六話 孤高な彼は、絵を描いている

 山中やまなか君は孤高の高校男子。それが同級生の共通認識だ。

 彼は授業中も休み時間もずっと窓際の席から外を眺めて過ごしていた。

 そして昼休みになると姿をくらませて、どこか誰にも見られないところで昼食を済ませて戻ってくる。

 こう言うとぼっちのようだが、その言葉は彼には似つかわしくない。

 卑屈なところなんて少しもなく常に堂々としている彼は、まさに孤高という他なかった。

 そんな彼がちょっと面白いことをしていると知ったのは、二年生に進級して一週間くらいしてから。

 隣の席に座る山中君を何となく見た私は、ぼんやり外を眺めているだけに見えた彼が、右手だけは忙しなく動かしているのに気付いた。

 字を書いているのではない。絵を描いているのだ。

 隙を見てノートを覗き込んでみたら相当うまかった。写実的って奴。

 どうやら授業そっちのけで窓の外の景色をスケッチしているらしい。

 そんな彼の様子を何日か観察していた私だが、かしましい女子高生であるのでついに我慢できずに話しかけた。


「山中君、絵を描くんだ? うまいよね」

「勝手に見るな」


 はい、会話終了。

 だがしかし、ここで気分を害してもう関わるまいとならないのが私という女。

 篠塚明音しのづかあかねはしつこい。それが友だちの間の共通認識だ。

 私は機会を見ては話しかける。


「お、それカラス? あいつらさぁ、ゴミ袋漁るからロクでもないんだよね。うちのお母さんがしょっちゅう愚痴ってる」


 シカト。


「いっつも外の景色ばっかなんだね。マンガのキャラとかは描かないの? ちょっと描いて欲しいキャラがいるんだよね」


 シカト。


「ねぇ、ノートはちゃんと取ってるの? 私、見せたげようか?」


 シカト。


「昨日テレビでクリムトとかいう画家の特集してたの見たよ。なんか、すごい絵だよね」


 ピタリと手が止まる。やった!


「あのさ、あんた何なの?」


 今にも殺害してきそうな厳しい視線を、向けてきた。

 しかし私はめげたりなんてしない。


「いや、お隣さんと仲よくなりたいってだけだよ。こうして隣り合ったのも何かの縁じゃん?」

「向こう側の隣と仲よくしてろよ」

「そう言わずにさぁ。描いて欲しいキャラがいるんだけど、死神のキャラ」

「……それ描いたら黙ってるか?」

「うん、今日のところは勘弁してやるよ」

「ちっ!」


 びりりと山中君がノートを一枚破る。

 そして一秒後、ぽいっと私の机に紙が投げて寄こされた。

 ○の下に大って描かれてるだけの見事な人物画。


「おいおい、山中氏」

「黙ってろ」


 むぅぅぅ……。






 今日も私は山中君を観察し続ける。

 彼は絵を描くのに使う鉛筆を、わざわざナイフで削っていた。


「最近の若いもんはナイフで鉛筆も削れん、なんて言う年寄りがいるらしいけど、山中君は感心だね」


 ぎろりと眼だけを私に向けてくる。

 ナイフを手にしているだけにかなり怖く見えた。


「いい加減、怒るぞ」

「ちょっとした提案があるんだけど」

「話を聞け」


 低ーい声で脅し付けてくる。しかし私は気にしない。


「いっつも同じ窓の外の景色を描くだけじゃ飽きるでしょ? 気分転換に別なのも描いてみない?」

「あんた、大概マイペースだな」

「私がモデルやったげるよ。私を描きなよ」

「あんたを?」


 ここで山中の奴は鼻で笑いやがった。


「む。せっかく言ったげてるのにその態度はなくない?」

「何がうれしくて、あんたみたいなへちゃむくれを描かないといけないんだ?」

「へちゃむくれ!」


 それってうら若き乙女に面と向かって言っていい言葉じゃないよね!

 そりゃあ、そりゃあ、私だって自分のことを美少女だなんて思ってないよ。

 でもさ、でもさ、見てられないくらいの顔って訳じゃないんだ。

 酷く心が傷付いた。断固抗議だ!

