mission 1-2
放課後、
あの時一瞬見せた、支野の何とも言えない顔がどうにも頭から離れず、俺は再び彼女の元を訪れていた。
「お?」
俺の顔を見るやいなや、みるみる支野の顔がニマニマとしたものに変わっていく。大変に不愉快だった。
「なんだなんだ、あれだけ乗り気でなさそうな態度を取っておいて、内心は興味津々だったわけか」
「そういうわけではないんだが……」
「まあまあ皆まで言うな安心しろ。私はエロゲーもやるからな、ちゃんと君さえ乗り気なら濡れ場まで持っていくようにしてやるよ」
「それがマジなら考えを改めたいところだな……」
冗談だ、と支野が軽く笑い飛ばす。
「私が仕組む関係性であることには間違いないが、登場人物には全員本気になってもらいたいと思っている」
「だけれどもまあ、取り組む姿勢についての話だけであって、実の関係性については一切関知はしないよ」
「私が見たいのはあくまでも私の考える恋愛模様だからな」
「何が言いたいかと言えば、、私が見ていないところで想定以上に深い関係になっていようと、私は一向に困らない、そういうだけの話だ」
話を聞く限りでは、どうやら支野は恋愛模様が見たいだけであって、無理やり裏までくっつけようとしたいわけではないらしい。
自分でも言っていたが、俺を勧誘したときの口ぶりといい、どうやら良識がないわけではないようだ。
「それで、ヒロイン役の人は誰なんだ?」
「"役"という言い方は若干引っかかるものがあるな……」
「いいだろ別に、間違っちゃいない」
大規模な演劇をやっていると考えればやりやすいのかもしれないと考えれば、そういう呼び方がしっくりくる気がしたのだった。
「まあいい、ヒロインはメインの幼馴染系を最後にするつもりだが……」
ちょっと待て。
「え?一人じゃないの?」
思わず出た俺の疑問符に対して、支野は呆れたような口調で答えた。
「あのなぁ……ヒロインが一人だけのギャルゲーがどこにあるというんだ……」
こんなことで呆れられるのは非常に遺憾だな……というかギャルゲーって言っちゃったよこいつ。
「一人の女の子と徹底的に向き合う様を見るのもいいかもしれないが、私は複雑に人間関係が絡み合っている方が好みだ」
「なぜならその方が"現実的"だからだ。まあ、ギャルゲーをなぞるという前提でこの話をする以上、この言葉は適切ではないかもしれないがな……」
言われれば納得できてしまうような気もする。人と人との関係である以上、完全に独立した関係を続けるのは難しいのかもしれない。
……あくまでも「気がする」だけであって、結局のところは何も掴めていないことには変わりはないのだろうけれど。
「というわけでヒロインは複数だ。あんまりキャラクターの強い奴を用意してもややこしいことになりそうだし、王道中の王道から3人くらい選ぼうと思っている」
「王道中の王道がそもそも分からんのだが」
まあこいつがさっきポロっと口に出していたし、幼馴染という立ち位置を作り出そうとしていることは間違いないだろう。
………………。
まさか、な。
「それっぽいのを挙げていけばいい。幼馴染、女友達、クラス委員、生徒会長、風紀委員、部活の先輩後輩、姉や妹、エトセトラエトセトラ……」
次々と湧いて出てくるキャラクターに面食らってしまう。
というか姉や妹って……、
「ギャルゲーは血縁もいける口じゃないといけないのか……」
「むしろ王道の中でも中心に位置するキャラクターだがな。あくまで仮想と思えばいい」
それに、と付け加える。
「今回は選ぶつもりはない。幼馴染、クラス委員、生徒会長の3つを基本線に行こうかと考えている」
最初のはともかく、後ろ二つのイメージは良く分からない。
「クラス委員と生徒会長って、どっちも厳しい人っていうくらいの感覚でしかないんだけど」
悪く言えば被って見える、ということになる。
「前者については今回は間違っていない。事実私はそういうキャラを選びたいと思っているしな」
「ただ、クラス委員キャラも生徒会長キャラも、選択肢は意外と広いのだよ。前者ならば世話焼きキャラとかもある。不良系の主人公に構うタイプだな」
言われると、不真面目な男子生徒になんだかんだで世話を焼く女の子がイメージできた。なるほど、そういうのもあるのか。
「生徒会長キャラに関しては、もっと滅茶苦茶なキャラ付けをすることもできる。エキセントリックな人物とかもありだな」
「今回はおとなしめに、かつクラス委員と被らないように、ミステリアスで寡黙なキャラを選抜したいと思っているところだ」
なるほど、あれだけ熱意を表に出して語ってくるだけあって、支野は今回の計画について色々と考えているようだ。
……いや、待てよ?
