mission 5-23
あれから再び沈黙が訪れた結果、読書に戻ったものの微妙な雰囲気は拭いきれず、結局予定より少し早い時間に本屋を出てきたのだった。
場所は変わって、当初の予定どおり駅への道の途中にある公園のベンチ。
「………………」
読書スペースを出たことで、多少閉塞感のようなものが取り払われて、空気が軽くなったような感じがするが、まだ元通りには戻りきれていない状態だ。
「……そういえば、明後日のことだけど、先輩の家がどんなものなのかって、彩瀬川は知ってたか?」
空気を変えるため、無難に話が繋がりそうな話題を振ってみた。
実際、あれだけの前フリがあったから、気になる話であることは間違いないのだった。
「会長の家?行ったことはもちろんないけれど……話には聞いてたわよ」
俺の意図を察してくれたかは分からないが、彩瀬川はいつもどおりの調子で返してきた。
「聞いてたってことは、やっぱりそれなりに有名な話なんだ?」
「うーん……有名かもしれないけれど、私の場合は、家の繋がりで知ってたのよ」
「『家の繋がり』?」
「……私の家も、一応だけどそれなりの家なのよ……会長の家には遠く及ばないけれど」
「ああ、そういう世界なのか……」
そういえば彩瀬川についてもそんな噂は聞いたことがあるのだった。
しかし、家の話と言えば……、
「……君の家って、どんな家なんだ?」
『……私の家だけは、止めてもらえないかしら』
必然的に、あの重苦しい拒絶を思い出してしまう。
聞いたのは、心のどこかしらで軽い口調で会話が続くことを期待したからかもしれない。
「……そんなに、誇るような家でもないわ」
だが、すぐにそんな考えが甘かったことを思い知らされてしまう。
「……しかし、先輩の家には遠く及ばないって……先輩の家ってそんなにすごいのか……」
俺は話の筋と空気を元に戻すため、そう口にしながら少し大袈裟に不安そうな声を出してみせた。
「……ふふ、そんなに気負わなくてもいい気がするけれど……私だって、会長の家のことは詳しくは知らないけれど、友達の家に行くようなものと思えば案外平気よ?」
「いや、君と俺とだと若干条件が違う気がするけどな……」
ただでさえ上級生の異性の家というだけで既にハードルが高い上に、家自体の凄さを想定していかなければならないこっちの身にもなって欲しい。
「しかしまあ、家がどれだけなのかは明後日になるまで分からないけど……先輩自身は全然そんな感じがしないよな……」
「まあ……見た目ともそうだけれど、中身とのギャップは確かにあるわね……」
話し始めてから、これを先輩が聞く可能性がある(というか100%聞くだろう)ことを思い出したが、俺はもちろん、彩瀬川も影で悪口を言う様なタイプではないだろうし、気にしないことにした。
「今日の昼も、最初の方ずっとこっちに手を振ってきてたからびっくりしたよ……」
「まあ、それでも会長は圧倒的に仕事が出来るからいいと思うわ……むしろ、最近あのギャップに親しみを覚えるようになってきたくらいで……」
「ああ、それは俺もだな」
やはり、先輩の悩みである"もっとみんなと打ち解けたい"という内容も、ああいった部分が明るみに出るようになればすぐに解決していくのではないかと思える。
……でもまあ、一度出来上がったイメージを別なもので上書きすることは、なかなか難しかったりするのだろうけれど。
「……昼のことで思い出したのだけれど」
そんなことを俺が考えていると、おもむろに彩瀬川が口を開いた。
「昼のこと?文化祭の話か?」
「いえ、確かに執行役員会の時の話だけれどそうではなくて……行宮さんとは、うまくいっているようね?」
「!?ゴホッゴホッ!」
思いがけずそんな話をされて、だいぶ動揺してしまった。
「……急にどうしたんだ?」
「そ、そこまで驚くなんて思ってなかったわ……ごめんなさい。でも、実際に気になることだと思うのよ。たぶん会長も気になっているとは思うし……」
