二話 お姫様は振り向かせる

 目の前に、ガチガチに緊張した男子。五年三組のつかさ君だそうだ。


「立花さん、好きです! 付き合って下さい!」


 深々と頭を下げる。

 私は自慢にしている黄みがかった褐色の髪を弄り続けた。沢の流れのようなウェーブは、腕のいい美容師の手によるもの。

 私が何も言わないのは、迷ってるからでも戸惑ってるからでもない。こうやって焦らすのが、私の価値を高めるテクニックなのだ。


「どう……ですか……?」


 おそるおそるといったふうに顔を上げる司君。二枚目とは言い難いけど、愛嬌のある顔つき。多分、クラスでは人気者だろう。


「そうね」


 私はシャンパングラスを指で弾いたような澄んだ声を出す。

 司君が、唾を呑む――




 給食の時間。私の班は四つの机を向かい合わせに並べ、その左右に向きを変えた二つの机をくっつけていた。私は当然みんなを見渡せる横向きの席だ。

左側の席のマミコが身を乗り出してくる。


「で、断っちゃったの? いつものように」

「そう、断ったわ、いつものように」


 私はお箸で摘まんだ卵焼きを優雅な動作で口に入れた。おいしいというわけじゃないけど、まずいというわけでもない。


「もったいねぇ~!」


 右側の席のサナが言う。彼女は男に飢えているのか、常に彼氏募集中。だったら身だしなみにもっと気を付けろ。

 私は誰にも気づかれないように正面をちらりと見た。同じグループの内藤君は、女子の話にはまるで興味がない様子。


「それにしても同じ学年でまだ立花香楠たちばなかなんに挑む奴がいるとは。それだけで見どころあるんじゃない?」

「見どころがある? 身の程を知らないだけよ。その子、ズボンの裾がほつれたままだったのよ?」

「厳しいなぁ~」


 マミコとサナがため息をつく。私は背筋を伸ばして二人の非難がましい視線を受け止めた。そんな圧迫はむしろ私を喜ばせる。


「おい、内藤。算数の宿題やったか?」

「え? 何それ?」

「やっぱりだ。だがしかし、俺は見せてあげない」

「おい~、見せてくれよ。お前だけが頼りなんだ、菊池!」


 向こう側に座る男子二人が騒ぎ始めた。前から知ってるが、内藤君はどこか抜けてる。小学生のくせに授業中に寝たりもした。


「やなこった。先生に怒られちまえ」

「今度なんかあったら、前に出て一曲踊らないといけなんだぞ。頼む! 助けてくれ!」


 一曲踊るなんてよく分からない罰だ。それくらいしないと懲りない内藤君が一方的に悪いんだけど。

 しかし内藤君の懇願を、菊池君は聞き入れようとはしない。彼らの友情には難があるようだ。

 やれやれ仕方がない。


「うるさいわね、あなたたち。宿題くらい私が見せてあげるわ。だからガキっぽく騒ぐのはやめてしまって」


 私は男子二人に冷たく言い放つ。本当はもっと優しく声をかけたかったけど、それができないのが私という女。


「いいよ、別に。姫に見せてもらうくらいなら、一曲踊った方がましだ」

「何その言い方。私がせっかく慈悲を見せてるのに」


 さらにキツい言い方をしてしまった。


「そうそう、カナンがこんな親切言うなんて滅多にないよ?」

「後が怖いけどね」


 サナ、うるさい。


「そのとおり。姫に借りを作ったら、ロクでもないことになりそうだ」

「内藤、せっかく姫が言ってくれてるのによ~」


 菊池君もとりなすが、内藤君は首を横に振る。


「イヤなもんはイヤだ。決めた! 一曲踊ってやる! 華麗なダンスを披露してやるぜ! どんなのがいいと思う? 菊池」

「お前、面倒くさがりのくせに、時々スイッチ入るよな。踊りって言われてもなぁ」

「内藤殿、僕が教えて進ぜよう!」

「お! 宝田にいいアイデアが?」

「うむ! 昼休みは特訓ですぞ!」


 内藤君の左側に座る男子は私にとって最も近付きたくないタイプだ。イヤな予感しかしない。

 しかし内藤君はすっかり乗り気で、私の存在なんて忘れて男同士の話に夢中となる。

 実に面白くない……。




 そして内藤君は自ら望んで一曲ダンスを披露した。

 とんでもなくオーバーアクションでキレッキレなパフォーマンス。

 知ってる、あれオタ芸って言うんでしょ? 従兄弟のお兄ちゃんが前にやってた。




 放課後になって。友達と一緒に学校を出た私は、忘れ物を言い訳にして一人で教室に戻った。

 思った通り、教室では内藤君が一人残って机にかじり付いている。先生の厳命によって、忘れた宿題ができるまで家に帰れないのだ。

 今日の私は白地にローズ柄のワンピースの上にピンクのカーデガン。見回してホコリのチェック。髪を軽く梳いて。よし。教室に足を踏み入れる。


「まだやってたの、内藤君」


 返事がない。ぶつぶつ言いながら教科書を睨み付けている。


「教えてあげようか?」


 内藤君の机の脇まで行って、私は手助けを持ちかけた。両手を腰に当てたポーズで。

 ようやく向こうは顔を上げてこちらを見る。随分と厳しい目付きだ。


「余計なお世話だ」

「む、またそんな言い方。せっかく親切で言ってあげてるのに」


 この私が話しかけてあげると大抵の男子はデレデレになるのに、彼はそうならずに邪険な態度。

 まず、そこが気に入らない。


「姫の親切なんて、絶対裏があるに決まってら」

「酷いっ!」


 思わず声を荒げてしまう。私は優雅なお姫様なのに。


「だってそうじゃん。姫は男子なんて虫けらくらいにしか考えてないだろ? 親切とかありえないって」

「わ、私、内藤君のこと、虫けらなんて思ってないわよ」


