4;先生と都市

 それからその後真十鏡先生の作品群を拝見させていただきました。

 一言で申し上げると「どこか病んでらっしゃるのかしら」。

 先生の作品はすべて赤い絵具がべったり血糊のようについていました。『基本的には何でも好きだよ。風景画も、人物画も、彫刻画もボタニカルアートも』そう先生は仰っていましたが、その風景画、人物画、彫刻画、そのほとんどの作品に、最後の仕上げと言わんばかりに赤い絵具が塗りたくられていたのです。いつまでも乾かない、新鮮な血がかかったようでした。画面全体を赤の絵具でべたーっと覆うものもあれば、血しぶきのようにスパッタリングを施しているものもありました。まるで自分から作品を台無しにしているようでした。先生曰く完成前の作品――私からすると非の打ち所のない完成作品にしか見えないのですが――とにかく赤い絵の具が塗りたくられてない、清らかな作品も拝見させていただきましたが、これがなんとも息をのむ美しさでありましたから、私は「ああ、なんてもったいない!」と思いました。

「そういう、"万人向けの作品"は学生時代描き飽きたんだ」

 先生は今日も作業場で赤い絵具を手にして壁に何か描いてらっしゃいました。

「"学研都市"の大学にいたころは、そいういうのばかり求められてね。褒めてもらえるのはうれしいけど、僕が本当に書きたいのはそういうのじゃないから」

 驚きました。先生は"学研都市"出身なのですね。私は勝手に"街"で生まれて"街"で育ったものだと思っておりました。メイドイン"街"、まざりっけのない"街"の人間かと。

「烏羽玉の学生時代を知ってるって言っただろう、大学で同期だったんだよ。……一緒の時期に博士課程修了したからね」

「というと、真十鏡先生は35歳なのですか……?」

 とてもそうには見えません。大人の方だとは思いますが、そこまでお年を召されてるとも思えないのです。肌はしわもシミもたるみも一つなく、若々しく、先生の長いまつ毛は程よく濡れていて唇はつやつやなのに。

「僕は17で学士とったからね」

 ……どうやら天才の方のようです。17で学士とは。信じられません。普通なら22歳で学士を取るところを、この方は5年も飛び級してとられてしまっているのです。

「"学研都市"では名の知れた天才だったらしいんだけどなあ」

 名誉や名声に興味がない、というような五月の晴れた日のようにさっぱりした顔でした。興味がない、と言うより、むしろ落ち込んでさえもいる、どこか悲しそうな声です。

「大学の方で絵を描いて、いろんな賞取ったり、お偉いさんから声かけられたけど、僕が欲しいものは何一つ、あそこでは得られなかったからね」

 なるほど、そうですか。なんだか寂しいですね。ほかの人には持ってない才能を持っていたとしても、真十鏡先生のほしいものは得られなかった。どこかで聞いた童話のようなあらましです。

「何が欲しかったんです?」

「家族かな……」

 表情は変えず、先ほどと同じくさっぱりとした顔で、作業ももくもくとつづけながら先生は仰いますが、その声には明らかに孤独と、私では察することのできない深い心の傷を感じました。

 ああ、私がぬいぐるみじゃなかったら、一人の人間として一緒に悲しんだり、抱きしめてあげられたんでしょうけど。生まれ直さない限り、私は一生ぬいぐるみなので、足りない背のぶんだけ距離の遠い先生を見上げるしかありません。

「家族ですか……」

 ……生まれ直すと言えば、私には「死」と言うものがあるのでしょうか。この前のイソノカミのように、動かなくなることがあるのでしょうか。……ここまで気が付いて、私はある"推測"にいたり、怖くなって考えるのをやめてしまいました。今は先生のことだけを考えましょう。

