第5話 真面目な雄の女学生

バッグの妊娠騒動が起きた後、俺は家に一人で一ヶ月ほど引きこもっていた。俺は心に大きなトラウマを負ってバッグと顔を合わせるのがなかなか難しくなってしまったのだ。もちろん妊娠までさせてしまったのだから彼女を無下に扱うわけにもいかないのも分かっている。しかし心と頭のどちらかのバランスが崩れれば人は大きく狂ってしまう。俺は彼女には少しだけ休ませてほしいと言って、家に来るのを遠慮してもらった。

 「ごめんなさい。私が遺伝子的に精神病だけで大変なばっかりに。」そう言って去っていく女児を本当は抱きしめたかったが、彼女を見るだけで吐き気がするので止めておいた。一月もすればまた彼女と会えるようになると信じたかった。


 そんな形でバッグと合えなくなってしまった俺をみかねて、女医のチャックは『精神的な向上』と『河童の世界の勉強』のために俺の家に話し相手を送ってくれるといっていた。なんでも医者を目指している学生で、俺と話すことはその学生にとってもカウンセリングの勉強になって一石三鳥らしい。

 今日はその女学生が尋ねてくる日である。俺は朝から久しぶりの来客ということで久々に部屋に掃除機をかけた。

 ソファーにも念のため消臭剤をふりかけ、机の上には鈴蘭の花を飾った。

 準備は万端だ。俺はそう思ってコーヒーを入れて新聞を読みながら待つことにする。


 新聞を読み始めて10分もしたころだろうか。玄関のチャイムが鳴り、

 「チャック先生の紹介できたものですがー」と声が響く。

 俺はソファーを立つと玄関へと向かった。

 玄関を開けるとそこには一人のボーイッシュな美少女が立っていた。髪はショートカットの黒髪で、快活そうなその表情は健康そうな精神を表しているように見えた。チャックよりも背は高く、俺と同じぐらいの身長に見えた。


 彼女の下半身に目をやると、スカートも履かずにパンツを晒し出した恰好をしていたためすぐに雄の河童だとわかった。無地の白のパンツだった。

 おそらく妊娠することのない雄の河童を遣わしたのはチャックの判断だろう。


「うわぁ。本当に人間なんですね。僕は学生のラップと言います。本日はチャック先生の紹介でカウンセリングを含むお話をしにきました。よろしくお願いします」


 そう彼女は言うと深々とお辞儀をしてみせた。


「いやいや、こちらこそわざわざ来てもらってすまないね。しかし失礼だが、君はチャックより大人びて見えるな。いや逆か。チャックが医者の割には若すぎるのか」

「あー。その通りですね。チャック先生はいわゆる天才の一人ですよ。ご存知かもしれませんが河童は生まれながらに高い知能を持つものが多いものですから。」


 その言葉に俺の頭の中に自死を望んだ我が子が入った腹が思い浮かぶ。

 一瞬、動きを止めた俺の様子を察してのか、彼女はドアをくぐって家の中に入ると俺の手を握った。


「人間に出会えるなんて思ってもいませんでしたから。僕は今感動してますよ。あなたのカウン

セリングにはその一貫として、河童の文化と風習を教えるだけでなくて、あなたから人間の文化や風習を聞くことも含まれてます。ぜひともおもしろいお話をお願いしますね」


 彼女はそう言うと、「では話のできる場所に案内してもらってもいいですか」と述べたので俺は彼女をしっかりと掃除をしたあの居間に案内することにした。

 彼女の快活な性格はバッグの性格と一部重なるところがあって少しだけ俺の心がちくちくした。しかしきっとそれさえも狙ってのチャックの人選なのだろう。いや河童選か。


 ラップがテーブルを挟んだ向かいに座る。こうして改めてじっくりと見ると、パンツを丸出しの女子学生が家にいるというのもなかなかに危険な光景である。しかし当の見られている本人の方はまったく気にしていない様子だった。


「では改めて自己紹介から始めましょうか。僕はラップと言います。チャック先生が非常勤で務めてる医学校の方で勉強をしています。あなたが知りたがってるであろう河童の生態を教えたり、社会でのより一層に気をつけた方がいい部分をサポートしてくのが仕事です。」

「そいつはありがたい。チャックは面倒見はいいけど、基本診察しかしてくれなかったからな。初めのうちこそ河童の言葉を教えてくれたが、それなりにできるようになった後は本を置いてくばかりだった。」

「まぁしょうがないですよ。河童というものは忙しい種族ですから。とりあえずはあなたのご趣味は何でしょう?そういった話から河童につなげていくことを考えましょうか」

「俺の趣味か・・・。小説を書くことだな。あとは政治、歴史とかを読んだりだな」

「ほうほう、小説ですか。それは高尚なご趣味で。この河童の世界には文化芸術的なものを突き詰める風習も人間のようにありますので、それならこの国で暮らすには退屈はしないというものでしょう」


