四話 出立前夜、幼馴染みが
夜、ベッドに横たわってぼんやりしていると、いきなり部屋の扉が開け放たれた。
「来たよ、
「なんだよ、
頭を起こして見てみると立っていたのは紗。何故か得意満面といったふうなニコニコ顔だ。
「なんだよとはご挨拶だ。ああ、この部屋も久し振りだなぁ」
断りなく部屋に入ってきた紗がキョロキョロと中を見回す。
「こんな時間に男の部屋に入ってくるとか、なんてはしたない女なんだよ、お前は」
「男? 女? そういう仲ではあるまいに」
部屋の真ん中にぺたりと座り込むと、傍らにあったボストンバッグをポンポンと叩いた。
「もう準備万端だ」
「まぁな。明日は早いし」
「あ、私も行くよ、お見送り。新幹線の駅まで」
「なんでお前まで。別にいいよ」
「ええ~!」
紗がこっちがいるベッドまでにじり寄ってくる。いかにも悲しいといった顔。こいつはコロコロと表情が変わる。
「いや、東京の大学に行くってだけで、ただのご近所さんが見送りに来るとかおかしいだろ?」
「ええ? 私はただのご近所さんじゃないでしょ? 研輔の大切な幼馴染みじゃん」
こっちの肩を掴んで揺すってきた。
紗に触れられるがなんだか照れくさくて、俺は手を払い除けて起き上がる。
「幼馴染みって、十八にもなって恥ずかしくないのかよ。お前はただのご近所さん、同級生、それだけ」
「うう……。そりゃあ、最近はお話することもあんまないけどさぁ。それでも私にとっては大切な幼馴染みなんだから。チョコだって毎年あげてるでしょ?」
「いらないって言ってるのに毎回な。お返しするのが面倒なんだよ」
「ふふん、でも毎回私だけ特別なんだよね? 他のどうでもいい女子はみんな同じものなのに」
ベッドに顔を載せてうれしそうに口元を緩めた。
「お前がうるさいからだろ? 今年なんか遊園地に連れていけとか。ただのチョコのお返しに」
「でも、楽しかったでしょ? はしゃいでたじゃん」
「ガキなお前に合わせてやっただけだよ」
本当は楽しかった。
こいつとこうやって遊ぶのも最後かもしれないと思うと、柄にもなくセンチな気分になったものだ。
そんなこと、紗に言えば調子に乗るから言わないけど。
「ぶぅ、自分だってお子様なくせに。夕日がきれいな観覧車に二人きりなのに、キスする度胸もありゃしない」
「お前とキスしてどうするんだよ」
幼馴染みの頭に軽くチョップを落としてやる。
「いて。別に今さら恥ずかしがらなくても。ファーストキスを捧げ合った仲じゃない」
「幼稚園の頃な。お前に奪われたんだ」
この部屋で一緒に遊んでいたら、キスを持ちかけてきたのだ。
ガキのくせに雰囲気を出してきやがって、それに呑まれた俺はこいつのキスを受け入れた。
それからしばらくは紗といるとドキドキして仕方がなかったが、向こうはケロリといつもどおり。
女って怖ぇ、小さいながらにそう思ったものだった。
「その頃から研輔はヘタレだったからね」
「うるせぇよ。マセガキ」
「ねぇ、久し振りにキスしようか? お別れのキス」
などと身を乗り出してきやがった。
だけど本人はその分厚い唇が気に入らないらしい。俺がからかうといつも本気で怒る。
口を尖らせるとかえって唇が強調されるとは未だに気付いてないようだ。
その色っぽい唇に一瞬目が奪われてしまう。いかんいかん。
「なんでそんなにキスしたがるんだよ、欲求不満か?」
「む、欲求不満は酷いな。せっかくオモイデを作ってあげようっていうのに」
横に倒れてベッドの上に上体を転がす。そして下からこっちを見上げてくる。
俺に言わせると、紗のチャームポイントは分厚い唇よりそのくりくりとした瞳にあった。
うれしいと細め、驚くと大きく開き、悲しいと潤む。ころころと移り変わる感情を隠さず表わす。
そして、俺にだけ無防備な視線を投げて寄こした。今も。
「思い出ねぇ。今さら必要ないだろ、俺たちの場合」
「まぁそうか。キスはさすがに
あぐらをかく俺の太ももを人差し指で撫でながら言う。
「おおらかなあいつの場合、簡単に許しそうで逆に怖い」
「遠距離恋愛だねぇ。大丈夫そう?」
相変わらず紗は俺の足を撫で続けた。少しだけ力が強くなった気がする。
「なんとかなるだろ。あのさぁ」
「ん?」
「やっぱりお前、反対だった?」
「どっち?」
「両方」
「両方か~」
紗は身体を起こすと、ベッドの外にあったお尻を俺の隣に落とした。そして壁に背をもたせかける。