「選抜『したい』とか、『選びたいと思っている』って言ったか?」
「言ったな、確かに」
「……まだ決まっているのって俺だけなのか?」
「そうだぞ」
………………。
ガラッ
「お邪魔しましたー」
「待て待て待て待て待てっ!」
素早く部屋を出ていこうとする俺を上回る勢いで支野が俺を捕まえにきた。チッ、逃げ切れるかと思ったのに……。
「なんでヒロインから決めなかったんだよ!お前昼に『ヒロインを見てからでも遅くないだろ?』的なこと言ってただろ!」
「方針は決まってるんだからいいじゃないか!」
どう考えても良くない。
「いいじゃないか!どうせさっき言ったような立ち位置の女の子なんて周りにいたことなんてないだろう?君の好みにヒロインを選ぶチャンスでもあるじゃないか!」
「今日知ったばっかりの文化に乗っかってノリノリで女の子選ぶ立場にはなりたくな……え?ちょっと待て」
今、少しだけ引っかかる発言を耳にした気がする。ひょっとして支野は俺の素性をあまり知らないのか?
「なんだ」
「俺、幼馴染いるよ?」
「……えっ?」
……一瞬余計な情報を付け足しそうになったが、支野が呆気に取られていたので口に出さずに済んだ。
「……と見せかけて男の幼馴染?」
「ではないな」
俺が嘘を教えられてない限りはあいつは女だ。
「……じゃあ年齢がすごい離れている?」
「同い年だな」
ちなみに同級生だ。
「………………」
しばらく支野は押し黙って、それから頭を抱えながら、
「君は私が選ぶまでもなくギャルゲーの主人公なんじゃないか……」
とか言い出した。顔が半笑いなのが少しムカついた。
「同い年の女の幼馴染がいりゃ主人公になれるなら、この世には主人公だらけじゃねえか……」
大変に理不尽な展開だが、めんどくさいテンションになりかけてた支野がおとなしくなってくれたのでよしとすることにした。
……その後、支野が「その幼馴染は朝起こしに来たり、弁当を作ってくれたりするか」とか聞いてきたので、全否定したら完全に元の状態に戻った。なんだったんだ一体……。
………………。
「……まあ気を取り直してだ、」
「気を取り直したいのはこっちだ……」
疲労度が一気に倍くらいになっている気がする……。
「ともかく、まだヒロインは完全には決まっていない。だが安心しろ、さすがに無策ではない」
「……と言うと?」
少しだけ希望が持てる気がしてきた。
「メインとなる幼馴染キャラについては、もう彼女しかいない!というような人物を見つけてある。そこは心配しなくていい」
「ようやく安心できる言葉を聞けたぜ……他の2つはどうなんだ?」
俺が続けざまに聞くと、支野は少しだけ渋い顔をした。
「生徒会長キャラも一応候補はいるが……ちょっと奥の手感が否めないな」
奥の手感ってなんだろうか……、不穏な匂いしかしない……。
俺が不審に思っているのを察知したのか、支野がネタを明かした。
「いや、大したことではない。本物に頼んでみようかと考えているだけだ」
「本物って……檜ノ本先輩か」
檜ノ本悠先輩はこの学園のマジモンの生徒会長である。知名度的には支野と大差ない。
生徒会長という役職だけでも有名であるだけの理由になるが、彼女の場合はそうなるに至った圧倒的な学力も理由の一つとなっている。
加えて、ガチガチのお嬢様でもある上に、その身分に相応しい純大和撫子然とした容姿もそれを支えていると言えるだろう。