 しかしその前に山中君から追撃される。


「自分からモデルを買って出るなんて、自分によほど自信があるってことだよな? 言いたくないけどなぁ、自分をよく知っとく必要があるぜ? でないと今みたいに恥をかくことになる」

「ぐぅぅぅ……。山中君がこんな酷い人だなんて思わなかった!」

「そう思うんだったら二度と俺に話しかけてくんな」

「もう絶交だっ!」

「元々交流してないっての」


 私はぷいっと前を向いて山中君を相手にしないことに決めた。

 仲よくなろうだなんて思った私が馬鹿だった!






 そして私は窓側、つまり山中君の方は極力見ない生活を送る。

 慣れてしまえばどうということはない。

 しかし慣れてしまうと油断が生じる。

 休み時間、音楽室へ向かう廊下でのことだ。


「あれ? 山中君って、選択教科は音楽なの?」


 言った後、彼とは絶交したのだと思い出して内心舌打ちをする。

 絶交はともかくとして同じ教科を選択してるのに今まで気づかなかったとは。

 それほどまでに、この人は影が薄いということか?


「だとしたら何なんだよ?」

「いやだって、絵を描くんだし、美術の方を選ぶでしょ普通」


 途端に山中君は顔をしかめてしまう。

 よく分からないリアクションだ。


「へぇ、山中君って、絵を描くんだ?」


 私と一緒にいたタッコ(多喜子たきこというのだ)が話に加わる。


「そうなんだよ、すごくうまいの。授業中、ずっと絵を描いてるんだよ。ね?」


 しかし山中君はだんまりを決め込む。実にかんじが悪い。


「へぇ、絵がうまい人っていいよね、すごく楽しそう。私にも見せてよ」


 気さくなタッコがむっつり山中に話しかける。だけど相手はまだ口を開かない。

 あまりにも頑なな態度にイラってきた。


「あのさ、ちょっとは愛想よくしなよ。見せてくれてもいいでしょ? 絵くらい」

「うるさい、関わってくるな」


 私に肩をぶつけて一人で先を歩きだす。

 もうなんなの、この態度? 


「ちょっと待ちなよ。なんでそんなんなの、キミ?」


 後ろから声をかけたらぴたりと立ち止まった。

 そして顔だけこっちに向ける。


「絵が描けたら楽しいだとか、知ったふうなこと言うな」


 肩越しに言葉を吐き付けると、もう振り返らずに向こうへいった。


「はぁ、どこまでも孤高風吹かせやがって。ゴメンね、タッコ、せっかく声かけてくれたのに」

「ん? いや、なんでアカネンが謝るの? 友だちってわけでもないんでしょ?」

「そうか、あいつとは絶交してるんだった。すっかり忘れてたよ」

「アカネンらしいや」


 タッコが明るく笑う。この子はすぐに笑ういい子なのだ。


「はぁ、あいつあんなんでいいのかな? せっかくの高校生活がちっとも楽しくなさそうだ」

「そりゃあ、楽しくないんだろうね」

「ん?」


 タッコの声がふいに沈んでしまう。こういうのは珍しい。


「山中君は一年の時も同じクラスだったんだけど、ずっとあんな調子なんだよ。同じ中学だった子が言うには、彼って思い通りのとこに進学できなかったらしいの」

「へぇ、それでひねくれちゃったと」

「そうなの。一年の間中ずっとあんなかんじで。心配してた子もいっぱいいたんだけどね……」


 人に親切なタッコも心配してたのかもしれない。表情が暗くなっている。

 でも、ちょっとおかしい。


「心配なんだったらみんなして声かければいいじゃん」

「最初はそうしたんだけど、彼、嫌がっちゃって」

「嫌がろうがどうしようが、つきまとえばいいじゃん。そのうち音を上げて話すようになるよ」

「え? うーん、その発想はいかにもアカネン的だ」

「あれ? そうかな? それが普通じゃない?」


 私はいつだってそうしている。

 赤点を免除してもらう時も、お小遣いを値上げしてもらう時も、お兄ちゃんに服を買ってもらう時も。

 うまくいかない時も当然あるんだけどね、お兄ちゃんのケチ。


「頼もしいぞ、アカネン。全てはキミに託した。山中君の凍り付いた心を見ン事溶かしてみせてくれ!」


 私の肩をがしっと掴んでくるタッコ。

 こいつ、丸投げしてきやがった……。






 私は山中君への干渉を再開した。

 タッコに言われたからというよりも、彼には彼の事情があるらしいと知ったからだ。

 知ったからにはもう黙っていられないのが私という女。


「山中君ってさ、ホントはどこに行きたかったの?」

「どこ?」

「そうそう、この高校が第一志望じゃなかったんでしょ?」


 途端に眉間に深いシワを寄せてしまう山中君。

 いきなり踏み込みすぎたようだけど、ガンガン行くぜ! 何か策があるのかって? そんなのないよ!


