mission 5-22
学校から駅を挟んで反対側にある本屋は、この付近の本屋の中では頭一つ抜けた大きさを誇っている。
駅からもそこまで離れているわけではないという立地の良さもあってか、平日の夕方前という中途半端な時間帯でもそれなりに客が入っているのだった。
そんなこの本屋で互いに本を選び始めてから30分ほどが経過した。
「……案外、他人のために本を選ぶっていうのは難しいものなんだな」
自分から提案しておいてこの体たらくなのはいかがなものかと思うが、自分が面白いと思うかという基準が、相手にも当てはまるかどうかをしっかり考えるのが意外と難しいのだった。
さっき彩瀬川に話をしたとおり、読書はしないわけではないのだ。小説も適度に読むし、面白そうな学術書系も稀にではあるが読んだりする。
しかし、こうして人に勧めるほどの読書量ではないことは確かだ。あくまでも予想だが、少なくとも彩瀬川よりは量を読んでいないだろうと思う。
「……うだうだ悩んでいてもしょうがないし、いっそ自分の感性を信じきってしまうのもありか」
相手のことだけ気にしていても仕方ない。もちろんそれは重要だろうけれど、まずは自分が面白いと思えなければならない。
両方を考えることが難儀なようなら、せめて自分の基準だけでもしっかりと満たしているものを選んだ方がいいだろう。
………………。
それからしばらく検討をした結果、なんとか1冊の小説を選び出すことができた。
会計を済ませた後、彩瀬川と合流しようとした……のだが、
「連絡先くらい聞いとくんだったな……」
活動であれだけ関わっていたというのに、支野といい彩瀬川といい迂闊だったなと思う。
仕方ないので、店内を歩き回って探すことにする。
………………。
「ああ、いたいた。彩瀬川!」
幸いにも、そこまで探し回ることなく彩瀬川を見つけることができた。当然本屋という店の中なので、声が大きくならないように呼びかけた。
「ああ、城木くん。あなたも選び終わったのね?」
「『あなたも』ってことは、彩瀬川も終わってたのか……って、そんなに何冊も選んだのか?」
見ると、彩瀬川の手元には4冊ほどの本がある。しかも厚めのものも混ざっているようだった。
「ああ、違うわよ。1冊だけが選んだやつで、残りは参考書よ。私が家で勉強するの」
よくよく見てみれば、今いるコーナーは参考書コーナーなのだった。しかし……、
「何というか……君は本当に真面目だな」
「真面目っていうか……必要だからやっているだけよ」
「必要かなあ……」
彩瀬川の成績がいいということは分かっている。競争相手が支野という時点で、その程度が伺い知れるというものだ。
しかし、彩瀬川が見ている場所はあくまで"支野真夏"という位置なのであって、一般的に「成績が良い」と言われるようなラインではないのだろう。
それが彼女にとって「必要なこと」だから―――いや、「必要だと思ってしまっている」ことだから―――やっている、ただそれだけのことなのだと思う。
そのことが分かっていたから、俺は何も言わなかった。
「それじゃ、時間ももったいないし移動しましょうか」
「それもそうだな……」
時間の都合を考えると、互いが読み終わるのを待つのは得策ではないだろう。時間を決めてしまった方がいいと思う。
どちらにせよ、あまりゆっくりはしていられないということには変わりないので、俺たちは早速読書スペースへと移動することにした。
「それで、城木くんはどんな本を選んだのかしら?」
スペースに着くや否や、彩瀬川が早速そんなことを聞いてきた。結構乗り気なようだ。
「まあ、無難に小説だよ」
ミステリーやSF、社会派などのジャンルはさっぱりだったので、人間ドラマを選んだのだった。最近そこそこ話題になっている作家の作品だ。
「そういう彩瀬川は?」
「私も小説だけど……」
まあ、こういうところで相手に勧めようとしたら、大体は小説になるよなあ。
見たところ、幸いにも被ってしまうという最悪の事態は避けられたようだった。
「さすがに読み終わらないと思うし、1時間くらい目安で出るってことにしないか?」
俺はさっき考えた内容を伝えると、彩瀬川も納得したようだった。
ということで、俺たちは早速本を読み始めた。
………………。
彩瀬川が選んだ小説は、意外にも恋愛小説だった。
と言っても、単純な恋愛小説というわけではなく、しっかりと脇を固める話も練られていて読み応えがある。
しかしそれ以上に……、
(結構恋愛に関する描写がガッツリあるな……)