端的に言えば奇抜さを抜いて大人しくした支野である。
まあ確かに、あの人が恋愛対象候補のうちの一人だったら、まずうちの学園の男子生徒は喜ぶだろう。喜ぶだろうが……、
「俺あの人のことよく知らないけど、さすがにこの企画に乗ってくれるような性格だとは思えないんだが……」
「うーん、まあそう思うよな……さすがに私も一筋縄ではいかないと思っている」
さすがの支野でもそこは感じているようだった。というか普段の言動がイカれてるだけで、こいつって結構慎重な性格だな。
「まあいいんだ。どのみち彼女のところには、今回の企画で色々やる上で話をしに行かなければならないんだ」
「ああ、課外活動とかそういうのか」
「そういうことだ。その時についでに聞くくらいはしてみよう。オーケーをもらえれば儲け物だし、それがダメならキャラクター自体を替えるのも手だな」
どうやら支野は、さっき挙げた3つのキャラクターにはそれほど固執していないようだった。
「しかし……これはまあ個人的な好みになるんだが……クラス委員だけはなんとかねじ込みたいと思っている」
「その辺りの好みは良くわからないから任せるが……そっちはあてがあるのか?」
そう聞くと、支野は困った顔をしながら、
「残念ながらないんだ。こっちは我らがクラスの本物に頼む訳にはいかないからな」
「本物って……ああ、男だもんな」
俺と支野のクラスの委員は真面目を絵に描いたような男子がやっている。悪い奴ではないが、残念ながらこの場合は性別が男という時点で対象から外れるだろう。
「さっきあんまり突っ込まなかったんだけど、クラス委員キャラっていうのはどういう人がいいんだ?」
俺のイメージでは単に「厳しい人」としか言っていないし、支野もそれに頷くだけだった。
「厳格に規則規則と言うだけのキャラ付けでもいいんだが、それだと序盤が鬱陶しくてかなわないからな。最初からそれなりに"甘さ"がなければならないかなと思っている」
「"甘さ"ってなんだ?最初から主人公のことが好きってことか?」
『城木くんのことが好きです』
――――――、
自分で聞いておいて、思い出さなくてもいいことを思い出してしまった。
「そうじゃない。ここで言う"甘さ"とは"脇の甘さ"だ」
「"脇の甘さ"?」
いまいち良く分からない。どういうことだろうか。
「成績優秀で素行の良い優等生の弱みが垣間見えるような話の流れも面白いとは思うが、それ以外の道もあるということだ」
「今回は『優秀そうに見せかけて実は要所要所で隙が見えるタイプのクラス委員』を作り出したいと考えている」
「ああ、そこまで言われるとなんとなく掴めてきたわ……」
つまりは、「詰めが甘くて抜けているところがあるけれども、厳しいことは厳しい」っていう人物が見たいわけだ。
「加えて……これは私のこだわりだが、こういうキャラの"テンプレート"を重視したいと思う」
「テンプレート?」
「ツンデレキャラなら金髪だろう?」
だろう?と言われても……というかツンデレってまた端的な表現だな……。
「ツンデレで強気でどこか抜けているような人物……お嬢様であるならばなおいいところだな……あ、あとやたら突っかかってくるようならなおいい」
「要求水準が高すぎるだろ……」
