弐ノ壱 カクワール

 くるりくるりと繰り返し、輪廻の鎖は崩されず。



――真夜中の繁華街。ネオンライトの明かりが、建ち並ぶものたちをてかてかと照らす。だがその中に、ひと際寂れた形貌のパブリックハウスが一軒、煌びやかな店々に挟まれるように建っている。舞台はここから始まるのだ。


「深夜一時、『カクワール』で落ち合おう」

 同郷の友人であるゴーブから言伝だ。彼が告げたカクワールと呼ばれる建物は、古びたパブリックハウスの名称だったはずだ。ゴーブは豪気な性格ではあるが、お酒は苦手なのだ。ゆえに、そのような酒場を選んでくるのは、私にとって予想外の出来事だった。

 深夜一時。私は店の内外を隔てるように置かれた、くたびれた木製の扉を静かに押し開ける。しかし店主や店員は気が付いていないのか、一切の反応を示さない。なんと愛想の悪い店主だろうか。

 私は一度店内の様子を確認し、ゴーブの姿を探す。すると少し離れた所から、私を呼ぶ声があった。「こっちだ、キル!」どうやら、私が彼を見つけるより先に、きょろきょろと辺りを見渡す私の姿を彼が見つけたのだろう。ゴーブは店の隅っこを陣取っており、既に私の分の食糧も用意されてあった。

「キルのくせに、珍しく遅かったな」

 ゴーブの傍へと駆け寄った私に、彼は置かれた食材を頬張りつつ、待たされたのを不服だといった表情で指摘した。しかしながら、私が彼を待たせるより、彼が私を待たせるほうが頻度が高い。その度に「細かいことを気にしたら抜けてしまう。俺とお前の仲だろう?」と、彼は自身の過ちを茶化してしまうのだ。

「すまなかった。だがゴーブ。そうやって私の遅刻を指摘するが、普段は私をことを、十分、二十分と待たせているだろう?」

「ま、お互い様ってとこか。はっはっはっ」

 そうやって、「笑って済ますことができるのは私たちの間柄だけだぞ」と、私は心の中で思いつつ、やや引きつった笑顔を浮かべて、その場に置かれていた食材を口へと放り込んだ。


「しっかし、コガの奴はどこほっつき歩いてるんだろうな?」

 ふと食事を止め、急に思いだしたかのようにゴーブが話題を投げ込むように話しかけてきた。ゴーブが『コガ』と呼んでいる存在は、私たちの友人の一人だ。彼は小賢しく、てらてらと光を反射する服を好んで着ている。決して彼を悪く言っている訳ではないのだが、良くも悪くもとても頭が切れるのだ。

「さあ。コガだって何かしら考えがあって動いてるのだろう」

「でもよ。あいつ『そいじゃ、ちょっくら山でも行ってくるわ』つって、そのままどっか行っちまったんだよ?」

 大層驚いた。ついつい成り行きではっちゃけたりはするものの、なんだかんだ常識の範囲内の行動で済ませる彼が、そのような突拍子もない行動を起こすなんて、にわかにも信じられず、無意識に食事の手が止まってしまう。

