mission 6-3
待ち合わせの5分前、言われたとおりに駅の南口に着いた。
どうせ支野のことだし、ピッタリに行くくらいでも構わないかとも思ったが、呼び出した側の礼儀と、支野の良識に期待したこともあって、結局定刻前行動をしたのだった。
そして、待つこと10分。
「……来ないんだが」
……ひょっとしてこれはアレか?支野なりに俺を試してたりするのか?
あいつに借りたギャルゲーの中でも待ち合わせをするシーンはあったが、それを踏まえて来るまでにどういった行動をするのが正解か理解しているかの確認でもさせる気なのだろうか?
(……いや、それはないな)
そもそも、支野自身が自分をその立ち位置に置きたがらないというスタンスであることを考えれば、あり得ないことは自明だった。
「……いや、じゃあなんで来ねえんだよ!」
そもそも今日はなかなかにきつい残暑の気候なので、このままバカ正直に外で待ち続けているのは辛いものがある。
どうせ遅れているのは支野の方なのだし、近くの喫茶店にでも入って待ってるか。どのみち話もそこですることになるのだろうし。
せっかくさっき電話で話をされたので、俺は支野にメールでそのことを伝えることにした。
[暑いから、お前が来るまで近くの喫茶店入ってるけど、文句言うなよ?]
ブーッ、ブーッ、
送信してからほとんどしないうちに、メールの受信の知らせが入る。もちろん支野からだ。
内容は……、
[言い忘れていたが、私はもう喫茶店に入っている。恐らく君が言っている店と同じだろう]
「………………」
「いやいや、すまんな。思ったより早く着いてしまってな。あのクソ暑い中で待っていることに耐えられなかったのだよ」
「俺はお前が連絡をすぐにくれなかったせいで、そのクソ暑い中で余分に待ったんだけどな……」
店に入るとすぐにくつろいでいる支野の姿が目に入った。店の中じゃなかったら本当に一発叩いていたかもしれない。
支野の座るテーブルには既に空になったグラスが幾つも並んでいる。
「お前、どれだけ早くからいたんだよ……」
「そこまで長居はしていないぞ。単純に体が冷たいものを欲していただけだ。休日に外出なんて慣れないことをするものじゃないな」
それにしたって2人がけテーブルの半分をもグラスが埋め尽くしているのはおかしい。店員さんが片付けることを考えれば尚更だ。
「そんなことはどうでもいいじゃないか。私は君に呼ばれてここにいるのだ。そして、君にはわざわざ私を呼ぶだけの理由がある。それが今一番大事なことじゃないのか?」
「……まあ、そうなんだけどな」
色々と言ってやりたいのは山々だったが、それよりも、支野に俺の話を真面目に聞く気が一応はあるのだということが分かったので、安心してしまう。
適当に店員さんに飲み物を注文してから、俺は改めて正面に座る支野に向き直った。
「話っていうのは、お前の活動に対する関わり方の話だ」
「………………」
案の定、支野は渋い顔を隠そうともしない。
だが、気にせず俺は話を続けることにする。
「お前はギャルゲーみたいな恋愛の様子を、ギャルゲーのプレイヤーみたいな立ち位置から観測したいと言った」
「なるほど、それは結構なことだ。今更俺は文句を言ったりしないし、それ以前にお前の提案する舞台に乗っている以上、その前提に文句を言う権利はない」
「だけど、少なくとも今のお前はプレイヤーにはなりきれてはいないよ。それは自覚するべきだと、俺は思うよ」
言葉を濁して言うような内容でもなかったので、俺は単刀直入に述べた。
「自覚するべきだ」という言い方はしたが、そんなのは建前に決まっている。本音を言ってしまえば、「その上で現状に改善を施せ」と言っているのだ。
そんな俺の物言いに対して、
「何を言いたいのかと思っていたら、なんだ、そんなことか」
意外にも、支野は驚く様子を見せなかった。
「まあ、君の言っていることは間違ってはいないのだろう。だけど、さすがの私でも夢見がちな子供じゃないんだ。現実と空想の区別くらいはつく」
「ギャルゲーの舞台を再現するのに相応しい環境は整っている。君たち"登場人物"だけじゃない。色々な要素が都合良くはたらいているのだ……だけどな」
そこで支野は一呼吸置くと、珍しく残念そうな顔をして続けた。
「さっきも言ったとおり、"現実"は"現実"なのであって、どれだけ努力をしようともそれは"ギャルゲー"にはなりえないのだ」
「当たり前の話だが、事実としてそうなのだ。だから、舞台が完璧にギャルゲーたりえない以上、私も完璧にプレイヤーになることは不可能なのさ」
俺は困惑してしまった。
支野の指摘した事実が的を射ているからではない。
「支野の指摘の内容が、俺の言おうとしていることを支野が何一つ汲み取れていないことの証明になっている」からだった。
これまで支野は、活動を通して極めて冷静に自分のやりたいことや考え、そして時には他人のことまで見通すことができていた。