さすがに現実にそんな都合の良い人物がいるわけがない。
いるわけが……、
ガラッ
「ちょっと支野!あんたまだ進路希望の書類提出してないでしょ!これで何回目だと思ってんのよ!」
「「いた!!!!!!」
「な、何なのよ!というか、あなたは誰なのよ……」
いるわけがないと思っていた、分かりやすく強気で突っかかってくる女子が来た。
支野もそれなりに身長が高い方だが、この人はそれよりも高く、それに肩より少し下まで伸びたストレートの金髪が映えている。
どうやら支野の知り合いのようだが、残念ながら俺は知らない。言葉から察するに何かしらの学年委員に就いているんだろう。
俺の思っていることを知ってか知らずか、支野はその女子に話しかけた。
「本当にちょうどいいところに来た彩瀬川!ちょうど君のような奴を待っていたところだったんだ。君はいつも期待に応えてくれるな」
「そ、そうかしら……?そこまで褒められると悪い気はしないのだけれど……ということは、書類はもうできてるのね?」
「まあまあそう急がなくてもいいじゃないか。今日という日に君がここに来てくれたのは僥倖以外の何ものでもないくらいだ。まずは私の話を聞いてくれてもいいだろう?」
「な、何なのよ今日は……ちょっとおかしいんじゃないのあんた……ま、まあ話を聞くくらいならいいけれど?」
あ、こいつちょろいな。「ツンデレで強気で抜けている上に突っかかってくる」までは満たしているらしい。
と、そこまで考えてから彼女の名前を思い出した。
「彩瀬川エイリスか、君は」
1年の頃、「同級生にハーフのめっちゃ美人な女子生徒がいる」とクラスで話題になっていたのを思い出した。確かその生徒の名前が彩瀬川だった気がした。
2年に上がった今もその知名度は変わらず、何度も名前を聞くうちに名前だけ覚えてしまっていた。
「そうだけれど……というよりも、結局あなたはどちら様?」
確認のために名前を呼んだ俺に対し、彩瀬川は部屋に入ってきた時より丁寧にこちらの名前を訪ねてきた。彼女が突っかかる相手って支野だけなんじゃないか?
「ははは、実は彼も話をする上で重要な人物なんだよ。どうせそのうち嫌と言うほど親しくなるから心配ない」
とりあえず自己紹介をしようと思って口を開きかけた俺を制するかのように、支野が割って入ってきた。
ちゃんとした(?)支野の関係者だと判明したからかどうかは分からないが、彩瀬川の顔がほんの僅かだけ厳しくなった気がする。
「『嫌というほど親しくなる』って言われても……私、この人のことは知らないわよ?」
「安心してくれ、俺もあまり知らないし、俺自身まだ立ち位置が曖昧なところだ」
そう弁解したが、彩瀬川は頭の上に疑問符を浮かべて戸惑っている。そりゃあそうだろう。
「支野、あんまり濁さないで彼女に説明してくれよ。俺が説明するのは明らかに無理があるし」
「それもそうだな。実はな彩瀬川……」
未だにギャルゲーというものについて理解できていないのに、それを同じくよく分かっていない相手に説明した上で「それにヒロインとして参加しろ」というのはさすがに無理難題だ。
おまけに俺が主人公役である可能性がある、というところまで説明しなくてはいけないと考えれば、ここは支野に任せてしまう方が正しいだろう。
「君に彼と付き合ってもらおうと考えているんだ」
「おい待てコラ」
正しくなかった!
