5;先生と教授 前編
"学研都市"に行く際に、先生からは再三「君も連れてっていいのかい」と聞かれました。私は烏羽玉教授に命を狙われているので、"学研都市"に行くとどうなるのかわかりませんでしたが、真十鏡先生なら守ってくれるだろうという気持ちの方が強かったですし、それに、先刻浮上した「ある推測」がどうしても気になって、烏羽玉教授に聞きたいと思っていたのです。
「はい、かまいません。それに」
「それに」
「私がどうして"失敗作"なのか、その理由を都市で知りたいです」
思えば、私は"学研都市"に住んでいましたが、都市では自由に暮らしておらず、教授の作品としてただ佇むことが多かったように思います。もちろん私はただの作品に過ぎないので、一人の人間として扱われること自体がイレギュラーな事態なので、意思を持つヒトとして認められたかったとか特にそういうのを望んでいたわけではありません。"失敗作"だと烏羽玉教授から言われた時も、「ああ、私はきっと教授にとってダメな存在なんだ」と、どこか他人事のように思ってましたから。
けれど、殺されるのはまっぴらごめんなのです。最初は烏羽玉教授の思うままに、私と言う作品を無に還されても良かったはずなのですが、いざその時になり、棄てられそうになったとき、私の中の"誰か"が「生きて」と叫んだのです。今思えばそれは所謂生存本能と言うものだったのでしょう。ぬいぐるみの私にそんな人間みたいな機能があるとは思えませんが、烏羽玉教授がもしかしたらそのようにプログラムを組んだのかもしれません。――とにかく、殺されるのだけは嫌なのです。
「……そうだね、僕も烏羽玉に言いたいことはいっぱいあるさ」
小さい声で8年分のね、と言いながら、真十鏡先生は準備を始めました。
黒いボストンバックを納戸からだし、赤い種類のを多めに入れた絵具と、絵筆、スケッチブックなどの簡易な絵描き道具を入れたのち、下着と洋服、歯ブラシ、などの宿泊用品もテキパキと入れ始めました。絵描き道具が最優先だったので、最後の方に入れたブラシはギュウと押し込まないと入らなくて、私は先生らしいなぁと思いました。絵が本当にお好きなのですね。
「どれくらい泊まるのですか?」
「出来れば泊まりたくないね!あんな空気悪いところ!」
ハハハ、と元気よく答えたのち
「現実的に考えればそれは無理だから、一泊程度で済ませたいよ」
と言いました。
翌日の朝、家に出るとき、「あっそうだそうだ」と、スケッチブックを取り出して簡単にサラサラと何か書いた後、家の前にあったアトリエの看板に『しばらく出かけます!アトリエは休業!ゴメンネ!』と貼り付けました。
「たまに近所の子どもたちが来るからね」
どうやらアトリエは子どもの良きたまり場のようです。
林について、そこからしばらく歩いて、ゲートが見えてきました。50メートルはあろうかと言う感じです。大きな大きな、都市全体を覆う城壁の下の方に、ゲートはあります。"学研都市"はよそ者を拒むように作られており、都市の周りは堅牢なコンクリートの城壁がそびえています。実際そうなのです。"学研都市"は特殊な性質を持つ都市なので、周りの街とは隔絶されているのです。理由はよくわかりませんが、それが市民の教育のためにいいのだそうです。
木々の隙間から木漏れ日が零れています。真上に太陽が見えるので、今はちょうどお昼のようですね。木々の隙間から見えるゲートは固く閉ざされており、冷たい印象を受けました。
広くとられたゲートには、車が並列して3台ほど入れるくらいの大きさの扉があります。この思い扉を開けさせるにはそばにある機械にIDカードを通し、個人を認識するための手順を踏まなければなりません。
先生は機械を起動させて、機械音―女の人を模した声ですねーの説明を聞き、何やらモニター画面に触れながら作業をしているようでした。私はやや後ろで先生を見守っています。
「これ8年前のやつだから、承認されるのに時間かかったよ」
そう言った後、ピピーという音とともに扉は物々しく開きました。
「さて、行こうか」
先生は屈んで手を差し伸べました。私はその手をぎゅっと握ると、体はふっと浮き上がり、先生の腕の中に抱きとめられました。
"学研都市"はおよそ150万人ほどの人口の都市です。その5割ほどが20代以下の若者で、勉学にいそしんでいます。市民の多くは大学まで通う人が多く、研究者となる人も少なくはありません。優秀な人は大学に残り、教授になって地位を得ます。都市ではこの大学を中心とした政治を行っているので、教授というのは都市の権力者と言っても過言ではありませんから、烏羽玉教授は行政の方にも顔の広いお方のです。
ゲートを抜けた先はまだ人もまばらで、緑の生い茂る田畑が続いています。刈り取られた後の麦畑に雑草が一面に生えていて、その緑が広がっているようです。今は春、もうシーズンも終わっていますから、だからこんなに閑散としているのですね、と私は納得しました。
補正された道路を歩いていくと、看板が見えてきました。駅に行こう、と真十鏡先生が言いました。
ぼろい木材と、さびた鉄骨でできた、全体的にセピア色した古い駅に着きました。暫くするとやってきた、中央行きのワンマン電車に乗りました。お金は全部IDカードで払っています。そんなにたくさんお金を持っていたのですね、先生。
