第0話 その2


 入学準備や転居の用意も大体終わって、あとは数日後の入居の日を待つばかりとなった。

 そんなわけで僕は今、居間のソファに寝そべって文庫本を読んでいた。

 シリーズ物の最新刊。

 この作者は文章の書き方というかテンポが好みだ。

 しかし、読み終わったらこの本はどうしようか。

 持っていくか、置いていくか。

 一冊だけならそれほどかさばらないけれど、シリーズ全てだと流石に多い。

 それに文庫本を読み返す、というのを僕はほとんどしない。

 気に入っているシリーズだけれど読み終わったらこの家に置いていこうか。

 読書の合間の小休止中、そんなことを考えていると。

「……邪魔なんだけど、兄さん」

 いかにも不機嫌そうに妹の真緒まおがつぶやくように僕に言った。

 久野木真緒。僕の二つ下だから春から高校二年生になるのか。

 背は平均より少し高くて、肩まである茶味がかった黒髪をうなじの辺りで一つに縛っている。

 兄の僕の目から見ても顔立ちは悪くないように思うけど、つり目がちで少しきつい印象がある。

 昔はよくなついていたと記憶しているけれど、最近はあまりよく話さなくなった。

 険悪、ではないけど、良好とも言い難い。無関心が近いかもしれない。

 まあ年頃の兄妹なんてこんなものかもしれない。

「ああ、ごめん」

 邪魔だと言われた僕はさっと体を起こして、座り直した。

「…………」

 真緒は何も言わずにソファの端に腰を下ろした。

 僕は再び視線を文庫に向けた。

 二、三頁ページ進めた所で、ふと気になって頁の間に指を挟んで本を閉じる。

 妙に隣が静かだった。

 テレビをつけたり、スマホをいじるといった気配がなく、真緒はただ静かに座っているかのようだった。

 僕はおもむろに真緒の方へと首を捻った。

 一瞬目が合ったかと思うと、あたかもなんでもなかったみたいな素振りで真緒はそっぽを向いた。

 読書に戻る振りをして横目で観察してみると、やはりちらちらとこちらの様子を伺っているようだった。

 僕は 小さく息を吐くと、

「ねえ、真緒」

 と名前を呼んだ。

「な、なに?」

 真緒はほんのちょっと、動揺した色を見せて答えた。

 そんな妹に僕は提案する。

「ゲームでもしない?」

「…………え?」

 鳩が豆鉄砲を食ったように、真緒は目を丸くした。

「読書休憩に丁度いいかなって。良かったら付き合ってくれない?」

「…………」

 僕から目を逸らしたまま、しばらく黙った後、

「…………うん」

 真緒は小さくこくりと頷いた。


 父さんは外出しているので、無断で部屋に入ってゲーム機を拝借する。

 まあ父さんがいた所で、大して差はないのだけど。

 父さんの部屋のある二階から、ゲーム機を持って降りて居間に戻る。

「……あ、やっぱりそれなんだ?」

 僕が抱えているゲームを見て真緒が口を開いた。

「うん。他のが良かった?」

「ううん。……それがいい」

 了承を得られたので、ゲーム機をテレビに繋ぐ。

 持ってきたのは、スーパーファミコンだった。

 発売からゆうに二十年以上経った今でも現役で使えるのだから驚きだ。

 今使っているこれも、僕より年上のはずだ。

 そんな文字通りのスーパーハードだが、敢えて難点をあげるとするなら、コードが短いことだろうか。

 特にコントローラーが問題で、引っ張った勢いで本体に衝撃が伝わるとフリーズしたりバグったり暗転したりして、ゲームが止まるということがよくある。

 その辺りのことに注意しながらセッティングをする。

 そして、ロムカセットを差込口に押し込んで、ガコッと電源のつまみを押し上げる。

 黒い画面に細い白線が見えて、ゲームが点いたかのように思えたが、それ以降も画面は黒いままで反応がなかった。

 一度ゲームをオフにし、カセットを引き上げて、端子部分に軽く息を吹きかける。

 再びカセットをはめ込んで電源を入れると、今度は正常に作動した。

 選んだカセットは、パネルでポン。

 対戦型のパズルゲームで、パネルを消して相手に邪魔ブロックを送って、画面上まで積み上ってしまった方の負けというルールだ。

 同じ対戦型のパズルゲームというとやはりぷよぷよが思いつく、という人が多いだろうか。

 ぷよぷよと違う点は、始めからある程度ブロックが積み上げられていて、横二つのカーソルで位置を入れ替えて同じ色を揃えて消していくということ。

 ブロックは下からせり上がって来て、任意でブロックを一段ずつ上げることも出来る。

 またブロックが消えている最中にも位置を入れ替えることも可能で、それを利用して連鎖を大きくするテクニックもある。

 構築にあまり頭を使うわなくても大きな連鎖を作れる、というのがとても気に入っているポイントだった。

「じゃあ、やろうか」

「うん」

 早速対戦モードを選んで、遊び始める。

 最初の内は黙々とやっていたのだけど、

「三連勝! 兄さん、ちょっと弱すぎるんじゃない?」

「言ったな!? じゃあこれから本気出すから」

「はい、四連勝! 本気がどうとか言ってなかったっけ?」

「く、悔しくなんかないからな」

「ふふふ」

 と段々僕らの間にあった溝は埋まっていった。

 小学生くらいの時からずっと、時たまこんな風に対戦して遊んできた。

 些細なことで喧嘩した時にも、仲直りの手助けをしてもらったりもした。

 僕らにとって、このゲームは思い入れの深いものなのだ、と勝手に思っている。

 それからしばらく対戦していくうち。

「……兄さん」

 ぽつりと真緒は僕を呼んだ。

「うん?」

「……その、大学合格、おめでとう」

「ありがとう。……なんていうか今更だね」

「わ、悪かったわねっ!」

「別に悪くはないさ」

 皮肉でもない限り、祝われて悪い気がするなんてことはないだろう。

「……ちゃんと、兄さんに言えてなかったから」

「そっか、ありがとな」

「う、い、言いたいことは、それだけだから」

「それだけ? あんなに言いづらそうにしてたのに?」

「う、うっさいわね! いいでしょ!?」

「本当、変な所で不器用だよな。大抵のことはそつなくこなすのに」

「ほっといてよ、もう」

「すぐ仏頂面になる。それがなければなあ。笑えば可愛いんだから」

「な、な、なっ……!?」

 真緒は言葉を詰まらせて、目を白黒させて顔を赤くした。

 少しのタイムラグを挟んで、真緒はただ一言、

「……馬鹿」

 と、やはり仏頂面で返すのだった。


 いよいよ転居が明日へと差し迫った。

 そんな折、真緒が僕の部屋を訪ねてきた。

「もう準備はいいの?」

「うん、済ませてあるよ」

「そう」

 と一度、言葉を区切る。

「……月並みな言葉しか出てこないけど」

 そして、こんな風に前置きして、言った。

「向こうでも頑張ってね」

「うん。ありがとう」

 真緒の励ましに素直な礼を言う。

 飾り気のない言葉が、逆に嬉しかった。

「まあ、でも」

 と、真緒は僕の顔を見て、

「たまには帰ってきてゲームの相手、してよね」

 そう言って、笑ったのだった。

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