「嘘だろ? どうしていきなり、コガは山に行くなんか言いだしたんだ?」

「俺だって知らねえよ。ただ、あいつが言うには『いち早く山に向かわねえと』とか言ってたな。なんか妙に焦ってたけど」

 水を啜りながら、ゴーブは真剣な面持ちで話す。ゴーブがここまでで話した単語を脳内に並べた私の中に、ある一つの考えが思い浮かび、私はこう尋ねることとした。

「焦っていたということは、近親者に病に倒れたとか、そういうことじゃないか?」

 なるほど、とはっとした表情になるゴーブ。そして即座に何かを閃いたのか、彼は早口ながらに内容を口にした。

「キルはあいつの家族関係とか知らないよな?」

「知る訳がない。第一、よその家庭情勢なんて料理にかける調味料にすらなりはしないだろう?」

 まるで薄情な人物であると思われてしまいそうだが、別段そういった意味でゴーブに伝えたわけではない。ただ単純に、コガ宅の内部事情に興味が無かったというだけだ。

「そう冷たいこと言うなよ。ま、こんなこと聞いてる俺だって、せいぜい知ってるのはキルやコガの親の顔くらいだけどな」

 ハハハと、ゴーブは私の目を見つめて笑い飛ばす。しかし笑い声とは裏腹に、表情は何とも言い表すことのできない神妙な面持ちで、如何にコガを心配しているかが見て取れる。なんだかんだ言って、ゴーブは仲間思いな奴だ。それだけに、今回の出来事が原因でナイーブになってしまっているのだろう。しかし、これほどまでの心配症を起こしてしまうと、せっかくの料理が台無しで、何よりゴーブにとって良くないことだろう――。

「なに。そこまで真剣に、ゴーブが思い詰めることはないだろう? コガに何かを差し向けたのであれば別だが」

 店内の蒸し暑さで、段々とぬるくなりつつある水を啜りながら、私は軽口を叩くかのようにゴーブへ話す。『親しき仲にも礼儀あり』という言葉があるが、悪友とも呼べる私たちの間柄であれば礼儀なんてものは必要なく、それこそどのような内容であれ腹を割って話すべきであろう。

「キルはもっとコガの心配をしろよ」

 ムッとした表情で私を睨むが、それは一瞬のことで「だが、俺も考えすぎか。悪いな、飯がマズくなるような話をして」と一言詫びを入れ、残り少ない食材を抓んだ。だが、私があまりにコガのことを蔑ろにしているという点が、ゴーブにとって不快感を覚えた主原因なのだろう。これについては、礼儀などという形式以前に、私が咎められて当然といった具合に非がある行為であったのかもしれない。口は禍の門、舌は禍の根とは言うが、まさに自らの言葉選びが原因で生みだした問題だ。

「ゴーブは謝らなくていい。ゴーブが友人思いで心配性なのは昔からだからな。それに私だって、コガのことは心配に思う」

「いやいや、お前の態度はどう見ても『そのうち帰ってくるから心配するな』って態度だぞ?」

「事実、コガは猪突猛進な奴じゃない。それに子どもでもないんだから、気に病む必要はないだろう」

「まあ、否定はできねえけど。天敵だっていっぱいいるんだぜ?」

 天敵って。たしかにゴーブが言うように、外には危険が溢れているが、だがしかし、一歩踏みだすだけで肉の残骸となってしまうような地獄ではない。

「否定はしないが……」

「だからこそ、これだけ心配しようと、俺の気が易々と晴れたりはしねえ」

 ゴーブが言いたいことは十分に分かる。だが、この調子じゃどれだけ話をしようと、埒が明くことはない。

 私は話題を変えるため、ゴーブへ告げる。

「コガは聡明な奴だ。ゴーブが考えているほどあっさり死んでしまうなんてことはない。なら、こうしよう。私たちもコガを捜しに、山へと向かってみるというのはどうだ? そうすれば、もしかするとコガと鉢合わせになるやもしれない」

「なるほどな。だがよ、コガがどの山へ向かったか知ってるのか?」

「問題はそれなんだ」

 ゴーブが考えているように、コガがどの山へ向かったかが分からない。もしゴーブがコガと会って数日と経っていないのであれば、せいぜい公共機関を用いて数時間という、ここからはさほど離れていない場所にある大きな活火山が有力だ。しかし、これが一週間、二週間前としよう。その場合、我々のみの力ではどうやっても見つけだすことはできない。それだけ、このような田舎な土地であれど、現代の交通網は発達しているということだ。