乗車した人は真十鏡先生以外いませんでした。そういえば私は誰かに抱かれて電車に乗るのは初めてなように思えます。烏羽玉教授はいつもスモーク加工のされたガラスの、オニキスのような黒塗りの車に、運転手つきの高級車に乗っていましたから、こうやって、ただ電車の揺れに身を任せながらぼーっと外を眺めたり、風景や空気と一体化していく感覚を味わったことはありませんでした。……感想として、とても心地よいものでした。
「ここは僕が都市の中でも好きな場所だったよ」
過去形で先生は仰いました。
電車を乗り継いで乗り継いで、3回くらい乗り継いで、乗ってくる客も多くなり、そのほとんどが若者でした。働いているサラリーマンであり、大学生だったり中学生だったり。お年寄りの姿はないように見えます。
だいぶ、外の世界も変わりましたね。田園風景はさっぱりなくなって、今車窓から見えるのはどんよりとしたねずみ色の、ファッションビルやオフィスビルばかりです。
"学研都市"中央駅につきました。ファッションや食事、買い物などのビジネスを兼ね備えた複合商業施設、いわゆる駅ビルの賑わいは素晴らしいものでした。行く人行く人皆いまどきのおしゃれを楽しんでいて、華やいでいます。映画に向かう若者、食事へ向かう家族、さまざまでした。今の時刻は12時程でしょうか。朝9時に家を出たので、およそ3時間くらいになります。
「どこにも寄らないんですか?」
「寄ってたら時間が無くなっちゃうからね」
真十鏡先生は急ぎ足で構内を歩いていきます。
「大学案内センターを探そう。そこで烏羽玉にアポを取る。たぶん僕の名前を聞いたらすっ飛んでくるはずだよ」
駅の構内の一画に大学案内センターがありました。"学研都市"の中にある大学のすべての研究室にアクセスすることができます。
「研究室203の烏羽玉に連絡してくれ」
「はい、研究室203の烏羽玉教授にどのようなメッセージを送りましょうか」
無機質な女の声がします。最新型の案内用機械人形です。見た目こそ本物とやや劣るものの、プログラムされれば完璧に仕事をこなすことができます。学園都市の半分が学生や研究職のために、労働力となる人材が少ないのです。そのために"学研都市"での労働はほとんどが機械で整っており、今こうして目の前でやり取りしている相手も機械の人形なのです。こういったものは烏羽玉教授たちが開発、生産をしているので、都市の生活の基盤を支えている烏羽玉教授は市長候補とまで言われるレベルにまで上り詰めています。
「"ホテル・草枕のロビーのカフェで待っている"と伝えてくれ」
「かしこまりました。あなたの市民IDを参照したのち、生体認証を行います」
真十鏡先生は無言で作業を続けます。昨日まで"街"で静かな暮らしをしていたとは思えない手つきです。
機械人形はカタカタと音を立てながらキーボードで文字を打ち込んでいきます。おそらくメッセージを伝送しているのでしょう。ものの1分ほどで手続きは終了しました。
ホテル・草枕。そこは都市有数の一流ホテルで、中央区CMや広告でよく宣伝していますから誰もが聞いたことのある名前でしょう。ビル一つが丸々ホテルになっており、一階がロビーとレストランで最上階には式場もあり、そこで結婚式を挙げることは一度は夢見る乙女たちのステータスでした。
駅から歩いて10分ほどに、そのホテルはあります。大理石の広がるロビーを抜けて、すぐそばにカフェがあります。
「コーヒーを一つ」
先生はウェイターにそう短く注文するとボストンバッグを下ろしてこういいました。
「今から烏羽玉がやってくるけど、君はどうする? 隠れていた方がいいんじゃないかな」
とおっしゃいました。
「そのほうがいいかもしれませんね」
と私も言いました。
先生がウェイターに荷物を預けるところはあるか、と聞き、ウェイターが荷物を預かりましょうか、と訪ねてきたので、ではよろしく、という流れで私とボストンバッグはウェイターの手に渡りました。
その時、ホテルの扉が空き、入店してくる烏羽玉教授の顔が見えました。汗をおかきになってらっしゃるようですね。ウェイターは私とボストンバッグを一画に備えてあったクロークバスケットに入れ、大事にしまわれてしまいました。これで外の世界は見えません。かろうじて、声は聴きとれるようなので少し安心しました。
「水色、久しぶりだな」
次に聞こえてきたのは烏羽玉教授のお声です。なんだか落ち着かない、浮いた声をしてらっしゃいます。無理を通して会いに来てくれたのでしょうか。一週間くらい前まで一緒にいたはずなのに、とても懐かしいお声です。真十鏡先生を下の名前でお呼びになりましたね。なんだか不思議な感じです。
「そうだね、久しぶりだ」
真十鏡先生のお声ですね。すこし、冷たいお声です。
「突然の連絡にもかかわらず、来てくれてうれしいよ」
「8年ぶりか、相変わらずつかみどころのない態度だ。ここのホテルを指定してくるなんて、お前まだ私を恨んでいるのか」
お二人のせっかくの再開だというのになんだか不穏な空気です。とてもまずいような気がします。勘です、ええ、勘ですとも。
「折角だからコーヒーをいただこう。ここのカフェオレはおいしいんだ」
烏羽玉教授も飲み物を頼んだようですね。
すぐにカフェオレが運ばれてきました。ピリッとした空気が流れています。いったいこの2人の過去に何があったんでしょうか。学生時代、真十鏡先生が"街"へ流れた理由もそこにあるのでしょうか。このホテル・草枕で何があったんでしょう。非常に気になりますが、文字数もいいところなのでここでいったん止めておきましょう。後半に続きます。
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