九話 後輩クンと休日出勤

 午後になって私が出社しても、山辺やまのべの奴は設計課の事務所にいなかった。一時間してからようやく現われる。


「もう来ないかと思ったわ、山辺君」


 私は冷たく言ってやった。


「あれ? 時間は決めてなかったですよね、まい先輩?」


 まぁそうだけど、シレッと言われるとムカッとくるだろ?


「もっと自覚を持って欲しいわ。カツラギ電子様向け特注装置の仕様変更を営業から仰せつかったのは、山辺君なのよ?」

「ええ? 酷いなぁ、舞先輩が会社休んでたから相談できなかったんじゃないですか。どっちみち、あのお客さんから言われたんなら従わないといけないんでしょ?」


 まぁそうだけど、シレッと言われると……。

 この男はいつもフワフワとしていて、のらくらと自分に向けられた矛先をかわそうとする。

 同僚としてはイラッとくるタイプだ。


「確かに会社を休んでた私も悪かったわ。ま、それ程大きな変更じゃないし、早いとこ仕様書を書き直しましょう。月曜の朝一に課長のハンコを貰わないと」

「別に営業と客先の打ち合わせくらい先延ばしにしたらいいじゃないですか。仕様を変更してきたのは向こうなんだし」

「それができたら休日出勤なんてしないわよ」


 今さらグチグチ言っても始まらないのは私も分かってる。早いとこ終わらせて家でドラマの録画を見よう。前回告白される寸前で終わったのだ。


「先輩相変わらず社畜だなぁ。で、風邪は治ったんですか?」


 山辺の奴が近付いてくると思ったら、いきなり私のおでこに向かって手を伸してきやがった!


「ちょちょちょ! 何するの!」


 慌てて避ける私。

 今、事務所には私たち二人しかいないのだ。そんな中で急接近なんてとんでもない!


「いや、熱。熱下がったんですか? 一昨日はすごかったですよね?」

「だ、大丈夫。一晩寝たら治ったから」


 嘘である。

 病院では三日は絶対安静と言われていた。


「ホントかな? なーんか、化粧もいつもより濃いし」

「ちょっと! 化粧が濃いとか失礼でしょ!」


 私だって一人の女子。

 男子にそんなこと言われたら普通に傷付く。ましてやこいつに?


「いやいや、顔色悪いの化粧で誤魔化してるんじゃないかなって。舞先輩ならやりかねないでしょ?」


 図星である。

 こいつは時たま鋭い。そもそも私が会社を休むハメになったのも、私の体調が悪いのに気付いた山辺が課長にチクったからだ。


「そんな小細工はしないわよ。それより、舞先輩はやめてって前から言ってるよね? 高校の部活じゃあるまいし、ちゃんと河内こうちさんて呼びなさい」

「ええ? 舞先輩は舞先輩だもん。入社以来の仲じゃない」

「いやいや、私とキミと関係は、あくまで教育係と新入社員ですから。しかもそれは前期限り」


 今年は設計課に新入社員が入らなかったから、相変わらずこいつが一番の若手だけど。

 そのせいかどうにも甘えが残っている。特に私に対して。


「つれないなぁ。舞って名前、かわいくて好きなのに」


 こいつはシレッとこういうことを言ってきやがる。


「余計なことは言わなくていいから。もういいわ、仕事しましょう。山辺君にはこの特注装置の概略図を修正してもらうわね」

「はぁ~い。CAD使うのは俺の方が早いですもんね」


 うるせぇよ。お前が入社した年にソフトが変わったんだから仕方ないだろ?






 ともかく私は文書の変更を進めるカタカタカタ。むぅ、ここは簡単に強度計算しておかないと。手書きでメモ書きカキカキカキ。


「ねぇ舞先輩、ここなんですけど」

「ひゃあっ!」

「ひゃあ? なんかかわいい声出ましたね、舞先輩」

「う、うるさい! 人が集中してるとこにいきなり声かけないでっ!」


 かわいいって何? 私、アラサーなんですけど。

 しかし山辺の奴はいつもどおりのシレッとした顔。ドキドキした私がバカみたいじゃない。


「それよりここですけど、板の厚みはどうしましょ?」

「ああ、ちょうどさっき計算したんだけど、三・二ミリでどうにかなりそうよ。だからここは……あれ、ペンは?」

「落ちてますよ。はい」

「ひゃああああっ!」


 なんで両手で私の手を包み込むようにして渡してくるのっ!


