3-1
その女は悩んでいた。
彼女が未熟だからではない。こう見えて大概の困難は乗り越えてきた。間違いなくその精神に世界屈指の強靭さを持つ彼女は、『例の十七年』を幼少期として過ごしながら、最後まで希望を捨てずに生きるための道を模索し続けた生存者の一人だ。
所属した生存集団内部で殺し合いが起きたこともあった。ともにサバイバル生活を続け、そのノウハウを叩き込んでくれた親代わり達の心中未遂を出し抜いて、一人生き延びたこともあった。
そんな思いつく限りの末世の過酷を乗り越えてきた彼女も、その状況には頭を抱えた。
「……笑えないわ」
本当に笑えない。
そこはとある廃村の中学校の、彼女以外誰もいない埃積もった職員室。
人類最後の百人の村。それは海底に残された有線通信によってどうにか連絡を取り合い、この地に集まった人々の自称であった。生存確率をあげるというあまりに当たり前な目的のために、彼女たちは再び、そして最後の集団生活を始めたのだった。
だから、その人数は厳密に把握され、事前に何度も確認が取られた。百人。それ以上でもなくそれ以下でもなく。百人。
そして最年少は彼女。子供が生まれなくなった世界ではすでに珍しいほどの若さであるが、普通に男性が存在していた頃の社会では、ちょうど婚期が終わった辺りの年齢。
そんな老々介護まっしぐらの生活が予見される集団の中に。
子供が一人混じっていた。
「怪談か……ってのよ」
改めて言うが、人類は滅びるのだ。
子供が生まれないからこそ。
そんな悲劇の真ん中に、しれっと混じる子供。
しかも彼女自身、その子の名前を見るまではその異常に気付けもしなかった。指で画面をなぞる。
「ひるめ、ね……変な名前」
苗字もなく生まれた場所の記録もない彼女から、用紙を受け取った記憶はある。彼女の存在を確認しながら、どうしてかその異常に、ついさっきまでまったく気づかなかったのだ。
怪談。それもとことん出来の悪い皮肉混じりの。怪談。
そんなことばかり言って、恐れを抱いたところでどうしようもない。それこそ良い年をして、ホラー映画に悲鳴を上げるようなものだ。だから彼女はそんな異常事態に、現実的な対処を考える。
この事態は彼女以外には共有できないことが第一の問題だった。名簿を見せても、ヒルメの名前を強調してみても、他の共同生活者にその異常性は認識されないようだった。
とすれば対処は彼女の力のみで行われなくてはならないのだけれど。そもそもどうして、彼女だけに見えるのかすらわからないのだから、完全な手探りと言って過言ではない。
「何してるのです、委員長?」
「ひるめをどうしようか考えてるの」
「……え」
ショックを受けたような声が懐から聞こえてきた。
「……わぉ」
いつの間にか彼女の腕の隙間をかいくぐって、当の本人ひるめが画面を覗いていた。あまりに驚いてしまって、騒ぐタイミングを失ってしまった。多少の野生生物の足音なら数百メートル先からでも聞き分けたこの耳もここまで劣ったとは。年かなと、ちょっと悲しくなった。
「ひるめ屠殺です?」
「よりによってものすごい言葉選んだね。違うわよ、誰がひるめと暮らすのかって」
「一緒に住む人なら料理うまい人がいいです」
「たかる気まんまんだね」
とはいえ、彼女をこの村に留めるとするなら自活能力は期待できないだろうから、誰かと住まわせることになるのは確かだろう。
留めると、するならば。
「ひるめはどうしてこの村に来たの?」
「……暗に役立たずと言われている気がしました」
「言ってないから」
「……やっぱり屠殺――」
「言ってないから」
むしろ、どんな害を運んできたのかと訊きたい。
「えっと、ですね。楽しそうだったからですよ」
「……楽しそう?」
それは、この村の印象から最も程遠い言葉だった。少なくとも彼女はそう感じた。だってそうだろう。この村に辿り着いた人は皆。いや、ヒルメは知らないけどそれ以外は皆、たくさんの屍の上に今日までの日々を必死に生きてきた。そしてそのまま何も残さずに死のうとしている。
絶望の形。
どんなに笑顔で取り繕ったところで、隠し切れない退廃の村。
そんな村へと組み込まれることを拒否した人も、連絡のついた他の土地にいた。彼女たちは今、どうしているだろう。恐らく五年と持たずに死んでしまうに違いない。
人間という生き物は自然状態を三十年以上生きられるようにはできていない。複数人で社会を形成してようやく、生殖適齢期を越えた寿命が確保できるのだ。
だから、きっと。この村が本当に人類最後の村となるのだろうけれど。それでもこの村に混ざることを口汚い言葉で罵った人々がいる。
そんな村なのだ。
「楽しそう?」
「頭の弱い子を見る目で、こっちを見ないでくださいです」
「見てないって」
たぶん。
「どの辺りが楽しそうだったのかしら」
「生きてるって感じがしました」
新たな子供を産めない共同体は生きているのだろうか。
わからない。
「ヒルメは私達を皆殺しにするために来たんじゃないんだね」
「……ん?」
ストレートな疑問に、しかしヒルメは首を傾げた。まるで、どうしてそんなことを尋ねられるのかが不思議であるかのように。
そんなはずはないのに。
「んんん~、えっと?」
自覚のない侵略者なんて、いるはずがないのだから。自覚がなければ侵略なんて出来るはずがないのだから。
「……あ、あああああ!!!!!」
唐突に大声をあげたヒルメはたった今古い知人に気付いたかのように女を指さして固まる。
「な、何よ?」
わからないのは彼女の方だけだ。混乱した面持ちで尋ね返せば。
「ゼンマイ中毒の子ですね!!!」
「……人違いだと思う」
可哀想な覚えられ方をしてるなと赤の他人に同情した。
「あーそっか、だからですか。バレちゃいますよね、それは」
一人納得したように頷きながら、しかし首を傾げる。
「ならどうして、委員長は幸せそうじゃないんです」
「え?」
勝手に驚かれて、勝手に納得されて。
今はたぶん、勝手に腹を立てられている。
「どうして、委員長は幸せになれないんですか?昔の私と同じような顔をしているのですか?そんなのおかしいですよ。私はあなたに気付かせてもらったのに」
何の話かは、わからなかったけど。何だかこっちも腹が立った。
「知ったような口きかないでよ」
「……」
「ヒルメにはわかんないかもしれないけどさ、もう本当におしまいなのよ。この後には何も残らないの。
なんにも!残らないの!!
みんな誤魔化すみたいにへらへらしながら暮らしてて空気悪くするから誰も言わないけど、みんな思ってるのよ。こんなこと続けて何の意味があるんだろうって。
いつかはどこかで治療方法が見つかるか、女同士でも新しい命が生まれる方法の記録が見つかると思ってたけど、もうダメなのよ。本当に世界は終わっちゃうの。私達が諦めるから。終わっちゃう。
諦めて、弱々しく慰め合いながら死んでいくことを選んだから――」
「つまんないです!!」
遮るようにヒルメが叫んだ。
「……」
「委員長つまんないです。嫌いです」
そう残して、走り去ってしまった。
残された彼女だけが、彼女の怒りだけが冷水をかけられたように為す術もなくただ立ち尽くす。
「つまんないって……何よ」
そんな言葉で片付けていいことじゃないはずなのに。
確かに、私の主張は楽しくはないけれど。
「ヒルメのばーか」
ふてくされたように、委員長と呼ばれた女はぼやいて机に突っ伏す。
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