう、仲よし兄妹。あ、先輩、昨日は悪かったですね」
「い、いや、俺も悪かったな。急にあんなこと言って」
軽く手を上げて詫びを入れるケイちゃんと、やっぱりぎこちないお兄様。
ケイちゃんはすぐにお兄様から興味をなくす。
「で? アヤの方はどうなった?」
「こっぴどく振られたわ。兄妹揃って失恋よ」
「その割には元気そうだ」
「当たり前だわ。生まれた時からの恋、そう簡単に終わらせて堪るもんですか」
私は力強く答える。
「え? 昨日で諦めたんじゃないのか、綾奈?」
「これからもガンガン行きますからね。覚悟なさいまし、お兄様」
背を伸ばしてお兄様の頬にキス。
(「お兄様が好きすぎる」 おしまい)
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