第3話 過去

 穏やかな音楽が流れる喫茶店で、ヒロミはソウタと向かい合っていた。お店はパンを焼く香ばしいにおいで包まれている。


「忙しいところ、ごめんね」

 ソウタには、霞ヶ関の官僚とは思えないような、柔らかさがあった。

「ううん、大丈夫。ソウタのほうがお昼休みに抜け出してくるのが大変だったんじゃない?」

 ヒロミはソウタに微笑んだ。ソウタは珈琲を一口飲むと、決心したような表情になった。

「田中先生の死も不審だったけど、ミキの自殺にもずっと疑問を感じてきたんだ。僕はミキのことがずっと好きで、修学旅行の前日に告白していたんだ。ミキからはオッケーの返事をもらってこれから、だったんだよ。そんなときに自殺するかな?」

「えっ?ソウタはミキのことが好きで、そんなことがあったのね」

 ヒロミは驚きを隠せなかった。

「修学旅行から帰ったあと、一回だけ田中先生とジュンイチが言い争いをしているのを聞いてしまってさ。ミキがどうこう言っていた。それを親友だったレイカに話したら、レイカはミキの自殺の真相を調べ始めたんだ」

 ヒロミは目を白黒させていた。

「今は、女優としての体力を養うためとか言って、ジュンイチのテニススクールに通っているらしい。あいつは無鉄砲だから、心配で」

 ヒロミはやっとソウタの言葉の意味が理解できた。

「ソウタ、教えてくれてありがとう。私たちがレイカを守って、ミキの自殺の真相を調べてみるわ」

「助かるよ。なかなか仕事が忙しくて、抜け出せないからさ」

 ヒロミは、その日にノリコとミソノに連絡をした。



***


 土曜日の午後にラケットを持ったヒロミはテニスコートに立っていた。ヒロミは運動だけはできるため、ラリーは続く。


 一方運動音痴なノリコは、サーブをしようとしてもラケットに球が当たらず、悪戦苦闘している。


「あ、あそこにいる男の人、超カッコイイ!」

 ミソノはテニスというより、通っている男性に興味がいっていた。


「皆、来てくれたのね」

 レイカは嬉しそうな笑みを浮かべていた。


 高く球をあげて、ラケットでサーブする姿に黄色い歓声があがっている。ジュンイチ目当てに通っている女性たちも多いようだ。ジュンイチは財産家に育ち、抜群の運動神経に、精悍な顔立ちとなにもかもが恵まれていた。


「テニススクールに入会してくれたんだね。ありがとう」

 爽やかな笑顔を浮かべて、ヒロミたちのところへやってきた。

「レイカに評判を聞いて入ってみたんだよ」

 咄嗟にヒロミはそういうことにした。

「それにしても、モテてますね、ジュンイチ先生。誰か男性コーチを紹介して」

 あからさまなミソノのお願いにジュンイチも戸惑っている。

「球がラケットに当たらなくてどうしよう」

 ノリコはまだそのことに悩んで眼鏡のふちを上げた。

「皆さん、ゆっくりでいいんですよ。徐々に上達していきましょう」

 ジュンイチが微笑んだ。


レイカの腕前は前から通っているだけあって上手だった。


「実は、アキトもテニススクールに通っているんだ。ホストもテニスができたほうがいいかなって。アキトの売り上げが悪いから、僕もお金を貸してあげたり、レイカも時々アキトのお店に行ってアキトを指名したりしているんだよな」

 初めて聞く話でヒロミはびっくりしていた。

「帰りに行ってみましょうか」

 レイカが髪をかきあげた。


***


 艶やかな深紅のワンピースに着替えたレイカに、いそいそと3人はついていった。


「レイカさま、いらっしゃいませ」

 次々と挨拶するホストたち。いつも一番高いお酒を注文するレイカは、上客扱いされている。


レイカの指名で、アキトがやってきた。

「ちょっと、あっちのホストがいいのに、なんでアキトなのよ」

 ミソノが悪態をついている。

「いつも悪いな、レイカ」

「アキトも早くジュンイチに借金返さないとね。ジュンイチの言いなりでしょ」

 レイカの言葉にアキトが頭を掻いている。


「実はさ、あの同窓会もジュンイチに頼まれて開催したんだけど」

「ジュンイチに頼まれて?」

 皆、驚いている中、なぜか、レイカだけは冷静だった。

「そうだと思ったわ。田中先生は殺されるし、妙な同窓会になっちゃったけど」

 レイカが微妙な微笑みを浮かべた。

「でもどうして、ジュンイチは同窓会をしたいと言い出し、発起人をアキトに頼んだのかな」

 ノリコの眼鏡の奥の目は不思議そうになにかを考えていた。

「客の勧誘みたいだったよ。僕はお店に来てくれる人の勧誘で、ジュンイチはテニススクールの生徒の勧誘。誰か友達にいないかと思ってさ。そうする前に田中先生の事件があって、何もできなかったけどね」

「全く、同窓会を勧誘の場に使うなんてどうしようもないわね」

 ヒロミは呆れた声をあげていた。


***


 そんなことがあって、ある日、テレビのニュースを見ていたヒロミは更に驚くことになった。


 田中先生の事件で逮捕された石黒が証拠不十分で、釈放されたのである。


 じゃあ、誰が田中先生を殺したのか。


 ヒロミは思考がループしていた。それは、レイカもノリコもミソノも同じ気持ちだったようだ。


***


 レイカが初めて舞台で主役を務めることになった。ヒロミは、ノリコとミソノを誘って、花束を持ち、初日の公演に出掛けることにした。


 幕が開き、「椿姫」の上演が始まった。美しくも悲しい物語を、「椿姫序曲」の音楽をバックに、レイカが見事な演技力で演じきっていた。終わったら、スタンディングオベーションもあった。


 ヒロミたちは、レイカの楽屋に訪れて、花束を渡すとレイカは大きな荷物を下ろしたような安堵感に包まれていた。


「レイカちゃん、おめでとう」

 年配の女性が楽屋を訪れていた。

「おばさま、来てくださったんですね。ありがとうございます」

「ミキも喜んでいると思うわ。いつもお盆やお彼岸などには、ミキにお線香をあげて会いにきてくれて、ありがとう」

 その言葉から、その女性はミキの母親であることが、ヒロミたちにもわかった。

「おばさま、いつも実の娘のようにかわいがっていただき、ありがとうございます」

「ミキが亡くなってからね、いつもきてくれるレイカちゃんが娘みたいに思えてきちゃって」

 ミキの母親は涙ぐんでいた。

「まだ、信じられないのよね。ミキがいなくなったこと。修学旅行も元気に出掛けていったし、将来はモデルになりたいって頑張っていたわ。それなのに、自殺だなんて。信じられなくて同級生のかたに聞いてまわったりもしたけれど。あの日橋の上で男性らしき人と言い争いをしていたという詳言もいくつか聞いたわ。でも今となってはもうわからないわ」

 ミキの母親は泣いていた。


「レイカさん、おめでとう」

 そこへ花束を持ったひかり探偵が現れたので、ヒロミたちはびっくりした。

「実はね、前々からレイカさんのファンだったから、こうして、公演などにはいつも来ていたのよ。レイカさんのサインも、貰っちゃった」

 きりっとした、ひかり探偵は、仕事を離れるとかなりな乙女だった。


「ひかりさん、それで捜査状況はどうですか?」

 ひかり探偵の顔がしゃきっとした表情になった。

「どうもね、田中さんの死亡推定時刻がずれてきそうなの」

 ひかりの言葉に皆、驚いていた。























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