「え? どうしたんですか?」


 キョトンとしていやがる。


「い、いや、普通に渡してよ。なんで握ってくるの? しかも両手で」

「え? ああ、俺ずっとコンビニでバイトしてたんですよ。そん時のお釣り渡す時の癖ですね」

「ん? いやいやいや、確かに女の子でそういう渡し方をしてくる子がいるとは話に聞いたことがあるわ。でも、キミは男の子よね? おかしくない?」

「そうですかね? お客さんには好評でしたよ、おばさんとか」

「私はおばさんじゃないっ!」


 このガキ……ほんの四才しか変わらないのに……。


「いやいや、先輩のことじゃないですよ。舞先輩はまだまだ大丈夫、かろうじて」

「かろうじては余計だっ!」


 やべぇ、こいつと話しているとどんどん熱が上がっていく。


「山辺君、もういいから作業に戻って……」

「あ、そうそう、後もうひとつなんですけどね?」


 と、山辺が私のパソコンのマウスを操作して、作成中の文書をスクロールさせていく。

 ちなみに私はマウスを握ったまま。つまりこいつはその上から握ってきやがったのだ。

 私の指の股に男子の指が入り込んでマウスホイールをグリグリするって、なんか卑猥じゃない?


「や、山辺く~ん?」

「え、なんですか? あ、ここです。ここの高さ寸法は変わらないんですかね?」


 と、マウス(≒私の手)を握っているのとは反対の手でパソコンのモニタを指さす。

 彼の胸板が私の背中に思いっ切り当たってるんですけど。というよりも、奴のほっぺの感触を側頭部に感じる。

 やめて~っ!


「う、うん。そこの高さは千五百八十ミリのままよ。あの、分かったら退いて欲しいんだけど」

「舞先輩、肩こってません?」


 なんで私の肩を鷲づかみにしてくるの!

 揉み揉み揉み揉み気持ちいいけど!


「な、何してるの、山辺君?」

「俺、肩揉みうまいでしょ? ねぇちゃんたちに鍛えられましたからね」

「へぇ、お姉さんいるんだ? もしかして、お姉さんがいるから女子の身体に平気でタッチしてきたりとかするのかな?」

「そうそう。舞先輩って、一番下のねぇちゃんに似てるんですよねぇ。あ、でもねぇちゃんは結婚して子どももいるのか……」


 ぼそっとつぶやいてもはっきり聞こえてるってぇの。独身アラサーで悪かったなっ!

 親近感を抱いてくれるのはいいけれど、あまりにも馴れ馴れしすぎて私は悲しくなってしまう。


「はーい、もう肩揉みは結構ですから、向こうへ行ってくださ~い」

「ええ~? なんか冷たいなぁ、舞先輩。せっかく二人っきりなのに~」


 やめて! それを意識させないで! そしてもたれかかるようにして私の後頭部に胸板を押し付けてこないで!


「や、山辺君て煙草くさいのよ。だから離れて。前のカレシを思い出しちゃう」


 し、しまったぁ! 余計なことををを!


「へぇ! 舞先輩にも前のカレシとかいるんですか?」

「な、何その言い方?」


 いい加減、離れてください。


「いや~、舞先輩って勉強ひと筋仕事ひと筋で、男っ気なんて全然ないものだとばっかり思ってましたよ~」


 かなり正解である。

 前のカレシが人生唯一のカレシだったりする。

 山辺の悪意なき発言は、私の心をひたすら傷付ける。


「そんなわけないわ。私だってオ・ト・ナの女。恋人の一人や二人は余裕ですから」


 見栄を張る私。


「じゃあ、今は? 今はカレシいるんですか?」

「そ、そ、それを聞いてどうするの?」


 極めて重要な個人情報である。

 特に山辺に対しては。


「いや別に? ただの世間話です」

「あ、そ」


 深く傷付く私。


「なんかその様子じゃいないっぽいですね。ちなみに俺もカノジョいないんですよ。仕事忙しいですもんね」

「へ、へぇ、それを何故私に言うの?」

「いや別に? ただの世間話です」

「あ、そ」


 無駄にがっかりする私。


「そっかー、俺たち二人ともフリーなんですねぇ~」

「そ、そうね。だからどうしたってわけでもないんだけど」

「ですよねぇ~。オ・ト・ナな舞先輩は俺なんて相手にしないですよねぇ~」


 え? そんなことないわよ?

 しかし山辺の奴は私を置いて向こうへ行った。

 見栄っ張りな私が憎い。






 そう……私が彼を男性として意識したのは半年前。その頃私は彼の教育係をしていた。調子がいいだけの若造と思っていたのに、ある時不意に見せた子どもみたいな無邪気な笑顔――。油断していた私のハートをこの時彼は……。

 などと乙女チックに浸っている場合ではない。目の前の仕事を片付けなくてはカタカタカタ。

 ……ふぅ、どうにかこうにかでき上がった。後は印刷するだけ……印刷……印刷?

