3-2
それからしばらく、女はヒルメを観察していた。目が合えばあからさまにつーんと擬音(声)付きで目を逸らされるのだけど。ヒルメはこれといって妙な行動をすることもなかった。いや変なことばかりしていたけど、別段彼女たちに害を及ぼすようなことはしなかった。いや迷惑は掛けまくっていたけれど。
ヒルメは村の住民に大人気だった。
火を灯したように、彼女はその空間を照らし、笑い声をもたらす存在だった。誰もその存在に疑問を持たないにも関わらず。その存在はあんまりに彼女たちの救いだった。
しかし、ヒルメの異常に気付いたのは。やはり彼女が最初だった。
「委員長は何をしているのですか」
珍しく声をかけられた。と思い手を止めて振り返ったら、ヒルメは隣の別人に声をかけていただけだった。
話しかけられた彼女は少し悲しげに、女の行動を説明した。
「彼女はお墓を掘っているのよ」
その音を背に作業を再開したから、はっきりとはしないが。
「誰のです?」
そう尋ねたのだと思う。隣に立っていた女は別段疑問に思うでもなく一人の名前を告げた。しかし委員長と呼ばれた彼女は、思わず手を止めて、もう一度振り返った。
今彼女が掘っている穴に収まるべき女は、ヒルメが一番懐いていた老女だった。名を知らないはずもない。ましてやその死を知らないはずなど。
「……覚えていないの?」
気付けばそう尋ねてしまっていた。無視されるだろうと思ったら意外にも、ヒルメはこちらを向いて首を傾げた。
「ヒルメの親しい人でしたか?」
『例の十七年』の過程で、おかしくなった者はたくさんいた。それは一種の防衛機構なのだ。たくさんの死に触れすぎたせいで、その死に何も感じなくなる。ついには死者の記憶を失ってしまう者があったとしても、不思議ではない。
彼女らの村で、ヒルメはそういうことになった。
しかしそれだけでは終わらなかった。
村の者達はヒルメの前で死者の話をやめるようになった。それは確かに仕方ないことなのかもしれない。死んだ者の名をあげるたびに首を傾げる少女に一々説明をするのは手間だ。それ以上に、ヒルメがいる空間はそんな湿っぽい話ができる雰囲気ではなかった。
だから必然的に、死者のことが話題になることは少なくなっていった。中には自分が死んだあと、ヒルメのいない場所であろうと一切話題にしてくれるなという者まで出てきた。葬儀だっていらず、埋葬さえしてくれれば良いと。
その光景に気味の悪さを覚えていたのは、どうやら彼女だけであったらしい。
「ヒルメ、ちょっと」
だからそう尋ねるのも彼女しかいなかった。
「委員長嫌いです」
そんな言葉とともに足を止めてもらえずとも、自分で尋ねざるを得なかった。
「本当は何も忘れてないんじゃないの」
「……」
足が止まる。
誰もいない校舎の廊下。二人分の影を夕陽が伸ばす。
「みんなが死んだ人のことを思い出して、絶望に向かわないように。そもそも『例の十七年』のことだって本当は覚えていて、忘れたふりをすることで、みんなが思い出さないように強制してるんじゃないの」
「……わかんないです」
「だから――」
「だから委員長はつまんないんです」
被せるようにヒルメはそれ以上の問いを拒絶した。
「つまんないとか面白いとかの問題じゃないでしょ」
「違いますよ、それだけの問題でしかないんです」
「そんなの……あんまりじゃない」
女は喉の奥に引っかかるような痛みを感じた。嗚咽の音がして、自分がいつの間にか泣いていたことに気付いた。
「委員長……泣いているんですか?」
「……そうよ、泣いてるのよ
私はこんなに悲しいのに……あなたは悲しくないの」
そう尋ねられて、ヒルメは穏やかに口を開いた。
「価値は何かに届くものじゃなくて届かないもの。って昔、誰かに教えてもらったヒルメの大好きな言葉です」
ヒルメは駆け寄ってきて彼女の手を握った。いつの間にか皺の増えた、軽い手だ。
「どこにたどり着く必要もないです。委員長は最後までヒルメのそばにいてください」
「でもそんなの……無駄じゃない」
「無駄じゃないんです」
普段の様子にはない。幼さを殺した口調で。彼女は言い切った。
「私があなたたちを愛したことは無駄じゃないんです。その結果がこれでも、あなたたちを愛した私を、私は誇ります。何故ならそれはそこに確かに存在したからです」
私達は今、間違いなく幸せです。
「いつかあなたが変わってしまってもあなたが死んでしまっても、何も残らなくても。ここにあるこれだけはいつまでも変えられることはないんですよ」
そしてヒルメはそのまま、彼女の手を引いた。
「おうちに帰りましょう。うちのお夕飯はいつも美味しいのです。
たくさん食べてお腹いっぱいになりましょう。ぐっすり寝て次の日は気持よく目覚めましょう。
明日も明後日も、そうやってきちんと終わらせましょう。
忘れたって構わないのです。どうしたって失くすことはできないのですから。
思い出した時にお墓参りでもすればちょうどいいのです。
それで毎日ちゃんと幸せに生きて、幸せに死んでいけたなら滅亡したとしても生き物として百点満点です。神様のお墨付きで合格です。
だからみんなが死んで、ヒルメだけが残されてたくさん悲しむことになったとしても」
ヒルメはあなたたちと生きることを選びます。
ひるめも 言無人夢 @nidosina
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