しかし今の支野は、なんてことのない自分の行動の振り返りができていないということになる。
それは、支野真夏という人物が明らかに何かに平静を失いかけているということにほかならないのだった。
「そんな話がしたいんじゃない。俺だってお前に『プレイヤーとして完璧になれ』だなんて言うつもりなんかない。そもそも、そんな基準が分からないんだから言い様がないだろう」
「………………」
今度の支野の沈黙は、さっきとは明らかに異なる様相を呈していた。
「当たり前だけど、お前は誰よりこの活動に本気だったろう?だから、お前が『欠陥を放置して』いることが不思議でならなかったんだよ」
「……どういうことだ」
「ギャルゲーのキャラは、主人公とヒロインのデート中の会話を『誰かが聞いている』だなんて、思っちゃいけないだろ」
「………………」
「考えてみれば、なんで気がつかなかったんだろうってくらい、単純なことなんだけどな」
天が「選ばれなかったヒロイン」について疑問を抱いたあの日、俺は俺で、支野が抱える矛盾について改めて疑問を感じていた。
"第三者が舞台自体に干渉するという矛盾"は、しかし支野の言うとおり、今俺たちが存在する場所が現実世界である以上解消不可能なものなのだった。
だけど、用意された舞台の中で起きる事柄に対して、更に干渉しようとするのなら、それは明らかな矛盾であり、欠陥と言えるだろう。
「最初の時点で気がつくべきだったんだ。『"マイクで音声を記録している"と伝えるっていう行為のどこがプレイヤーのやることなんだ』って」
事実として、そのことを思い出した瞬間に彩瀬川は冷静さを失ったし、マイクの存在があったことで俺と行宮の間で行われるコミュニケーションは変化した。
"マイクが存在している"という事実が、明らかに起きるイベントを歪めているのだ。
「俺が言いたいのは、その部分だけ改善してくれって言ってるんだ。マイクを使い続けたって構わないけど、今のままのやり方だと、お前の理想からは程遠いぞ」
「それとも、そんなことに気がつかないくらい余裕がないのか?」と聞けたら、どれだけ良かっただろうか。
しかし、俺は支野にそこまで踏み込むことができるほどの器ではないし、支野との関係はまだまだそこまで深くはない。
「………………」
俺の言葉を聞いて、支野は珍しく押し黙ってしまう。
やがて、ゆっくりと口を開き、
「……なるほど、今度こそ理解した。確かに、決定的な誤りだったな」
支野は、素直に自分の非を認めた。まあ、この場合は非というのも大げさなことなのだが。
「マイクの件は考え直さなければならない。このことは間違いないことだ」
「だがな、城木……私も、生半可な考えでこの活動に臨んでいるわけではないのだ」
「……そんなこと、分かっている」
むしろ俺は、支野が冗談でやっていないからこそ参加し続けている面もある。
「だから、観測を止めるわけにはいかない」
「私は、恋愛模様を見たい―――これは、ただの願望じゃないんだ」
「………………」
「私には、恋愛模様を観測することが、必要なんだ」
口調こそさほど普段と変わらない様子だったが、そう告げる支野の姿はどこか必死なようにも見えてしまうのだった。
「……どうせ、100%であることが無理なんだから、妥協を覚えろよ」
俺は、ずっと言いたかったことを口にする。
「土台、『全く表舞台に出てこないで環境だけ整えて、だけど観測はします』なんてのが無理な話なんだよ」
「お前の心の中のことは知らない。お前が言いたくないならそれでいい。だけど、気持ちが残っているなら行動が違っててもいいと思うぜ」
「面従腹背って言っちゃあ、おかしいかもしれないけどさ……お前には、圧倒的に"観測しようとしている相手との交流"が足りないよ」
ひょっとしたら、支野は行宮や彩瀬川、先輩のことは、俺なんかよりもよっぽど知っているのかもしれない。
だけど、支野には今起きていることを知ろうという気持ちしかない。
相手のことをよく見ていなければ、相手のことはよく分からないだろう。
今の環境が現実である以上、交流しようという意思なしで観測者であることは、不可能なんじゃないかと思う。
「お前がどういう経緯で登場人物になりたがらないかは、今は重要じゃない。その線引きさえできていれば、交流は必要なことだと思うよ」
「これは活動のこと云々だけじゃない。"お前のためにならないから"っていう部分の方が大きいよ
……本当なら、マイクの話をしたかったはずだったのに、いつの間にか支野の心構えの話をしてしまっていた。
理由は、自分でも分からない。
ただ、何となく想像はつく。
(この手の話をする時の支野は、いつだって寂しげな顔をしているんだよな……)
普段あれだけ自由勝手気ままの権化のように動いている支野を見ているからこそ、今みたいな支野を放っておけないのだと思う。