「問題って?」

「なあゴーブ。ゴーブがコガと最後に会ったのは、何日前だ?」

「たしか、四日前だったか? それとも五日前だったか? まあそのくらいだ」

 コガが山へ旅立ってから、長くとも一週間は経過していない。一週間で行ける範囲であれば、それなら捜しだせる可能性はあるだろうか。

――いや、無いだろう。

「それだけ前に向かったのであれば、私たちでどうこうして見つけだせるとは思えないな」

「だよな。諦めて、祈るしかねえな……」

「念の為、ここから一番近いであろう山に向かうことも可能だが、ゴーブはどうしたい?」

「残念だが、辞退させてもらう」

 ここまで論じていたのに、断るという選択肢を選ぶとは予想外の展開だ。

「どうしてだい?」

「コガを捜しに行って、『自分が死にました。でもコガは帰ってきました』ってするだろ? きっとコガは負い目を感じちまう」

「一理ある」

「だから、俺らはここで無事を祈るんだよ。この話はやめだやめ。さあさあ、宴会の続きだ。存分に飲んでくれ! 俺は飲めないけどな!」

 何かを吹っ切ったゴーブは、私に執拗なほどにお酒を勧めてきた。ゴーブが苦手なのは知っているが、だからといって私がお酒やアルコールに強いというわけでもない。そもそも私たちがおこなっているのは宴会ではなく、ママ友が喫茶店でお茶をするのと同じそれであって、決して宴会を開くためにカクワールへ集まったわけではない。

 しかし目の前のお酒に私の心は擽られ、ときめきを覚えてしまう。目の前にあるただの液体ごときに勝てないのか。とてもいい匂いが漂うが、それでも、このまま飲んでしまっては――。

「さあ、飲め飲め!」


――光が眩しい。眩しいどころか、体が熱い。

 体を起こし、辺りを見渡す。

「ここはどこだ」

 今、私がいる場所は見覚えのないところだ。

 私は昨日、何をした。ゴーブに呼びだされ、食事とカクワールでコガの話をし、そしてアルコールを含んだ――。

 大体の事情は察した。それ以上の記憶はないが、酔いによってそれ以降の記憶が消えてしまっているのだろう。つまりあの後、私はお酒を摂取し、そしてこの場所へ辿り着いた。そうなるだろう。

 ではゴーブはどこへ行った? 周辺にゴーブの物陰はない。見えるのは、大きな生き物が複数倒れている状況だ。大きな生き物、これは『人間』であろう。

 なぜ人間が倒れている? 分からない。そんなことはどうでもよい。妙に体が熱い。体から水分が抜けていくような感覚だ。喉が渇いた。水が飲みたい。

 どこかに水はないか、私は探しに向かおうとするが、体がうまく動かない。体が上から押し付けられているかのように、足がビクリとも動けない。これが金縛りというものなのだろうか。

「まさか」

 金縛りは体が寝ているにもかかわらず、脳が目覚めてしまったのが原因で起きる現象であり、今現在私が陥っている状態とは決して違う。

――冷静になったうえで熟考した結果、一抹の不安が脳裏をよぎる。

「もしかして、ゴーブがあの夜、私に何かをしたのか?」

 可能性はなくはない。末梢神経に効く神経毒なんかを使えば、容易にこの状況を作り出せる。

「しかし、なぜ?」

 ゴーブは私に、それほどまでの恨みがあったとでも言うのか?

 昨日の会話が原因なのか?

 それとも、別の原因があるのか?

――いくら考えても、結論を見出すことはできない。

 それに、こうしてあれこれ考えていると、どんどんと目の前の視界が白けていく。意識が朦朧となっていく過程を一段飛ばしで進んでいるようだ。

 おそらくあと数十秒で、私は再び眠りに就いてしまうだろう。

「もう、無理に頭を使う必要はない。そうだ、空を見上げよう」

 力を振り絞り、空を見上げる。


――空にあったのは、とても大きな二つの太陽だった。


「そうか。そういうことだったのか」

 そこへ至る道筋を説明するための確証こそ手に入れてはいないが、私は全てを理解した。

「――――」

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終焉に轟る鐘の音 despair @despair

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