第6話 美しき詩人はなびかない
俺はラップにバッグにも劣らぬ世話になった。が、その中でも忘れられないのはトックという河童に紹介されたことだ。トックは河童仲間の詩人だ。詩人が髪を長くしていることは我々人間と変わらない。
俺は時々トックの家へ退屈しのぎに遊びに行った。トックはいつも狭い部屋に高山植物の鉢植えを並べ、詩を書いたりタバコを飲んだり、以下にも気楽そうに暮らしていた。そのまた部屋の隅にはトックの彼女とみえる雌の河童が一匹、(トックは自由恋愛家だったので、妻というものを持たなかった)編み物か何かをしていた。トックは俺の顔を見ると、いつも微笑してこう言うのだ。
「やあ、よく来たね。まあ、その椅子にかけ給え」
トックはその美しい金の長髪に似合う、いかにも上品な顔立ちをしていた。海外の美術絵画から歩き出てきたような、その品性の溢るる顔立ちは彼女が普通の俗世の人間とは一線を画すことを感じさせずにはいられなかった。彼女の長い指、生まれたばかりのような滑らかな肌、ときおり見せる犬歯までもが妖艶さを醸し出し俺の心をつかむ。
ラップに彼女を紹介された時は、俺はサキュバスに出会った雄のように全身を硬直させて、瞳の方向を彼女の全身を舐めるように移動させた。彼女が雄の河童であったために下半身には何も履いておらず、下着一枚の姿でたたずんでいたのも、彼女の神秘的なオーラと合わさって一層彼女を妖しの類に見せた。
トックはよく河童の生活だの河童の芸術だのの話をした。トックの信ずるところによれば、当たり前の河童の生活くらい、馬鹿げているものはないという。親子夫婦兄弟などというのはことごとく互いに苦しめ会うことを唯一の楽しみにして暮らしているのだとか。殊に家族制度という者は馬鹿げている以上にも馬鹿げているらしい。
トックはある時窓の外を指差し、「見たまえ。あの馬鹿げさ加減を!」と吐き出すように言った。窓の外の往来にはまだ年の若い河童が一匹、両親らしい河童を始め、7、8匹の雌雄の河童を首のまわりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いていた。しかし俺は年の若い河童の犠牲的精神に感心したので、かえってその健気さを褒めたてた。
「ふん、君はこの国でも市民になる資格を持っている。・・・ときに君は童貞かね?」
俺はこの回答の正解が分からずたじろぐが、もちろん、qua(これは河童の使う言葉では「然り」という意味を表す)と答えた。
「では一時の性欲ために甘んじて人生の多くを犠牲にすることも顧みないはずだ」
「では君はなに主義者だ?確かトック君は多くの女を取っ替え引っ替えにしてると噂になっていたようだが、・・・」
「僕か?僕は超人(直訳すれば超河童である)だ。」
トックは昂然と言い放つ。こういうトックは芸術の上にも独特な考えを持っていた。トックの信ずるところによれば、芸術は何者の支配をも受けない、芸術のための芸術である、したがって芸術家たる者は何よりも先に社会や善悪を絶した超人でなければならぬというのだ。
もっともこれは必ずしもトック一匹の意見ではない。トックの仲間の詩人たちはたいてい同意見を持っているようである。現に俺はトックと一緒にたびたび超人倶楽部へ遊びに行った。
超人倶楽部に集まってくるのは詩人、小説家、戯曲家、批評家、画家、音楽家、彫刻家、芸術家の素人等である。しかしいずれも超人だ。彼らは電灯の明るいサロンにいつも快活に話し合っていた。いずれも美少女の河童のみで構成されるこの女子会には部屋に入っただけで雌の匂いが立ちこめ、俺はそれだけで十分な精神的充足を味わうことができた。
のみならず時にはとくとくと彼らは自分たちの超人ぶりを示しあっていた。例えばある彫刻家などは鬼シダの鉢植えの間に年の若い河童を捕まえながら男色を弄んでいた。またある雌の小説家などはテーブルの上に立ち上がったなり、アブサントを60本飲んで見せた。もっともこれは60本目にテーブルの下へ転げ落ちるが早いか、たちまち往生してしまったが。
俺はある月の好い晩、詩人のトックと肘を組んだまま、超人倶楽部から帰ってきた。トックはいつになく沈み込んで一言も口を聞かずにいた。そのうちに俺等は火影の射した、小さい窓の前を通りかかった。そのまた窓の向こうには夫婦らしい雌雄の河童が2匹、3匹の子供の河童と一緒に晩餐のテーブルに向かっている。するとトックはため息をしながら、突然こう俺に話しかけたのだ。
「僕は超人的恋愛家だと思っているがね、ああいう家庭の様子を見ると、やはり羨ましさを感じるんだよ」
「しかしそれはどう考えても、矛盾しているとは思わないか?」
けれどもトックは月明かりの下にジッと腕を組んだまま、あの小さい窓の向こうを、平和な5匹の河童たちの晩餐のテーブルを見守っていた。それからしばらくしてこう答えた。
「あそこにある玉子焼は何と言っても、恋愛などよりも衛生的だからね」
彼女はそう言うと酔った足取りで俺の胸に倒れこむや、俺の唇に唇を重ねた。
強い辛味のあるハッカ飴の味が舌に残った。
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