美しいものを作り出す者が至上主義の世界で
トキハカ
1;先生との出会い
こんな世界は狂っている。なんて、どこぞの中学生が申しましょうか。小さいころは素直に幸福を享受して、友達にも恵まれ、休みの日には外にお出かけし、プールやら林やらに行って自然体験や運動に精を出していたでしょうに。しかしいつの日かそんなニコニコしてた子供は、世の中がそんなに幸せに満ちてないことを少しずつ知り、それを知っている、世に訴えることがカッコいいと勘違いし――もしくは誰かの受け売りで――、スレた成長をしてしまい、挙句の果てに「世界は間違っている」など申すのであります。子どもの精一杯の背伸びした発言ほどかわいらしいものはないのですが、こういう少々痛い発言に関しては目に余るものがございます。
ですがわたくし、言わせていただきます。
「こんな世界は狂ってる!!!!」
その瞬間びゅん、と音を立て、私の顔の横ギリギリを弾が抜けていきます。林中に銃声が響きます。私の悲痛の叫びなどすぐに掻き消されてしまいます。
ひっ、と小さく声が漏れましたが、それでも逃げの動きは止まることなく駆けよ駆けよと、綿でできた小さな足は必至で前へと伸ばします。私の体は綿と布でできたぬいぐるみなのです。なぜぬいぐるみが林を駆けているのかは後で説明します。今は余裕もなく、四の五の言っている場合ではないのです。
林を抜けたら。林を抜けた先にはきっとこの銃声を鳴りやんで、私の命は救われるはずなのです。それまで辛抱です。
「コラ!! 待て!! 止まれ!!」
後方で男の声がします。これは私の教授のものです。私の生みの親、
御年35歳。大学の若きホープだったはずなのですが、今では私というぬいぐるみを捉えるために必死で、悪路の林で私と追いかけっこをしています。ああ、ゼミのみなさんが見たら、いったいどんな顔をすることでしょう。幻滅した、情けないとおっしゃるでしょうか、それとも私もお手伝いします、必死な教授カワイイ! とでもおっしゃるのでしょうか。ああ、3年の露霜さまならそうなりそうですね。
「止まりません!! 私は自由に生きます!!」
威嚇射撃でしょうか。また一閃、私の横を弾が抜けました。そんな威嚇射撃にもひるまず、私は林を抜けます。
「さようなら、教授! どうかお元気で!」
私は林を抜けました。教授はこれ以上、追っては来られません。
ここから、私の新しい人生が始まります。
林を抜けると、そこは住宅街です。
閑静な雰囲気漂う、一見何の変哲もない一軒家が軒を連ねる街なのですが、私が生まれた学研都市とは違って、ここは定期検診を受けてない、野蛮な人間が住むところなのです。さっきの烏羽玉教授の言葉を借りるなら「精神汚染の進んだ人間を放り込む人間廃棄場」らしいのです。国の法律も適用されませんし、人間の基本的な人権もあるのかわかりません。この街は無法地帯なのです。なのでこの街に正常な精神を持つ人間が入ることはできません。いえ、言い方が悪かったですね。街に入ることはできます。できるのですが、入ればたちまち先住民の"洗礼"により精神は汚染され、二度と学研都市に戻ることはできないそうなのです。まず学研都市の政府がそれを許しませんから。私は生まれてからすぐ、その話を烏羽玉教授に聞かされてました。それこそ、イソップ寓話のごとく「やってはいけないよ」と読み聞かせるように。
けれど私はこの街に踏み入れました。私はもう学研都市には戻れません。
これでいいのです。それこそが私の人生なのでしょう。
街をしばらくあてもなく歩いていると、道沿いに小さな看板が見えました。
看板……お店の名前ではないようですね。白いペンキを塗った木の看板です。なんて書いてあるのでしょう。ええと「よってらっしゃい、子どもの遊び場」と書いてあります。よく見ると看板の近くにはそれらしき建物がありますね。
建物は簡素なプレハブのような小屋でした。大きな窓があって、その中をのぞくことができます。そろそろと中を覗くと、なにやら、木のおもちゃや何かの絵具やら、道具がいっぱいあります。ここはアトリエなのかもしれません。