 そう言うとラップは鞄の中から5cmはある分厚い本と、2cmほどの厚さの本を取り出した。


「こちらの厚い本は旅行者向けの河童の国での生活を記した本です。しばらくはこれを遣って河童の生活を勉強してきましょう。もう片方は哲学書。河童の思想を学ぶにはちょうど良いのでこちらも差し上げます。」

「それはすまないな。君はずいぶんと準備が良いな」

「これが仕事ですから。河童というのは仕事には真面目な種族なのですよ」


 ラップは屈託のない笑顔をこちらに向けてくる。この部屋の電灯よりかは晴れ晴れとしている彼女が俺の網膜に焼き付くのを感じた。


「なぁ。一つだけ重要な今すぐ聞きたいことがあるのだがいいか?」

「はい?なんでもどうぞ。答えられることであるならぜひ」


 俺は数瞬、これを聞いても彼女との関係が気まずくならないか、セクハラに値しないかを考えた。だがこの重大な事を聞かずにいたらまた何か起きてからでは遅いというもの。俺は意を決して彼女に尋ねることにした。


「雄の河童も妊娠はできるのか」




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 俺とラップはその後から毎日、ラップが朝から家に来て河童の風習を勉強し、午後からは人間の風習をラップに教えるという日々を繰り返した。彼女は学生とは思えないほどに博学であり喋る内容には苦労をしなかった。知的水準の同じ程度の者との会話は話のネタに困らなくて気兼ねがない。


 今日は昼の食事が終わった後、彼女と街を散歩することにした。街の中で手に入る日常の知識というのを勉強するためだ。パン屋では青色のパンは食べると憂鬱になるので一部の芸術家に好まれることや、現政権与党であるクオラックス党の成り立ちなどを彼女から聞かされた。

 彼女の言葉によると雄の河童は妊娠をしないらしいので、俺は美少女との街中デートというのをなんの気兼ねすることもなく楽しむことができた。


「やだなぁ。僕が妊娠できるわけないじゃないですか。男は男、女は女ですよ。そこの辺は人間と変わりありません」


 そういう彼女は俺の目から見るとボーイッシュではあるものの美少女に違いはなかったが、いろいろな誤解を持たれるのもまずいだろうと思ったため俺は言葉を飲み込んだ。せっかくの話し相手である。これからも長い付き合いがしたいものだ。


 とある街の角にくると、視界に大きいポスターが入り込む。そのポスターの下にはラッパを吹いている河童だの剣を持っている河童だのが12、3匹描いてあった。それからまた上には河童の使う、ちょうど時計のゼンマイに似た螺旋文字が一面に並べてあった。この螺旋文字を翻訳すると、大体こういう意味になる。これもあるいは細かいところは間違っているかもしれない。が、とにかく俺としては俺と一緒に歩いていた、ラップが大声に読み上げてくれる言葉をいちいちノートに取っておいたのだ。


遺伝的義勇隊を募る!!!

健全なる男女の河童よ!!!

悪遺伝を撲滅する為に

不健全なる男女の河童と結婚せよ!!!


 要するに良い遺伝子の者は悪い遺伝子の者と結婚して国の遺伝子全体を良い方向に持っていこうという話らしい。

 俺はもちろんその時にも、人間の国ではそんなことの行われないことをラップに話して聞かせた。するとラップばかりでない、ポスターの近所にいた河童はことごとく笑い出した。


「行われない?だってあなたの話ではあなた方もやはり我々のように行っていると思いますがね。あなたは令息が女中に惚れたり、令嬢が運転手に惚れたりするのは何のためだと思っているのです?あれはみんな、無意識的に悪意伝を撲滅しているのですよ。第一この間なたの話したあなた方人間の義勇体よりも、――一本の鉄道を奪うために互いに殺しあう義勇隊ですね、――ああいう義勇隊に比べれば、ずっと僕達の義勇隊は高尚ではないかと思いますがね」


 ラップは真面目にこういいながら、お腹を抑えて絶えず笑ってみせた。俺はそれを見て、どうやらやはり彼女も河童の一人であることは間違いないようだと思った。

 腹の立った俺は彼女のパンツと太股を凝視してやることで心の平穏を保とうとした。が、俺は慌ててある河童を捕まえようとした。それは俺のパンツへ向かう注意の傾きから生まれた油断を見すまし、その河童が俺の万年筆を盗んだことに気がついたからだ。しかし彼ら特有の滑らかな衣服をきた河童は容易に我々には捕まらない。その河童もぬらりとすり抜けるが早いか一目散に逃げ出してしまった。ちょうど蚊のように痩せた体を倒れると思うぐらいのめらせながら。

 俺は彼女が走って逃げる拍子に見えたパンツが赤色のしましまだったことを確認した。

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