身愛 ―石塚俊樹の場合―

「ねーえ、まだこの体勢じゃなきゃダメ?」

 目の前で手を頭の後ろに回し、セクシーポーズをとっている女性が辛そうにそう訴えてきた。俺は無言で首を横に振る。まだ足りない、時間は充分にあるのだ。もっと見なければ損だ。

「いいかげん疲れたのよー。もう二十分もこの体勢なのよ? 仕事だから休もうなんて言わないけど、せめてもう少し動いてもいいでしょう?」

「駄目だ。……君、もしかしてこの店で働き始めたのは最近か?」

「ええそうよ。まったく、「身体を売る必要のない、見られるだけでいい楽な仕事だ」って言うから期待してたのに……」

 なるほど。それならば納得がいく。俺のような客は決して多くはないが、こんな店で働いていればそれほど珍しいわけでもない。それを知らない彼女はまだまだ駆け出しの新入り、というわけだ。

「だいたいボディビルにいるようなガチガチの筋肉ダルマならともかく、こーんなか弱い女性の筋肉なんて見て、一体何が楽しいのかしら」

 ため息を吐きながら彼女は毒づく。随分辛辣なことを言われたものだ。ま、それも結構。はなから理解されるものだとは思っていない。

 それでも、この世界で働いていくなら知っておいた方がいいこともあるだろう。理解はせずとも「そういう人間もいるのだ」と知っておいたほうが、この娘の心持としても幾分か軽くなるだろう。そう思い俺は親切に説明してやることにした。

「いいか、俺は別に筋肉だけをみたいわけじゃない。骨、脂肪、筋肉、皮膚、血、靭帯、筋膜、腱。その他諸々によって表出する「人間」という一個の肉塊。それに興味があるだけだ」

 たしかに筋肉単体、骨単体、皮膚単体でもそれは美しい、その美しさは否定しない。だがそれ単体で満足している様では二流だと俺は思う。その美しさは筋肉のみでは成立せず、その周りを支える数多のパーツによってその美しさが保たれているのだ。その美しさが完璧に調和してこその美しさなのだ。筋肉のみの美しさを見るのであれば、確かに筋肉ダルマでもいいのかもしれない。だが調和としての肉体を見るのであれば、やはり日常生活を送る、ごく平凡な人間の肉体こそが真に美しいのだ、と俺は常日頃考えている。

 見る。見る見る。見る見る見る。舐めまわすように、這うように。女性のその小さな体ですら存在感を感じる背中を。そのポージングによってせり出した胸を。脂肪が付き軽く垂れている上腕を。その上腕から続く、細くしなやかに完成された前腕を。あまりに細く、折れてしまいそうな指先を。あばらの見えるほど切りつめられた腹部を。女性特有の大きく広がった腰を。腕と比べてあまりに太く雄々しい大腿を。逆三角形の骨部と筋肉による窩部に彩られた膝蓋を。筋肉による凹凸が一層けわしい下腿を。現代人特有の小判型の足を。そしてなにより、俺の話を聞いて恐怖に歪んだその表情を。その生々しいまでの生のありようを。おれは何より愛している。



「……あぁ、旨かった」

 十二分に楽しんだ。満足だ。そんな気持ちを胸に、俺は薄暗い自室で一人惚けていた。今日はたっぷり昼から六時間、あの上質の肉体を堪能させてもらった。もっとも、あの娘はもう俺の前に出てくることはないだろうが。あの店で働き続けるかどうかも怪しいところだ。なにせこの界隈は真顔で裸の人間を前に「解体したい」「剥ぎたい」なんてぬかす輩がわんさかいる。俺の話を聞いた程度であの調子では、おそらくこの話を聞かなくても近いうちにこの仕事を辞めるだろう。

 俺はそんな奴らとは違う。それは内臓、深層筋的な意味でも、精神的な意味でもそうだ。人間は見える範囲が美しければそれでいい。化粧をした姿が美しければいい、なんて輩がいるが、ありゃ正しいと俺は思う。見えない部分なんざどうだっていい。触れないのは少し残念だが、この界隈じゃセックス以外の目的で触るとなると、とたんに金銭的負担が大きくなる。ま、俺や他のやつみたいな変態が多いくて、なにされるか分かったもんじゃないからなんだろうが。代わりにさっきみたいな「見る」だけのは安く設定されていて、俺みたいなのは安上がりで済んで助かっている。

 なによりこういう店で出てくるのは大抵が経験の少ない素人なのがいい。生活がより一般人に近ければ近いほど、俺の理想とする肉体に近づく。妙に作りこんでいる養殖物も駄目とは言わないが、グレードが数段落ちる。やはりなんにしたところで天然ものが一番、というわけだ。

 そうやって俺が今日の肉の味を思い出していると、ふいに玄関のチャイムが鳴った。もう時刻は九時を回っている。こんな夜中に一体誰だ。そう思い文句の一つでも言ってやろうと玄関へ向かい扉を開けると、そこに立っていたのは隣に住んでいる優男だった。俺好みの身体をしていたからかろうじて覚えている。

「こんばんは」

「……こんばんは、何か用ですか」

「いえね、唐揚げを作りすぎてしまったので、隣近所におすそ分けして回ってるんですよ」

 そういいながら左手にかけたエコバックに視線を流す優男。表情筋の動きがとても豊かでそそるものがある。それにその中身はそこそこの重さがあるのか、上腕の筋肉がせりだしていた。うん、いい肉だ。

「はぁ……」

 俺が生返事になってしまうのも無理はなかった。そのくらい男の肉体は魅力的だった。まさに普通と言っていい。ベスト、そうベストだ。

「あ、ご迷惑でしたら無理にとは」

「い、いえ、そんなことは。好きですよ唐揚げ。うんうん」

「ならよかった。実は最近彼女と別れたばかりで。その彼女が結構な大食漢だったんですが、その時と同じ勢いで作ってしまったんですよ。ハハ、恥ずかしい話です」

「なるほど、それで」

 適当に相槌を打つ俺。そういえば前見たときは豚のような女性がこの優男の横を歩いていたような気がしたが、あれは彼女だったのか。だとすれば作りすぎたというのも納得がいく。結構な巨漢だったものな、彼女。

「それでですね、その時に買いためておいた肉がまだあるんですが、どうも消費しきれなくて。ものは相談なんですが、もしよろしければ今度ウチに食事でもしに来ませんか」

 願ってもないことだった。こちとらもう何年もまともな食事なんてしていない。しかも俺好みの身体となんて願ったり叶ったりとはまさにこのこと。俺はすぐに快諾し、優男は俺に唐揚げを渡した後微笑みながら去って行った。

 優男が去った後、俺はゴミだらけのリビングで一人唐揚げをむさぼった。唐揚げは肉の部分が少なくほとんどが脂身だったが、それでも久しぶりに食ったコンビニ飯以外の食事は、俺にとっては馳走と思えるほどにうまかった。

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