正直、これを彩瀬川がどういう風に選んだのかは気になるところだった。
例えば、この小説の作者が気に入っている人物だからという理由で選んだのか、
それとも、パラっと中身を読んでみた上で選んだのか……、
(後者だとすると、彩瀬川は経験こそないけど恋愛には興味津々ってことになるな……)
しかし、思い出してみると、前に喫茶店でのキックオフミーティングの時に似たようなことを言っていた気がするので、案外この推測は間違っていないかもしれない。
……確認してみるか。
「なあ、彩瀬川……」
集中していたら悪いな……と思いつつ、声をかけるために彩瀬川の方に顔を向けたのだが……、
「………………」
「………………」
……言葉を失ってしまった。
集中していたのは予想どおりだったのだが、その格好があまりにも様になり過ぎていた……というか、一枚の絵みたいに綺麗だった。
この見た目で自分の容姿を謙遜しようものならバチが当たるというものだ。
「……彩瀬川、ちょっといい?」
……あまりジッと見つめているのも、何だかバツが悪い気がして、俺は改めて声をかけた。
「……えっ?どうしたの?」
今度は問題なく反応してくれた。
「いや、この小説って、どういう風に選んだんだ?」
「どういう風って……あらすじと、ちょっとさわりだけ読んで……ひょっとして面白くなかったかしら?」
「ああいや、むしろ面白い方だと思うんだけど……そうか、やっぱりか……」
「『やっぱり』?」
「いや。君って、こういう恋愛に興味があるってことなのかな、って」
「!!!」
そう俺が言った瞬間、彩瀬川が瞬時に顔を赤くしてしまった。
「そ、そういうことじゃないわよ……」
「……でも、琴線に触れたから選んだんじゃないのか?"俺が好きそうだって思った"ってわけじゃないだろうし……」
逆なら通用したかもしれないが、まさか俺に対してそれはないだろう。
「え、えっと……あ!そう!今後の活動にもいいかなと思って!」
「そ、そうか……」
「え、ええ……」
「………………」
「………………」
「………………」
「……ごめんなさい、興味がありました……」
沈黙が続いた結果、彩瀬川はあっさりと真実を告白した。
「どうせ支野以外にはどういう印象を持たれたって構わないんだから、もう強がらなくてもいいんじゃないかな……」
俺の(自分で言うのもなんだが)至極もっともな意見に対して、彩瀬川は、
「……そうなんだけど、単純に恥ずかしいのよ……」
こんなことを言ってきた。
「うーん……そんなに恥ずかしいことかな?君がさっき言ったことじゃないけど、俺だってこういうものを参考にしなくちゃいけないレベルなんだぜ?」
俺は思ったことを素直に口にした。事実なのだから仕方がない。
「そうかもしれないけど……私の場合は、"勉強とかは熱心にやっているくせにそういうことは知らない"っていう状態なのが……」
「考えすぎじゃないのか……」
しかしまあ、今までのことから想像するに、その「考えすぎ」を払拭できないところが彩瀬川の短所なのだろう。
「……ところで、理想の恋愛って、あるかしら?」
開き直ったのか、彩瀬川が恋愛についての話を掘り下げてきた。
「……前にも言ったかもしれないけど、俺は恋愛のことがまだ分かってないから何とも言えないな……」
まだ始まってから間もないが、活動を通して学べたことは少なくない。しかし、スタートラインから進めた距離は大したことはないのだ。
「けど……まあ、後悔はしたくないし、させたくないかな」
「『後悔』……」
「そこで終わる話じゃなくて、後に続いていく話だから、『間違いだった』って、思いたくはないかなって」
言い訳がましくなってしまうかもしれないけれど、俺がこれだけ慎重になっている理由は、つまるところここに集約されるのだと思う。
……もちろん、行宮に対する俺の気持ちが固まっていればより良かったのだろうけれども。
「……そういう彩瀬川は、理想形ってないのか?」
俺が大して話せなかった分、彩瀬川に語ってもらうことにしよう……決して意趣返しではない。
「そうね……私もあまり話せる内容があるわけじゃないけど……ドラマチックな筋書きとかは、あまり求めてないわね」
「へえ、それは若干だけど意外だな」
「そ、そう?そんなに意外かしら……」
こういう小説を勧めてくるくらいだし、起伏のある恋愛が好みなのかと思ったが、そうではないようだ。
ということは、俺と同じように、あまり「これ」というような望みはないのだろうか?
