親愛 ―清里友美の場合―

「おつかれー。ごめんね、入って早々あんな客おしつけちゃって。でもほら、あいつも言ってたけどウチの客あんなのばっかりだから」

 更衣室に無遠慮に入ってきた店長は、手を合わせながらそんなことを言う。私まだ着替えてるんだけど。女同士だから気にしない、なんてのは個人の感覚でしかなくて、私は正直嫌悪感しか抱かないんだけど、これも仕事だからそこは笑顔で応対する。

「ほんとですよー。裸を見せるだけなんて言うからどんな楽なお仕事かと思ったら、あんな変態相手にだなんて思ってませんでした」

 裸を見せる、なんて仕事が普通のお仕事だなんてはなっから思ってなかったけど、それでも最初にあんな客を当てられれば正直キツイ。薄汚い恰好で身体について延々語ってる姿とか完全に犯罪者のそれでしょ。

「まぁあの人はこっちから話しかけない限りはポージングの指示以外に言葉を発しないし、まだましなほうだよ。見続けながら時間いっぱいまでブツブツ呟いてる客もいるし」

「げー。それ大丈夫なんですか? 絶対頭おかしいタイプの人ですよね」

「店はいるときに持ち物検査と身分証の確認はしてるし、ガラス板で区切ってるから大丈夫だとは思うんだけどね。ウチじゃ今のところは事故もないし」

 ウチじゃ今のところは、ってことはありえるのか。もしくは別のところで実際にあったのか。興味津々なのはあるけど深入りしてもいいことないし、ここはぐっとこらえて我慢。

「そうそう、あのガラス張りの部屋とかどうにかならないんですか。色んな方向から見られるように、って配慮なんでしょーけど、中に入ってる身としては動物園のパンダみたいな気分でしたよー」

「初めての子は皆そういうね。女の子ってパンダ好きだよね」

 そこはどうでもいいんだけど。正直三面ガラス張りの部屋に入って外から見られるさまは、動物園の動物でないなら特殊なAVの撮影みたいだった。聞いただけで見たことはないんだけどね、AV。

「で、どうだった? 一応これっきりで辞めることもできるけど」

 悩みどころだ。たしかに不愉快な仕事ではあるけど、難しい仕事ではないしお金も結構もらえる。不愉快さとお金を天秤にかけて、うーん、よし決めた。

「続けます。不愉快なだけで基本的に安全ですしね」

「そう言ってくれて助かるよ。あのお客が気に入るってことは結構な身体持ってるんだろうし、すぐに固定客もつくだろうからお給金もすぐに増やせると思うよ」

「店長は体の良し悪しとか分からないんです?」

「あたしはほら、普通だし」

 普通、ねぇ。

 あれに気に入られるのは正直鳥肌ものなんだけど、それでも早めにおっきなお金が欲しくてしょうがないからお給金増えるのはありがたいことだった。

「で、そしたらあらためて出勤日だけど」

「基本的に土日だけですねー。一応学生ですし平日はちょっと」

「はいはい。んじゃ今度は来週の土曜だね」

 ほんとは平日でもいいんだけど、そうするとあの人が怒るし。私の体なんだしどうやったって私の自由だと思うんだけど、あの人は私のことを未だにお人形か何かと勘違いしてるんだと思う。

「……ん。よし。じゃあ店長そろそろ時間ですし着替えも終わったんで」

「ああ、そうだったね。じゃ、また来週。こういう立場で言うのはおかしいんだろうけど、危ない人には気を付けてねー」

「はーい」

 そう言って店長に手を振り、更衣室を抜けて裏口から外に出る。街はすっかり夕焼けのオレンジ色に包まれていて、お酒の入った大人たちがガヤガヤザワザワしてる。その中をすり抜けて駅の改札を通り、最寄り駅までの電車に乗り込む。途中で小汚いおじさんを見かけると「あの人もあの店来たりするんだろうか」とかちょっと思ったり。

 しかしあの店長すごくフレンドリーで軽薄な感じだけどあれであの店の店長務まるんだろうか。どうやったって普通のお仕事じゃないし、ってことはきっとヤのつく人とかのお世話にもなってるんだろうし。でもああ見えて裏じゃ意外とあくどいことやっているのが大人ってもんか。料金システムとか全く気にしてなかったけど案外かなりピンハネしてたりして。ま、私は額面通りにお金がもらえればそれでいのだけれど。