もっともらしいことを言っているけれど、本当は自分の興味が一番の理由だと思う。
「『うまくいっている』っていうのは、一体どういうことなんだ……?」
「言葉どおりの意味よ。支野のイメージのとおりとは言え、朝一緒だったり、お昼を作ってくれたりするわけでしょう?」
「……ちなみに一応聞くんだけど、君も"幼馴染"っていう言葉に対して、そういうイメージを抱いているのか?」
ひょっとしたら万が一にも俺の価値観がズレているのかもしれないと思ったので、聞いてみることにした。
「うーん……支野みたいに考えているわけではないけれども、イメージ自体はあるわね」
「え?マジで?」
正直、ここで肯定の言葉が返ってくることは想定していなかったので、面食らってしまう。
「最後まで聞きなさいって。私はあくまで『フィクションの中の幼馴染』はこうだろう、『理想の幼馴染』はこうだろう、っていうイメージがあるっていうだけよ」
「ああ、そういうことか。なら良かった……」
支野と違い、現実と理想の区別は付けているということらしかった。
しかし、今の言葉からすると……、
「やっぱり君って、相当恋愛ものの作品とかを見たり読んだりしているのか?」
「うぐっ……な、何よ、悪いの?」
「いや、悪くはないけど……」
さっきのやり取りで、こういう場面で彩瀬川がバツの悪そうな顔をする理由が分かっていたため、特に突っ込まない。
……そして、図らずもやり取りの中で彩瀬川が本物のツンデレキャラみたいになっていることに気がついたが、それについても何も言わないことにする。
「話を戻すけれど、実際どういう感じなのよ?……と言っても、城木くんの場合は池垣さんがいるし、ちょっと感じ方が違うかもしれないけど」
そこで響の名前を出してくるのか……恐らく悪気はないのだろうけれど、少しだけ心がザワつくのを感じてしまう。
……あと、活動的にはこういうタイミングにおいては響はどういう立ち位置として扱うべきなんだろうか?まさか「行宮を幼馴染とする以上、響はいないものとする」とは言うまい。
「……響がいるから逆に、って感じかな」
どう答えるのが正解なのか分からなかったので、素直に今感じていたことを答える。
「……"逆に"?」
「そう。正直、響は支野の考えるような幼馴染の理想像からは少し遠いところにいるんだよな……って、こんなことを本人に聞かれたら怒られそうだけど」
「………………」
「だからこそ、行宮っていう存在を、活動の中で俺の"幼馴染"として違和感なく見ていくことができる気がするんだ」
行宮の本質が響と同じような人物だったなら、俺は行宮をどうしても幼馴染としては見ていけなかっただろう。
それほどまでに、池垣響という存在は、俺の中では動かし難いものになっているということだ。
だけれども、これまでの短い活動の中で、行宮の存在は驚くほど自然と俺の生活に馴染みつつあるということも事実なのだった。
「……それじゃあ、結局はうまくいっているってことなのね?」
「………………」
それは、どうだろう。
確かに、俺と行宮は一昨日の放課後のデート(のようなもの)を通して、ある種の壁のようなものを取り払うことが出来たような気がする。
「行宮の告白」の瞬間から、何故か僅かに遠くなってしまった関係が、近いものになったことは間違いないだろう。
だけど、それは"幼馴染としての近さ"なのか?
一昨日や今日のやり取りは、ひょっとしたら支野の考えているとおり、"幼馴染らしい"行動だったのかもしれない。
でも、それは……、
「――――――」
思ったことを、そのまま口に出そうとして、俺は耳に意識をやった。
―――俺がそれを口にしてしまえば、行宮はどう思うだろう?
俺から「自分はホンモノではない」と告げられることに対して、どう感じるだろうか?
「自分たちは"うまくいっている"のではなく"うまくやっている"だけなのだ」と、自分のいない場で言葉にされて、どう感じるだろうか?
そして、それを口にしてしまうことで、俺の考えは揺らいでしまわないだろうか?
