第7話 哲学者少女は欲求不満

 実際また河童の恋愛は我々人間の恋愛とはよほど趣きの違うものである。

 雌の河童はこれぞという雄の河童を見つけるが早いか、雄の河童を捉えるのにいかなる手段も顧みない。一番正直な雌の河童は遮二無二雄の河童を追いかけるのだ。

 現に俺はキチガイのように雄の河童を追いかけている雌の河童を見かけたことがあった。いや、そればかりではない。若い雌の河童はもちろん、その河童の両親や兄弟まで一緒になって追いかけるのである。

 美少女たちが美少女を追いかけ回している様子をみて、これを動画にとって編集すればどこぞのマニアに売りつけることができるのではないかと俺は思ったものだ。

 

 雄の河童こそ惨めなものだ。なにしろ散々逃げ回った挙句、運良く捕まらずにすんだとしても、2、3ヶ月は床についてしまうのだから。

 俺はある時、俺の家でトックの詩集を読んでいた。するとそこへ駆け込んできたのはあの雄河童の学生のラップである。ラップは俺の家へ転げ込むと、床の上へ倒れたなり、息も切れ切れにこう言うのだ。


「大変だ!とうとう僕は抱きつかれてしまった!」


 俺はとっさに詩集を投げ出し、戸口の錠を下ろしてしまった。しかし鍵穴から除いてみると、硫黄の粉末を顔に塗った、背の低い雌の河童が一匹。まだ戸口をうろついているのだ。ラップはその日から何週間か俺の床の上に寝ていた。もちろん彼女はパンツを晒け出したまま寝ているものだから俺にとっては気の毒でしかなかった。

 しかし俺の気の毒などよりも、彼女はもっと深刻なようだったらしく、結局ラップの髪の毛は綺麗な黒色だったのがすっかり白色に変わってしまった。


 もっとも時には雌の河童を一生懸命に追いかける雄の河童もない分けではない。しかしそれも本当のところは追いかけずにはいられないように雌の河童が仕向けるのだ。

 俺はやはりキチガイのように雌の河童を追いかけている雄の河童も見かけた。雌の河童は逃げて行くうちにも、時々わざと立ち止まってみたり、スカートの裾をチラリとあげて誘惑して見せるのだ。その光景を見る度に俺は雄の河童を押しのけて雌にしゃぶりつきにいこうと何度思ったことか分からない。

 おまけに雌の河童はちょうど良い状況になると、さもがっかりしたように楽々と捕まってしまうのだ。俺の見かけた雄の河童は雌の河童を抱いたなり、しばらくそこに転がっていた。が、やっと起き上がったのを見ると、失望というか、後悔というか、とにかく何とも形容できない、気の毒な顔をしていた。

 しかしそれはまだいいのだ。これも俺の見かけた中に小さい雄の河童が一匹、雌の河童を追いかけていた。雌の河童は例のとおり、誘惑的遁走をしていたのだ。するとそこへ向こうの街からモデル体系のいかにも大きい雄の河童が一匹、堂々とした出で立ちで歩いてきた。

 雌の河童は何かの拍子にふとこの河童を見ると、「大変です!助けてください!あの河童は私を殺そうとするのです!」と金切り声を出して叫びだしたのだ。もちろんモデル体系の大きな雄の河童はたちまち小さい河童を捕まえ、往来の真ん中へねじ伏せてしまった。小さい河童は地面に叩きつけられると尻尾を巻いて逃げる犬のように一目散に去って行った。けれどももうその時には雌の河童はニヤニヤしながら、大きい河童の首っ玉へしっかりしがみついてしまっていたのである。

 

 俺の知っていた雄の河童は誰も皆言い合わせたように雌の河童に追いかけられていた。もちろん妻子を持っている者もやはり追いかけられたのだ。のみならず2、3度は捕まってしまったという。



 ただ、マッグという哲学者の少女だけは(あの詩人のトックの隣に住む河童である)一度も捕まったことはない。これは一つにはマッグくらい、醜い河童が少ないためだとトックは述べた。しかし俺から見てみると、彼女が醜いかどうかはまったくもって分からなかった。

 控えめに見れば確かに眼鏡をかけて地味な少女には見えるが、ブレザーの制服がよく似合う小さな顔は未成熟な少女性を魅力に持つかわいらしさがあった。(もちろん彼女は雄の河童なので、かわいさがモテるかどうかに関係あるかは分からないが)


 俺はこのマッグの家へも時々話に出かけた。マッグはいつも薄暗い部屋に七色の色ガラスのランタンを灯し、足の高い机に向かいながら、厚い本ばかり読んでいる。分厚いビン底眼鏡の端で俺の姿を捉えると、彼女は挨拶の代わりにはにかんで見せる。

 俺はある時こういうマッグと河童の恋愛を論じ合った。


「なぜ政府は雌の河童が雄の河童を追いかけるのをもっと厳重に取り締まらないのだ?」

「それは一つには官吏の中に雌の河童の少ない為ですよ。雌の河童は雄の河童よりも一層嫉妬心は強いものですからね」


 そう言うマッグは彼女が読んでいる分厚い哲学書の上から目だけを覗かせてこちらの様子を伺っている。まさしく本の虫という表現が当てはまる彼女はこの様に話をしているときですら、本を手放したところを見たことがない。


「雌の河童の官吏さえ増えれば、きっと今よりも雄の河童は追いかけられずに暮らせるでしょう。しかしその効力も知れたものですね。なぜと言ってご覧なさい。官吏同士でも雌の河童は雄の河童を追いかけますからね」

「じゃああなたのように暮らしているのは一番幸福なわけだな」


 この言葉に彼女はムッとした目つきを俺に向かって返してくると、ずいっと椅子から立ち上がり、離れたソファに座る俺に向かって歩き出す。そして彼女は俺の両手を握りしめると、ため息と一緒にこう言った。


「あなたは我々河童ではありませんから、お分かりにならないのももっともです。しかし私もどうかすると、あの恐ろしい雌の河童に追いかけられたい気も起こるのですよ」


 そういうマッグのパンツは彼女の少女性とはかけ離れた、欲求不満を表す黒のレースのものだった。

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