「いくらなんでもすっ飛ばしすぎだろ!」
「なんだなんだ。言ってることは大して間違ってないしいいだろう」
ものすごく間違っている。実際に付き合うのと"付き合っているような演技をする"には天地の差がある。いやもっとか。というかそもそも物語上でそういう関係になるかはまだ決まっていない。
「しかも俺はまだやるとは決めてないんだぞ、その辺もちゃんと言っておいてもらわないとだな……」
「なんだ、まだ決めかねているのか。しかし見ての通り、第一ヒロイン候補の彩瀬川はこんなに美少女だぞ」
「そこは否定しないが……そういうことじゃないだろう……」
事実、評判通り彩瀬川エイリスは美少女だった。テレビで良く見るようなハーフタレントと比較しても遜色がないどころか、むしろ彼女の方が上にも思えてくる。
しかしそれとこれとは話が別だ。俺は別にヒロイン役の女子生徒に美少女がいるかいないかで決めようとしているわけじゃない。
そんな当の彩瀬川本人は口を開けてポカンとしてしまっている。仕方のないことだろう。
「……ご、ごめんなさい……聞き間違えてしまったかもしれないわ。もう一回言ってくれないかしら?」
どうやらなかったことになるらしい。これはチャンスだ。
「君には彼と付き合ってもらおうと考えているんだ」
「しっかりやり直せよ!」
テイク2も失敗した。
「そ、そそそ、そんなことできるわけないでしょう!」
「気持ちは分かるが、目の前でバッサリいかれると若干ショックだな……」
「わ、悪かったわ……でもしょうがないでしょう……」
彩瀬川は顔を真っ赤にしてしまっている。俺がどう、というよりは、単純に恋愛慣れしていないんだろうか。
「まあ、確かにウブな彩瀬川にこういうことをいきなり言うのも酷な話だったな」
「ウブなんかじゃないわ!私は……そう!プレイガールよ!」
「君それ意味分かって言ってるのか……」
彩瀬川が支野のイメージするヒロイン像の通り強気なキャラなのは良かったのかもしれないが、俺は少し心配になってきた。
「彩瀬川がプレイガールかどうかはどうでもいいとして、さっきのは冗談だ。ちゃんとした説明をしよう」
さすがに支野も話が進まないと感じたのか、彩瀬川の「どうでもいいってどういうことよ!」という声を無視して説明をすることにしたようだった。
………………。
「なるほどね……」
話を一通り聞いた彩瀬川が、呆れたような目で支野の方を見ながら言った。
「あんたらしいぶっ飛んだ企画よね……」
「そうだろうそうだろう」
支野は何故か自慢げに言う。ちっとも褒められていないことには気づいていないようだ。
「ということは、君はこの企画に乗ってくれるということだな?」
「なんでそうなるのよ!お断りよお断り!」
当然の反応だった。そりゃちゃんとした人ならそうなるだろう。
だからおかしいのは俺の隣で「ええ!?なんで!?」と驚いている支野の方だ。
「これ以上ないくらい面白い企画じゃないか!?」
「あんたは面白いかもしれないけど、こっちはたまったもんじゃないわよ!」
「退屈な日常に彩りを添えられるかもしれないのに……」
「別に退屈してないんだけど……」
「あ、今のは彩りの"彩"と彩瀬川の"彩"をかけてるぞ」
「仮に賛成寄りの人間に話してたとしても今の一言で台無しよ!」
ことごとく彩瀬川が正論を言っているので、支野の肩の持ちようがない。
それでも反論にちゃんと付き合ってあげている辺り、彩瀬川はなんだかんだで優しいのかもしれない。いや、ちょろいのか?
