形愛 ―春日井遥希の場合―

「ふぅぁああ。さーて、じゃあ閉めますかね」

 他に誰もいなくなった灰色のバックヤードに、ちょっと低めな私の声が響く。時刻は十二時をとっくに回っていて、そりゃあくびも顔をのぞかせるだろって時間。最後の客を見送ったのが一時間前、スタッフのコを見送ったのは三十分前なんだけど、残念なことに雇われ店長であるこの私はこの時間まで〆の作業をしていた。

 ロッカーの中にあるコートをそそくさと着込んで、あんまり荷物の入ってない小さなハンドバックを手に取りタイムカードを切る。はい、これにて今日の勤務終了っ。とはいってもここから戸締りのチェックとかあるから、これは対面上でのお話なのだけど。

 窓、よーし。裏口の鍵、よーし。表の鍵、よーし。そしたらもっかい建物をぐるっと回って、外から窓を確認。あ、ヤバい給湯室の窓開いてる。慌てて中に戻って締めに行く。外から再三の確認。うん、これでよし。最後にセキュリティをオンにして、これでやっと私の仕事は終わりだ。胸に仕込んでいた懐中時計で時間を再度確認すればもうタイムカード切ってから十分も経ってて、自分のいつも通りの手際の悪さに辟易する。

 ふと見上げれば空は雲一つない綺麗な夜空で、お月様も綺麗な真ん丸。少し凹んでいた気持ちも盛り返してきて、心なしか歩幅を広くして駅までの道のりを歩いていく。

 街は夕方のオレンジの喧騒とはまた違う、紫色の怪しい雰囲気。ポツリポツリと飛び石みたいに暗い色のネオンサインが光ってる。ここに初めて来たときはその違いに驚いたり慄いたりもしたけれど、そんなのも慣れてしまえば日常そのものだ。ちらほらいる客引きのおじさんやお兄さんお姉さんにもすっかり顔が知れてしまったようで、「お疲れ様です」「いえいえどうも。そちらも大変ですね」みたいな小粋な会話をこなせるようになった。

 駅前の地下駐輪場に着くと警備員さんが迎えてくれた。こんな時間に自転車で帰るやつなんて私ぐらいだからここの警備員さんたちともすっかり顔を覚えられちゃって、たまにコーヒーくれる人もいたりする。もちろん私は自転車で来ているから乗りながら飲むなんて気ような真似は出来ないから警備員室の前でだべりながら飲んでるわけだけど、もしかしてこれって誘われてるんだろうか。自意識過剰かな。今日の人はそのコーヒーをくれる人だった。もう冬も終わりだから凍えるほど寒いってわけじゃないんだけど、それでもあったかいコーヒーを握ってると心までポカポカしてくるみたいだった。

「どうしたの。今日はまた一段とお疲れみたいだけど」

 そうかな。疲れ、顔に出ちゃってるかな。よくないなぁ、歳のせいってことにしとこう。

「あはは、バレちゃいますか。いやぁ今日昨日一昨日と常連さんいっぱい来てたんで、慣れさせるために新人のコ振り当てたんですよ」

「あー、うん、なんとなく分かった。何人残った?」

「元の半分。はあぁ、仕方ないとはいえまた求人出すの面倒だなあ」

 もっとも逆にあんな客を当てて半分も残った、とも言えるんだけど。『裸を見せるだけ!』なんて求人だから、やっぱりあんまり度胸の無いコでも来てしまうのだろうかと思うと、今度求人出すときはもうちょっと凄味の入った文章書こうかなとか思案してしまう。

「しかし大変だねぇ、彼氏のためとはいえこんな時間まで働いて。あの店で働いてもう結構経つんだし、随分お金も溜まったろ? 彼氏に貢ぐのもいいけど、せめて車ぐらい買ったらどうなんだい」

「いやー、アタシもそうしたいのはやまやまなんですが、残念ながらそうもいかないんですよ。貯金もいっつもかつかつで、月末なんてもうオーナーに給料の催促しちゃうぐらい」

 警備員さんは大きな声でおなかを抱えて笑った。地下は自転車以外何もないからその声が反響して、なんだか大勢に笑われるお笑い芸人みたいな気分になった。そんなに面白かったのならなによりだ。

「でも実際のところ、最近彼氏とはどうなのさ? ここに来てからずーーーーーっとアンタが貢いでる話しか聞かないんだけど、もしかして外に女作って遊んでたりするんじゃないの?」