 あれ? 出てこない。

 共用の複合プリンタへは個々人のパソコンからデータを送れるはずなのに、そのプリンタはうんともすんとも言わなかった。

 プリンタの方を見にいってもちゃんと動いているようだ。コピーはちゃんとできる。なのにデータが送られてきていない? 私のパソコンの問題?


「ねぇ、私が作った書類、山辺君のパソコンから印刷してみてくれない?」

「はい、いいですよ~」


 共用のCADから離れた山辺君が自分の席へ。そこにある彼のパソコンからなら印刷できるはず。


「あれ? 駄目ですね。ていうか、プリンタを認識してませんよ?」

「え? どうしよう、印刷しないと課長のハンコが貰えないわ」

「だからペーパーレスにすべきなんですよ、ウチも」

「確かに前からキミはそう言ってるけど、ウチみたいなちっぽけな会社はCADを総入れ替えするので精一杯なの。そんなシステムを導入する余裕なんて……って今それを言っても始まらないよね?」

「うーん、面倒ですし、俺が家で印刷してきましょうか?」

「いやいやいや、仕様書のデータを勝手に持ち出しちゃダメよ。うーん、どうしよどうしよ……」


 焦るばっかりでどうしたらいいのかさっぱり思い付かない。今になって頭が熱っぽくなってちっとも動いてくれなかった。どうしよう?


「あれ? どこ行ったの、山辺君?」


 いつの間にか姿が見えなくなった。

 帰っちゃったの? 私がやいやい言ったから休日出勤してくれたけど、ホントはそんなのしたくないよね? 私みたいな口うるさい社畜アラサー独身おばさんと一緒になんていたくないよね? でも……でも、一人ぼっちにしないでよ……。


「お、みーっけた」


 どこからか山辺君の呑気な声。


「え? どこ? どこにいるの、山辺君?」


 離れたところにあるテーブルの影からひょこっと山辺君が顔を出す。


「見付けました、舞先輩。Habですよ」

「ハブ? 沖縄の?」

「いやいや、この事務所のネットワークをひとまとめにしてるHab。そのHabを使ってみんなのパソコンとプリンタをつないでるんですよ」

「そうなんだ?」

「今日の午前中、会社丸ごと停電することになってましたよね?」

「そうね。だから私たちは昼から出てきたのよ」

「それで電源復帰した時にHabが壊れちゃったんですよ、多分」

「へぇ……」


 確かに停電させる時は、精密機器の類いの電源プラグはコンセントから抜いておいた方がいいらしい。突入電流がどうとかこうとか。

 今回の停電に際しても、複合プリンタやパソコン、CADの入ったワークステーションの電源プラグは外しておくよう総務から連絡があった。

 なので今日出社した私は、まずプリンタとパソコンの電源プラグをコンセントに差し込むところから始めている。

 そういえばそうだ……。


「量産装置の開発をしてた時に使ってたHabの余りがあるって、前に聞いたことがあってですねぇ……」


 山辺君が壁際の棚にある段ボール箱の中をごそごそし始めた。


「やった、ありました!」


 高々と小さな機器を掲げ、山辺君が私の方へ笑顔を向けてくる。まるでカブトムシでも捕まえた子どもみたい。

 そうしてHabをつなぎ替えて、無事にパソコンから印刷できるように。全部山辺君がしてくれた。


「はいどうぞ、舞先輩」

「どうもありがとう」


 年下の頼もしいところを見られてうれしくなっちゃう。


「ていうか、先輩も技術屋ですよね? これくらいでテンパったりしないでくださいよ」

「う、うるさいなぁ、私はメカ屋なの。機械が専門なの」

「ホント、かわいいくらいうろたえちゃって」

「か、か、か、かわいいなんて、先輩をからかわないのっ!」


 ぶん殴る構えを見せてやると、慌てたように逃げやがる。

 もうっ、ちょっと格好いいとこ見せてくれたからって……。






 とにもかくにも山辺君も作業を終えて、印刷した概略図を手渡してくる。


「うん、これでオッケー。もう帰っていいわよ。悪かったわね、休日出勤なんてさせちゃって」

「いえいえ、先輩と一緒なら喜んで」


 え? それってどういう?

 思わせぶりに乙女心がぐるぐる回る。


「なんか先輩、表情が緩んでヘンですよ? あ、もしかして風邪ぶり返しました? おんぶして帰りましょうか?」

「おんぶ! いやいやいや、私アラサーだから」

「アラサー? やべぇ、なんかヘンなこと言ってる。舞先輩、失礼します」

「ちょっと待ってそれはっ!」


 最寄りのバス停めざしてお姫様抱っこ。


「舞先輩、下のねぇちゃんより重いや」


 うるせぇ、お姫様気分を台無しにしてくれるな。

 はぁ、こんな休日出勤ばっかりだったらいいのに……。




(「後輩クンと休日出勤」 おしまい)

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