「両方とも、私がとやかく言うことじゃないと思うんだ。ずっとそう言ってるよね?」
「そうだけどな。いつもはやたら口出ししてくるくせに、肝心な時には何も言ってこないんだよ、お前」
俺も壁にもたれかかった。紗の肩が腕に当たる。
「なんて言って欲しかった?」
幼馴染みが俺の肩に頭を預けてきた。髪の香りが漂ってきて、風呂上がりだと初めて気付く。
「……さぁな」
「私が何か言ったら、研輔は考えを変えた?」
「どっちの話?」
「愛美ちゃん」
「愛美……か……」
思いがけず紗が話を絞ってくる。
愛美に告白されたことを、俺は話のついでみたいに紗に報告した。おととし、高校二年の文化祭の後だ。
俺は紗に何かを言って欲しかった。
どんなことを? 今となっては自分が何を望んだのか分からない。
「私は何も言わなかったけど、ホントは言いたいことがあったんだ」
「なんて?」
「当ててみて?」
「……イヤだ、……とか?」
紗の方に顔を向けると、思いの他近くに紗の瞳があった。
じっとこっちを見つめている。
「それじゃあ、まるで私が研輔のことを好きみたいじゃない」
「でも……そうなんだろ? 紗って、俺のこと……」
紗の気持ち。今までずっと、考えないようにしてきたこと。
考えるのが怖かったので、愛美と付き合い始めてからは紗を避けるようになってしまった。
だけど、これからもっと離れてしまう前に、彼女の気持ちをはっきりと聞いておくべきでは? そういう気がした。
「もし、そうだとしたら、研輔は何かしてくれる?」
「……いいや、何もしてやれない。愛美を裏切れないし」
「だーいじょうぶ、大丈夫。黙ってたら大丈夫」
ぐいぐいと身体を押し付けてくる。
「お前にいい加減なことはしたくない。下手なその場しのぎで、お前を傷付けたくないんだよ、俺は」
「それでよし!」
紗がいきなり頭突きを繰り出す。
額に直撃を受けて目がくらんでいると、紗の奴はさっさとベッドから飛び降りた。
「た、紗?」
「なーんてね、全部『もし』の話なんだから」
「『もし』?」
ベッドの脇に立つ紗がこっちをじっと見つめる。
「私が言いたかったのは、『別にいいけど、私とも遊んでよ?』なのだ。子供っぽいからって言い出せずにいたら、案の定、研輔は私と遊んでくれなくなった。私、ムカムカ」
「え? 遊んで? 俺が他の女と付き合うのがイヤだったんだろ?」
そう言った途端、紗はいかにもうんざりといった顔で肩を落とす。
「だからそれが壮大な勘違いなんだってば。その誤解を解いておきたかった。私が研輔のこと好きだとか、そんなのあり得ないんだから」
「そう……なのか?」
相手の本心を知りたくてその瞳を覗き込んだら、いつもどおりの無垢な視線を返された。
「そうだよ。だって、私たちは小さな頃からの付き合いなんだよ? ホントに好きなんだったらとっくの昔に告白してるよ」
「チャンスはあってもお前、不器用だしなぁ……」
「よく考えてよ、普段あけすけなのにホントに伝えたいことは言い出せない。なーんて繊細なキャラに見える、この私が?」
「でもお前、意外に乙女なところがあるしなぁ……」
「いやいや、気持ちは届かなくても大事に想ってくれてるのならそれでいい。なーんて納得しちゃうキャラに見える、この私が?」
「でもお前、いい奴だしなぁ……」
「と・に・か・く! 私、
力強い瞳でしっかりと俺を見つめる。
相変わらず彼女の本心は掴めない。
しかしその言葉を信じることこそ、彼女の望みなのだと伝わってきた。
「分かった。分かったよ、紗」
「何が分かった?」
「紗は俺のことを、男として好きなわけじゃない」
「分かればよろしい!」
紗が元気良く片手を突き出してくる。
「東京で頑張れ、愛美ちゃんを泣かせるな」
俺もベッドから下り、彼女と向かい合った。
そして、その手を握る。柔らかい、女の手。
「ありがとう、紗。頑張るよ」
そう言うと、幼馴染みはうれしそうに目を細める。
「私、短大行ったらいっぱい合コンしてかっこいい彼氏捕まえるよ」
「うん、そうしろ」
「じゃあまた明日。お見送りはちゃんとするからね」
軽やかに手を振りながら紗は部屋を出ていった。
風呂上がりの香り以外、未練は何も残さずに。
(「出立前夜、幼馴染みが」 おしまい)
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