2;先生と作品

 朝です。東のお空から太陽が昇ってまいりました。ただいまの時刻は六時半です。

 優しい日の光を浴びながら、私は寝室代わりにしていた先生の家のリビングを眺めます。先生の家は2階建てで、広々としたお家です。和洋折衷というのでしょうか。すべりのいいフローリングと、テーブルとイス。数々の洋物の家具がありますが、けれど縁側もある、縁側には蚊取り線香の入れる豚の焼き物がおいてある、ああでも奥には西洋の暖炉もある……と言った感じに。不思議なお家でした。でも決して汚くはありませんでした。埃も髪の毛も落ちていない、すべすべぴかぴかのお部屋です。真十鏡先生はきれい好きなのでしょうか。

 真十鏡先生は作業場兼寝室だという二階へあがっています。私は起こしに行きません。

「七時半を迎えるまではぜっっったいに起こさないでね」

 昨晩、そう釘を刺されていたのでした。理由は分かりませんが、低血圧やらでいろいろ朝は弱いみたいなのです。

 起きてから一時間、何をしていたかと言うと、私は真十鏡先生のお洋服をたたんでいました。おそらく昨日干しっぱなしにしていたものでしょう。私はおせっかい心に火がついて、穴ぼこ空いていたズボンやらを修理してしまうほどでした。


 そんなことをしていると二階から足音がしてきました。ただいまの時刻は七時半。真十鏡先生です。

「おはよう、ぬいぬい」

 ふぁああとあくびを一つ。先生は今にもその場で寝てしまいそうなくらい、ふにゃふにゃな顔つきでした。綺麗な水色の髪が、ぼわわんと爆発していて、みっともないなぁと思いました。

「おはようございます、先生」

 私は作業の手を止めて、丁寧にぺこりと頭を下げて言いました。

 真十鏡先生とわたしの朝がやってきました。


 朝食です。私はぬいぐるみですから、食事をとる必要がありません。

 ダイニングテーブルにはレタスとトマトのサラダと、ベーコンと目玉焼き、白ごはんとお出汁とねぎの香りが豊かな味噌汁がありました。和洋折衷、和洋折衷でございます。

「いつもこのような食事をとられるのですか」

 私は尋ねました。

「そうだね、基本朝ごはんは面倒だからレシピはいつも大体これ」

 真十鏡先生はそう笑いました。

 真十鏡先生はご飯中、基本的に無口です。やることもない私は暇を持て余してしまいました。

 暇なので、真十鏡先生の外見的特徴について述べたいと思います。

 読み飛ばしていただいてもかまいません。そんなに重要なことではないと思います。

 真十鏡先生はおそらく二十代後半と言った感じの若さで、水色の髪は襟足が極端に長く伸びていて、その長さは腰のところまで来ています。頭髪はもさもさとゆるくウェーブがかかっていらっしゃいますね。何とも不思議な髪型です。まるでイカを思わせるようでした。

 お顔に関しては前も言いましたが、とても綺麗な顔立ちです。かといって派手ではなく、厭味ったらしくもなく、野に咲く白百合を思わせるような清純さがあります。完璧なのです。まるで烏羽玉教授が普段作っている人形作品のようです。見ていて「ああ、この人の笑ったところが見てみたい」という気持ちになりますね。


「どうしたの」

 先生から声をかけられて、ハッとしました。先生は食事を終え、重ねた食器を台所へ持っていくようでした。

「いえ、なんでもありません」

 恥ずかしくなって目をそらしてしまいました。


 先生は芸術家だとおっしゃっていました。絵を描いて生活しているのだそうです。

「いったいどんな絵を描かれるのです」

 昼下がり、私は尋ねることにしました。

「基本的には何でも好きだよ。風景画も、人物画も、彫刻画もボタニカルアートも」

 どうやらコレ! と決まった分野はないらしく、その日の気分や、リクエストに応じで作業を進めるらしいのです。

 絵が高値で売れることもあるので、贅沢をしなければ生活を営めるのだそう。

 このあたりにはお店が少ないので、食べ物は畑の人と直接交渉するのだとか。物々交換だったり、畑仕事を手伝ったりして野菜や食べ物を得るのだそう。作るメニューも極端にレパートリーがないので、それでなんとかできていると先生はおっしゃいます。

「特に何もない長閑な街だけど、まあ、芸術するなら文句はないね」

 私は"学研都市"で聞いていたような話と違う"街"の様子に、驚きました。

 "街"では昼夜問わず常に人の争いが絶えないところで、殺しや詐欺、人身売買などと言った悪事が横行していると聞いたのですが。

「ああ、そりゃ、騙されてんだよ」

 真十鏡先生は言います。

「"学研都市"の連中はみんなそういう風に教育されてるのさ」

 と、悲しそうな顔をされました。


 その時でした。パリーンと、耳をつんざくような音が鳴りました。

 窓です。リビングの窓硝子が割れた音でした。今いるダイニングとは扉1枚隔てただけなので、すぐに分かりました。

 私と真十鏡先生はすぐに扉を開き、リビングまで駆けつけます。ああ、なんてことでしょう! 私がたたんでいた洋服の上に、小石のように砕けてしまったキラキラのガラス片が降り注いでいます。