……支野から言わせれば「ヒロインを優先しろ」って感じなんだろうけれど。
「……君は、本当に不思議なやつだよ」
一通り俺の話を聞いた支野は、今まで見たことのないような穏やかな笑みを浮かべていた。
「私がどれだけ言っても、君はヒロイン役の彼女たちだけじゃなくて、私も引っ張りこもうとするのだよな」
「……しつこかったかな?」
「ああ、しつこいね……だけど、主人公は少しくらいしつこくなければ、な……」
支野は既にいつもの調子を取り戻しているようだった。だけど、一瞬だけ真面目な顔をして、
「……一応、私に対して提言と心配をしてくれたことについては、素直に礼を言わせてもらう」
「……まあ、そんなに大したことは言っていないよ」
むしろ今になって、自分の言ったことがだいぶ説教臭いことに気がついて体がむず痒くなってきているくらいだった。
「君の指摘してくれたことはもっともだし、既にマイクの件については代案が思い浮かびそうだから、連休明けには言おうと思っているよ」
「……やっぱりお前は流石だよ」
「おいおい、褒めても何も出ないぞ?」
半分皮肉だったのだが、今回はもう半分はあの短期間で代案を思いついたことに対する率直な感嘆だったので、なんとも言えないのだった。
「しかし、提言はありがたいが、やっぱり私も一度決めたことは貫き通したいと思っている」
「君の言うように、交流の機会は作るようにするが、大きなイベント以外は今までどおりであると考えていてくれ」
「まあ、それでも十分だと思うけどな……」
自分から変化を示しただけでも、俺の説教臭い発言の意味があったというものだった。
それに……、
「『大きなイベント』は来るってことなら、明日は来るんだよな?」
支野が来るかどうかを本気で疑っていたわけではないが、こうして釘を刺しておくことには意味があると思うのだった。
「……まあ、言葉にしてしまった手前、それを破るわけにはいかないだろうからな」
支野は不承不承といった感じで肯定した。
口にしたことをちゃんと守ろうとするあたりは、なんだかんだで律儀なやつなんだなと思えてしまう。
「しかし、さっき君が言ったことももちろんなるべく守りたいとは思うが、"メインは私ではない"という考え方に変わりはないぞ」
「まあ、そこまでは変えなくていいだろうよ」
というか、その部分に関しては、いくらこっちから色々言ったところでやすやすと変わりそうもない気がする。
「いずれにせよ、お前が明日来てくれそうで少しホッとしたよ」
「私が来るとなんで安心するのかはよく分からないな」
聞く人が聞けば盛大に誤解しそうなセリフを吐いていることに気がついたが、支野は意に介していないようだった。
……こういうところで動揺しないあたりは彩瀬川あたりとの違いだな、なんて場違いなことを思ってしまう。
「いや、単純に先輩の家に行くだけでも緊張しそうなのに、一緒に行くメンバーが少し気を張りそうな人ばかりだからな……」
「なんだ、そんな気構えでどうする?私のことばかり心配しているようだが、君は君自身の心配も重要だと思うぞ?」
一転して支野が詰問するような格好になる。
しかし、支野の言うとおり、俺は他人に説教じみたことを言うことのできる身分ではないのかもしれない。
心構えや恋愛に対する無知こそ、以前から比べれば少しは改善されたように思えるが、それでもまだまだ不十分が過ぎるだろう。
「君には今日少しばかり借りが出来たから助言をすることにしよう」
「助言?」
支野が"貸し借り"という考え方を持っていた事実に驚きつつも、それより今は支野の言う「助言」の中身の方が重要だったので、素直に耳を傾けることにする。
「君は活動の中で、"日常を積み重ねる"という行為が存外に重いことを痛感し始めていると思う」
「人為的なものでも、小さな積み重ねは積もり積もれば本物に匹敵できるくらいにはなれる……まあ、それが本物になるかどうかはまた別の話だが」
「だからこそ、活動にリアリティが増してくる」
「そうだな……それは確かに俺が思っていたことだ。だけど、それはお前が望んでいたことなんだろうし、いいんじゃないのか?」
「もちろん、私にとっては悪いことは一つもない」
「問題があるとすれば、『恋愛というものに手探りな君が、その"日常"に押しつぶされないかどうか』ということだ」
「………………」
それは、きっと今まさに俺が直面しているであろう問題なのかもしれない。
今会話をしている相手にとって、どんなことが最重要で、逆にどんなことが些細なことなのか……それを測りかねているのだと思う。
ある程度は分かるのだ。
具体的に言えば、過ごしているその瞬間ならば、相手にとって"今"がどういう価値を持つものなのかは分かる。
けれど振り返ってみて、相手の気持ちの土台になっていたものは何なのか?