「どんな相手がいいとかもないのか?容姿でもいいし、内面でもいいし」
「うーん……」
この際だし、ズバズバと聞いてしまおう。ひょっとしたら、似たような話を他の2人とする機会もあるかもしれないし。
これくらい気兼ねなく話ができる異性は、響と天以外だと初めてなので貴重なのだ。支野は……例外。
俺の質問に対して、しばらく考えた後、彩瀬川は、
「……容姿とかはあまり気にしないし、性格も、本当にどうしようもないとか、致命的にソリが合わないとかじゃなければ問題ないわね」
「……まあ、そんなもんだよなあ」
そう答えた。恋愛初心者を通り越して恋愛音痴な人間が相手を想像するならば、有り得ないくらいの高望みか、このような結果に行き着くだろうと思う。
「だけど……」
しかし、彩瀬川の答えはそこで終わらなかった。
「私を、支えてくれる人がいいかな……」
いつもの彩瀬川のように、芯の通ったしっかりとした声ではなく、風にかき消されそうな小さな声で、しかし確かに彼女はそう言った。
そこには一体、どういう意味が込められていたのだろうか。
彼女が「頼りがいのある人」ではなく、「自分を支えてくれる人」という表現をしたことに、一体どれほどの意味があるのだろう。
「……いないってことは、ないんじゃないかな」
「……そうかしら、ね」
「きっと、だけどな」
でも俺は、やはり立ち入れない。
だって、今ここで彩瀬川に深入りすることは、それこそ彼女の理想形をなぞろうという意思表明になるだろうから。
「……あんまり、色々と溜め込まない方がいいぞ」
「……えっ?」
だけど、せっかくこうして2人で来ている相手のことに、まるで無関心のままでいられるほど、俺は薄情ではないつもりだった。
「君のパーソナルスペースが、君の中でどういう風になっているのかは分からないけど、悩みを打ち明ける相手は何も恋をしている相手だけじゃないと思うんだ」
「………………」
「せっかく活動で一緒にやっていくんだ。確かにまだ日は浅いけど、それなりに親しくなりつつあるっていう風に思ってるし、きっと他のみんなだってそう感じていると思う」
「最後は君次第だけど、もしいいと思うタイミングが来たら、俺でも誰でも話をしてみたら、少しくらいは助けになるんじゃないかな」
「………………」
恋愛のことは、まだ分からないままだけれど、
人を想うことなら、人並み以上くらいにはしてきた自負がある。
「……あり、がとう」
彩瀬川は、俺の言葉に小さな声で感謝の言葉を返してきた。
いつもなら、ここにチクリと一言くらい入るはずなのだが、今の彩瀬川はどうやらそういう状態ではないらしかった。
「……まあ、今みたいに君に覇気がないと、若干調子が狂うし、やっぱり支野に噛み付くくらいに元気な姿の方が似合うと思うよ」
何だか俺の方も気恥ずかしくなってしまって、そんな軽口を付け足してしまう。
「……城木くんって、やっぱり変わってるわよね」
「……今の流れのどこにそういう風に取れるところがあったんだよ」
特に支野の名前を出した後にそういう風に言われてしまうのは若干心外というものだ。
「素で人が恥ずかしくなるようなことを言うこともあれば、今みたいにちゃんと考えた言葉をくれることもある―――」
「相反する2つを、両立―――って言うのかしら―――出来てるっていうのは、やっぱり変なことだとおもうわ」