「というか……あなた」
話の切れ目で彩瀬川の視線がこちらに向いた。
「あなたはどうなのよ……さっきからあんまり口を出さないけれど」
「さっきも言ったかもしれないけど、俺はまだ迷ってる状態なんだ」
それを聞くと、彩瀬川が驚いたように続けた。
「……正気?さっきの話を聞いて参加しようと思えるの?……まあ、あなたの場合は主人公側だし、ちょっと違うのかもしれないけど」
「その辺り勘違いされてそうだから言っておくけど、俺はヒロイン役が誰とかいうことにはそれほど興味がない」
「そうなのか?」
「そうなんだ。かと言って無条件でこの企画に参加しようと思えるかと言うとそんなわけがない」
ただ俺は、自分の今の状態がいいと思っていない―――これだけは間違いなく言える。
そんなタイミングで支野からこの話を持ちかけられた。それが迷いを助長させていた。
俺が恋愛について分かっていないのなら、無理やりにでも恋愛をしているような状況になればいいのかもしれない。
もしかしたら極論かもしれないが、正しいか正しくないかなんてことは、俺にも分からない。
俺が返事を保留している理由はここにもあるのだった。
「少しくらい話を聞いてみてからでも悪くはない、そう思っただけだ」
「ふぅん……本当かどうか怪しいわね……」
「本当だ、と言っても信じてはくれないかもしれないが……少なくとも、ヒロイン役で判断してないことくらいは分かって欲しいね」
「なんでよ」
「そりゃあ、もしヒロイン役が判断材料なら、君が一人目の時点で決めててもおかしくないだろう」
「……そ、そう……」
なんの気なしに言った言葉だが、彩瀬川が顔を真っ赤にしているのを見て、自分がとんでもないことを言っていることに気がついた。
これじゃただのホストじゃないか……弁解しても事態を悪化させるだけな気もするし黙っておくことにする。
「ふむ……そういう面で選んだつもりはなかったが……ひょっとすると大当たりなのかな?」
支野はしばらく喋っていないと思ったら、何やら不穏なことを言い出した。
「まあ、彩瀬川も乗り気になってくれたみたいだし、なんとか一人目は確保ってとこだな」
「なんで私が乗り気ってことになってるのよ!今の流れのどこにそう判断する要素があったのよ!?」
俺も"今までのちょろさから押し切れるかも"と思ったことは口に出さないでおくことにする。
と、ここまで見ていて気になったことがあった。
「なあ、なんで君はそんなに支野に突っかかるんだ?」
彩瀬川エイリスは見た目も勝ち気な感じだが、誰彼構わず突っかかるようには思えない。
少なくとも会ったばかりの自分にはそういう態度を取ってきていないのだから、この推測は正しいのだろうと思う。
しかし、こと支野に限ってだけはどうにも攻撃的な姿勢を隠そうとしていない。少し違和感があった。
俺の質問を聞くと、彩瀬川は忌々しそうな顔で語り出した。
「支野はいっつも私の前にいるのよ……勉強でも運動でも、知名度でも人気でも!」
「一番最後は大いに疑問が残るんだが……ひょっとして君って、何でも一番じゃないと気が済まないタイプの人?」
「そうじゃないわ」
俺が踏み込んで聞いてみると、少しだけ落ち着いたのか、詳細を語り出した。
「私は別に一番になりたい訳じゃないの。ただ、誰かにあることで負けているのなら、その分その人には別なことで勝っていたいと思うのよ」
「人には得手不得手があるし、私は天才の類じゃない、努力で全てを身に付けられるとも思ってない。だけど、誰かに"全てで一歩先んじられている"状況だけは我慢ならないの」
「随分と合理的な負けず嫌いだな……」
しかし言っていることは分からなくもない。突き詰めて言えば「これなら勝てる」というジャンルを持てればいいのだが、それができないと自覚しているから、その分を平均化したがっているということなんだろう。
「それを!この支野真夏という女が全部ぶち壊しにしたのよ!何でこんな完璧超人がいるのよ!」
支野への怨嗟の念をぶつける彩瀬川。直接言うところからして、彼女はやっぱりいい奴なんじゃないか?