アトリエといえば、私は美術芸術には通じておりますから、ある程度見る目はあるのです。私の目から見て、このアトリエはなかなかセンスのあるものでした。手作りのぬくもりある木の座卓と、壁にかけられた道具でさえインテリアになる収納棚、そして日の光をいっぱいに取り入れてくれそうな大きな窓。
このアトリエの持ち主はいったい誰なのだろう……私は俄然気になってきました。
表札を確認します。「
アトリエの奥には家が建っています。家の周りは木が生い茂る、自然に囲まれたお家です。まるで森の木こりのお家みたいです。私は玄関と思しき扉をノックしました。こんこんこん。3回。
しばらくすると奥の方で何かをひっくり返した音とともに「あぎゃひやあああああああー!!」などという、できれば人の悲鳴と思いたくない下品な声が聞こえてきました。マイナス、マイナスですよこれは。アトリエでセンスあると思ったのに、期待はずれなのかもしれません。
ドタドタというあわただしい音を響かせながら、がちゃりと扉があく音がしました。
「ハイ!! なんでしょう!」
私は驚きました。そこに現れたのは、血みどろの男性だったのです。
「キャーーーーーーーーー!!」
私は林の中で烏羽玉教授に襲われた時以上に大きな悲鳴を上げ、バッと後ろに引きました。
家から現れたのは、血のようなものを頭からかぶった、水色の髪をもつ、男性でした。水色の髪だと分かったのは、彼が長髪で、毛先などは赤に染まってない部分が残っていたからでした。
「待って待って! これ違うから!! 絵具!! かぶっただけだから!」
男の方は焦ってそう叫びました。
「ほら、血の匂いしないでしょ!」
確かに辺りに漂うのは血の匂いではなく、よくある絵具のアルコールにも似た匂いでした。
「……すみません」
「こちらこそ、驚かせてしまってごめんね」
謝られてしまいました。挨拶の出来る方みたいです。とりあえず安心しました。
無法地帯、と聞いていたので、どんな方が出てくるのか身構えていたのですが。
「とりあえず上がって」
私は家にお邪魔することにしました。
「私は真十鏡。真十鏡水色。芸術家だ」
居間に通されて、お茶を出されました。今は簡単な自己紹介をしています。
私も簡単に返します。
「私はぬいぬいと言います。烏羽玉教授の17番目の作品で、失敗作のぬいぐるみです」
烏羽玉教授は私の父親です。大学の方で人形などの作品を作っていました。しかし私は失敗作だということで、処分されそうになりました。だから林を駆けてここまで逃げてきました――。そういう身の上話も簡単に説明しました。
「烏羽玉かあ。よく知ってる名前だな」
真十鏡先生は顎を撫でながらそう言います。もう絵具はすっかり落してしまっています。
真十鏡先生はその名と同じで水色の長髪を持つ、若く、美しい顔立ちの方でした。
顔面偏差値、なんて言葉が世にはありますが、それこそ顔面偏差値でいえば、かなり上の方であることは間違いありません。私は学園都市でもこのような顔立ちの方を見たことはありませんでした。女性的で優しい表情をされる顔の方です。
「大変な目に遭ってたんだね」
「はい」
真十鏡先生は私の頭を撫でました。私の体は標準のぬいぐるみよりかは大きいですがそれでも人間より質量が軽いので、頭部が少しへこみます。
「烏羽玉も酷いことをするなぁ、失敗作を抹殺しようとするなんて、あいつは学生時代から何も変わってないんだな」
「烏羽玉教授をご存じで」
「そうだね、学生時代のアイツを知ってるよ」
少し昔話に花が咲きました。
その後、真十鏡先生からこれからどうするか尋ねられて
「まだわかりません」
と答えました。ぬいぐるみですから、食事は必要ありません。よほどの環境ではない限り、死ぬことはないでしょう、と答えました。真十鏡先生は、うーん、でもこの街じゃどんなことが起こるかわからないしなァ、とあまりいい顔をしませんでした。
「まあ、今日は泊まっていきなよ」
そういう真十鏡先生の言葉に、今日は甘えることにしました。
事件が起きたのは、その次の日でした。
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