 しばらくの沈黙のあと、パッと先生の顔が明るくなって、こっちを振り返って

「いやあ、だからぬいぬいがそばにいてくれたら楽しいんだよね」

 とふざけたような顔で言いました。……どうやら少し無理をなさってるみたいですね。

「私は先生のところから離れる気はないですよ」

「それはよかった」

 少なくとも、私は追われている身なので、うかつに外を歩けません。先生が良いと言ってくれるのなら、いつまでもここにいますよ。合理的判断に裏付けされた証拠なので、信頼してくださるとうれしいのですが。


「晩御飯にしよう、ぬいぬい」

 私たちは下に降りて、お夕食をとることにしました。夕暮れという時間ではありませんが。時刻は7時半。日はとっぷりと沈み切っています。


「"学研都市"に行こうと思うんだ」

 先生は動かしていた箸を止めて、少々物々しい様相で言いました。

「はあ」

 思いもしない提案に、私は曖昧な返答をしてしまいました。

「もちろん"学研都市"に戻るって意味じゃないよ。僕の家はここだけさ」

 真十鏡先生はだいぶ変なお方です。けれど私はここの家に住まわせてもらっている身ですので、先生のいうことに文句も異論もありません。けれども。

「あの、どうやって林から"学研都市"に戻られるんですか?」

 先ほども申しましたように、"学研都市"と"街"は林で区切られていて、更に"学研都市"に入るためにはゲートをくぐらねばならないのです。

「僕にはまだあの"学研都市"のIDがある」

 といって、一枚の薄い名刺サイズのカードをテーブルの上にスッと置きました。

 そのカードには先生の写真と、生年月日、住所など記載されていました。

「中央区……先生は都市の中心のご出身だったのですね?」

 いささか驚きながら、私は言います。"学研都市"中央区……そこは選ばれた者にしか入居許可の出ない、言い換えれば高級住宅地のようなものです。そこには大学があり、経済と政治の中心で、華やかなところです。"街"は静かですが、あそこはいつまでも明るく、高いビルたちが競い合うようにそびえています。

 前にも説明しましたが、"学研都市"は美しいものを作り出す者が支配階級に上り詰めることのできるシステムになっています。そのために大学でいい成績を残した者や、作品展などで素晴らしい功績を収めた者が都市で最も華やかで快適な場所に住むことが許されています。そこが中央区なのです。

「君だって烏羽玉教授の作品なら中央区の出身だろう、驚くことはないよ」

 先生は不満そうな顔で(たぶん中央区の出を疑われたのが癪に障ったのでしょう)そう言いますが、私が問いたいのはそこではないのです。

「どうしてそんな華やかで名誉ある暮らしのある中央区から、この、何もない、田舎の住宅街である"街"に来たんですか?」

 もちろん先生の好む芸術が都市では受け入れられないのは原因のひとつではあるでしょう。でも便利なで名誉ある暮らしを捨てて、"街"で芸術を愛し孤独に生きることの格差の大きさが、どうしても納得いかないのです。芸術を諦めて、政治家になる道もあったはずなのに。先ほどの「家族」の話もあって、どうにも引っかかります。

「そりゃ、中央区じゃ好きな作品は描けないし」

 軽くあしらわれてしまいました。この話はあとでまた問い詰めるとしましょう。早く展開を進めましょう。

「このIDはもう8年くらい前のものだけど、たぶんまだゲートで使えるはずさ」

「"街"へ下った人間のIDは即座に消されると聞いていたのですが」

 そうなのです。通常、"街"へ降りて行ってしまったら、IDの管理局の人間が一定期間の猶予を経てIDを消すことになっています。それは"街"へ降りて行った人間を再び都市に入れないようにする……そのためにとられる措置でした。

「そのあたりのネタばらしも、"学研都市"についたら説明するさ」

 先生はIDカードをしまってしまい、またご飯を食べ始めました。

 今日のお夕飯は、鮭の焼き魚と、パンプキンスープと白ごはん、デザートにプリンでした。和洋折衷、和洋折衷ですとも。

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