 私はガラスを割った犯人を見つめました。――烏羽玉教授の作品のひとつ、戦闘用人形「イソノカミ」でした。私はこの作品を知っています。まだ私が教授の研究室にいたころ、教授が「いずれ来る世界大戦のために兵士の代わりになる人形を開発した」と言っていました。

 イソノカミはおよそ160㎝ほどの、女性と見紛う様な姿をしています。完璧主義の教授のことです。外見設定にも凝りに凝ったのでしょう。黒髪の美しい、日本神話からそのまま出てきたような出で立ちです。

「私の名前はイソノカミ。教授の命を受け、推参した。そちらのぬいぐるみを渡してもらおう」

 イソノカミは機械がかった声色で話しかけます。殺意は感じられません、が冷たい鉄の声が、私たちをいつでも攻撃できるのだということをアピールしています。

「ああ、僕の名前は真十鏡。真十鏡水色まそかがみみずいろだ」

 対して真十鏡先生も取り乱すことなく、堂々と名乗りました。

「君は烏羽玉教授の作品だね。見ればわかるよ。完璧主義のアイツらしい出で立ちじゃないか」

「ぬいぐるみを渡してもらおう」

「それはできない」

 真十鏡先生は短く答えます。交渉決裂です。

 イソノカミはその瞬間、真十鏡先生に襲いかかってきました。流水の動きを思わせる、無駄のない華麗な跳躍です。イソノカミは短い刃物のような――おそらく小刀です――を腰から抜いて、真十鏡先生を切りつけようとしました。私はその瞬間、怖くて目をつむってしまいました。

 ――暗闇の世界から聞こえてきたのは、何かよくわからない、ピー……ガガガ……という、機械音でした。

 しばらくして目をゆっくりと開けると、そこには床に倒れているイソノカミと、悲しい目でそれを見下ろしている真十鏡先生がいました。

 何が何だかわからず呆然と立ち尽くしていると、真十鏡先生が「僕は何もしていないよ」、「この子は死んだんだ。僕の顔を切りつけようとしたから」とそう言いました。

「僕の顔は切りつけてはいけない。作成した時に、そういう風にプログラムされてたんだろう。けれどこの子は間違いをしてしまった。だから自死装置が発動した」

「自死装置……」

「昔からそういうやつなんだ、烏羽玉ってやつは」

 イソノカミはピクリとも動きませんでした。

「僕の顔は綺麗だから、アイツにとっては傷つけられちゃ困るんだとさ」

 だからイソノカミは自死して、綺麗な真十鏡先生を守ったということでした。

 私はよく分からなくなってしまいました。

 自分の作品に死を与える、そんな悲しいことがあっていいのでしょうか。自分の作品は自分の子どものような存在ではないでしょうか。生涯かけて愛すべき……とまでは言いませんが、それなりの愛情を注ぐべきなのではないのでしょうか。でなければ作品が生まれた意味とはなんなのでしょう。必要とされたから生まれたのではないのでしょうか。私はぬいぐるみです。人間ではありません。人間のように発達し繁殖する生き物ではありません。しかし私は、少なくとも失敗作扱いをされる前までは、烏羽玉教授に愛されて育ちました。私はだからこそ、烏羽玉教授を愛していましたし、父のように信頼していたのですが。

「……作品こどもは、生みの親に殺されると、最期はどんな気持ちで逝くのでしょうね」

「それは、きっと人間と同じようなものだと僕は思っているよ」

 真十鏡先生の優しいことばが、ただただ救いでした。




 真十鏡先生はリビングを掃除し始めました。

 私もお手伝いします。ちりとりとほうきでささっとガラス片を取り除きます。

「あれ、このズボン、穴がふさがってる」

 真十鏡先生はズボンを広げてそう言いました。

「ああ、私が裁縫しました。何か問題ありましたか?」

「いや、いいよ、すごく助かる。嬉しい。ありがとう」

 真十鏡先生はふ、と白い綿のように柔らかく笑いました。


 ――世界が、一瞬止まったのかと錯覚しました。


 それくらい、美しいものを見た、と思いました。

 ああ、やはり先ほどの先生のお顔の話、読み飛ばさないでください。でもこの方の美しさは、きっと、文面じゃ説明しきれてないのでしょう。難しいです、難しいのです、ええ。でも、きっと、一目見れば、綺麗な人だとわかってくださいます。私が絵を描けるぬいぐるみなら、絵を描いて皆様に見せていたのに。

「そうだ、君、僕の専属アシスタントにならないかい」

 私は即答しました。もちろん、と。

 私の新たな人生が、いまここから始まろうとしています。

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