3;先生と"街"

 ええと、何から話し始めましょう。

 私の名前はぬいぐるみの「ぬいぬい」です。烏羽玉教授の17番目の作品にして、失敗作。……その話はしましたね。

 私は"学研都市"で生まれました。もっと詳しく言うと、烏羽玉教授の研究室で目を覚ましました。今は烏羽玉教授から逃げて"街"へ流れてきました。"街"では真十鏡先生と出会いました。

 そうです。今日は"街"と"学研都市"の話をしようと思います。


 "学研都市"は私が生まれた場所です。そこには大学を中心とした統治が行われており、多くの学生が暮らす都市です。"学研都市"では「美しいものを作り出す者」が頂点に君臨できるシステムになっています。

都市を作った初代市長が


「人の心を良い方向に導くには、絶対的な"美"が必要である」


という考えをお持ちでしたので、人の心の美しさを量るために"芸術"を絶対的な指標としたのです。


 ――美しいものには人の心を豊かにさせる作用がある。

 ――美しいものを作り出せる者は、心が豊かな善人であり、人々を導く力がある。

 ――美しいものを作り出せる者こそが、この都市の新たな指導者階級に君臨すべきだ。


 という言葉の元、市民は音楽や美術などの作品を奏でたり作ったりするようになりました。中には美しい数学式や化学式を発見する学者もいました。その中で美しいものを作り出せる者はどんどん地位を上げていき、そうでないものは下へ下へと追いやられていきました。

 "学研都市"で「美しいもの」と言われるものの定義として

「万人が美しいと感じるもの」

「老若男女愛されるもの」

「いつの時代も愛されるもの」があります。

 これにそぐわない、――暴力的な表現であったり、性的表現であったり――そういうった見る人を選ぶようなものは排除されるようになりました。とくに前衛芸術などと言ったものは検閲と規制の上、次第に世に現れることはなくなりました。今、"学研都市"にある芸術はすべてがクリーンで、快いものばかりです。そういったものだけを摂取してきた子どもたちは、争いや淫らな事柄に心を乱されることなく、純粋で清らかな精神を保ったまま大学で学業を修めています。さらに、若者の犯罪発生率は年々減少しています。初代市長が望んだ世界が再現されつつあります。

 烏羽玉教授も美しい機械人形を作るという点で右に出る者はいません。教授は次期市長候補とまでにわかに囁かれています。事実、教授は"学研都市"でも有力な名家のお生まれだそうですから。


 対照的に"街"はそういった定義に当てはまらない、当てはまることを良しとしないはぐれ者たちが集まってできた"街"でした。そのために"学研都市"では「彼らの精神は汚れている」「争いごとが日常茶飯事」「人権が守られていない」という悪評であふれていました。

 "街"と"学研都市"は林とゲートによってさえぎられています。

 都市から"街"へ出るには都市の出口ゲートをくぐり、林を抜けなければなりません。出口ゲートを出るのは簡単ですが、林を抜けて一度"街"へ降りてしまった人間はよほどのことがない限り、"学研都市"へは戻れません。そのため教授も"街"へ下った私を追いかけては来れなかったのです。


「そんな世界は間違っている」


 真十鏡先生はそう言います。

「芸術とはいつの時代も思考の実験台の役割を果たすもの。感性の宇宙の広がりを誰にも支配されてはいけないものだ」

 私はその言葉の真意をうまくくみ取れなかったのですが、つまり先生は"学研都市"を敵対視しているらしいのです。


 ある日の夕暮れでした。

 二階の作業場から、ハケを持ってくるように先生に頼まれましたので、縁側で乾かしていたハケを持って二階へあがろうとしていた時でした。

 小さなぬいぐるみの私は階段を上るのもなかなか一苦労なのですが、先生のお家の階段は特に急に出来ているので、それはそれは一段一段上がるのが大変でした。もっと足を長く、そしてスレンダーな体に生んでくれなかったのかと烏羽玉教授を少し恨んでしまうほどでした。しかし私が二階へ上がるのはこれが初めてでしたので、一体先生は二階でどんな作業をしてるのか興味があり苦労を忘れて期待に胸を膨らませました。

 階段を上ると、すぐ扉があります。二階フロアは全部壁を取っ払った、作業場(兼寝室)になっているようで、扉一枚隔てた先に、先生とその作業風景が広がっているのです。

 ワクワクしながら扉を開けますと、ムッとシンナーのにおいが広がりました。

 ……まず、目に入ったのは視界を焼け焦がすような激しい「赤色」でした。

 その赤色は壁いっぱい、天井いっぱい、床いっぱいに広がっていました。まるで、百人もの人間の集め、一斉に刺殺し血しぶきを浴びせさせたような凄惨な様子です。というか、何も知らない人が場面だけ見たらそう思い込んでしまうでしょう。絵具のにおいをさせてなければそういう風にみんな誤解してしまします。

 私が赤い部屋に踏み入れるか迷っていると、部屋の奥にいた先生が振り返ります。

「ぬいぬい、持ってきてくれたんだね、ありがとう」

 真十鏡先生はバケツにはいった赤いペンキをごとん、と床に降ろしてそう言います。

 先生は赤い絵具が飛び散った床の上を躊躇いなく歩きながらこちらに来ました。私は言われるがままにハケを渡しました。

「先生、これはいったい」

「あ、やっぱり気になるか」

 先生は作品ハケを受けとりながら部屋の説明をし始めました。

「この部屋を真っ赤に染めたいんだ」

「どうしてですか?」

「この部屋自体を作品に仕立て上げたくてね。炎を表現したいんだ。それなら赤い絵具を使おうと思って描いてるけど難しいね」

 さっきバケツ一杯分をぶちまけたんだよ、と先生は言いました。

 どうやら先生は炎に囲まれたような部屋を作りたいみたいです。……どうしてかは知りませんが。

「私、こんな風景を見るのは初めてです」

「そうだろうね、"学研都市"じゃ、こんなのはアートじゃなくてグロで規制すべき対象だからね」

 確かにこの部屋は"学研都市"だと「絵具が血に見える」ために規制されるでしょう。というよりまず大量に絵具を無計画にぶちまけてしまう時点で変人扱いされます。ここが都市だと真十鏡先生はすぐに精神衛生センターにて治療を受けるでしょう。

「でもここは"街"だから」

 "街"は誰にも規制されません。窓からは夕日が静かに部屋を照らしていました。

「さあ、持ってきてくれたハケで炎の質感を作ってみよう」

 先生はイキイキと壁にまた赤の絵具を塗りたくり始めました。

 時刻は6時半。お夕食はまだ先みたいですね。

 

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