 そんなことを考えていると案外すぐに最寄り駅に着いてしまった。来るときはもっと長くかかった気がしたのだけど、それは多分慣れない所に行くときの緊張のせいとかだろう。最寄り駅はさっきの駅と違いほとんど人の気配がしなくて、逆にこのくらいが私にとっては心地いい。改札代わりに立て看板に括りつけてあるICカードリーダーに財布を押し付け駅を出て、ポツポツと明かりの見える住宅街を少し早めに歩く。

 玄関に着くと2階の書斎の電気がついているのが見えてちょっとウキウキ。今日は早めに帰るのは分かってたけど、それでもやっぱり嬉しいものだ。ついでに居間の電気がついてるのも見えてこっちはゲンナリ。あの人も嫌いじゃないけど近すぎるんだよね。

 そう思いながら財布に繋がっている鍵を出して玄関を開け家に入る。扉の開く音がしたあたりから居間のほうがらドタバタと音が聞こえてきた。聞こえないふりだけならいくらでもできるのだけど、目の前に見えるものは無視できないわけであって。

「おかえりなさい! 今日は何してたの?」

「ただいま。別にいいでしょ、何してたって」

 慌ただしく居間からバタバタと登場した横に広い人が私のママかと思うと、正直現実から目を背けたくなる。別に綺麗になれとは言わないけど、もう少しやりようはあるでしょ。女捨ててるとしか思えない。

「よくないわよ! 子の成長をしっかりと見つめ育んでいくのが母親としての務めですもの」

 いい加減この過干渉もやめてほしいところなのだけど、何故か年齢を重ねるごとに酷くなっていっている。この年の娘にこんなに構うママなんて他じゃ聞かないし、正直異常だから本当に勘弁してほしい。とりあえず言い訳の為にあらかじめ考えておいた設定を話す。

「あー、はいはい。繁華街に遊びに行ってました。ゲームセンターで遊んでましたー」

「どこで? 誰と?」

「いい加減にしないとパパに言うよ」

「むー、いけず」

「いけずもなにもないでしょ。夕飯出来てるんでしょ、早く食べよう」

「はーい。あ、そうそう。今日はあなたの好きなオムライスよ」

 ママは子供の頃に「ママのオムライスおいしー」なんて言ったのを覚えていて、ことあるごとにオムライスを作ってくる。

「はいはい。食べ終わったらお風呂入って早めに寝るから。毎度言ってるけど勝手に部屋入ってこないでね」

「もー、そんなことするわけないじゃない。じゃあすぐにお夕飯にしましょうね」

 するわけない、わけがない。ちゃんと毎日言っておかないと、ノックなしで部屋に入ってくるのだ、このママは。油断するとプライバシーもなにもなくなってしまう。

 居間に入るとテーブルにオムライスとスープが二セット、ご丁寧に対面でセッティングされていた。どうやら食事中に今日の出来事を聞き出すつもりらしい。

「パパのは?」

「いつも通り。まったく、あの人帰ってきてもいつも部屋に籠ってるんだから。少しは実の娘と話でもしたらいいのに」

「仕方ないよ。そういう性分の人ってわかって結婚したんだから。さ、食べよ」

 すぐに椅子に座り手を合わせていただきます。スプーンで一口食べると、子供のころから一切変わらないオムライスの味がした。んん、今食べると別段不味くも旨くもない。






「あ、パパ。ただいま」

 ママとのわずらわしい食事も終わり二階に上がって自室へ帰ろうとすると、丁度手洗いから出てきたパパと鉢合わせた。相変わらず髭も髪も適当に伸ばしっぱなしで、廊下の薄暗がりと合わさって妙な威圧感を放っていた。まさかむこうも会うとは思っていなかったようで。

「……おう、おかえり」

「久しぶり、だね。一ヶ月ぶりかな」

「……忙しかったからな、悪かったよ」

「そう思うなら待ってたご褒美、欲しいかな」

 ちょっと拗ね気味に私がそう言うとパパは困ったような顔をして考え込み、意を決したように顔を上げた。泣き出しそうに見えるのは気のせいってことにしておこう。

「……日付が変わったら、俺の部屋でな」

 そういうパパの顔は今にも崩れ落ちてしまいそうで、対する私は喜びで思わず飛び跳ねそうになった。実際に飛び跳ねたら下にいるママに気付かれちゃうから、足に力が入ったのを無理やり押さえ込んで身体を床に留める。

「うん、分かった。パパも楽しみにしておいてね」

「……俺は、別に」

「へー、そっか。それでも私は別にいいけど」

 つよがり。でも今はいい。そう遠くない未来に、二人で素直になれる日が来るはずだから。

 再び俯いて地蔵みたいに固まってるパパに近寄ってそっと手を取り、私のお腹にあてがう。耳に唇を寄せて、呪いを一つ。

「ね。三人で幸せになろうね」




 

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