……うーん、言われてみればそうなのかもしれない。
とは言え、前者の方は別に意識をしているわけではない。むしろ一時止めよう止めようと思っていたくらいだし。
………………。
ただまあ、共通点があるとすれば……、
「共通するところがあるなら、"相手はちゃんと見てる"ってことかな」
「"相手を見てる"?」
人を想うことなら、人並み以上くらいにはしてきた自負がある。
その上で大事なのは、やっぱり相手のことを考えることだと思うのだ。
そのためには、相手と向き合わなければならない。
「相手のことを見ているから、その人のことを突き詰めて考えられる。例え他に考えていることがあっても、"見ている"のはその相手の方向なんだよ」
「だから、思ったことがすぐに言葉にできることなら言ってしまうし、煮詰めた方がいいなら考える―――って言っても、まあ半分くらいはいつもやっちゃってることの言い訳だけどな」
「………………」
それこそが、相手を理解する上では一番シンプルな方法ではないかと思う。
もっとも、俺の場合は「言わない方がいいかもしれない」というラインが緩すぎる気がするので、少し意識しなければならない気がするのだが。
「だからまあ、さっきもそうだよ。君だけを見て、君のこと考えて、俺なりにああいうアドバイスをするに至ったっていうわけだ」
「~~~~~~っ!つまり!今のも同じような原理って言いたいわけね!?」
「………………」
……意識しないと、こういう風になってしまうという典型例を実演してしまった。
「まったく、油断も隙もないわね……」
俺は言う側だし、反省しなければならないのか積極的に実行していくべきなのか怪しい立ち位置なために何とも思わないが、彩瀬川は何度言われても慣れないようで、顔を赤くしてしまっていた。
……いや、よく考えたら行宮もそうだし、先輩ですら似たようなケースがあった気がした。やっぱり良くないんじゃないだろうか。
しかし、脳裏には部室でガッツポーズをする支野の姿が浮かんでしまい……やっぱり面倒だしこのままでいいかな。
「……でも、真面目な話、さっきの考え方なら恋愛も同じ原理でいいんじゃないかしら?」
「……えっ?」
「いや、さっき言ってたじゃない。『相手をちゃんと見て、相手のことを考える』って。それをする相手を変えるだけで、上手くいきそうなものだけれど……」
「……そんなこと、ないんだよ」
何故なら、前提が成り立たないのだから。
相手のことが、ちゃんと見れない。
恋をしているか分からない相手ですら、そうなのだ。
恋をしてしまえば、どうなってしまうか分からない。
そしてそれは、立ち位置が逆転したとしてもそうなのだ。
相手が自分に恋をしているような状態でも、前提が成り立たない。
相手が自分を見ていることを意識せざるを得ないから、相手のことをちゃんと見ることができない。
「……そういうもの、なのかしらね」
彩瀬川は何も言わない。
俺よりはきっと、この問題の解答に近い位置にいるのではないかと思う。それくらい、俺は遠い位置に立っている自覚があった。
もしかしたら、堅苦しく考えすぎているのかもしれないけれど、この状態は一朝一夕には変えられないだろうと思う。
それが変えられないから、俺は今こうして活動に参加しているのだから。
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