11;教授と婚約者

 そんな、うまくいかないと思います。

 私は素直に答えました。百歩譲って選挙には勝てたとしても、あの真十鏡先生が、この"学研都市"を一緒に政治をするとは思えません。というか、教授、先生に嫌われているんですよ、そのこと、重々お分かりで?

「わかっているさ。わかった上で、私はする」

「そうですか。ぬいぐるみの私にはよく分からないことですが、それは、真十鏡先生をひどく傷つけることになると思います」

 彼の気持ちを尊重しないなんて、間違っています。"学研都市"が嫌いで出奔した彼に、"学研都市"と深く関わりを持たせようとするなんて。私にはよく分からない感情ですけど、それって、だって、その、モラル的にどうなんですか。


 時刻は、もう7時を回っていました。ホテルの窓からは、もう夕日は見えません。うすく広がったブルーの空が、夜の帳を静かに下ろそうとしています。目下には、首都高を行き来する車の列が絶え間なく往来し、テールランプによって滑らかな赤い曲線が描かれ、光の渦を作り出しています。

 ふと遠くに目をやります。そこには、"学研都市"の中で一番高い建造物……タワーが見えます。天を突こうかと思えるほどの高さです。確か、海浜地区に建てられている建物のはずです。中央区からは少し外れるので私は行ったことがありませんでしたが。

 電波塔だ、と烏羽玉教授が言います。あそこで、この都市にあるすべての放送局が、あの電波塔を送信所としていると。

 送信以外にも、展望台としての役目や、その土地の象徴・目印となるもの……ランドマークとしての役目を果たしている、と言いました。象徴、ですか。私はこの"学研都市"しか知らないので、象徴と言われても、よく分かりません。"学研都市"の外……"街"にもランドマークのようなものがあるのでしょうか。"街"は無法地帯と聞いていたので、正直なところ、期待はしていません。

「放送局から送られてくる放送データも、あそこで検閲をしている。本当に美しいものだけをあのタワーの麓で管理しているのだ。あそこからこの都市の全ての芸術、思想、教育、流行が生み出されていると言っても過言ではないだろう。言ってしまえば、ある意味、この都市の最高権力とも言えるな」

 なるほど。中央区に全ての権力が集っていると思っていたのですが。

「中央区は主に大学があるからな。教育と政治の街だ。海浜地区はあのように電波塔が建ってから、それまで中央区で行なっていた検閲業務の一部を海浜地区へ移した。もちろん、中央区で検閲の方向性はある程度方針は決めるがな。何がダメで、何が良いというある程度の決まりは作った上で、細かなチェックや最終的な判断は向こうが行う。お陰で中央区の仕事は減ったが、権力が割譲されたとも言える。中央区が手綱を握っておけば、まあ大丈夫だろう。」

 なるほどなるほど、なんだか難しい話ですね。

「我々にも関係する話だ。バトラーサービスの梓弓のお父上は、この検閲局の最高責任者だ」

「あら、そうなんですね」


 私はそう呟きます。あの嫌味なほど姿勢のいい男。そういえば、梓弓さんに連れていかれた真十鏡先生は大丈夫なんでしょうか……。


 それでは、教授とぬいぐるみのよく分からない話はここまでにしておいて、梓弓さんと真十鏡先生の場面に移しましょうね。

 シーンが変わるので、暗転しますね。初めてなので、ドキドキします。


 暗転。

















「何できみがずっとついてまわるんだよ」

「何故って、バトラーサービスだからです」

「そうは言ってもここ、拘置所だよ……」

 ホテルからそう遠くないところに、ここ、中央区警察署はあります。真十鏡先生が捉えられているのはその地下にある拘置所でした。簡素な3畳ほどの部屋で、取調室の様なものです。昔刑事ドラマを盗み見した時に、中央にランプとスチールの事務机がおいてあるのを見たことがあります。そのようなものです。