「む、失敬な」

 口を尖らせて拗ねたふりをする。慌てて警備員さんが謝ってくるのが面白くてそのまま怒ったふりを続けていたら、次第に謝罪の文言が真面目になってきちゃったので今度はこっちが慌てて謝る番。笑顔で冗談ですよー、って言ったらむこうも笑い返してくれて一安心。よかったよかった。

 きりがよかったのでお話を中断して奥に待つ愛車を迎えに行く。こんな時間だからまばらにしかないはずなんだけど、それでも異彩を放つ私の愛車。フレームピンクに塗ったのが悪かったかな。可愛いと思うんだけど。鍵を取り出しロックを外し、またがったままテコテコと足で地面を蹴って警備員室前まで戻る。

「じゃ、そろそろ行きますね。家で彼氏が待ってるんで。もうアタシにぞっこんでメロメロでラブラブな彼氏が、それはそれは首を長くして待ってるんで」

「はいはい、またね」

 警備員室の小さな窓からから手を振る警備員さんはなんだか小動物みたいで、可愛いな、って思ってしまった。次はもう少し長く話してあげようかな。



 街っていうのは案外狭くて、5分も自転車を漕げば閑静な住宅街へと姿を変える。この辺になるとネオンも建物の明かりもすっかり消えて、あるのは街灯の明かりくらい。私は口笛を吹きたい気持ちを我慢しながら自転車をこぎつつお金のかかる彼氏のことを考える。

 今一番に考えるのはやっぱりサトシ君のことだった。他の彼氏よりも大きくて頼りがいのあるがっしりとした体が特徴的。切れ長の目もクールでカッコいいし、なにより寝るときに私をしっかりと抱きしめてくれる。他の彼氏よりはるかにお金はかかったけど、その分満足度は段違いだった。今までの彼氏も決して不満があったわけじゃないけど、私を抱きしめてくれないのはやっぱり寂しかった。そういうときは代わりに私が抱きしめてあげるんだけど、そんな私だって甘えたい時はあるのだ。そういう私の需要にサトシ君はしっかりこたえてくれていて、本当に理想の彼氏だと思う。職場のコや警備員さんに紹介できないのが残念ではあるんだけど、まあ仕方ない。いくら私が惚れこんでいても、他の人にとっては赤の他人なのだ。

 そうこうしているうちに我が家へ到着。自転車を今にも崩れそうな階段の下にある駐輪場に停め、明かりの点いていない自分の部屋の前へ。隣の部屋はこの時間いつも明かりが点いているのだけれど、未だに早起きなのか夜更かしさんなのかがよく分からない。私とは多分住んでる世界が違うので、そもそも顔もほとんど見たことがない……と思う。人の顔覚えるの苦手なんだよね。

 立てつけの悪い扉を少し力を入れて開ける。扉の横にあるスイッチを手探りで探し当て電気を点ける。部屋の真ん中にぶら下がっている電球がしばらく明滅したあと本来の明るさを取り戻し部屋を照らすと、ちゃぶ台の向こう側にいつもと同じようにサトシ君が座っていた。いつもとくぁらない当たり前なんだけど思わず嬉しくなって、靴も適当に脱ぎ捨てて彼に飛びつく。彼は何も言わずに私を受け止めてくれた。

「ただいま~! 寂しかったよお~!」

 彼の胸に頭をこすり付けおもいっきり甘える。外では体裁保つためにしっかり構えているけど、彼氏の前では私も普通の女の子に戻るのだ。彼は無口だから何もしゃべらないけど、私のことをしっかりと支えてくれてる、良きパートナーだと心から思う。

 ふと視線を感じて横のケースに目をやると、ケンジ君とマサル君が恨めしそうにこっちを見つめていた。そういえば最近はサトシ君にばっかり構っていて、他の子にはかまってあげられてないな。今日明日は久しぶりに二連休だからサトシ君とずっとイチャイチャしていようかとも思ったけど、どうせならメンテナンスも兼ねて久しぶりにみんなでお茶会でも開こうかな。でもとりあえず今は眠いから寝る準備をして、お茶会の準備は起きてからやることにする。

 サトシ君を抱き上げ、敷きっぱなしのお布団に一緒にダイブ。彼が私を抱きしめられるように、彼の腕の角度を変えていく。カチリカチリという音をたてながらゆっくりと肩と肘の角度が変わっていき、上手く私を抱きしめる格好になるように調整をする。これでよし。

 寝ながら電気を消せるようにと延長した電気の紐を引き、部屋の電気を消す。暗闇でも彼のガラス玉で出来た目は絶えず私を見つめていて、なんだかちょっと恥ずかしい。そのままだと眠れそうになかったので、惜しいけど私の手で彼のまぶたを下ろした。


 おやすみなさい。私の愛する人形たち。

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