 思いも寄らない言いがかりを付けられて、私は声を上ずらせてしまう。


「嘘付けよ。告白されても当たり前みたいに断って、その後で友達と笑いものにするんじゃん。ホント、酷いぜ」

「……聞いてたの?」

「同じ班で給食食べてるんだから聞こえるに決まってるだろ?」


 全然聞いてる様子はなかったのに。


「別に笑いものにしてた訳じゃないわ。ちょっとみんなに報告してただけよ」

「嘘つけよ。男子の純情を踏みにじってさ」

「ごめんなさい……」


 うなだれてしまう。私はとんでもない失敗をしてしまった。


「別に俺に謝っても仕方ないだろ? 俺、関係ないし」

「そんなことないわ。……私が給食の時にあの話を持ち出したのは……あなたに聞かせたかったからなの……。内藤君に……やきもきして欲しかったの」


 今ここでちゃんと分かってもらわないと。このままじゃ悪く思われたままだ。


「やきもき?」


 内藤君が首を傾げる。全く心当たりがないようだ。


「そう、私がすごくモテる女子だって知ったら、内藤君はやきもきするでしょ? 誰か他の男子に取られてしまうって、焦るでしょ?」

「え? 何で?」


 きょとんとした顔をされて、私の方こそ焦ってきた。身振り手振りを交えて説明する。


「何でって、気にならない? 立花さん、また告白されたんだ。やっぱりモテモテの魅力的な女子なんだな。言われてみれば確かに立花さんは魅力的だ。そう思い始めたらすごく気になってきたぞ。今日もまた、立花さんは誰かに告白されてしまった。このままじゃ、立花さんは誰かに取られてしまう。どうしよう? みたいな!」


 私の計算によれば、内藤君はとっくの昔に私が気になって気になって仕方がなくなっているはず。なのにそんな様子はちっとも見られない。どうして?


「何言ってんの、お前?」


 冷たーい視線で言われてしまう。


「何って……私の計算……」

「そうやって男子を弄ぶのが、お姫様の趣味なんだ? とんでもない女子だよな、立花って」

「違うわ! そんなんじゃない! そんなんじゃないのよ!」

「何が違うんだよ?」


 回りくどい計算をしたせいで彼から嫌われてしまうだなんて。

 もうこのまま私たちは終わりなの?

 そんなのイヤ! 絶対に耐えられない! 今ここで伝えないと!

 私は胸の前で両手をギュッと握りしめ勇気を振り絞る。


「好きなの! 私、内藤君が好きなの! だから……だから、気を引きたくてあんな話を聞こえるように言ったのよ! 嫌わないで、お願いっ!」


 ついに自分の想いを内藤君に伝えた。恥ずかしくって今まで言えなかった想いを。


「ええ~? 立花が~?」

「え、何そのリアクション?」


 てっきり頬を赤らめてドギマギするのかと思いきや、内藤君は思いっ切り顔をしかめてしまった。


「だってさ~、立花って、性格最悪じゃん? 好きとか言われてもなぁ~」

「何その態度!」


 私は内藤君の肩をわしづかみにする。今、とんでもないことを言われた!


「いてて、だってホントにそう思うし。うわ~、サイアク」

「酷いっ! 酷い……酷い……酷いよぉ……酷すぎるよぉ……うぇぇぇん!」


 内藤君の肩を掴んだまま、私は大泣きをしてしまう。どうしようもなく悲しい。

 こんな酷いことを好きな人から言われてしまうだなんて。

 悲しい。ひたすら悲しい。


「お、おい、泣くなって。いてて、力入れるな!」

「うぇぇぇんっ! バカ! 内藤君のバカァ~!」


 私は片手で涙を拭いながら、もう一方で内藤君の肩を強く強く握りしめる。私の想いよ届けとばかりに。


「分かった、悪かった、サイアクは悪かったって、な? だから離して?」

「じゃあね、じゃあね、内藤君は私が好き? 私のこと好き?」

「ええ? いや~、それはどうかな~」

「うぇぇぇんっ! バカ正直だ~! でも、そこが好きなの~!」


 こんな酷い目に遭わされながら、私はまだ内藤君が好きだった。どうしようもなく好き。なんでこの想いが伝わらないんだろう。ひたすら悲しい。


「わ、分かった。同じ班? 同じ班の女子として好き?」

「訳分かんな~い!」

「だよな。でもなぁ、俺は自分に嘘がつけないんだよね。好きでもない女子を好きって言えないって、やっぱり。ましてや立花? 俺、茶髪嫌いだしなぁ。やっぱり黒い髪の真面目な女子が……」


 相手の耳障りなぶつくさを聞いているうちに、私の中で何かがブチっと切れた。


「分かったわよ! いいわよいいわよ! そんな無理に言ってもらわなくてもいいわよ!」


 内藤君の肩から手を離し、自分の目を両手でぐりぐりとこする。


「お、分かってくれた?」


 そのほっとした顔がひたすら苛立たしい。


「見てなさい! いつかそっちから告白させてやるんだから! 土下座しながら、好きです、付き合って下さい、って言わせてやるんだからっ! 見てなさい! 私の魅力でメロメロにしてやるんだからっ!」

「え? いや……え? 俺から?」

「そうよ! 絶対、ぜーったいにっ! 好きって言わせてやるんだからっ!」


 私は机にぶつかりぶつかりしながら教室の外へと飛び出した。

 私の想いを、プライドをずたずたにしたあの男を許す訳にはいかない。

 まずは……そう、地毛を染めて黒髪にしなくては。

 彼が、黒い髪が好きって言ってたから。




(「お姫様は振り返らせる」 おしまい)

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