……そんなことを考えて、
「……よく、分からないよ」
「………………」
「うまくいっているかどうかなんて、まだ分からない」
「……『まだ』っていうことは、判断するには早いってことかしら?」
「それもそうだし、結局俺自身の経験不足もあるかな」
だけれど、いくら経験が足りなくてもこれだけは分かるということがあった。
当たり前だけれど、俺たちは今フィクションの関係性の中で動いているのだ。
そこに上乗せされる感情がどうあるかは各々の考え方次第で、行宮も本物の気持ちで行動しているとは思うのだが。
それを加味しても、俺たちは全員「今自分が構築している関係性が演じているものに過ぎないこと」は認識しているのだ。
そこから生まれる繋がりが本物だとしても、下地が用意されたものだということは暗黙の了解だということだ。
そんな分かりきったことでも、口に出してしまえば、色々なものが崩れてしまう。
それが顕著なのが行宮なのだ。彼女はその"下地"に依拠する部分が大きい。
だから、どれだけ分かりきったことだとしても、それを俺が口にするわけにはいかないのだ。
「……前から思っていたのだけれど、城木くんは、少し自分を過小評価するきらいがあるわよね」
「……そんなことを言われたのは初めてだな」
自分としては、過小評価をしたつもりはないし、例え本当に過小評価していたとしても、それくらいの心積もりでないといけない気がするのだが……。
「まだ大した時間を一緒に過ごしたわけじゃないけど……城木くんはあなた自身が思っているよりもずっと色々な物事が見えていると思うわ」
「………………」
なんというか……思ったよりも俺のことを評価してくれているようだった。これこそ過大評価ではないだろうか?
「少なくとも……今日はあなたのおかげで救われた部分が大きいから」
「……ひょっとして、結構気にしてたのか?」
「そりゃあ……まあ……」
そう言いながら、バツの悪そうな顔になる彩瀬川。今度もさっきと同じで恥ずかしさからだろう。
「だから、私が言いたいのは……えっと、うまく言えないけれど、あなたはあなたの決断に少しくらい自信を持ってもいいんじゃないかと思うの」
「きっと、あなたが思っているよりもそれが正しいことが多いと思うから……あと、今日はありがと」
最後に、小さく付け足すようにそう言った彩瀬川の顔は、夕日の中でも分かるくらいには赤くなっているのだった。
そんな様子を見て、支野の言葉を思い出して笑ってしまう。
「……ちょっと、何を笑っているのよ」
「いや、支野が『金髪に赤面は似合う』って言ってたけど、本当だなって改めて思ってな」
「~~~!!!少しお礼を言ったらすぐそうなんだから!」
言われてから、俺と彩瀬川との"設定上の"掛け合いの話を思い出したが、もはやこういう状況に慣れてしまっているので、なんとも思わなかった。
……いや、待て。本当になんとも思わなくなってしまってもいいのか俺!?さすがに慣れて諦めてしまうのは早くないか!?
「しかしまあ、今頃支野は大喜びだろうな……悔しいけれど、自業自得だから仕方ないか」
「え?なんで今支野が喜ぶのよ?」
「いや、だってあいつがあれだけ望んでいた俺と君とのやり取りがリアルタイムで聞けたわけだからな……」
「………………」
……ん?この様子は今日既に一度見たような……。
「ひょっとして、マイクが入ってるのをまた忘れてたのか?」
「言わないで……本当に言わないで……」
……まずいぞ、このままだと委員長タイプのツンデレお嬢様キャラだと支野が想定しているはずの彩瀬川がポンコツになってしまう。
とは言え、だ、
「一度は気がついていたわけだし、あれからずっと忘れていたわけじゃないんだろ?」
俺の言葉に彩瀬川は力なく頷く。
「まあまあ、前向きに考えよう。喫茶店に入ったときと比べて、少なくともマイクがあっても自然にやり取りできるようにはなったってことじゃないか」
"短期間で同じ内容を忘れてしまった"こと自体が恥ずかしいという事実から出来る限り話を遠ざけるように持っていく。
「……そ、そうね……そう考えると、あれだけ動揺していた自分が嘘みたいだわ……」
俺の言葉に納得してくれたのか、彩瀬川は少し立ち直ったようだった。
そして今の今普通に喋れているということは、やはりマイクの問題は克服したと言えることになる。
「ぶっちゃけ忘れててもいいとは思うんだけどな。今だって、俺がわざわざ話題にしなければ分からなかったわけだし」
「でも、あんまり恥ずかしい言葉は聞かれたくないわ……」
「……それは、俺への当てつけかな?」
「いや、城木くんの場合はそれこそ自業自得じゃない」
まあ、これだけ返せるようになったならもう安心だろう。
そんなやり取りをしているうちに、俺たちは駅に戻ってきた。
「それじゃあまあ、今日はこんなところって感じかな」
「そうね……改めてになるけれど、今日は、ありがとう……」
「……別に、大したことはしてないさ」
そういう俺に対して、
「そういうところが、過小評価してるって言うのよ」
そう笑いながら言って、彩瀬川は通りの向こう側へと消えていった。
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