 先生の手には手錠はかかっておらず、イスに座っています。あっパイプ椅子ですね。これも見たことがあります。

 梓弓はその対面に座っています。まるで刑事さんのようですね。黒いスーツがよく似合っています。梓弓の黒い瞳が彼を見ます。

「ここでの出来事は録画、録音されています。変な気は起こさない方がよろしいかと」

「分かってるよ。あっちに監視カメラあるもん」

 真十鏡先生はそうやって上を向きました。窓から差し込む薄明かりによって、先生の赤い瞳がきらりと美しいビー玉のように輝きました。

「この都市ってさあ、街中のあちこちに監視カメラあるの、知ってる?」

 はあやれやれと言った様子で、先生がイスにもたれかかります。イスの関節はきいと甲高い悲鳴を少し上げました。

「ほんっと堅苦しいよねえ。誰がどこで何を買ったとか、何をしたとか、すぐばれちゃうの。なんなら、音声も拾うから、現政権の悪口言うもんなら、その後病院おくりだもん。上に逆らうのは頭の病気だってさ。それに関して若者である君は、何か言うことはないの?」

「私の父は、検閲局の者ですから」

「あっそう。君も権力の犬なんだね」

「……言葉遣いに気をつけた方がよろしいかと。あなたの素行について揉み消せるのにも限度があります」

 梓弓の瞳がうっすり細められます。

「もみ消さなくて結構。私は私の生きたいように生きるんだ」

 手をふるふると横に振ります。いらない、のジェスチャーですね。先生はいつだって自分の好きを通していますね。そう言うところかっこいいです。

「ダメですよ」

 梓弓が静かに切り替えします。

「あなたにはこの都市の王になってもらうんです」

 梓弓が肘を机につきます。

「あなたにはまずその、都市の美学に反する思想を正してもらいます」

 指を前に組みます。

「あなたの頭の中を、検閲いたしましょう」

 梓弓が、ニッコリと笑いました。

「大丈夫です。目が覚めたら、あなたは生まれ変わるんです」







「お前にとっての美とはなんだ?」

 烏羽玉教授が届いたスーツに腕を通し、身支度を整えています。ああ、質の良いシャツですね。のりのきいた、皺一つない新品です。発汗性がよく、しかし熱を逃さず、しかして涼しいと話題の生地です。手触りがよく、都市の中でもそのシャツはハイブランドの一種でした。

 教授はいつも青色の同じ服を着ます。それは、教授の左目が色をうまく見分けられないためでした。一度、これと決めた色でずっと着続けているのです。それは、小さい頃だったといいます。自分が色をうまく見分けられない時に、「これを着なさい」と親から教えられて、そのまま、35歳になる今でも同じものを着続けているのです。

 安心なのでしょう。これさえしておけば、間違いはない、正しいという自信でしょう。誰に何か言われようとも、親から教えられたんだ、と説明することが出来ます。

 私はそんな教授の、いじらしくて、必死なところが好きです。

「私にとっての美、ですか……」

 何でしょうか。真十鏡先生は美しいと思います。と答えました。

 ちょうど、教授はループタイを締めているところでした。ループタイの色は、これだけ、感知が難しい、赤色をしていました。

「確かに。奴の心はともかく、見た目はこの"学研都市"の中で一番だ」

 赤色は真十鏡先生の瞳と同じように外の薄明かりにあたって、淡く光ります。

「……いえ、心も」

 私は少し怖かったです。けれど、言おうと思いました。

「何?」

 教授が聞き返します。

「あれは厄災だぞ。あんな中身の奴が、ここに生きていいわけがない。政府に反し、美しい絵を赤い絵の具でぶちまけて台無しにする。人を殺そうとする男だぞ」

「人殺しは、よくないと思いますが」

 私はそれでも、彼の中身を否定できないのです。


「……和洋折衷です」


 私はひとつ思い出しました。


 和洋折衷。和と洋の、コラボレーション。


 お皿に乗った、ラザニアとおひたし。


 朝の光に照らされて、美しく微笑む先生の姿。カフェオレを飲む、教授。


 ルーツの違うものと違うもの。文化の違い。暮らしの違い。命の違い。


 "街"と"学研都市"。


 ……真十鏡先生と烏羽玉教授。


「本当に美しいもの、それって、もしかして、”合わせること“ではないんでしょうか」


 私はいま、ここに、一つの世界を見出しました。

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美しいものを作り出す者が至上主義の世界で トキハカ @tokyhaka

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