「仕方なくこの高校に来たのかもしんないけどさ、ここもそんなに悪くないよ? もっと楽しめばいいと思うんだ。ねぇ、聞いてる?」


 聞いてないようだ。窓の方を向いたっきりこっちを見ようとしない。

 しかし多少のシカト程度でヘコむ私ではなかった。

 ずずいとイスごと彼の方へ身体を寄せると相手の肩を両手で揺する。


「ねぇねぇ、こっち向いてよ。お話ししようよ。話してみると気が楽になるもんなんだから」

「あー、うるさいなぁ!」


 私の手を払い除けて山中君が睨んできた。

 意外に顔同士の距離が近くなってしまったけど、気にしないふりを決め込む。


「あ、やっとこっち向いてくれた。へへ」

「何なの、あんた?」

「キミと仲よくなりたいんだよ。せっかく隣同士になったんだしさ」


 山中君が深い深いため息をつく。

 取りあえずこうしてリアクションしてくれるだけで一歩前進だ。


「そういえばさ、前にあんた、モデルになりたいって言ったよな?」

「うんうん。描いてみる気になった?」


 思ったより前進しそうだ。いいぞいいぞ。


「じゃあ、描いてやるよ。ヌードな」

「うんいいよ、ヌード」

「ヌードだぞ? 全裸」

「うん、ヌードなんだから全裸だよね。別にいいよ」


 途端に山中君は口を半開きにし、鼻の穴を大きく広げた。

 ヘンな顔。


「馬鹿! 冗談に決まってんだろ」


 またこっちに背を向ける。


「あれ? 描かないの?」


 返事は帰ってこない。

 そうするうちに休み時間が終わってしまった。






 やれやれ、自分からヌードだなんて言っておいて怖じ気づきやがって。

 ……助かったぁ! ヌード? ヌードなんてムリに決まってんでしょうが!

 こっちも女の意地があるし別にいいとか言っちゃったけど、あれで向こうがヘタれなかったらどうなってたの?

 いやいや、そんな他人様に晒せるような身体ではござんせんから。春休みにぐたぐだしすぎて三キロ太ったのまだ元に戻ってないし、お尻には青いあざがまだ残ってるし、おっぱいもそこそこの大きさはあるけど形が左右不揃いだし、足もぶっとくてぷにぷにだし、お通じのアレでお肌の調子もよくないし、後、ムダ毛。とにかく山中君に見せるわけには参らぬ身体ですから!

 ……危なかった。そして、もっと女子として頑張れ、私!






 気付いたら昼休み。

 それ程までにヌードは心に堪えたのだ。

 先生に起立礼をした後、隣の席の山中君が立ったまま私の方を向いた。

 その眼差しを感じた途端、身体中からヘンな汗がぶわっと吹き出てくる。なんだこりゃ?


「あの、さっきの悪かったな」


 改まったような言い方をしてきた。視線は微妙に外している。


「さっきって?」


 分かりきったことを聞く私。ちょっと声が上ずってしまった。


「いや、ヌードだとか。タチが悪すぎたよな?」

「ううん、全然気にしてないよ」


 ホントは授業が手に付かない程のダメージを受けたけど。

 でもなんでそこまでのダメージを?

 単に自分のみっともない身体のことを思い起こしたからだけではないようだ。

 いいや、深くは考えるまい。


「そうか……だったらいいんだけどな」

「ヌードって何?」


 ひょいと介入してきたのはタッコ。

 いつも私とお昼ご飯を食べているのでやってきたのだ。


「山中君が私のヌードを描きたいって言ってきたんだよ、タッコ」

「へぇ! それはとんでもないセクハラだ!」

「む、むぅ……やっぱりそうかな……」


 山中君がヘコんでしまう。ちょっとかわいそう。


「まぁ、強要されたわけじゃないしさ……」

「ダメダメ、ちゃんと償いをさせなきゃ」

「つ、償いってなんだよ?」


 罪人(仮)が不安げに聞いてくる。


「山中君って、いっつもお昼ご飯どこで食べてるの? まさかトイレ?」

「いや、違うぞ。ちょっと……まぁ……場所は秘密」

「その秘密の場所とやらに案内しなさい。それが償い」


 びしっとセクハラ犯を指さすタッコ。

 誰にでも優しいタッコがこうやって他人に指図してくるなんて珍しい。


「つ、償いか……」

「そう、償い。乙女の心を性的に傷付けた償いは、ちゃんとしないとダメなんだからね。アカネンを見てやってよ。この残念な女子が、男子に見せられるような肢体を持ってる訳がないでしょ? 普段は見て見ぬふりをしてるそんな残念な現実を突き付けるような言葉を、キミは吐いたんだ。実に罪だよ、これは」