その気持ちの下に積み重なっているものは何なのか?
それが分からないから、日常の重みを測りかねている。
「どれが大切な思い出になる『ことになる』かどうかが分からないから、どこに気を張っていればいいかが分からないのだろう?」
「そんな考えすぎな君に、シンプルに助言をしようじゃないか」
「『そんなことは、誰にも分かりっこない』」
「………………」
……拍子抜けしそうになるくらい、あっさりとした助言だった。いや、支野自身も「シンプルな助言」と言っていたわけだが。
「恋をしている人間も、これから恋をする人間も、いちいち自分のことを振り返ってから恋に落ちるんじゃない。積み重ねがいつの間にか恋になるのだ」
「恋になってから振り返って積み重ねの中身を見ることはできるかもしれないが、そこは既に理屈の領域じゃない」
「積み重ねのない、一目惚れのような恋だって、大元は同じだ。恋愛は理屈であってはならないのだよ」
「……じゃあ、考えなくてもいいってことか?」
「いや、考えろ」
なんだそりゃ。さっきまでしおらしかったくせに、今度はいつになく滅茶苦茶じゃないか。
「日常の大切さは噛み締めるべきだし、日常の積み重ねのもたらすものの重さは頭の片隅に常に置いておくべきだ」
「だけど、"日常の積み重ねを考える"ことと、"日常の重みを考える"ことは全く別のことだ」
「君が知らなければならないのは中身と結果であって、プロセスではないということさ」
「……考えるべきものがズレてたってことか」
言われてみれば、そのとおりとしか言い様のないことだった。
ひょっとしたら、俺は恋愛を知らなすぎるあまり、考える必要のないことまで頭を巡らせようとしてしまう傾向があるのかもしれない。
……分不相応とはこういうことを言うのかもしれないな。
「……結局、俺の方が助けられている気がするよ」
まあ、もともと俺は支野を助けようという意図で提言をしたわけではないので、当然と言えば当然なのだが。
しかし、俺の意に反して、
「……君が思っている以上に、君が私に与えた影響は大きいのだがね」
「……そう、か」
「なんだ、こういう時は難聴にはならないのだな?」
そんな軽口を叩く支野を、俺は軽く受け流した。
「とは言え、プレイヤーと主人公の互助関係と言い換えれば、そこまでおかしな話でもない気がするがな」
「……まあ、そうかもしれないな」
そこで区切りがついたと思ったのか、支野がゆっくりと席を立った。
「さっきも言ったが、私は今日の一件でそれなりに君に感謝をしているし、影響も受けているよ」
「だからこそ、君が一番引っかかっていそうなところを突いてみたのだ……思うところが恐らくはあるだろう?」
「まあ、それは否定しないさ」
「私をわざわざ表に引っ張りこもうというくらいなのだから、君も主人公らしくなろうと動いてくれると思っていいのだろうな?」
一見意趣返しのように聞こえなくもない支野の発言だが、その実はいつもの支野と同じで、活動への貪欲な姿勢が顕在化しただけだと感じられた。
だから、俺の返事も自然と口をついて出てくる。
「そんなことは、言われるまでもないさ」
俺の返事に、支野はどうやら満足したようで、
「それじゃあ、明日また会おうじゃないか……色々と楽しみにしているよ」
そう言い残して、喫茶店を出ていってしまった。
……伝票を残して。
「……って、ひょっとして俺が全部払うのか?」
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