別に味方をするわけでもないが、彩瀬川のフォローをすることにする。
「確かに支野は文武両道だし嫌な意味での知名度も高いが、少なくとも容姿なら五分だし、単純人気ならむしろ君の方に軍配が上がりそうだし、おまけに性格なら圧勝だぞ」
お世辞ではなく事実を述べた。特に最後の項目は勝負になっていない。
ついでに言えば、身体のある一部に関しては彩瀬川の圧勝だった。あと、これは他意のない補足情報だが、支野はスレンダーな方だ。
「なんだ城木、まるで私が色々なもののために性格を犠牲にしたみたいな言い方だな」
「あと常識もだな」
若干不満そうな支野だが、否定をしてこない辺り、自分でも分かっているのだろう。
しかし、彩瀬川は俺のフォローでも納得がいっていないようだった。
「さっきは自分で列挙してしまったけれど、本当は人気とかで勝負して勝っても嬉しくないのよ」
「なんでだよ。かなり分かりやすい判断基準だろうに」
「だって人それぞれだもの。性格にしてもそうね」
話を聞けば聞くほど彩瀬川の性格が清々しく見えてくる。だんだん彼女と友達になりたくなってきた。
「ともかく、私が支野をライバル視してるのはそういうことよ」
「今回あんたが話した企画に乗り気じゃない理由の一つがそれよ。そういう話を自分で立ち上げるくらいだし、どうせあんたがメインヒロインなんでしょ?それで私がサブっていうのが引っかかるの」
その言葉に、俺も支野の方を向いた。
実は、その部分に関して支野が何も言わなかったし、俺も敢えて聞くことをしなかったので、事実が曖昧になっているままだったのだ。
しかし、俺はなんとなく察していた。理由は支野の昼の発言だ。
『私と同じ匂いがしなかったから、選んだんだ』
『君からは"恋愛ができない奴"の匂いがしなかったからな』
この発言―――
俺を迷わせることになった、もう一つの理由。
この発言と、支野の"傍観者を望む姿勢"からすれば、こいつの返答は―――
「いや、私はメインじゃないしヒロインでもない、というか、登場人物ですらないな」
まあ、こうなるだろう。
「……えっ?」
彩瀬川は面食らっていた。予想が思いっきり外れた時の顔をしている。というか現に外れたのか。
「……なんだ城木、君はあまり驚かないんだな」
俺の反応が薄いのを見て、支野が不思議な笑みを浮かべながら尋ねてきた。
「まあ……昼の言葉を聞いてりゃ……な」
「昼の、って……ああ、なんだ聞かれてたのか……」
そう言うと支野は一瞬だけ再びあの時のような寂しげな表情を浮かべたが、すぐに元の顔に戻って、
「洞察力がいいのは結構だが、普段は鈍い方がいい。それにその鋭さは"ヒロイン"にのみ活かされるべきだな」
「はいはい、分かったよ……」
これ以上追及しても何も意味がないだろう。俺は軽く流して、元の会話の流れに戻ることにした。
元の話の主役の彩瀬川だが、さすがにもう驚きは消えたらしく、冷静に話を聞ける状態に戻っていた。
「……私がヒロイン候補なのに、あんたがヒロインですらないの?」
「そうだ、私はあくまでも"恋愛模様を見る側"でありたいからな」
支野は、俺に言った時と同じ言葉を彩瀬川に言う。
―――そこにどんな意味が込められているか、俺はまだ知らないけれども。
と、その時支野が何かに気づいたような顔をした。
……と思ったら、今度は明らかに何か企んでいる顔をしている。あそこまで隠し事のできない人間がいるのか……。
「あー、言われてみればこれだとヒロイン候補の彩瀬川とは歴然の格差ができてしまうことになるなー。しまったなー全く考えてなかったなー」
「!!!!!!」
「でもなー、今更設定を変えるつもりもないしなー」
世界でも類を見ないくらいの棒読みをしている支野だったが、それを聞いている彩瀬川は既にただ一つのことしか頭になさそうだった。本当にちょろいな彼女……。
「……私、受けるわその話」
「あぁ……」
俺は天を仰いだ。神様……なんでこんな罪のない美少女を巻き込ませたんですか……。
彩瀬川の言葉を聞き届けた支野は、不敵にニヤリと笑うと、
「大変嬉しいよ、彩瀬川。君の恋愛模様を見ることができるのを非常に楽しみにしているよ」
なんてのたまった。悪役みたいだなこいつ……。
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