「残念残念言うな、タッコ」

「わ、分かった……罪は償う。来たけりゃ来いよ、俺がいつも行ってるとこまで連れていってやる」


 意外に真面目らしい山中君が、ついにタッコの要求に屈した。


「よろしい。では行ってきなさい、アカネン」

「あれ? タッコは来ないの?」

「私はここでぼっち飯をしてるよ。では、アカネンの健闘を祈る!」


 右手を額に当てる敬礼をするタッコ。

 こいつ、また丸投げかよ……。






 そして私と山中君とで教室を出る。

 外靴に履き替えるのか……ん? 校舎をぐるりと回る? こっちに来る生徒はほとんどいない。

 そんな人気のないところで一体何をする気!

 ……なんて、脳内ピンク色すぎるよね。どうしちゃったんだろう、私……。

 結局連れていかれたのは旧校舎の裏側だった。


「よう、まぁちゃん」

「今日はちょっと遅いね? 寂しかったよ」


 三年生のまぁちゃん先輩だ。学内でも美人で心優しいと評判の人。

 瞬間、私の胸はずきりとした。


「今日は余計なの連れてきちまった。悪いな」

「ううん、お客さんは大歓迎だよ。真治君と同じクラスの篠塚明音さんだよね? 明音さんって、呼んでいい?」

「あ、はぁ……」


 この人が全校生徒を漏れなく把握してるという噂は本当だったのか。

 さすが、『地上に遊びにきた天使』の二つ名を持つだけはある。

 その天使は似つかわしくない小汚い小屋の前にいた。何だこりゃ?

 近付いてみると、これはどうやら鳥小屋のようだ。中に鳩が何羽もいる。


「鳩飼ってるんですか? こんなとこで」

「そうそう。私、伝書鳩部の最後の一人なんだよ」

「伝書鳩部……そんな部活あったんですか?」


 ここはしょせん県立高校なので、突飛な部活なんてないものと思っていた。

 伝書鳩って、高校生の部活でできるものなの?


