第0話 その1


「ところで誠太。四月から住む所のことで相談なんだが」

 父さんは僕の名前を呼ぶと、そう切り出してきた。


 大学入試も無事に合格し、お祝いムードも収まって、入学準備を始めていた所だった。

 父さんからメールが届いた。

『時間が出来たら父さんの部屋に来るように。べ、別に待ってあげてたりなんかしないんだからねっ!? 勘違いしないでよね!!』

 とあったので読んですぐ消去した。

 イラっときたけど何か用事があるのは本当だろうから、手隙てすきだった僕はすぐに父さんの部屋を訪ねることにした。

 扉をこんこん、とノックする。

 すると、中から父さんの声がして、

『入ってまーす』

 とのたまったので、重い物をドアの前に運んできて天の岩戸にしてやろうかと思った。

 さすがに面倒だったのでそうはせず、仏のような寛大さでもう一度ノックする。

 今度は、

『おや? こんな時間に誰か来たようだ……』

 と前置きして、父さんは自ら扉を開けた。

 顔を合わせるなり、僕は言った。

「ご注文は刺殺ですか?」

「あぁ~心がぴょんぴょんするんじゃぁ~」

「大丈夫。すぐに止まるから」

 と和気藹々わきあいあいとした親子の会話が交わされた。

「まあ、中に入りたまえ」

「うん」

 突然、父さんは真面目に促したので、僕は普通に答えて部屋に入った。

 父さんの部屋はなんというか、一言で言えばオタク部屋だった。

 本棚にはマンガがズラリと並べられ、パソコン周りにはフィギアが所狭しと置かれている。

 テレビの近くには、最新からレトロあらゆるまでゲーム機が完備されている。

 しかし、意外にも部屋は散らかっていない。

 そうでないと母さんに部屋を掃除されて、いろんなものが見つかりかねないからだ。

 僕は部屋のソファに腰掛けた。

 父さんは備え付けの小さな冷蔵庫からペットボトルを取り出して、

「ほれ」

 と手渡してくれた。

「ありがとう」

 僕はお礼を言って受け取った。

 深い赤のラベルの黒い色の炭酸飲料、ドクターペッパー。

 癖はあるけど嫌いじゃない。

 キャップを捻って一口飲んだ。

 その間に父さんはパソコンデスクの椅子を持ってきて、僕の向かいに座った。

「さて、今日来てもらったのは他でもない。なんと大切なバナナを奪われてしまったのじゃ。自分で取り返したいところだがそうもいかぬ。昔はお前のようなゴリラだったのだが、膝に矢を受けてしまってな……」

「今ではすっかりおじいさん」

「孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。なぜなら彼もまた特別なゴリラだからです」

「ウホッ! いいゴリラ……」

「やらないか」

「だが断る」

「な”ん”で”だ”よ”お”お”」

 とまあ、適当なふざけたやり取りから始まり、それから父さんの現在一推しの新人声優についてやら今ハマっているスマホのゲーム語りやら漫画名場面一人再現やらを挟んで、

「ところで誠太。四月から住む所のことで相談なんだが」

 と本題に入った次第である。

 父さんは、ネタを挟まないと死んじゃう病という奇病を患っているので仕方ない。慣れてしまった。慣れたくはなかったけれど。

「知り合いのつてで、いい下宿先を紹介してもらったんだがどうだろうか?」

 合格したのが都市部の大学で、この家から通うのはとてもじゃないが難しかったため、どこか住む場所を探す必要があった。

「というと?」

「なんと家賃、光熱費、食費、その他諸々全て無料だ!」

「……タダより高いものはないっていうよね。それでどういう条件なの?」

 嫌な予感をひしひしと感じつつ問う。

「なあに、家主の身の回りのお世話をするだけさ。料理にお掃除、洗濯などなど。つまりはメイドだな。お帰りなさいませご主人様~♪」

「ええいやらんでいい! 気持ち悪い! ていうかせめて執事にしてよ。どちらにしてもそんな一流家事スキルなんてないんだけど……?」

「心配ないさああああああ。少しずつ覚えていけば問題ないとのことだ。ああ、イメージ的には『書生』の方が近いかもなあ」

 書生、っていうと夏目漱石の小説なんかに出てくる学生の居候のような感じの?

 ふわっとした印象だけど、まだ執事よりは気が楽な気がする。

「在宅で一人での仕事のようだし、話し相手が欲しいというのが一番の理由なのかもしれんな。しかしまあ無理にとは言わん。嫌なら普通に独り暮らしでも構わんさ」

「…………」

 普通の独り暮らしなら、気は楽かもしれない。

 しかし、そこでは当然家賃が発生する。

 最低でも入所金と当面の家賃は親に出してもらうことになるだろう。

 これまで育ててきてもらって今更ではあるけれど、いやだからこそ、そこに引け目を感じずにはいられなかった。

 それに家事を覚えるいい機会かもしれない。何事も勉強だ。

 そう考えればいいことづくめのように思えた。

 不安もある。でも、やってみよう。そう決心した。

「お願いしてもいいかな。お世話になりますって」

「うむ、任された。カプコン製のヘリに乗ったつもりで安心していたまえ」

「不安しかないんですが……!?」

「大丈夫だ、問題ない」

「いや、本当に大丈夫なの……?」

「信頼できる人の紹介だ。俺を信じるな。俺の信じる俺の知り合いを信じろ」

「ああ、うん、わかったよ」

 父さんがまあ、こんな人間だからか、父さんの周りに集まってくる人たちはとてもしっかりした人が多い。例えば母さんとか。

「おおう、自分で言ってて悲しくなってきた……。どうせ父さん、いちジンバブエドルほどの価値もないですよ」

「そんなことないよ。ここぞというときやる男だってみんな知ってるよ」

「本当……?」

「もちろん」

「そうかそうか。よーしパパ早速連絡しちゃうぞー」

 と父さんは、張り切った様子でメールを打つのだった。


 こうして、僕の新生活は幕を開けた。




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