「うん、ちょっぴりマイナーな競技だけどね。でも、鳩はとってもかわいいんだ。明音さんももっと見てやってくださいよ」


 怪しい客引きみたいに私の袖をちょんと取って引っ張ってくる。クソッ、かわいいなぁ。

 取りあえずお付き合いで鳩を眺める私。


「山中君は伝書鳩部じゃないの?」

「ちがう」

「鳩を見てると癒やされるんだよね? やっぱり鳩ってかわいいもの」


 多分、もっとかわいいもので癒やされてるはずだ。

 そっか、孤高の山中君も全くの独りではなかったのか……。

 鳩の餌やりが終わってから三人でお弁当を食べることに。

 山中君はまぁちゃん先輩とばかり話をするけど、真ん中に座る天使は私にも話を振ってくれる。

 山中君って、あんな無邪気な笑い声を出すんだ……。






 鳩と天使に癒やされた私と山中君は、授業が始まる前に旧校舎を後にした。


「これで償いはしたからな?」

「うん、まぁ勘弁してやるよ」


 山中君はもういつもどおり、つっけんどんな態度。

 でも、ここでめげてはダメだと思った。


「ねぇ、償いはそれとして、やっぱり私を描いてみない?」

「え? いやヌードは……」

「いやいや、当然着衣ですよ。簡単にシャシャシャーでいいからさ。ちょっとした気分転換になると思うよ?」

「あんた、そんなに描いてほしいのか?」


 そう、描いてほしい。

 なぜだかそう強く思う自分がいた。

 だけどそんなこと、正直に言える気がしない。


「いや、キミの気分転換のためだよ? その為にこの私がひと肌脱ごうっていうの。……いや、実際には脱がないけど」

「人物画ねぇ……。まぁいいか、描いてやるよ、そんなに描いてほしけりゃな」


 随分上からだ。

 こっちの考えを読まれてるような気がしてイラってしてくる。


「よし、決まり。仕方ないから描かせてやるよ」


 うれしくなって、危うくスキップを踏みそうになった。

 こいつに隙を見せるわけにはいかない。






 放課後。みんな家に帰るか部活に行くかして、教室の中には誰もいない。

 私と山中君はお互いに自分の席に座って向かい合う。


「じゃあ、ちゃちゃって描いてやる」

「ヘタに描くなよ?」


 山中君がじっと私を見つめる。その、真剣な目。

 服はちゃんと着ているのに、彼は透き通るような視線で私を剥いでいく。

 分厚いブレザーなんて関係なかった。

 シャツのボタンも何の役にも立たない。

 その内側の下着も――

 さらには私の肌が……頬が……唇が……首筋が……乳房の先端が……思いの他ごつごつとした男の眼差しで撫でられていく。

 そうやって身体の敏感なところを触れられるうち、思わず悦びの声を漏らしそうに――

 落ち着け……落ち着け……破廉恥な私に気付かれてはならない。

 彼には私がどう見えている?

 隠したいコンプレックスも彼の前では隠しきれない気がした。

 恥ずかしい……肌なんて少しも晒していないのに、私は今、丸裸……。


「俺ってさ、美術科のある高校に行きたかったんだ」


 山中君がぽつりと言葉をこぼした。


「そうなんだ? 落ちたの?」

「いや、親が許してくれなかった。反発したけど、しょせん中学生だ。で、ここに来た」

「そしてやさぐれた」


 冗談めかして言ってやる。

 そうやって話をすることで、ようやく緊張が解れてきた。


「まぁ、そうだ。それでもスケッチなんてしてるんだから、未練がましいよな」

「そうかな? やっぱり好きなんだよね。好きって気持ちはなしにはできないよ」

「ふん、あんただったらそう言う気がした。脳天気だ」


 毒づいてくるけど、彼は微笑んでいる。

 そう、私にも微笑んでくれた。


「その話、まぁちゃん先輩も知ってるの?」

「いや、何も言ってない。あの人も何も聞かない。聞かないのに、受け入れてくれる」

「天使だからね」

「そう、天使だから」


 彼女にも言っていないことを私には言ってくれたんだ?

 大きな収穫に、今すぐ飛び跳ねたくなる。


「じゃあ、先輩の絵を描いたりもしないんだ?」

「うん……まぁ……描いてみたいんだけどな。なんでだか、そう思うんだ」

「へぇ、頼んだら描かせてくれそうだけど」

「……別にどうしてもってわけじゃないしな」


 そうだろうか?

 私にも分かった彼の気持ちを、彼自身は分かっていないようだ。

 言うべき?

 言うわけがなかった。


「よし、できた」


 山中君がノートを私に見せてくる。ホントはちゃんとした画用紙とかに描いてほしかったんだけどね。

 そこにはすまし顔をした私が、鉛筆で丁寧に描かれてあった。


「三割増しでかわいく描いてやった」

「それはどうも。あっ! ニキビまで描いてる!」

「三割減らしてあるぞ。感謝しろ」

「むぅ……」


 こんなことならスキンケアを怠りなくしとけばよかった。

 まぁ、いいや。ニキビも含めて私だ。

 山中君はしっかりと私を見て、私を描いてくれた。

 裸まで想像しながら描いたのかは、聞いてみる勇気がない。

 ともあれ……。


「ねぇ、これ頂戴よ」

「ん? 落書きみたいなもんなんだけどな」

「でも頂戴」

「分かった分かった」


 山中君はナイフでそのページを切り落とし、私に手渡してくれた。

 それをにまにましながら受け取る。


「大事にするよ」

「大げさだ」


 頭をかいて照れくさそう。これは初めて見る表情だ。

 絵を描いてもらっているうちに、私は自分の胸を焦がす想いを自覚した。

 何故、彼に話しかけたのか? その時はよく分かっていなかったけど、今ではちゃんと分かっている。

 芽生えたばかりの想いなので、今は大事に大事に取っておこう。

 ゆっくりと育てていくのも楽しそうだ。


「私、負けないから」

「ん? 何の話だ?」

「今は内緒」


 たとえ天使が相手でも負けてたまるか。

 篠塚明音のしつこさを、これからたっぷり思い知らせてやる!




(「孤高な彼は、絵を描いている」 おしまい)

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